すずめ休憩室

日々のこと、好きなこと、飼っていたペットのことなどなど・・・。
気の向くままにつづってみました。

仙台オフ2日目

2007年10月26日 | お出かけ(道外)
夜2時近くまで起きていたのに、何故か早起き(笑)
仲居さんが「窓から見える朝日が綺麗ですよ~」とおっしゃってたのを思い出し、カーテンを開けるととても綺麗な朝日が見られました
 今日も良いお天気

朝食を食べてチェックアウトをした後、雄島へ向かいます
しばし歩いた後、現れた朱塗りの橋を渡るとそこが雄島です



「松島」の名のとおり、松が沢山の生い茂るこの雄島は現在は50程度しか残っていませんが、かつては108の岩窟があったといわれています。 内部の壁面には卒塔婆や仏像、法名を彫った跡が数多くありました。

散策路に沿って歩くと、かの松尾芭蕉と弟子の曽良が読んだとされる場所にたどり着きます
 読めん・・・(苦笑)
 
小船で雄島に上陸した芭蕉だが、あまり絶景に言葉が出てこなかったそうな・・・
有名な「松島や、あぁ松島や松島や」は後の狂言師・田原坊が作った「松島やさてまつしまや松島や」がもとで、「さて」が「ああ」となって伝わったらしいとのこと。

 確かに絶景です(笑)

弟子の曽良はちゃんと「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」という句を「奥の細道」の中にに残しているんだって~!

海岸ふちを歩きながら、お次は五大堂へ向かいます。


大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが最初だそう。その後、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際に「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれているそうです

渡るには「透かし橋」になっているので、ちと怖い(苦笑)




伊達政宗公が慶長9年(1604年)に再建した時、桃山式建築手法の粋をつくしたそうで、彫りの細かい美しさに目を奪われます

お次は観瀾亭
階段を登っていくと小高い丘の上にありました


「観瀾」とは、さざ波を観るという意味だそう。
もともと豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を政宗公がもらい受けて江戸の藩邸に移してあったものを二代目忠宗公が納涼観月の亭にと 海路松島へ一木一石変えずに移築したんだそうです



中ではお抹茶も戴けるそうなんですが、この時間は団体さんが入っていたので、私たちはご遠慮し、併設されていた松島博物館の方を見学することにしました。
伊達家ゆかりの品々や江戸時代の松島の様子が書かれた絵もありましたよ~

この後、は再び漫画列車に乗って仙台駅へと向かい、第1回仙台オフは幕を閉じるのでした~~!

満天さん、せっちゃん、どうもありがとうございました
また機会がありましたらお会いしましょうね~


トップ写真はちょっと喉が渇いたので飲んでみた「ずんだシェイク」
いつもはコーヒー派の私ですが、せっかくの仙台なので名物「ずんだ」を使ったコレを飲んでみました
う~ん、ずんだ生クリーム餅と同じ味(そりゃそーだ・爆)