すずめ休憩室

日々のこと、好きなこと、飼っていたペットのことなどなど・・・。
気の向くままにつづってみました。

アルカサル-王城-完結編(後編)

2007年06月19日 | アルカサル-王城-(歴史関係)
とうとう本当に終わっちゃいました。
ほんと王様の最期や彼の娘達、そして気になっていたエンリケとカタリナの事等、知りたかった読みたかったことがぎゅ~っと凝縮され、なんか女太閤記カスティリア版を読んでいる感じでした(笑)

あらすじなどはアルカサル-王城-完結編(前編)でも書きましたので省きますが、後編の感想などを少し・・・※ネタバレしてます



前編でドン・ペドロの死までいっちゃったのと、先生の日記でも「後編は彼の娘達のことを書く」とあったので、たぶん彼らの孫同士の結婚までは書くんだろうな~と予想していましたが、その他の近隣国の事情なども丁寧に書かれていて、混沌としていたイベリア半島史を読者に少しでも判りやすいようにと、配慮されているのが感じられました。

う~ん、確かにそこまで書かなかったら、何故敵対していた両方の孫同士の結婚がなし得たのが判り難いですもんね~

あれまで詰め込んだら、ダラダラと説明に頼りがちになるところを、ちゃんと説明とストーリーをしっかり分け、「漫画」として纏められているのにやっぱりこの人は凄い!と思ったくらい

庶子であるエンリケの血統は王位略奪者という汚名を拭い、王位の正当性を主張する為、そしてペドロ直系のコンスタンシア側はドン・ペドロの名誉回復とペドロ直系の王位復活いう2つの思惑が重なった訳ですが、コンスタンシアにとったら何せ父の仇だからね~よく決断したなと。

河惣さんの「花巡礼」でも王家の血の存続というものに拘りがありましたが、絶対王政が確立していなかったあの時代でそれを残すという事は何にもまして大変で大切な事だったんでしょうね。
血の融合での和解や存続というのは古今東西ありますが、これがあったからこそ、後のスペイン王国の礎になった訳ですから、周りに推されたとはいえ、その決断にはある意味、政治的才能すら感じました。

ちょっと話がズレました

さて気になっていたカタリナですが、ああいう形での登場とは恐れ入りました。
エンリケの独占欲にも似た愛の為、不幸を強いられた彼女に対し、最初の頃はボルジア兄妹を少し連想しましたが、なんか気の毒すぎました、カタリナ。
あの関係が史実なのか創作なのかはわかりませんが、その強さがあるのなら、生きているうちに出せば良かったのに・・・と思いながらも案外あのカタリナの亡霊はエンリケの後悔の表れなのかなとも思ったり・・・

でも亡霊でも登場してくれて良かったな・・・
だってコンスタンシアとイザベルだけで話が終わったら、カタリナのことが気になった読者はたくさん居たと思うから(苦笑)

それにしても、主要キャラが全部死んでしまうというのは悲しいもんです
ロペスは性格上、ああいう最期だろうな~と感じていたけど、ペドロ派で唯一生き残った、ロドリゲスも不慮の事故で亡くなるし・・・
でも中年に差し掛かった、彼、カッコよかったわ~
若い頃はいかにも「良家のお坊ちゃま」だったのに、苦労が彼を変えたのかしら?渋みが出て、いいオジ様になってた(笑)


この後編は本編と前編と違い、女が主体という感じがしました
ブランシュ姫なと道具のように扱われた政略結婚で不幸になった女性も多々いたのは確かなんでしょうけど、やはり女っていうのは歴史を裏から支えているんだなぁと改めて思いましたね

コミックスが出たもう一度通して読んでみようっと


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91 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメント欄、増設 (たれぞ~)
2007-07-17 13:30:48
90を超えましたので、こちらに別にコメント欄を設けました

続きはこちらで
http://blog.goo.ne.jp/tarezoh_s/e/0ee33c95c2d6df3a455e5c18b33abfe1
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みました~!! (たれぞ~)
2007-07-17 13:25:36
KE007さん
ラウンジへの投稿ありがとうございました~!
思わず仰け反りましたよ(苦笑)

またタイツは許そう
あれはあの時代は仕方が無い。。。

でも黒太子は普通の肖像画でも描かれている髪型なのに、なんであんなヘンテコリンな帽子をかぶっているのだ~!王様は!

当時の流行のトップモードだったのか・・・
戦争中なんだし、まだ冑のほうが良かったよ~

もう一枚の肖像はまるでお札にでね使われそうな絵ですよね~
描き方は比較的近世になつてからのような感じだけど・・・
でもちょっとカッコイイかもと思ったのは私だけ?
だつてモロ中世に書かれたのは、イスラム人かやさ男ぽいんですもの~(爆)


B型さん
著作権ですが、
>Q「画集から、著作権の無くなった絵の写真を、スキャナーで取り込んで、ホームページにのせることもできます。なぜでしょうか」「画集を発売した出版社には、なんらかの権利は発生しないのでしょうか。」

>A「著作権が無くなった絵画に関してだけは、たとえ、出版元といえど、なんの権利も発生しない」

という事が書かれたサイトがあったので、作者の死亡から50年以上というのが確認された絵画は大丈夫だと思っているのですが・・・日本と外国では著作権法は違うのかしら?

難しいですよね、こういうの


>トレドを売ったって、どういうこと~?
私もそのカキコを見て、機械翻訳をして無い頭振り絞って読みました。。。
ほんと気になる。

あれだとトレドの開城はアルバレスがしたという事なのかしら
そして私の気のせいで無ければディエゴ兄の裏切りのことも書いてませんでした?

漫画によるとアルバレスの死亡によりトレドの開城が1366年だから、同じ位にディエゴ兄も裏切ったってことなのかなぁ??

亡くなったのが1369だから・・・3年間も幽閉されていたということなのかな?
ロペスが7日間、幽閉されただけで、死にそうになっていたんだから、ディエゴ兄も気も狂うかも。。。

それはそうと何気にテリョの名前が多く出てますよね
これも気になる・・・

返信する
ユダヤ人年表 (KE007)
2007-07-17 04:57:19
復活していますよ~。
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27章 (KE007)
2007-07-17 04:49:43
を必死に訳そうとしているのですが、英語が今ひとつで苦労しています。この文書いた人、下手だな~。
ところで、B型さんに教えていただいた「タイツさん達のポスターなどが売られているサイト」。ここに、かのルビー付き英国王室の王冠の写真と説明文も載っていますが、このルビー、鶏の卵ほどの大きさなんですってね~。で、でかい!
著作権に関しては、個人で楽しむ領域ということで許してもらえないかしら。別にエロ黒い内容でもないわけだし。
しかし、このページ、どんどん重くなっていってますよ。開くのに時間がかかっているのは気のせい?このまま、続けてもいいのかしらと、ちょっと心配。
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地震 (KE007)
2007-07-17 02:08:18
また、北陸地方を襲ったそうですね、地震!。皆さんは大丈夫だったでしょうか。私のいるところは地震が無いところなので、日本の地震のことをすっかり忘れてしまっています。ご無事をお祈りします。
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著作権 (横揺れにビビるB型)
2007-07-17 01:04:07
著作権については、あまり詳しくないのですが・・・。

タイツさん達の絵については、私が以前検索でたどり着いたのは、当の絵のポスターを販売しているサイトだったことがわかりました。
(再び検索で探し出すのに、えらい時間がかかってしまいました~)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&as_st=y&gbv=1&q=%22black+prince%22+pedro&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2

今回、サイズのわりと大きいサンプル画像を見つけたのでクリックしてみると、なんと電子透かしが入っていまして(苦笑)。
ということは、そのサイトさんでは、当然、販売している複製物についても著作権主張してるってことなのかな~と。

オリジナルの絵は、James E. Doyleという人の「A Chronicle of England」というシリーズの1つみたいです。
調べてみたら、Doyleは1892年没ということなので、絵自体の著作権はとっくに切れているはずですが、こういう場合、絵を載せていた本の出版社は著作権を主張できるんでしょうか?
個人的には、本に載っているのがオリジナルの絵のままなら、その部分だけを使う分には大丈夫のような気がするのだけど、よくわからんです・・・。

それにしても、ポスター、結構なお値段でしたわ~(苦笑)。

エラ張り王様のほうは調べていませんが、これも古そうですよね~。

先ほど、遠方の地震の揺れがこちらでも感じられました。
ゆっくりした横揺れが気持ち悪い~。
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ということは… (KE007)
2007-07-16 21:40:15
この2枚の絵がネットで見ることができるということは、著作権はあまり心配しなくてもよさそうですね。たれぞ~さんが、今後、このページをまとめられる際は、どんどん使ってしまっても問題にならないと解釈できそうですね~。私の持っている本は、他にもイラスト満載ですが、恐らく、それらも問題なしかな、なんて。
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拝見しました~ (脱力中のB型)
2007-07-15 04:12:24
さきほど、自分の書き込みを送信する前にうっかりブラウザを閉じてしまったB型です(苦笑)。

ラウンジの王様絵、見てきました~。
実は2枚とも、画像検索で拾ったことがあったりします・・・。
エラ張りのほうは、例の石像をイラスト化したんでしょうか。
よく似てますよね~。
もう1枚のほう、あの道化師のようなタイツと帽子?は勘弁して欲しいですね~(苦笑)。

タイツの二人の後ろにいる騎士団の人、紋章はサンチャゴ騎士団のものに似ています。
ナヘラの戦いは1367年、ガルシ・アルバレスの任期は66年までですので、サンチャゴ騎士団長だとすれば後任のゴンサロ・メヒア?
http://en.wikipedia.org/wiki/Order_of_Santiago

実は、先ほど消してしまった書き込みで、アルバレスのことをちょっと書いていたのですが・・・。
トレドを売ったって、どういうこと~?
その後、どうしたというのよ~?!?
(↑CHAPTER XXVII参照~)
返信する
久しぶりの土曜日出勤 (KE007)
2007-07-15 03:28:59
とは言うものの、別に仕事をしに来たのではありません。「すずめ亭ラウンジ」に王のイラストを残すためにやって来ました。2枚ほど入れておきましたので、ご覧下さい。で、叫ぶなり泣くなりしてください(笑)。では、これからまだ読んでいない報告書を読むことにします。昨日、CHAPTER XXXを読もうとしたら邪魔(仕事)が入りました。
返信する
土曜日出勤 (たれぞ~)
2007-07-14 13:03:32
KE007さん
お帰りなさい~!
カナダへ出張だったんですね~
なんかそちらは国も大きいから移動だけでも大変そうだわ
お疲れは残っていない?

そうなんです~なんか色々判明したことがあるんですが、何せ、海外サイトなもんで読むだけでも大変です~
私など英語もダメな人なので機械翻訳に頼りきりで余計に時間があかかる・・・だけど、それでも判らないこと多しです(涙)

ディエゴ兄、なかなかヒットしません~
なんかいい情報がわかったら教えてください~

B型さん
和訳ありがとうございました

そっか~ロペスくんてば娘夫婦に囲まれて安らかに眠っているのね・・・よかった
裏切り疑惑での投獄も漫画そのまんまの内容ですね~
青池先生どれだけの資料を読んだんだろう・・・
私たちが(いえ、殆どB型さんとKE007さんですが・苦笑)調べたことが殆ど漫画に通じていることということって凄いですよね~

>ディエゴの最期
ね~なんか凄いでしょ?
そうそう漫画を読み返したら、ロペスが投獄された城も「アルカラ城」との事ですし、作中でもロペスが「自分が多くの罪人を送ってきたアルカラに自らが入ることになるとは・・・」みたいなセリフがあつたので同じ城じゃないかと思うのですが・・・

リンクの方でも「残虐王ペドロ一世(在位1350~69)は、異母兄エンリケ二世との王位を巡る争いの中で、この要塞を牢獄に使っていました」とあるので

ロペスの投獄シーンでもネズミがいて、ついこのリンクの話を思い浮かべましたよ(苦笑)

さて今日は出勤日なので、暇見てCHAPTERの未読の続きを読もうと思ったら、意外と忙しくて時間が無い・・・

うむむ

マリアの容姿についての表記もあるとなれば是非読まなければ!!
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ペセタ (KE007)
2007-07-14 04:27:15
1ユーロが166ペセタぐらいのようですので、20円ぐらいでしょうか、17ペセタというと。ペセタはユーロにかわっちゃいましたからね。
B型さんがおっしゃるリンク先に行きましたら、モンテイユの遺跡の次に来るペドロ王が殺されるシーンは、青池先生が最終版後半の中で使っていたものですよね~。あ~、なんだか思い出しますね。
見る絵、見る絵、全部、スペイン人じゃなくて、どっちかというとオスマン人みたいだな、って思うのは私だけでしょうか。どれもこれもヒゲぼうぼうで!
返信する
サン・パブロ教会 (夜更かしが過ぎるB型)
2007-07-14 03:57:59
機械翻訳の文、思いっきり妄想力を働かせて(苦笑)、なんとか訳してみました。
意味はだいたいこんな感じだと思います。

礼拝堂は、サン・パブロ教会の左翼に位置し、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロザリオ(ロザリオの聖母)礼拝堂」という。
堂の左右の壁に、レオノールと夫の墓碑銘が刻まれた二つの石がある。
中央にもう一つ大物の墓と考えられる大きな石があり、次のように刻まれている。
「主、ドン・マルティン・ロペス、ここに眠る。
神は彼を聖なる天にゆだねたもう。
ドン・ペドロ王の僕、貴き騎士の如くに死せり」

>ディエゴ兄
リンク先、読んできました。
なんか、壮絶~。
彼のことは、王様もとても信頼していたと思うし、それだけに裏切られた時の処罰も厳しくなったんでしょうね。
ほんと、なんで裏切ったのだか・・・。
ディエゴが投獄されたアルカラ城塞って、もしかしてロペスが入れられたところと同じかな~?

>ロペスの裏切り疑惑
要約すると、黒太子に名目だけの統治者になってもらって、王国を4つに分割、有力貴族達の手で実効支配する計画を密かにたてていたけどバレてしまった・・・って感じでしょうか。
そのへんは、青池先生が描かれたのと似てますね~。

注釈によると、アヤラはこの件については、「ロペスは、何度か王様の命令に従わなかったために投獄されただけ」と書いている・・・ということらしいけど。

あのサイト、前のほうから読んでいくと、「アルカサル」に出てくるエピソードが順々に思い出されます。
マリアの外見の描写なんかもありました。
それにしても、ペロ・カリリョが気になる~(笑)。

>悪い魔法使い
ププッ!
たれぞ~さんのコメント読んで、パソコンの前で吹いてしまいました(笑)。
たしかに、あれはそう見えますね~。
一体いつ頃の作品なのかしら?

黒髪のわりとイケてる人は、残念ながら王様じゃないのですよ~。
アラゴンのペドロ2世の絵が、間違って使われてるようです。
王様の年表のページだというのに、なぜかエンリケの絵が王様のより上にあったりするし(苦笑)。

肖像といえば、セゴビアのアルカサルにあるステンドグラスの、エンリケの部分が切手になってます。
17ペセタって、いくらなんでしょ?
http://www.castillosdejirm.com/enriqueII.htm

こちらのページにも、黒髪のいい男の絵があるのですが、誰かと思えば・・・アラゴンのあの人じゃあ~りませんか!(苦笑)
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凄いことになってますね~ (KE007)
2007-07-13 21:56:30
皆様、今日は。昨日は急遽カナダに出張になってしまったので、参加することができないでいたら、物凄く話が展開してしまっていますね。ついて行けない~。まず、よく読んで、早々に復活をしたいと思っております。
返信する
ディエゴの最期 (たれぞ~)
2007-07-13 18:35:14
ディエゴが獄死したのはセビリヤのアルカラ・デ・グアダイラという城塞のようですね
最期は発狂したって・・・・

http://www.spain-ya.com/Pages/castle17.htm

一体、何やったんだ、お前・・・
返信する
読めんよ~(泣) (たれぞ~)
2007-07-13 15:04:12
B型さん
そっか~コルトバにもサンパブロ教会があるんですね~
検索しててもどうしてもバリャドリッドの教会しかヒットしなくて・・・ロペスのお兄さん、頑張って移送したのかもね~

それはそうとせっかく貼ってくれたロペスの墓所に関するスペイン語&英語の文が読めません~!!
私の脳タリンな頭では理解は無理っす(涙)


>ディエゴの裏切り
「(ペドロ)王の愛妾の兄弟・バディリアは腹違いの兄弟(エンリケ)のため、(ペドロ)王から離反し、王の機嫌を損ね、1369年に獄死した」という解釈でいいんでしょうか?

離反した理由ってなんだったのでしょうね??


>CHAPTER XXX
仕事の合間をぬって、機械翻訳かけています
なんか「アルカサル」完結編の後編そのままの話ですね~
理由のトコがイマイチ理解できなかったのだけど(エドワード黒太子が絡んでいるの?)グラナダ王に助言で助けられるトコはまさしく同じ・・・

そして「CHAPTER XXXI」

漫画での王様の最期がそのままじゃないですか~!!(涙)

あのテントの中でのエンリケとの変な問答はお互いの顔がはっきり判らなかったからなのね・・・
それにしても短剣を振るって挑発し、兵士がペドロの足をすくった、エンリケが落ちた短剣を拾って2度3度刺すシーンなんて・・・漫画が思い出されて涙が出そうでした


>くるくる巻き毛の王様

なんか巻き毛というより爆発してて悪い魔法使いみたい・・・(涙)
でも黒髪のはカッコよかったよ
やはり金髪じゃないほうがいいわ~(笑)
返信する
やっぱり化けた~ (文字と格闘するB型)
2007-07-13 03:16:06
ロペス家の墓所のところ、文字化けが多いので、英語に機械翻訳した文のほうをコピペします。
The chapel is the one of Our Se@n@ora of the Rosary and it is located in the left wing of the church of San Pablo. In the walls and straight left of the chapel two are conserved you stone with the inscriptions of Leonor and his husband. In center of the enclosure it can to be contemplated another great one stones in that the following thing is said: “Here the master lies Don Martin Lopez, who God gives Santo Para@i@so. Servant of the king Don Pedro, which died like noble horseman”.

化けそうなところ、
@n@→~記号付きのn
@i@→ノ記号付きのi  にそれぞれ変換して読んで下さいね~。
代名詞等は、機械翻訳のままにしてあります(苦笑)。

しかし、何故こんなに化けるのだか・・・。
返信する
ロペスの墓所など (深みにはまったB型)
2007-07-13 02:13:06
検索したところ、イグレシア・デ・サン・パブロ(サン・パブロ教会)というのが、コルドバにもあるようです。
ロペスの研究論文の213ページ(19ページ目)、注釈の中にそれらしい記述発見(笑)。
La capilla es la de Nuestra Se?ora del Rosario y se encuentra situada en el ala izquierda de la iglesia de San Pablo. En los muros derecho e izquierdo de la capilla se conservan dos l?pidas con las inscripciones de Leonor y de su marido. En el centro del recinto puede contemplarse otra gran l?pida en la que se dice lo siguiente: ?Aqu? yace el maestre don Mart?n L?pez, que Dios d? Santo Para?so. Criado del rey don Pedro, el cual muri? como noble caballero?.

もしかしたら、これも盛大に文字化けするかもしれませんが・・・(苦笑)。
レオノールと夫、父親のマルティンが葬られているみたい。

>王様の頭
先日発見した、くるくる巻き毛系の王様絵のあるサイト、スペイン語版Wikipedia・王様のページのリンクから簡単にいけることがわかりました(苦笑)。
かな~り衝撃的かと思いますので、自己責任でお願いしますね(苦笑)。
(このページ、アラゴンのペドロ2世の絵があるのは何でなんだろう? 黒髪で、イケてるほうだと思うけど、王様と直接関係ないし)
Enlaces externos(外部リンク)に2つあるリンクの下のほうがそうです。

ちなみに上のほうのリンク先には、王様の庶子の子孫達が載ってます。
ディエゴ君の息子、王位継承に脇から絡んでますね~(苦笑)。

>ディエゴ兄
ディエゴの裏切りの件、私が読んでいたのは、英語版Wikipediaのカラトラバ騎士団のページだったようです。
エンリケ側に寝返って獄死したと。
lastly Garc?a de Padilla himself, a brother of the royal mistress, fell into disgrace, upon deserting the king's party for that of his half brother, Henry the Bastard, and died in prison (1369).

裏切りといえば、ロペスも一度疑われてたけど、投獄されたのは本当らしいです。
ずっと前にブックマークだけしてたサイトさんですが、後ろから2ページ目(CHAPTER XXX)のあたりにその話が!
まだ斜め読みですが、いろいろ情報が詰まっていそうです。
ペロ・カリリョの名前がやたら目につくんですが、何があるのか楽しみ~(笑)。
http://www.elfinspell.com/PeterTitleStyle.html
返信する
正当性 (たれぞ~)
2007-07-12 21:43:45
そういえば、トラスタマラ朝とコンスタンシアの正当性の論議のシーンがありましたが、あの中でトラスタマラ側がホアン1世の母方の血統から正当性を主張したとありましたが、なんとなーく気になって調べたところ、アルフォンソ10世から1282年に王位を継いだサンチョ4世はアルフォンソ10世の次男であり、そして父からの王位簒奪者なんですね~
(戦いに敗れたアルフォンソ10世は1284年に死亡)

アルフォンソ10世の長男であり王太子だったフェルナンドは1275年に早世してますが、このフェルナンドの曾孫がホアナ・マヌエル・デ・ビレナ(エンリケの妻)になるんですね~

ちなみにフェルナンド王太子は母方らしいですが、父方からもアルフォンソ10世の弟(マヌエル王子)の血をひいているそうです

王位簒奪者が王権を否定されるのなら、サンチョ4世の王位も否定される訳で、正当な王位継承者はフェルナンドの子孫であるホアナのもの・・・。
そういう部分がトラスタマラの言い分なのかしら?
(あくまでもエンリケからの王位継承ではなく、母ホアナからの王位継承という事で)

なんとなーくですが、エンリケの母・レオノール・デ・グズマンって、アルフォンソ11世が黒死病であんなに早く亡くならなかったら、ペドロくんを罠にはめてでもエンリケを王位につけたんじゃなかろうか??

庶子は王位を継げなくても、女王の夫という立場なら継げたかもしれんし・・・

あっそうなると、デ・ララの方が王位に近くなっちゃうか・・・。
彼もフェルナンド王太子の孫(ホアナの母の弟)だもんね

なんか色々妄想してしまってます(苦笑)
返信する
ロドリゲス!!(驚) (たれぞ~)
2007-07-12 21:16:21
B型さん、
早速のお答えありがとうございました。
B型さんが貼ってくれた文が?が入っていて、訳しきれなかったのですが、「彼ら」という複数形になっているトコロを見ると、レオルールもここサンパプロの教会に葬られているのかしら?
となると、完結編でロペスのお兄さんがコルトバへ移送したいと言っていたのは出来なかったのかなぁ・・・
Iglesia de San Pabloはバリャドリッド地方みたいだからコルトバよりかなり北になっちゃうし・・・うむむ

>ロドリゲス
ええええ~!!
フェルナンドくんなんですね~本名。
さすがB型さん、お詳しい

そしてかのイネスと異母兄弟なんですね~
姓が同じだったから、なんか関係があるのかな~と思っていたけど、なるほど。

そんでもってイネスの2人の息子がそれぞれエンリケの娘と結婚する訳ですね・・・
ジョアン1世がコルテスで国王に選ばれなかったら、もしかしたらポルトガルもトラスタマラ朝に組み込まれていた可能性もあったかも・・・


KE007さん
>王様のハゲ疑惑(爆)
ぎゃゃゃゃ~まさか!そんな!
思いたくはないけど、B型さんが探してきたあの金貨のヘアスタイルをみるとありえる・・・
だって、巻き毛なのにフワフワっとしてなくて、ペタっとしているんだもん
絶対、毛量少ないよ~あれは!(涙)

ハゲは遺伝も関係するというし・・・


>デェエゴの裏切り
そういえば、完結編のラストで、コンスタンシアが空を見上げながら王様に尊厳が復活した報告をしている時のシーン

王様、マリア、そして3姉妹に弟アルフォンソ、ロペスにロドリゲス、イネストロサ大叔父に、はたまた最期がちょっと情けなかったアルバレス(サンチアゴ騎士団長)までいるのに、ディエゴが居ない!!
姉妹にとって叔父に当たる人物なのに・・・

これってやっぱり意図的なのなかぁと思ってしまいました
返信する
ロペス家の墓所? (B型@おやつタイム)
2007-07-12 15:23:08
私の解釈も、たれぞ~さんのと同じです。
その教会に、今も二人の墓所があるということか~。

英語版Wikipediaのレオノールのページからリンクされている別のサイトにも、修道院関係のことが書いてあります。
3日しかかからなかったって・・・(苦笑)。
Producto de esta etapa de su vida, Leonor obtendr? una considerable fortuna que ser? destinada a la compra de varias posesiones para, tan s?lo tres d?as despu?s, donarlas al prior y frailes del propio monasterio de San Pablo.

アドレス、またしてもはねられちゃいました~(苦笑)。

>ディエゴ兄
私が気になっているのも、まさしくそのことです。
以前それっぽい記述を読んだのですが、どこでだったか・・・。

ロペスの研究論文には、「アラビアナの戦い」でイネストロサが亡くなったというようなことも書いてあるし(爆)。
返信する
ちょっと気になったこと (たれぞ~)
2007-07-12 11:47:22
うわ~ますます新事実が!!
またゆっくりカキコに来ますが、ちょっと気になったことがあったので・・・

http://www.escritorasypensadoras.com/downloadpdf.php/39
のPDFファイルの中で

Córdoba vivirá el resto de su vida y allí morirá 1420 y será enterrada, en la capilla que ella misma hace
construir en 1409 para enterramiento de su padre, en la Iglesia de San Pablo, entonces convento de
Predicadores. Allí se encuentran aún sus restos.

という文章があったのですが、これって「レオノール自身によって当時修道院だったサンパブロの教会へ1409年に父(ロペス)を葬った」と解釈して良いのでしょうか?

何せ、英語も全くダメなもんで、ダイレクトに機械翻訳するとニュアンスしか判らなくて・・・

またゆっくり来ます!!
返信する
ディエゴは裏切り者? (KE007)
2007-07-12 05:14:47
先生のHPの書き込みに、史実ではディエゴは王を裏切ったというような事が載っていますが、それは気になりますね~。
英語版のメリメの本を探そうと思っています。
返信する
ホアナ・デ・カストロも (難物と格闘するB型)
2007-07-12 02:49:05
妹のホアナのほうは、スペイン語版なのに、ロドリゲスのは何故ガリシア方言版だけなのよ~。
http://es.wikipedia.org/wiki/Juana_de_Castro

ところで、ポルトガルのペードロ1世(王様の叔父さん)の言う「王子の頃に3人の子をなしたそれは愛しい女であった」イネス・デ・カストロは、この兄妹の異母姉のようです。
イネスのほうが有名人だけあって、Wikipediaでもいろんな言語版がありますね~。

>薄毛疑惑
あまりにもいろんなバージョンの王様を見たせいか、どれが本物に近いのか?という感じですね~(苦笑)。
某所で「くるくる巻き毛系」の王様絵を発見してしまったのですが、とてもじゃないけど、伯爵やルシアンのようにゴージャスだとは言い難くて(苦笑)。

>ポーランド語版Wikipedia
ポーランド語版にロペスの記事があったのは、多分、騎士団関係に詳しい方がポーランドにいらっしゃるのだと思います。
サンチャゴ騎士団、カラトラバ騎士団、実在のロペスが兼任していたアルカンタラ騎士団の歴代の団長のリストを見ていると、見覚えのある名前がチラホラと(笑)。
ロペスのところから前任のディエゴ兄にリンクが貼られていますが、まだ訳せてません。
この人に関しては、ちょっと気になってることもあるので、なんとか意味のとおる文に出来ればいいけど・・・。

ロペスの家族については、また今度~。
返信する
くどい私 (KE007)
2007-07-12 01:58:12
英語版ウィキぺディアからのリンク先に、王とエンリケ物語の劇版を見つけました。青池版13巻分が台本34ページになってます(もちろん脚色は全然違うけれど)。これはまだ英語なのでちょっと安心。最後のエンリケにクビを切られる場面は、やっぱり悲しい。
http://www.liceus.com/cgi-bin/ac/pu/King%20Peter%20the%20Cruel.pdf
返信する
そうだったんですね~。 (KE007)
2007-07-12 01:42:53
名前が変えられているとは全然知りませんでした。さすがB殿、よくご存知で。確か、青池先生も「同じような名前がうじゃうじゃいるので一部名前を変えてあります」みたいなことを言っておられましたよね。それが、これに当てはまるということですね。
アルカサル新参者の私は、最近やっと登場人物を脈絡だてて覚えたところで、まさかスペイン史をこんなところまで探ることになるとは思ってもみなかったため、知らないことが多すぎることに呆然とします。
それにしても、このウィキペディアのページは大変充実しているような感じですね。凄い量だし。
ところで、ペドロ王も「はげ」或いは「薄毛」であった可能性が結構あると思いませんか。アルフォンソ11世やエンリケの像は双方とも頭が寒そうですよ。血統を考え、さらに王が本当は金髪であったことを考慮しますとこの疑惑は濃くなるばかり(笑)。あ、青池先生の描く王のイメージがガラガラと音を立てて崩壊してゆく。
返信する
ロドリゲス (方言に挑戦するB型)
2007-07-12 01:23:35
ロドリゲスはまず名前が変えられているので、検索には本名の「Fernando Ruiz de Castro」を使います。
今まで手つかずでしたが、先ほど発見(笑)。
http://gl.wikipedia.org/wiki/Fernando_Ruiz_de_Castro

ただ、ここはどうやらガリシア方言で書いてあるらしいので、機械翻訳はポルトガル語→英語に設定したほうがいいかも。
ポーランド語よりは、はるかにましな気がします(苦笑)。

なぜか、「禿のエンリケ像」の写真があります・・・(笑)。
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ロドリゲス (KE007)
2007-07-12 00:05:12
ところで、不慮の死を遂げたロドリゲス。この人の史料がどこにも見当たらないのは、探し方が悪いからかしら。何にも出てこないんですよ~。ペドロ、ロペスをある程度調べたら、ロドリゲスも調べたいのは自然の流れ…。何かありますか?
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信義に厚いロペス君 (KE007)
2007-07-11 22:56:11
私の住む町はポーランドからの移民が多いところで、ポーリッシュ・カルチャー・センターなんてのもあるぐらいなんです。ですからポーランド語の翻訳はその辺を歩いている人にお願い、な~んて思ったりしたのですが、アメリカは誰も外を歩かないので無理。1メーター行くのも車。
ということで、このポーランド語のページ。実は私も以前に行き着いたのですが、こんなアルファベットに尻尾がたくさんついた文字なんて絶対に無理、と思って無視を決め込みました。でも、やっぱり無視してはいけないんですね。なんせ、ロペス君の情報は本当に少ないんですから。
で、ポーランド語―英語の翻訳機にかけました。確かに大変な想像力を要しますね~。内容的には、他のところで説明されていることとほぼ同じだと思われます。「信義に厚い重臣・戦士であった」と始まっていますから。エンリケにだまされて殺されてしまったことや、娘の著書に関して超ざっくりと書かれているようです。
スペインの歴史なので、スペイン語を苦労して読むのは仕方ないけれど、ポーランド語ってのは本当に参っちゃいますよね~。頭が茹ります。
また、来ます。

ところで、私もこのサイトに来るのが最近の人生の糧となっています(大げさ)。仕事に来て、まず見るのは、仕事のメールじゃなくて、このサイトです。

では。
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追伸 (たれぞ~)
2007-07-11 15:43:13
KE007さん
あっそうそう、遠慮なさらずどんどん書いてくださいね~!!

実は朝起きてここのコメント欄を読むのを至上の楽しみにしていますので(笑)


もし他にもロム専でここの前でウズウズしていらっしゃる方がいましたら、是非カキコお願いします~!!
皆でワイワイ「アルカサル」ネタで話しましょう


それにしても・・・
KE007さんが見つけて来てくれたお話、凄いですね~
てっきりカタリナ妃の義弟フェルナンドと対立したのかと思ってましたが、そんな噂が立つとカトリックでは致命的かも~


また発見あったら教えてくださいね~!!
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家系図 (たれぞ~)
2007-07-11 15:24:58
まだ帰っていないけど、たまらずカキコ(爆)

KE007さん
やっぱり、ロペスくんは地味だつたのでしょうか??(苦笑)
なかなか出会えません。
奥さんのサンチャ・カリリョもアルフォンソ11世の姪との事ですが系図で見てもヒットしませんね~

>「ラ・アドベンチュラ・デ・ラ・ヒストリア」
うわ~「アルカサル」ファンならヨダレモノの本ですね~読めなくてもいい!ご尊顔を見てみたい!(爆)

>スキャン
おお~では楽しみに待っています!
「すずめ亭ラウンジ」の方は古い順から消えますが、こちらのブログのコメント欄は私がコメントやブログ自体の削除しない限り消えることはないと思います

ただ白熱しすぎて、コメ数が60を超えたので別のコメント欄を開いたほうがいいかな~と思ってますが(笑)
長くなつているから読みにくくないですか?(苦笑)


B型さん
ウチのPCでは見れなかったのですが、会社のPCは大丈夫だったので、思わず家系図だけでも印刷しちゃいました

多分、見られても判んないだろう~これは(爆)

それはそうとこの家系図で気になったことが・・・
レオノールはロペスとサンチャの娘で間違いなさそうですが、1つ上のお兄さんのLope(ロペ)って・・・
これってテレサという愛人との間の子ってことなのかしら~~?

そして他にも1360年生まれの同母兄のアルバロ(Alvaro)というお兄さんがいるのかな?
でも子孫がかかれていないトコロをみると早世したのかしら~??

レオノールの子供も別サイトに載っていたホアン・フェルナンド・イネストロサが載っていなくて、マルティン・ロペス・デ・イネストロサが載っているし(しかもベアトリスという女性と結婚している)、ペストで死んだ息子は一体誰なんでしょう??
Gutierreってのがそうなのかしら??

ますます謎が深まっています(苦笑)


>ポーランド語
道理でまったく翻訳が出来ないはず・・・(苦笑)
なんで母国であるスペイン語のページにはなくて、ポーランドにあるんだ?カラトラバ騎士団の関係なのかしら???

あ~~~もう脳みそが沸きそう!(爆)
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う~ (たれぞ~)
2007-07-11 14:32:15
レオノールに関したPDFファイルでこんなのもありました
http://www.escritorasypensadoras.com/downloadpdf.php/39

ただ今レオノールの息子と思われる"Juan Fernandez de Henestrosa" のことを検索していますがなかなかヒットしません

つーか、英語もスペイン語も読めんのに無謀すぎ?!

B型さんの貼ってくれた家系図にJuan Fernandez de Henestrosaくんが載っていないので気になって・・・

しかし、濃い内容ですね~
色々書きたいことはあるのだけど、長くなりそうなので帰ってから書きます~
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あったのね(苦笑) (覗いてみたB型)
2007-07-11 11:41:51
たれぞ~さんのご覧になったのは、ポーランド語版のWikipediaですね。
騎士団の項目があるのは知っていましたが、ロペス個人のも、履歴を見たらかなり前からあったようで(苦笑)。
他の言語のところにリンクがなかったから気付きませんでしたわ~。

しかし、ポーランド語となると、英語に機械翻訳してみても、わけ分かんない文にしかなりませんね~。
スペイン語からのより、さらに想像力が必要~(苦笑)。
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読めん・・・ (たれぞ~)
2007-07-11 09:45:32
ロペス君らしき記事にぶち当たったが、英語でもスペイン語でもないようで機械翻訳にかけても全く読めません
いったい何語?

http://pl.wikipedia.org/wiki/Mart%C3%ADn_L%C3%B3pez_de_C%C3%B3rdoba

また来ます
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衝撃の事実かもしれない (KE007)
2007-07-11 05:10:39
人様のブログを占領している感じになってます。ごめんなさい。

レオノーラに関する文書を読んでいましたら、参考文献に「中世における女性間の同性愛に関して」というのが目に付きまして、「何でそのような文献が参考書籍に?」と思いちょっと調べてみましたら、この本の中でどうやらレオノーラとカタリナ妃との「関係」が説明されているようです。

確かに、彼女に関しては、「ホアン3世治世期の年代史家によるとレオノーラはカタリナ妃から絶大なる信頼を受け、レオノーラのアドバイスなしでは何もできないほどレオノーラに頼り切っていた、と書いている。評議会の決定事項であれ、レオノーラが賛成しない限り、その決定事項は実行されないほどレオノーラの権力は大きかったとも言われている。」という描写があるぐらいなので、「そういう間柄」であってもおかしくはなかったかな、なんて。

スペインは基本的にカトリックで同性愛には特に厳しいので、それがレオノーラの失脚に影響したかもしれませんね。

なんだか、マルティン・ロペスの調べモノが凄いところにきてしまったような気がします。
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寝不足でしょう~ (KE007)
2007-07-11 04:12:08
B型殿。
早速、この論文のページに行って来ましたよ。卒倒ものですね~。これ、どうすりゃいいんでしょう。家系図は問題ないにしても、それ以外のページは注釈付きでぎっしりですね。この著者、実は子孫だったりして。(妄想)
なんだか私達は戻れない道に足を踏み入れてしまったのかもしれませんね。これを永遠にやって研究としてまとめ上げたら、スペイン王室から感謝状が届くかもしれない。(って、あるわけない!)

ためぞ~殿。
休みの日に会社でスキャンしてラウンジに貼り付けます。でも、あまりの絵の凄さに見る人たち全てが卒倒するんじゃないかと心配。その一方で、ためになるイラストがたくさんあって、ナヘラの戦いの配置図なんかもあります。恐らく、日本で少人数でこっそり見ている限り、著作権法には引っかからないでしょう。

ところで、このページは永久保存なんでしょうか。やっぱり、いつかは消える?もったいないですね~。
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ロペスの研究論文? (昨日拾ったB型)
2007-07-11 03:45:38
実は昨日、コルドバ大学のMargarita CABRERA S?NCHEZさんという方が書いたらしい「El destino de la nobleza petrista: Lafamilia del maestre Mart?n L?pez de C?rdoba」という論文?を見つけたのですが、5ページどころか、44ページもある~(泣)。
もちろん、全部スペイン語!
pdf版落としましたけど、読み通せるのか自分~?!
何か、とてつもなく無謀なことをしてるような気がしてきましたよ・・・。
↓一番上です
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&as_qdr=all&q=%22Martin+L%C3%B3pez%22++de+Cordoba%E3%80%80Sancha+Carrillo&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

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マルティン・ロペス (KE007)
2007-07-11 03:06:28
王やマリアのことはネットを探せば探すほどいろいろと類似な情報が出てくるのですが、マルティン・ロペスに関しては、なかなか出てきませんね~。一族の中では娘がいちばん有名だったりして。やっぱり、控えめな方だったのかしら。
さて、そんな中、スペインで発行されている「ラ・アドベンチュラ・デ・ラ・ヒストリア」という歴史モノ雑誌の2003年62号でマルティン・ロペスのことが5ページにわたって特集されたようです。そのタイトルたるや、「マルティン・ロペス・デ・コルドバ―忠実なる者」です!ネットを探し回ったのですが、掲載ページはもちろん出てきませんでした。残念!スペインに友達がいればいいのにな~って思っています。どこかの大学が持っているかも。でも、ちょっと古いので捨てられてるかもしれない。く~、読みたい!恐らく、絵付きなんですよ!!
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改めまして (たれぞ~)
2007-07-10 19:31:00
KE007さん
いんえ~こちらこそ超感謝です!
こんな濃いアルカサルを語れて読めるのはKE007さんが来てくれたからこそ!ですもの
ほんと英語がダメダメな人なんで、貴重な和訳が読めて感謝してます~
(機械翻訳だとなんとなくニュアンスは判るけどメチャメチャな日本語なので・爆)

>王様とエンリケの銅像
う~ん、こっちも髭つらのオッちゃんだけど、まだカッコいいわ~(爆)
ウィキペディアを見たときもヘナヘナ~となりかけたけど、B型さんが発見してくれた金貨の絵で魂が抜けそうになりました(爆)

あっそうそう、画像のアップですが、↑でも書きましたがBBSの方を使ってくださいませ~
でもそんな面白そうな肖像画ならHPでも使いたいな~と思い、絵画の著作権について調べてみましたら、

Q「画集から、著作権の無くなった絵の写真を、スキャナーで取り込んで、ホームページにのせることもできます。なぜでしょうか」「画集を発売した出版社には、なんらかの権利は発生しないのでしょうか。」

A「著作権が無くなった絵画に関してだけは、たとえ、出版元といえど、なんの権利も発生しない」

という文を発見しました。
ってことはスキャンした画像を使っても良いという事なのかしら?
まぁあくまで日本の著作権法なのですが、米国だとどうなんでしょうね??


B型さん
見ました見ました~!!
思わず、朝から腰が抜けそうになりましたよ(爆)
金髪美丈夫かと思ったら、なんかヤサ男じゃないですか~(苦笑)
金髪ウェーブも微妙よね~
どうせなら伯爵や緑の妖精王(ルシアン)みたくゴージャスな巻き毛だつたら良かったのに~
(なにを言っているんだか・爆)

しかも妙にとっちゃん坊やっぽい?(爆)

>1360年
かなりの金貨が王国に没収されたみたいですから、ありえますよね~

王様が水夫と賭けをして小銭を巻き上げているシーンを思い出してしまった
こういう小物が判ると「あの時の銀貨はこれか?」なんてますます妄想が膨らみますよね~
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スキャン (たれぞ~)
2007-07-10 07:41:55
ウチのHPで使っている掲示板で画像が載せれますので、そちらを使ってくださってもいいですよ~

すずめ亭ラウンジ
http://9013.teacup.com/tarezoh/bbs

参照をクリックして画像を保存してあるトコから呼び込んでください
楽しみだなぁ~

でも本からの画像スキャンという事はHPでまとめる時にその画像使っちゃマズイかしら?

ただね、このBBS一定量溜まると古いものから随時削除されているものなので熱い書き込みは出来るだけ、こちらでしてくださると助かります~
後でHP編集のときに無くなっていたらショックだし(苦笑)

ではまた後ほどコメに来ます~
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仕事ほったらかして… (KE007)
2007-07-10 04:32:08
B型さんのおっしゃられるところから更に先に進んでいきますと、
http://www.fuenterrebollo.com/faqs-numismatica/pedro1.html
に行き着きました。ペドロそしてエンリケのオールカラー銅像に続き、ペドロの石像が!あ~、どれもこれもおっさん顔やな~。石像画のすぐ下の「プラザ・メイヤー・サラマンカをクリックすると、いろんな人たちの石像がジャンジャン出てきます。なんだか夢に出てきそうです。
説明文の内容を調べようと思っています。
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没収された金貨? (翻訳コンニャクも欲しいB型)
2007-07-10 03:37:11
先ほど貼ったリンク先(一番上の段、左端のページ)を一番下までスクロールして、「Inicio」という文字列をクリックすると、左にフレームのあるページに飛びます。
そこから、スペインの様々な時代のコインやお札の肖像絵の画像を掲載しているページに行くことができますよ♪
王様の時代のは、全部で5ページ分あります。
「Dobla de 10 Doblas」のページでは、先に紹介したものよりもより繊細な王様のお顔を見ることができますが、下に書いてある説明文も気になります。
1360年というのが・・・もしかしてサムエル・レビの件に関係あるのではと。
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先生の絵の元ネタ。 (KE007)
2007-07-10 02:46:50
王が手を合わせている銅像は、手の合わせ方と言い、手袋をはめているところといい、目線の行き方と言い、これは、GOLDの表だか裏表紙だかに王が手を合わせたイラストがありましたが、それの原典じゃないでしょうか。青池先生がとってもよく美化してくださいました。これは、いいページを見つけられましたね~。でも、この銅像、どこか別のところでも見た印象が。いろんなところ行き過ぎて、もうわけわからなくなってますよ。(涙)
ペドロ1世期のコインは結構貴重なもののようですね。でも、スペインでイーベイとかで取引されているんだとしたら、私も欲しいな、なんて。
ウェーブのかかった髪に、四角張った顔の王のイラストは私が最近買った本に載っていたものです。これをスキャンしてどこかに掲載できればいいのですが。何かいいアイデアはありませんか。ちなみに、きれいにスキャンできる装置はあります。
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衝撃の発見シリーズ? (うっかり拾ったB型)
2007-07-10 02:29:21
機械翻訳の解読にいささか疲れましたので、今日は画像検索で気になっていたものを投下してしまいます(苦笑)。

Wikipediaなどに掲載されている王様の画像がおっさんだ・・・というのは、私も常々感じていたので、どこかにもっといけてる画像が転がっていないものかと探しておりました。
目標が達成されれば言うことはないのですが、検索していてしばしば目についていた、とある画像をクリックしてみたら・・・。
というわけで、これから紹介する画像をご覧になった結果、王様のイメージが壊れたとしても、当方感知しませんので悪しからず(苦笑)。
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&as_qdr=all&q=DOBLA+DE+35+MARAVEDIS+DE+PEDRO+I&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=1&ei=w2iSRszhJaKygwP7r5SUAw
↑の一番最初のページがわかりやすいと思われます。
KE007さんのご覧になったのと同じかどうかわかりませんが、「ウエーブのかかった長髪」なのは確かですな・・・。
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なんとも重厚なページで。 (KE007)
2007-07-10 02:00:51
このページが「研究課題の発表の場」としてどんどんと大きくなってますね~。このままにしておくのは、本当にもったいない感じです。
今日は仕事がちょっといそがしめですので、新しい情報を仕入れることが出来るか不明です。でも、最近毎日ベースでお邪魔していますので、ご挨拶だけでもと思い。
このたれぞ~さんのブログには、当初は「ちょっと寄るだけ」でお邪魔していたのに、今ではすっかりハマちゃってます。超感謝です。
B型さんのおっしゃるレオノールの著書の英語版は私も先週の金曜日だかに見つけました。このページからいろいろなところにリンクしていて、大変貴重なページだと思っています。もう、「めくるめくアルカサルな毎日」を送っている私です。
では、また、何か仕入れてきます。
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ほほぅ (たれぞ~)
2007-07-09 22:19:03
KE007さん
まずは転載の許可をしていただきありがとうございました。
ほんと次から次へと判るこの新事実・・・絶対残したおきたい情報ばかりです~許可してくださって感謝してます
まとめかたについてはただ今模索中ですが、なるべく書いて戴いた文に忠実に載せたいな~と思っています。
骨子が出来ましたら、お知らせいたしますので、チェックがてら見てくださいね~

「アルカサル」読んで、ここのコメ読んで、また「アルカサル」を読む・・・何重にも面白く読めますもん
こんだけ知っちゃうと妄想や想像はいりまくりだし(爆)

>アヤラ
ん~やはり、そちら側でしたのね~
意外とアヤラの親族や先祖に当たる人で王様に処刑された人がいたのかも~
裏切りが多かったカスティリアの貴族に対する王様の仕打ちを考えるとありえないことではないかな~と。

>ロペスの子供
これによると2人はいたんですね~
レオノーラとロペ(でいいのかな?)
B型さんが貼ってくださったサイトによると「little brother 」が入っているのでレオノールが姉、ロペが弟ってことなんでしょうね・・・

女性はレオノーラの母と叔母と旦那さんのお母さんくらいで近しい年齢の女性がいないみたいですね~
なんかこういうのを見ていると過酷な幽閉生活で若かったレオノーラと旦那さんだけが生き延びれたのがなんか判るかも・・・


B型さん
ありがとうございます~!!
早速、翻訳にかけて読んでみました!
ほんと見事な機械翻訳ですね~(爆)
でもスペイン語はおろか、英語もダメダメな私は機械翻訳がなければ全く読めません、ありがたやありがたや(笑)

これによるとほんと辛い幽閉生活が判りますね~
60ポンドのオモリって事は・・・27kgちょっとか。。。
そんなのがつきっぱなしなんてね~きっとトイレとか衛生面でも良くなかったんだろうし、ペストの発生も頷ける。

>1才上の兄Lope Lopez
ロペってレオノーラより1つ上なんですか?
B型さんの貼ってくださったサイトに「little brother Don Lope Lopez 」とあったので、てっきり弟なのかと思ってました~

う~ん。ロペス家、色々奥深いですね~

>ロペスの複数妻疑惑が晴れて良かった

私も良かった
あの修道僧みたいなロペスに王様の様に何人もの愛妾がいたらと想像したら・・・ガラガラと音を立ててロペス像が崩れそうでしたわ(爆)

それにしてもロペス家、一族で集まってますね~
名門だったのが垣間見える

それはそうと読み解く語学力が欲しい
いやそれより「翻訳コンニャク」が欲しいわ~(爆)
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3連投ですみません(汗) (早とちりなB型)
2007-07-07 14:09:52
2つ上の投稿中に間違いがありましたので、訂正しておきます。

'my brothers-in-law'は「異母兄弟達」ではなく、「妹または姉の夫達」もしくは「夫の兄弟達」という意味でした(滝汗)。
「異母兄弟」という意味なら、'half-brother'ですもんね。

とりあえず、ロペスの複数妻疑惑が晴れて良かった~(苦笑)。
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あらら~(笑) (書くのが遅いB型)
2007-07-07 05:42:14
私がのろのろと書いている間に、KE007さんもいらっしゃってたのですね。
しかも、二人とも同じサイトを見てたようですよ(笑)。

ユダヤ人受難記録のサイト、KE007さんのところもですか。
しばらく様子をみるしかないですかね~。
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マルティン・ロペスの子供達 (睡魔と闘うB型)
2007-07-07 05:23:33
今までスペイン語→英語の機械翻訳やら英文、そして睡魔と格闘してました~(苦笑)。
機械翻訳、⇄日本語のがダメダメなのは知っていましたが、⇄英語のも今ひとつ?
特に代名詞、全部同じ単語に訳さないで欲しいよ~!

レオノール・ロペス・デ・コルドバの自伝「Memorias」を一部英訳したと思われるものを掲載しているページを見てきました。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&as_qdr=all&q=+%22leonor+lopez+de+cordoba%22&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
(当のページにリンクを貼っていいものかわかりませんので、↑で一番上のサイトさんです)

これを読むと、レオノール達が投獄されている間の過酷な状況がうかがえます。
特に男性に対する仕打ち、惨いとしか言いようがない・・・。

ロペスの子供達ですが、文中の「my brothers, my sisters, my brothers-in-law」という記述を見ると、多数いたことだけはわかりますね。
「my brothers-in-law」ってことは、もしかして、ロペスには奥方が複数いたのかしら?

また、「Memorias」に記されている名前を列挙している他のサイトさんによると、兄弟姉妹の中で名前が出てくるのは、1才上の兄Lope Lopezだけのようです。
レオノールの子供達は、少なくとも二人、JuanとLeonorの名が記されているということです。

昨晩、実は私もスペイン語版Wikipediaの「マリア・デ・パディーリャ」のページと格闘してました(苦笑)。
特にホアナ・デ・カストロの息子のホアン君や、マリアの子供達の王位継承権のあたり、前にも読んだような気が。
ホアン君に一時継承権があったとか、コルテスで云々・・・という以前の書き込みのソース、ここだったかもしれません。

ちょっとわからないのが、マリアの亡くなった場所です。
上のほうには「1334年頃にセビリアに生まれ、1361年に同じ市で亡くなった」と書いてあるのに、読み進めていくと、「アストゥディージョで亡くなって現地の修道院に埋葬されたのを、セビリアのカテドラルにある王室礼拝堂に移した(これもコルテスで王様が布告した)」・・・みたいに読み取れるのですが、本当のところはどうなんでしょ?

しかし、何という時間に投稿してるんだろう、私(苦笑)。
外では先ほどから、四十雀がさかんにツピツピいってます・・・。
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マルティン・ロペス家 (KE007)
2007-07-07 04:06:25
どこかに像とかイラストはないものかと探索していましたら、こんなの見つけました。
http://www.historiaviva.org/nombres/leonor_lopez-ing.shtml
なんだか、これを見ると、青池先生の描かれるマルティン・ロペスがどんどん遠くに行ってしまう様で、悲しい。(涙)
清くて長髪な方のイメージが…。
少なくとも2人は子供がいたようですね。

ところで、こちらでも、ユダヤ人受難記録、全然開けません。どこからか、ネット攻撃に遭って、お休み中なのかもしれません。受難の日々は続く、って言うことでしょうか。
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その通りです。 (KE007)
2007-07-06 21:59:06
アヤラが何者であったかは、米国版のウィキペディアに載ってます。
+++++
厳密に言えば、ペドロ1世はエンリケに王座を奪われたのではなく、反駁する貴族に敗北したのである。つまり、貴族達は、自らの利益を守り、より私服を肥やすことができるよう、ひ弱な権力(トラスタマラ朝)の王を戴くことでその目的を達成したのである。ペドロ1世に関する悪評のほとんどは、最終的に反乱で勝ち残ったペドロ1世の敵たちがでっち上げたいわゆる「黒い伝説」によって脚色された可能性が強く、強者の理論が元となっている。ペドロ1世下の治世に関すす情報源であったロペス・デ・アヤラ長官はトラスタマラ朝の年代記編者、新国王の臣下、そしてペドロ1世に敵対していた貴族達の臣下でもあった。
+++++
となっています。これじゃ、いいこと書いてくれないはずです。

中ほどに「黒い伝説(ブラック・レジェンド)」とありますが、これは用途間違えのような気がします。ブラック・レジェンドって、主にスペイン人たちによる南米侵略に関する用語のはずですから、確か。でも、強者の理論という意味では、黒い伝説的な意味合いがありますが。どなたか、よくご存知の方にご教授願いたいです。(アルカサルのおかげで、スペイン系のことにどんどんとクビを突っ込んでいく私。。ありがたいことです。)

「おっさんペドロ」は残念ながらウィキペディアのとは違うんです。ウィキペディアのもそうですけど、見ると気が抜けちゃうようなものです。ウィキのは短髪に王冠でナマズ系のおひげですが、私の持っている本のは、ウエーブのかかった長髪でエラの張った顔です。勘弁して欲しい。

方言に関しては、アルカサルの5巻だか6巻だかに(ロペス初登場の巻)、王がロペスと偽った悪者をその方言で見破ったという下りがありましたが、王自身アンダルシア方面のアクセントで日常しゃべっていたのであれば、この見破ったお話とつながりますよね。

仕事が結構暇なんで、今はマリア王妃のスペイン語による描写と格闘中です。英語とスペイン語は結構近いので、翻訳機にかけるとまあマシな訳が出てきますが、時にびっくりするようなのも出てきますので、想像力全開で取り組まないといけません。なんだか、大学にいたときとかよりも気合を入れて勉強している私です。

そうです。私は「ごり押しディック(出典:エロイカ)」のいるアメリカに住んでいます。ディックそのままの人が本当に結構いたりします。独立記念日は各地で花火大会とパレードがあります。一番盛り上がるのはワシントンDCで行われる花火大会でテレビで中継されるほどです。でも、隅田川の花火大会の方がやっぱり断然いいです。

どうぞ、どうぞ、何でもご自由にお使いください。ちなみに、実は自分でもわからなくなっているのですが、ウィキペディア、アースク・ドットコムなどから引っ張ってきたものがメインソースです。自分でもこれを機にホームページを立ち上げて(たとえば、「King's Court」とかをHP名にして)、アルカサルに関係する人物紹介みたいなのが出来ればいいのですが、まずホームページの作り方を知らないので、たれぞ~さんがご自分のHPにまとめてくださるのは本当に嬉しいことです。

ところで、実際のロペスに何人の子供がいたか、本当に興味深いのですが、なかなか資料が出てきません。一族がセビリアで9年間投獄されている間、「多くのレオノーラの兄弟達が死んでいった」とありますが、「多く」というだけで、具体的な人数は言及されていません。これは、今後の課題とします。

では、よい週末を。日本は大層暑いそうで。ご自愛ください。
返信する
そちらでしたか~ (たれぞ~)
2007-07-06 13:02:11
KE007さん
お~そちら方面に在住だったのですね~
あちらでは独立記念日というのは特別な意味があるんでしょうね~
盛り上がりました?

>CECEABAというのは、「少しばかりどもる」というような意味だと思われます

なるほど~
日本語への機会訳「アンダルシアでそれは舌が回らなかったです」となったので、なんか不思議だったのです
そっか~「なまり」ね

王様が殆どを過ごしたセビリアもスペイン南部のアンダルシア地方になるから、そう言う意味だと納得です。

前半はまさしく青池先生が書いたドン・ペドロのままですね~
でも「度が過ぎるほど貪欲で、欲望に屈しやすく、残酷で残忍で」に思わず言葉が詰まっちゃったわ・・・
アヤラってエンリケ側の人間なのかしら?(苦笑)

>おっさんなペドロ1世
日本語版ウィキペディアも載っているこの絵かしら?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%AD1%E4%B8%96_%28%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A3%E7%8E%8B%29


そうそう、以前レビさんに関しての訳の転載は許可頂いてましたが、なんか色んなことが判ってきたので、このコメントに書かれているもの全般をHPで転載しても宜しいかしら?

レビ以外にロペスの娘の話等もありますし、ここで終わらせるにはとっても勿体無いと思うので
是非使わせていただきたいナーと

ご検討宜しくお願いいたします
返信する
金髪の王様 (KE007)
2007-07-06 05:52:16
昨日は独立記念日で会社がお休みでしたので、歴史のお勉強もお休みとなりました。

ペドロ王の描写は、こんな感じかと。
CECEABAというのは、「少しばかりどもる」というような意味だと思われます。で、以下のようにしました。翻訳機にかけて出てきた英語はなんともミョウで、想像をしないと意味が成り立ちません。(汗)

ところで、「中世ヨーロッパの戦争記録」をやっぱり買ってしまいました。何度見てもペドロ1世のイラストには馴染めない私です。おっさん!なんだもの。

+++++++

年代記編纂者アヤラの叙述によると、ペドロ1世は白人で、王としての威厳を備え、髪は金髪で、背が高く、話すときにはアンダルシア地方の方言が入っていた。勇敢で賢明な王であった。常に仕事に精を出し、いかなる困難にも立ち向かうひたむきさを持っていた。鷹狩を好み、食事は質素であった。睡眠時間は短く、戦争には全力を尽くした臨んだ。その一方で、度が過ぎるほど貪欲で、欲望に屈しやすく、残酷で残忍であったとも言われている。
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ありがとうこざいます (たれぞ~)
2007-07-05 13:02:18
B型さん
ありがとうございます~!!
そうですね~元がハッキリしているのは載せたほうがいいですよね~出典という意味で

このgooのコメント欄はどうも2個以上のリンクは受け付けないみたいなんですよ~
私も以前はじかれました
多分スパム防止機能かなんかだと思うけど・・・

>「Jewish Encyclopedia」
私のトコでも開けなくなつてます~
ウチのブログ経由や私のIPではじかれているのかな?とも思いも会社のパソコンで直接アドレスバーにアドレスを入力して見ましたが、こちらでも開けません

サイトの運営側の何らかの事情だと思いますが・・・
特に海外のサイトだとびっくりしちゃいますよね~(苦笑)


>ceceaba
スペイン語→日本語の機会翻訳だと「それは舌が回らなかったです」と出ました
言葉が足りないという意味なのか??
ますます判らん・・・(苦笑)


>黒髪サド目
う~ん・・・ティリアンから少佐に繋がるあの姿は王様からだと思っていましたが・・・
深まる謎ですね(笑)
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転載 (小心者のB型)
2007-07-05 03:18:08
私の駄文でよろしければ、構わないですよ~(笑)。
ただ、私が書いた分は、主にネットで集めた情報が元になっているわけで、サイトによって違うこともあるし、事実かどうかわからないものもあるので、その辺は注記が必要かな、と思います。

あと、どこで拾ったか既に判らなくなっているものは仕方がないとして、「Wikipedia」など情報源が特定できるところには、リンクを追加したほうがよいかもしれませんね。
コメント欄の仕様なのか、リンクを入れようとしてはねられたことがあったので。

それから、ちょっとお聞きしたいことなのですが・・・。
エル・レビのモデルになった人物の情報源・ユダヤ人受難記録のサイト「Jewish Encyclopedia」ですが、トップページも、上のほうに貼ったリンク先も、私のところからだとどのブラウザ使っても開けなくなってしまってます。
オリジナルのページではなくて、Googleで検索した時の「キャッシュ」のほうは問題なく開けるのですが・・・。
特に心当たりはないけれど、何かまずいことしちゃったか~?
小心ものゆえ、ちょっとばかりビビっております(苦笑)。
たれぞ~さん、KE007さんのところからは、アクセスできてます?

>金髪の王様
やっぱり衝撃的よね~!
英文に直した時、「ceceaba」という単語が検索してもわからなかったのだけど、気になる~(笑)。
王様は、ご先祖にイングランドやフランスの王家の方々がいらっしゃるので、まぁ、金髪もあり得るかな~とは思いますが、う~ん、黒髪サド目のイメージが出来上がってますもんね(苦笑)。
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そうそう (たれぞ~)
2007-07-04 23:21:36
エンリケの英語読みがヘンリーになるのは以前KE007さんから教えてもらって知っていたけど、ペドロがぺターになるのには驚いたわ~!!

思わず「ハイジ~!」と走ってくるペーターとユキちゃんを思い出しました(笑)
返信する
改めてお願い (たれぞ~)
2007-07-04 21:18:10
B型さん、KE007さん
いつも色々教えてくださり、ありがとうございます

以前、KE007さんにはレビの訳本については自HP内への転載許可を戴きましたが、その後色んな情報や史実が判り、ここのコメント欄で終わらせるのはとても勿体無い感じがしますので、これらを全てHPの方へ転載したいのですが、宜しいでしょうか?

もしご許可戴ける場合はなるべくお2人のご希望に沿いたいと思いますので、転載時のご希望や要望なども一緒に言って下さると助かります

ご検討のほど、宜しくお願いいたします
返信する
これって、もしや・・・ (たれぞ~)
2007-07-04 21:09:36
B型さん
なるほど~あくまでも王位継承権はマリアの子供達で、そのたの庶子に関してはそういう条件が付けられていたのですね~
あと庶子によっても母親の身分とかでも違ったりするのかもね

同じ庶子でも有力貴族と町人じゃきった全然違うんだろうし・・・

それにしてもカスティリアにもコルテスが合ったんですね~
そういえばポルトガルのジョアン1世が庶子にも関わらず王位継承者ベアトリス王女を廃して、即位することになったのも、「国を守った」と評価され、コルテスに選ばれたからでした

コルテスの決定は国王といえどもないがしろに出来なかったのかも

>衝撃の一文

もしかして・・・・これって・・・
王様が金髪色白の美丈夫って書いてあるの~!?
うわ~!!衝撃!!
でもさ、考えようによっては、孫のカタリナは金髪だったでしょ?
漫画ではコンスタンシアも王様とマリアゆずりの黒髪でしたが、もしそれが本当に黒髪だったらカタリナが金髪ということには無理があるかも?
確か黒髪って優性遺伝だったと思うから、父親のランカスター公が金髪碧眼でも、コンスタンシアが真っ黒な黒髪だとその可能性は少ないような???

金髪の王様の説・・・あながち否定は出来ないかも(苦笑)


KE007さん
うわ~大作の訳、お疲れさまでした!!
そしてありがとうございます

機械翻訳があっても、あの膨大な量にすっかり諦めている私。
こうやつて読めるのもKE007さんのお陰です~!!

これによると、最後にロペス達が立て籠もったカルモナの城にレオノーラも一緒に居たんですね~
カタリナ王妃の母・コンスタンシアが1394年に亡くなっているから、相談役といいながら、カタリナはレオノーラの中に母の影もみていたのかも??

でもなー1412に突然疎まれたのが謎だわ~
しかも宮廷に出入りでもしようものなら火あぶりの刑だなんて・・・かなりの理由がありそうですよね?
レビといい、レオノーラといい、一時権勢を誇った人達が突如として疎まれるつていうのは何かしらの陰謀とか嫉妬があるのかな~

そっか~回想録にはそんな意味が・・・
レオノーラもお父さん大好きっ子なのね(笑)
あんなお父さんなら私も惚れるわ(笑)

>Beheaded the Maestre, his family will suffer for nine years the prison-workshops in Seville, where many brothers of Leonor died.

青池先生が書いたロペスの最期が浮かびました(涙)
さぞ辺りは血だらけだったんでしょうね
幼いレオノーラもそんな父の姿を見たのかしら・・・

>人物研究だけで、ホームページが1つ起こせそうですね

ほんとにそうですね~
これもB型さんとKE007さんのお陰です
本当にありがとうございます
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コピペの嵐 (KE007)
2007-07-04 04:35:02
B型さんの影響を受けてスペインのウィキペディアに言ってきましたよ。で、翻訳機にかけました。長文を受け付けてくれないんで、コピペ・コピペを繰り返し。で、翻訳が出てくるたびに「お~!」と思いながら。
いや~、毎日がスペイン史のお勉強と化しています。ちょっと前まで、スペインと私の間にはスパニッシュオムレツしかなかったのにな~。
さて、今日の私はマルティン・ロペスの娘に関して翻訳などをしてしまいました。これはちょっと難しかったっす。途中でいやになっちゃって日本語が不自然です。
+++

レオノーラ・ロペス・デ・コルドバ(おそらく1362年にカラタユーにて生まれ、1420年にコルドバにて没)は、カスティリア王宮ではランカスター王女カタリナのアドバイザー兼親友もあったが、追放となってしまった後に、その編纂者の1人からメモリア(回想録)と名付けられることになる最初のスペイン語(正確にはカスティリア語)による自叙伝を書いたといわれている。執筆期間は1420年から1420年。
<<生い立ち>>
その著書の中で説明されているように、レオノーラ・ロペス・デ・コルドバは、カスティリア王国領地のカラタユーで約1362年に出生した。レオノーラの代母達が王の娘であったため、幼年時代を母のサンチャ・カリアと共に王宮で過ごした。この母は、アルフォンソ11世の姪にあたる。
母親が早くに亡くなると、レオノーラの父親であり、カルトラバとアルカンタラの領主マルティン・ロペス・デ・コルドバは、ペドロ王の主席近侍であり、ブランシュ女王の主席執事長であったホアン・フェルナンデス・デ・エネストロサの息子ルイ・ガティエレス・デ・エネストロサに嫁がせると約束を取り交わした。
婚姻の後、ルイとレオノーラは家族と共に、スペイン南部にある要塞都市カルモナに移住した。カルモナに住んでいる間に、ペドロ1世は後にエンリケ2世となる庶兄の手で殺されてしまった。マルティン・ロペスとその一族がペドロ1世の臣下であったため、カルモナはエンリケ達に包囲されてしまうこととなった。
幾度か攻撃を受けた後、マルティン・ロペスは1371年、安全な国外退去を約束とし、ついにエンリケに屈した。しかし、エンリケ王はその約束を守ることなく、マルティン・ロペスを殺害し、一族をセルビアのアタラザナに投獄してしまった。
一族が投獄されてしまったとき、レオノーラはまだ9歳であった。しかし、8年間の投獄生活は大変苦しく、夫であるルイを除く一族は皆、投獄中に死んでしまった。エンリケ2世の遺言によりルイとレオノーラはついに自由の身となった。ルイは没収された財産を取り返すべく努力をしたがそれは結局無駄に終わった。一方レオノーラは、コルドバに住む叔母であるマリア・ガルシア・カリオのもとに身を寄せていた。ルイが7年もの間、財産回復のために奔走した結果、何も得ずにレオノーラのもとに戻ってきたとき、レオノーラは自分だけで住むことが出来る場所の提供を叔母に依頼した。レオノーラは、そこに家と教会を建設した。1392年に黒死病がコルドバを襲ったとき、レオノーラとその一族はサンタ・エラ、更にアギラールに逃れた。アギラールでは息子が黒死病(ペスト)で命を落とした。自分達も感染することを恐れて、叔母一族はレオノーラにアギラールを去るように言い、それを受けてレオノーラはコルドバに戻って行った。
1403年以降、レオノーラはエンリケ3世と王の妻ランカスター家カタリナ妃の宮廷に住み、非常に親密な相談役としての地位を確保した。ホアン3世治世下の年代記には、「カタリナ妃はレオノーラを心から信頼、この上なく寵愛し、レオノーラの助言なしでは一歩も前に進めないほどであった」とかかれるほどであった。
しかし最終的に、1412年ごろ、レオノーラは王妃から疎まれるようになり、宮廷への参上を禁止されるばかりか、宮廷に出入りでもしようものなら火あぶりの刑に処するとまで言われることとなった。レオノーラは死亡する1420年までコルドバに住んだ。

<<作品>>
「回想録」はカスティリア初の自叙伝であると思われる。オリジナル版はコルドバのサン・パブロ・コベントに保管されてあったが、現在は紛失している。原文の写しが作成・出版され、それはセビリアのBiblioteca Capitular y Colombinaに保管されている。
約9ページほどの短い叙述が公証形式書類という形(「この作品を目にする者達に…が…であることを知らせるものである」)で残っており、作者はレオノーラであると言われてはいるが、あまりにも多く法的用語が使われているために、公証人の助けを得ながらこの本が書かれたのではないかと学者達は考えている。
宮廷での栄華が終わった後に書かれた本回想録は、献身の気持ちを表すためのものだとし、聖マリアへの強い祈りが込められている。しかし、その一方で、これは、自らの父や自分自身の行いに対する赦しの懇願の要素も含まれている。そのため、献身の気持ちで始まった内容が、家族の名誉を守る内容へと展開している。それによって読者にレオノーラが父方と母方の両方で貴族の出であることを思い浮かばせるようになっている。
回想録の中にある祈りは、レオノーラが語る物語の真実性を証明する形となっている。それは、一番最初にレオノーラが聖マリアから受け取った奇跡の全てを証明しようとするような内容ばかりではなく、一族の汚名に好ましい光を当てる描写の仕方で回復されない一族の名誉を論じるという方法で書かれている。回想録の中で描写されている肉体的・精神的生存の物語は、レオノーラがどのような時代を生きたかということの証明とも言えよう。
++++
で、他のところに、彼女と彼女の父に関して、
Beheaded the Maestre, his family will suffer for nine years the prison-workshops in Seville, where many brothers of Leonor died.
とありましたので、青池先生は作品の質感を膨らますためにマルティン・ロペスをあのような人物に脚色したんだなと想像する私です。私の中で、マルティン・ロペスはすっかり坊さんのように清い人なんです。
どうも、人物研究だけで、ホームページが1つ起こせそうですね。

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ホアン君 (衝撃を受けたB型)
2007-07-04 02:46:13
ポルトガル語版Wikipediaの王様のページを英語に機械翻訳してみると、ホアン君の王位継承権について書かれている部分がありました。
ホアン君に王位継承権が与えられるのは、どうやらマリアの3人の娘達が子ができないまま亡くなってしまった場合に限定されていたみたいです。
どこかのサイトで、遺言だかコルテスだかでそのように決められたと書いてあったような記憶があるのですが、ウロです(苦笑)。
ホアナとは重婚とはいえ一応結婚式もあげたわけだし、いろいろ奥の手も使っただろうと想像しますが、エンリケのように「殺して王座を簒奪する」のとは、ちょっと違うんじゃないかな~と。

機械翻訳といえば・・・。
スペイン語版の王様のページ、礼拝像の写真のすぐ下のあたりに、「アルカサル」の王様ファンにとって衝撃の一文を発見してしまいました。
スペイン語の原文は以下の通りです。
Seg?n Ayala, Pedro I era blanco, de buen rostro autorizado con cierta majestad, los cabellos rubios, el cuerpo descollado, y ceceaba un poco a la manera andaluza.
コメント欄では既出の年代記作家・アヤラによる、王様の描写なんですが・・・。
マジですか~!!! と叫びたくなりますよ~。
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ほぇ~ (たれぞ~)
2007-07-03 22:17:12
B型さん
いつもありがとうございます。

それにしても!!
えーっ!ホアナの息子ホアンに王位継承権があるんですか~??
庶子でも王位継承権が持てるのか?
そけとも重婚とは言え、一時結婚式まで挙げたことから嫡出子と同じ扱いになるんでしょうか??
庶子にも王位継承権が当たり前にあると、エンリケの王位簒奪もあながち全くの「悪」という訳ではないのかな~??

王様が教会をないがしろ(というか、あまり必要としていなかった)のに対し、エンリケはその辺りの権力者も上手に取り込んでいた感じもしますしね~
聖職者次第なのかな??

>ロペスの娘
これまた、新事実ですね~
娘がいたという事だけでもビックリなのに、カタリナの宮殿でそんなに権勢を誇っていたなんて・・・後編の末にも書かれていますけど、カタリナは後に祖父(王様)の庶系子孫の擁護もしていたそうですし、最後まで忠節を尽くしたロペスの娘に対しては格別の恩寵があったのかもしれませんね

>2人の娘の血
ほぇ~~~メディチまで繋がっていたのね
そしてファドリケの子孫・・・やるなぁ(笑)
こうやって歴史でお馴染みの名前に血が少しでも混じっていると思うと、見る目が変わってしまいますね~(笑)


KE007さん
ほんと、「凄い」の言葉しか出てこないです(苦笑)
スペイン語はともかく英語も全くダメダメな私は皆さんに教えて貰うばかりですが、新たな事実を知るたび、感慨深いですわ~

これほどの史実をベースに作られた「アルカサル」という作品はほんと凄すぎます

中世スペインって世界史でも扱いは少なくて(高校でもせいぜいフェリペ2世くらいかもね)イマイチ認知度は低いですが、これ機に興味を持ってくれたら嬉しいなへと思います

>敗者は悪者」の方程式
asahi.comのインタビューでも先生が語ってらっしゃいましたよね
あれだけ執拗に王座を狙い、追い続けた人物がただの良い人な訳がないって。
本当にそう思います。
嫡出子がいるのにも関わらず、殺害して王座を簒奪しているんですもんね~仮に王様が国民にとって非があね君主だったとしてもそこまでやれるというのはちょっとね(苦笑)

王様が成し得たかった絶対王政の時代になった時、フェリペ2世がドン・ペドロ1世を「残酷王」から「審判王」へと評価を変えたと記憶してますが、なんか判る感じがします

あんだけ裏切りが横行していた国内で正当なる王家を維持することは大変だったんでしょうね
返信する
調べるとキリがな~い (KE007)
2007-07-03 05:37:38
あれこれと調べますと、青池先生が歴史の根幹を動かすことなく読者にわかりやすいようにあれこれと脚色された努力が伺われます。大切な史実はちゃんと抑えていらっしゃるんですよね。
王がモンテイユの戦いの果てに、エンリケと決闘をして死に至ったというのは本当だったんですね。
Henry raised a new army with Du Guesclin, defeated Peter at Montiel (1369), and killed him in a duel after the battle.

それから、「敗者は悪者」の方程式から王は「残酷王」で知られている反面、実は平民達の権利を守り、自分勝手な貴族達から王国を守ろうとしたということが書かれたサイトがありますが、それを読んで、青池先生の目の付け所のよさに感心してしまいました。歴史に対する見方が洗練されていらっしゃるんでしょうね。

Despite his reputation for cruelty, Peter has many apologists, who see him as a defender of the rights of the commoners and the throne against the turbulent nobles.

他のサイトでエンリケを描写している下りに、
half brother to Pedro of Castile the Cruel (or the Lawful, depending on who wrote the history).
とありまして、「誰が歴史を書いたかによってその評価は違う」となっています。

また、1巻から読み返している私です。
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またもや長いです(苦笑) (拾い読みするB型)
2007-07-03 03:31:06
スペイン語版Wikipediaの王様のところ、気になるところだけをスペイン語→英語に機械翻訳して読んでみました。
適切な英語になっているのかも解らなかったけど(苦笑)。
で、1360年頃王様の命令で、サムエル・レビ他何名かが非業の死を遂げ、トレドの大司教がポルトガルへ追放されたようなことが読み取れるのですが、理由はやはり書かれてないようでした。

>レオノール・ロペス・デ・コルドバ
そうなのよ!
父親のマルティンのほうは、まだ独立したページがないというのに(苦笑)。
レオノールは、1362年(スペイン語版では63年)カタラユー生まれ。
母親のサンチャ・カリリョはアルフォンソ11世の姪のようなのですが、系図サイト見てもそれらしい名前が見つからないんですよ~。
その母親は早くに亡くなって、レオノールはあのイネストロサの息子のルイ・グティエレスと結婚、家族とカルモナに移るのですが、9歳の時に父が殺されて、以後8年間は親族とともに幽閉されることに。
解放された時、彼女と夫以外の親族は亡くなってしまってたそうです。
それからもいろいろあるわけですが、なんと彼女、1403年以降はコンスタンシアの娘のカタリナの宮廷で、かなり権勢を振るっていたらしいのです。
「カタリナはレオノールを非常に信頼し、寵愛した。何をするにも彼女の助言に従うほどであった」というようなことが、ホアン3世時代の年代記に書いてあるんですと。
ところが、それも長くは続かなかったようなのね~。
1412年頃、カタリナの寵愛を失って宮廷から追放され、コルドバに帰って自伝を書くのですが、それが「カスティリア初の自伝」なんですって。
写本も残っているそうです。
レオノールと夫の間には息子がいたようですが、残念ながら、黒死病で亡くなってるみたいです。

>捨てられた女性
そうそう、ロドリゲスの妹のホアナのことです。
息子のホアン君は1355年1月生まれ、子孫あり。
サイトによっては、アルフォンソより先に生まれたホアン君には、一時期王位継承権があったと書いてあったりします。

>コンスタンシアとイサベルの子孫達
メアリ・スチュアートの母方はコンスタンシアには繋がっていなさそうでしたが、ルイ14世の弟のオルレアン公フィリップ(コンスタンシア系)は最初の妃が確かチャールズ1世の娘ヘンリエッタ・アンだった・・・と思い出して、そのあたりから調べてみると、結構つながってました。
ヘンリエッタは父方からはイサベルの血を、母方からは狂女王フアナの曾孫である祖母マリー・ド・メディシスを通じてコンスタンシアの血を受け継いでいたのですね~。
メディチ家にも繋がっていたとは!
そしてマリーは、母方だけでなく、父方からも祖母エレオノーラ・アルバレス・デ・トレド(コジモ1世の妻)を通じて、ファドリケの血を引いている可能性が(笑)。
エレオノーラの曾祖母のマリア・エンリケスは、フェルナンド5世(イサベル女王の夫)の母フアナ・エンリケスの腹違いの姉妹のようです。
系図が本当なら、ファドリケの子孫達、結構重要なところ抑えてますね~(笑)。
オルレアン公とヘンリエッタの娘マリー・ルイーズは、スペイン王カルロス2世妃。
オルレアン公の2度目の妻エリザベート・シャルロッテ(リーゼロッテ)は、父方祖母のエリザベスがジェームズ1世の娘ですから、この方もイサベルの血を受け継いでます。
こちらの二人の間に生まれた娘エリーザベト・シャルロットは、神聖ローマ皇帝フランツ1世(マリア・テレジアの夫)の母ですので、マリー・アントワネットにも、王様の二人の娘達の血が流れていることになりますね(笑)。
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またまた新情報!! (たれぞ~)
2007-07-02 19:29:18
KE007さん
わ~い!!いつもありがとうございます!!
そしてまたまたビックリ!!
エル・レビって元々はダンブルケルケの屋敷で働いていたんですか~!!
作中ではペドロが病に倒れ、自分が傀儡だと思い知った後、イネストロサやディエゴ達が重用されたのと同時くらいの登場だったので、てっきりイネストロサたちからの紹介だと思っていましたよ~!!

そしてここでも「大司教とレビの陰謀」説が出てきましたね
でも陰謀というけど具体的にはどんな陰謀だったのかしら?
きっとレビを妬む人達に寄ってなされたことだけど、王様は信用に値する人物がそういう事に巻き込まれた時は一時投獄しても、ちゃんと調べるような気がするのだけど・・・(ほら、ロペスもそうだったし)

後に「審判王」の異名を持つくらいだし、よっぽどのことだったのかなぁと勝手に思ってますけど

>金貨190,000枚(今のお金で95万米ドル/195,737ユーロ相当

えーと、今日の為替レートで1ドル約123円だから・・・1億円以上ですか~!!
ひぇ~!!妬みをもたれるのも判るかも

>エンリケのハゲ疑惑
うわ~凄い!!オヤジだオヤジだ(爆)
しかも見事なくらいにツルツルですね~(苦笑)

さすが地元スペインのウィキペディア
お宝情報が満載ですね~良い物みた気分(爆)


B型さん
もしやもしや・・・日本語もダメな私には英語かスペイン語かも判りませんが、ひょっとして「ファーザー、マルティン・ロペス・コルトバ」って書いてある?

居たのか~!!子供!!
しんもウィキペディアに載るくらいだから、結構有名なんですね!気になるわぁ

>日本語版ではなぜか別の女性が捨てられたことになっているけれど、訳し間違いじゃないのか~?

日本語のウィキではマリアという女性になってますが、これってロドリゲスの妹・ホアナのことですよね??
系図サイトではホアンという子供がいることとなってますが、この子のこと?

>asahi.com
さっそく見て来ました~
ほんとだ!B型さんが教えてくれたペドロ坊やの死のことが書いてありました~
なんか青池さんが楽しみながら、色んな事を調べて、書かれたのが伝わってきました

ほんと読者に判りやすいように書くのは、ご自身がきちんと把握していないと出来ないことですから、大変なことですよね

お陰で私たちもこうやって楽しむことが出来て、青池先生様様です~(笑)
返信する
諸々・・・ (スペイン語の辞書が欲しいB型)
2007-07-01 00:54:31
別荘の日記が更新されてますよ~!
「asahi.com」のインタビュー記事、いつまで掲載されているかわからないのでお早めに~。
カタリナやペドロ坊やのこと、少し触れられていましたよ~(笑)。

Wikipediaの各国語版を見ていると(理解しているわけではないけど:笑)、同じ内容というわけではないので時々思わぬ拾い物をすることがありますね。
画像もですが、英語版&スペイン語版の王様のところにとても気になることが書いてあるんですよ~。
とある、王様の庶子のことなのですが・・・。
(その話題のあたり、日本語版ではなぜか別の女性が捨てられたことになっているけれど、訳し間違いじゃないのか~?)
その子のことは、あちこちの系図サイトにも載っていたりするので、本当なんだろうな~と。

もう一つの拾い物は、↓なんですが・・・。
http://en.wikipedia.org/wiki/Leonor_L%C3%B3pez_de_C%C3%B3rdoba
・・・あの人にも妻子がいたのね~。
しかも、子どもは結構有名人だったみたい?(笑)
返信する
エンリケのヘアースタイル (KE007)
2007-06-30 04:19:37
エンリケの話を探していたら、こんなもの発見してしまいました。http://es.wikipedia.org/wiki/Imagen:Enrrique_II.jpg 青池先生の描くエンリケは若いときも死ぬときもふさふさの頭なのに、この像は「はげ」てる!意味もなく、「やったー!」と思っちゃった私です。スペイン語版ウィキペディアは結構充実していますね。
返信する
走馬灯の続き (KE007)
2007-06-30 00:46:32
レビさんの別の説明文を訳しました。(なんだか、もう、超趣味の世界な私です。)
牢獄の番人たちを買収して逃亡するあたりは、アルカサルにも描写がありましたよね。
今度は、エンリケについて書かれたものを探そうと思っています。

++++
サミュエル アレビ アブラフィア

(或いは、アル・レビ、間違ってアラビということも)
スペインの財務官。1320年ごろにトレドで生まれる。カスティア王国残酷王ペドロに財務官として仕えた。1350年に当時の大臣ジョン(ホアン)・アルフォンソ・デ・アルバカーキにより、財務長官として王に推薦された。ちなみに、レビはアルバカーキの財産を管理していたことがあった。

レビはやがて王専門顧問官となり、王国の中でもっとも影響力をもつ人物となった。当時王の愛妾であったマリア・デ・パディーラにも忠誠を尽くした結果、レビは正統王妃の憎しみの対象となり、妃の考え方に従った高官達もいた。

1354年、要塞都市トロに王と一緒にいたとき、突然王共々敵に捕まり牢獄に入れられてしまった。莫大な金額の保釈金をエサに何とか買収に成功し、王と一緒に牢獄から逃げ出すことが出来た。

レビは、税金の徴収を厳しく管理したり、債権者との間で取り決めごとを交すことで、王国の財政の立て直しを徹底的に行う一方で、王室に莫大な金額を貯蓄することに成功した。レビは、自らの親族の中から税金徴収役人を任命したが、セビリアにおける税金の徴収監督官として甥のジョセフ・ハ・レビを用いた。

レビはトレド豪邸を建て、そに居住した。それは、今でも「ユダヤ人の豪邸」と呼ばれている。レビは、カスティア王国のあちらこちらに自費でシナゴク(ユダヤ教徒の教会)を建設した。その中でもトレドにあるものはもっとも豪華な建築の一例である。このシナゴクは1357年に出来上がり、後にエル・トランジトという名前でキリスト教会に変わった(http://en.wikipedia.org/wiki/Synagogue_of_El_Transitoを参照のこと)。
建物の壁には今もヘブライ語の碑文が存在し、今日は国家の記念建築物の位置付けにある。この建物により、レビの功業の記録は永遠のものとなった。
レビは、高官としての自らの地位を20年間近く維持したが、1360年にペドロ王が、レビとトレドの大司教が犯罪に荷担しているらしいという噂を耳にた結果、大司教は免職され、レビは言い伝えによると、ねたみを持つ同じユダヤ教徒から、裕福な親族共々弾劾を受け、セビリアまで引きづって連れてゆかれ牢獄に入れられてしまったとある。レビとその親族の全財産は金貨190,000枚(今のお金で95万米ドル/195,737ユーロ相当)にも達し、宝石類、絹やベルベット製の衣服で満載された洋服箱が20個、奴隷80人など全て、王が没収した。レビは1360年11月に拷問で死に至った。「主は、自らの主人から苦しみを味合わされた牢獄から、天国を住処とするよう彼を呼び寄せたのである。」
返信する
残酷王ペドロ (たれぞ~)
2007-06-30 00:23:16
KE007さん
いつもありがとう~!!
なんか読んでて、「アルカサル」の既刊分が一気に走馬灯の様に駆け巡りました(笑)

王様はユダヤの人のみならず、イスラム圏の人とも交流があったので、エンリケにしてみたらドン・ペドロが行っていた政治的なものを一切排除したかったんでしょうね~

王様がユダヤ人を保護すればするほど、悪しきモノに感じたのかしら?
まぁ教会側と事あるごとに対立していた王様だったから、エンリケの方では教会側を味方につけたいという意向もあったのでしょうけど・・・。

それにしてもエンリケのユダヤ人虐殺の数には驚きました~
「残酷王」と称されるドン・ペドロですが、ユダヤの人にとったら、エンリケこそが「残酷王」ですよね


返信する
クラクラです~(苦笑) (たれぞ~)
2007-06-30 00:15:33
B型さん
よくそこまで辿り着きましたね~
リチャード3世と言うと、幼い甥っ子たちをロンドン塔へ幽閉したという、あの悪名高い彼ですよね?
うわ~凄いなぁ・・・

私なんぞは、B型さんからの答えを教えてもらってても、アン・ネビルに辿り着くのも一苦労でした

イザベル---エドマンド・オブ・ラングリー
   ↓
 コンスタンス---トマス・ル・ディスペンサー
       ↓
     イザベル---リチャード・ビーチャム
         ↓
        アン---リチャード・ネヴィル
          ↓
         アン---リチャード3世


んで、
イザベル---エドマンド・オブ・ラングリー
    ↓
リチャード・コニスバラ
    ↓
リチャード・プランタジネット
    ↓
 リチャード3世

リチャード3世の母シシリーもネヴィル家の出身(ローフ・ネヴィルの娘)


つーことはアンにしてみたら夫リチャード3世は大叔母の子(ハトコ)になるのかな?

う~ん・・・頭がグルグル

はぁぁぁぁ~ココまで辿り着くだけでも大変でした(苦笑)

>王様の2人の娘
う~ん系図の海に溺れました
ヨーク家とランカスター家が結ばれているけど、実際はコンスタンシアの子供はカタリナしか居ないので、これは違うし、どもどこかできっと繋がっているハズ!(と信じたい・笑)

>エンリケの左右にホアンと王様の死の場面
あらら~いかにも勝者エンリケ側から作られた絵ですね~
歴史というものはそういうものなのね(汗)

返信する
家系図の大海原 (KE007)
2007-06-29 03:57:47
こんにちは~。

B型さんの影響を受けて、私もブルボン家とスペイン王家の系図をネットから引っ張り出して、見入っていたのですが、もうフラフラ。虫眼鏡が必要です。もう、いろいろな国やら地方やらの高貴なファミリーが入り乱れて婚姻を結んでいるので、理解不可能です。系図研究は老後の勉強目標にしようと思っています。

さて、B型さんお勧めの、「ユダヤ人年表」にドンペドロのことがユダヤ人の立場から描写されている項がありますが、それに訳をつけてみました。なんだかこれだけを読むとエンリケに対して、「あんたそこまでペドロを憎まなくったっていいじゃない!。腹違いとはいえ、兄ちゃんでしょ~!」と言いたくなってしまいます。ま、もっとも、「おまえのごとく一般人にそんなこといわれる筋合いはない!」と一喝されそうですが。(すでに妄想の世界)

+++++
残酷王ペドロ

前王アルフォンソ11世(アルフォンソの敵ペドロ・ギルによると、ユダヤ女の産んだ替え玉の子供)の嫡子であるペドロ1世は、ユダヤ人にとって有利になるような王政を布いた。それによってペドロ1世の治世時に、ユダヤ人の影響は最盛期を迎えた。そのため、王は異教徒と呼ばれ、しばしば「残酷王」などとも呼ばれた。

生来情熱的で衝動的なペドロ王であるが、母と共にセビリアに隔離されて青年期を過ごした。王の母はポルトガル王女で、アルフォンソ王の情婦であるレオノーラ・デ・グスマンの手引きで、王自らによって遠ざけられるという屈辱を味あわされた。

ペドロがセビリアに隔離されている間、ペドロの異母兄でレオノーラの息子である非嫡出子ヘンリー・デ・トラスタマラ(エンリケ)は父王のもとで育ち、幼いときからすでに勇気のある性格を覗かせていた。まともな教育を受ける機会さえ得ることのなかったペドロは、1350年に王座についた時には、まだ16歳にも達していなかった。

治世の当初からペドロはユダヤ人を重用し、そのためにペドロの敵対勢力からは、「ペドロの王宮はユダヤ人の王宮だ」と嘲笑された。ユダヤ人はペドロにとっていつも真の支持者であった。ペドロ王の教育者であり全能の大臣でもあった一方で最終的にはペドロ王から退けられることになったジョン・アルフォンソ・デ・アルバカーキの推薦で、以前ジョン・アルフォンソの代理人をやっていたサミュエル・レビを王お抱えの主任財務官に任命し、レビはまもなく王の腹心の友になった。

まだ年若き王が自らの意思とは裏腹であったとはいえ、フランス・ブルボン家の王女ブランカと婚姻を結び、その王女は実は自らの夫がユダヤ人を腹心の友に持つことを嫌い、そのためにもしかしたら国中のユダヤ人を迫害に遭わせていたかもしれないことを考慮すると、王がかの美しきマリア・デ・パディーラへ深い愛情を注いでいたことに対してレビがどれだけ好意をもっていたかの真相は突き止めがたいものがある。

ペドロ王は、無理やりに婚姻を結ばされた新婦を婚礼の2日後に置き去りにし、愛人の待つトレドに向かった。そのとき、大臣のアルバカーキは大勢の従者を集めて新郎を引き戻す準備に取り掛かったが、レビが王からの「そのような計画はやめるように」というメッセージをアルバカーキに伝えて、王の引き戻し計画は取り消しとなった。

ペドロ王の庶兄ヘンリー(エンリケ)を味方につけたブランカ妃は幽閉されることになり、アルバカーキも職を解かれ宮廷から排された。

これらの不幸ないわゆる家族問題は、もともとはアルフォンソ11世によってもたらされたわけであるが、血を血で洗う内戦へと発展し、王国に破滅をもたらし、特に王国に住むユダヤ人達にとって大きな災いとなった。

当時アルカサルに幽閉されていた正統王妃ブランカ妃を救い出すという旗印のもの、庶兄エンリケとその兄弟は、略奪する暴徒の先頭を切ってアルカーナと呼ばれるトレド市の中にあるユダヤ人居住区を占領し(1355年5月7日。この日はユダヤ人の安息日)、倉庫から物品を奪い尽くし、年齢・性別を問わず1万2千人もの住人を殺した。しかしながら略奪暴徒は完全にユダヤ人から略奪し尽くすことは出来ず、多くのトレドの貴族からの援助を受けて果敢に戦った。

ペドロ王がユダヤ人たちに対して友好的になればばるほど、ユダヤ人たちを保護しようとすればするほど、非嫡出子である庶兄エンリケはユダヤ人たちを疎ましく思い、1360年に王国を侵略したときにはナヘラに住むユダヤ人を皆殺しにし、ミランダ・デ・エブロ(ブルゴスにある一都市)に住むユダヤ人達を略奪と虐殺の標的にした。
++++

では、また来ます。
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私も (熱中するB型)
2007-06-29 03:30:05
系図の海で溺れかけました~(笑)。
青池先生が書いていらっしゃった、「イサベルの娘のコンスタンスの流れがリチャード3世につながる」というのが引っかかってしまって、さっきまで系図サイト見てました。
コンスタンスの子孫のアン・ネビルがリチャード3世の王妃・・・ということだったのね~。
リチャード3世はイサベルの息子のリチャード・オブ・コニスバラの子孫。
リチャード3世のあと、ヘンリー7世はジョン・オブ・ゴーントと愛人との子孫だけど、王妃のエリザベスはイサベルの子孫と。
この辺り、複雑すぎて頭がくらくらします(苦笑)。

ヘンリー8世と最初の妻キャサリン(イサベル女王とフェルディナント5世の娘)の間に生まれた子は、フェリペ2世に嫁いだメアリ以外は皆夭折で、フェリペとメアリの間にも子供はいなかったみたいですね。
王様の娘2人それぞれの子孫達、他にもどこかで交わってるんでしょうか?

ということで、しばらく夜更かしが続きそうです(苦笑)。

ホアン1世が馬に踏まれてる絵が、セゴビアのアルカサルにあるステンドグラスに残されているようです。
画像検索していると、いろいろ見つかりますね(笑)。
それにしても、エンリケの左右にホアンと王様の死の場面を配置しなくたっていいのに~。
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Unknown (たれぞ~)
2007-06-28 12:46:41
KE007さん
うわ~凄い!!そんな本格的のを買っちゃったんですね~
恐るべし!王城
色々調べると抜け出せなくなる(笑)

>リチャード2世の肖像
KE007さんのコメ読んで、GOLDと思わず確認
本当だ~王冠の形、ケープの柄。そして右手に玉をもつているトコなどそのまんまですね~

キリリとした黒太子の肖像と対称的な肖像画ですね
おっとりした顔つきが幼さを際立たせている感じです

>王家の血統
ほんと世界各地まんべんなく広がってますよね~
婚姻による同盟が当たり前だったのもあるけど、系図を辿るのも大変

スペインハプスブルグに繋がるということは、またイギリス王家とも婚姻関係が続くって事ですもんね~
(確か、フェリペ2世はブラッティ・メアリと結婚してるし、ヘンリー8世もスペインから王妃を迎えてますもんね)

ファドリケの子孫が繋がるのにもビックリしたけど、幾重にも重なってて、脳たりんの私の頭だと理解するのが大変です~
返信する
リチャード2世 (KE007)
2007-06-27 22:50:05
英国王家の系図本を買ってしまいました。その中に、「アルカサル」の中で見たことあるような絵が!青池先生の描かれたリチャードⅡはとっても有名な肖像画のようです。ネットでも見つけることが出来ました。でも、青池先生版がとってもしっくりきます。ウィキペディアでリチャード2世・英国王を探すと、後編55ページと同じ絵柄でリチャード2世が出てきますよ。1600年代にもリチャード2世がいるのでご注意を。しかし、系図を見ますと、青池先生もどこかで言っておられましたが、一国の王家とかその近辺の「高貴な方たち」の血とかつながりというのは、脈々とつながっていて、私たち凡人では到底理解できないような裏がいっぱいあるんですね。系図をみて、その背景を読むだけで疲れてしまいます。また、来ます。
返信する
まだまだ続く脇役の話(苦笑) (たれぞ~)
2007-06-26 14:39:28
KE007さん
ありがとうございました。
では転載する時にはそのようにさせて頂きますね

>ペドロ王のことは「悪名高き、口がうまく、短絡的な王」であったとし、
エンリケは「名高き時期王」となっていました。

うわ~王様ファンにはショック~!!(苦笑)
でもこういうものって、勝者側か否かでずいぶんと表記が換わりますもんね~
血統から言えば間違いなく、正しいのはペドロの方なんだけと・・・う~ん
やはり絶対王政が確立していない時代は下克上(?)もアリなのかしら??

そう言えば別の漫画ですが、蒲生総さんの「ガーター騎士団」という作品でドン・ペドロがちょこっと出てますが、
味方であるイギリス側なのに書かれ方はそんなもんでしたね~(苦笑)
黒太子は騎士道に拘った人だったので、ペドロとの溝が生じたのかな
でもペドロがヒゲの生えたおっさんに書かれていたのに対し、
エンリケがキラキラのハンサムに書かれていたのにはショックだったわ~(苦笑)

>キリスト教者は金融業をすることを教義で禁じていたため
ユダヤ人が「卑しい」とされた金融業をすることになったわけですよね

へぇ~100年もすればイタリアなんかじゃ、メディチ家が両替商→銀行で多額の財を成し、
キリスト教での現世での最高実力者である法王まで排出するのにね~
時代の流れというのは凄いもんでね


B型さん
>ファドリケの庶子
見ました~ちゃんといましたね!!

なんとか格闘しつつ

ファドリケ
  ↓
アルフォンソ・エンリケス(男)
  ↓
ファドリケ・エンリケス(男)
  ↓ 
ファナ・エンリケス(女)--ファン2世(アラゴン)
            ↓
           フェルナンド2世--イサベル1世(カスティリア女王でコンスタンシアのひ孫)
                   ↓
   ブルゴーニュ公フィリップ--ファナ女王(狂女王)
                 ↓
               カール5世
                 ↓
               フェリペ2世 


ひぇ~ファドリケの子孫もちゃんと神聖ローマ帝国皇帝であるスペイン・ハプスブルグへと繋がりましたよ~
アルフォンソ・エンリケスの母が諸説あるようなんですが、でも結局のところ、ドン・ペドロの子孫もエンリの子孫もファドリケの子孫も後々のスペイン帝国へと繋がったことになるんですね~
凄すぎますわ~!!
返信する
まだまだ続く?(笑) (検索三昧のB型)
2007-06-26 03:55:48
引き続き、あちこちと検索を続けているわけですが、頭の中で情報が少々錯綜気味です(苦笑)。

系図も複数見ていますが、たれぞ~さんのおっしゃる通りサイトによって違ってたりしますよね~。
ファドリケの庶子は、たれぞ~さんのHPのリンク集にあるサイトにも載っているはずですが、見つかりませんでした?
この人の子孫が誰に続いているかは、見つけられた時のお楽しみということで、伏せときますね~(笑)。
これも異説があるみたいで、鵜呑みにはできないかもしれませんが、結構いろんなサイトに載っています。
それにしても、エンリケにもファドリケにもアルフォンソ・エンリケスという名の子どもがいたらしい・・・というのが混乱の元だわ~(苦笑)。

>カタリナの子供疑惑
未収録分のあの件がいつ頃か?が未確認なのでなんとも言えませんが、12巻で1363年あたりまで進んでいたと記憶しているので、どうでしょうね~。
後編のペドロ坊や、3つくらいかな?
ただの妄想だといいんだけれど・・・(苦笑)。

>人名・地名すりあわせ
カストロエリス→カストロへリスくらいしか自信持てません(苦笑)。
アスチューディオ→マリアがお籠りした尼僧院のあるところでしたっけ?


>KE007さん
エル・グレコがユダヤ系ギリシャ人だったかどうかはわかりませんが、「Wikipedia英語版」によると、父親が収税吏をしていたようです。
なんという偶然!(笑)

王様周辺の基本情報は殆どネットに頼っているので「Wikipedia」にもよく行くのですが、そこで最近知ったことなどを。
エンリケの母親も、サムエル・レビを悪く書いた年代記作家のペドロ・ロペス・デ・アジャラも改宗ユダヤ人(コンベルソ)の家系らしいですね。
マリア・デ・パデリアもそうだという記述がありますが、別のサイトにはコルドバの太守の血を引くとも。

同じユダヤ系とはいえ、改宗した人達とユダヤ教徒達では社会的地位の違いもあったでしょうね。
レビがどちらからも憎まれてしまったようなのは、やはり地位とお金なのかな~?

>もともとキリスト教者は金融業をすることを教義で禁じていたためユダヤ人が「卑しい」とされた金融業をすることになった
これは知りませんでした。
ほんと、勉強になります(笑)。
返信する
勝てば官軍 (KE007)
2007-06-25 23:49:40
金曜日に日本からGOLDが来ましたよ!で、週末ずっと何度も何度もなめるように読み返しました。で、頭はすっかり「王城」のことで一杯に。
近くの大型本屋に行き、日本では絶版になっているメルメの本探しまでしてしまった私です。メルメの本はさすがになかったのですが、「中世ヨーロッパにおける代表的な戦いの記録」みたいなオールカラーの本を見つけました。
ちょっと高かったので立ち読みで終わらせましたが、その中に「ナヘラの戦い」が6ページに渡って戦略・戦術図解付きで詳しく描写されていました。もちろん、ペドロ王とエンリケのことも詳しく説明されているのですが、ペドロ王のことは「悪名高き、口がうまく、短絡的な王」であったとし、エンリケは「名高き時期王」となっていました。やはり、歴史は勝者中心なんですね。ペドロ王のイラストがのっていましたが、目を背けたくなるようなシロモノで、その場で叫びそうになってしまいました。
さて、レビさんのお話。ユダヤ人が嫌われ者みたいな立場にいたのは、やはり「お金」が絡んでいるからでしょうか。もともとキリスト教者は金融業をすることを教義で禁じていたためユダヤ人が「卑しい」とされた金融業をすることになったわけですよね。それで富を築いたために疎まれることにってしまったというのは本当に皮肉なことです。ま、それだけじゃないんでしょうがね。でもお金はいつの時代にも災いの種ですね。
たれぞ~さま:青池先生の表記の仕方との一致、に関して。面倒なお願いをしてごめんなさい。ご指摘されたぐらいで大丈夫かと思います。アルファベットのスペイン語読みというのは大変面倒ですね。
返信する
お疲れさまでした~(笑) (たれぞ~)
2007-06-25 18:53:15
B型さん
さすが凝り性、B型!(笑)
調べられたのですね~!!
それも一晩で検証するとは凄いです

そっか~本編でもはっきりエル・レビと判るのは、アルフォンソ坊やが生まれた頃の1360年なんですね~これまた符号がピタリとハマる・・・
やはりエル・レビはサミュエル・レビで間違いなさそうですね

>カタリナとエンリケの子
やはり思っちゃいました?(苦笑)
私ももしそうだったらわが子を殺す事になるので「そりゃ~ないよ!!」状態なのだけど、でも逆にそうせざるを得なかったカタリナの心理が判るような気もしたんです

憎しみだけがカタリナを支配していたんだろうなって・・・

でもそれだとペドロ坊やがあまりに哀れ~

カタリナがホアナというのは知ってましたが、産んでいたのね~子供。
じゃあながちそういう発想になっててもおかしくはないと・・・

昔の系図って伝承と違うときがあるし、古くなると系図自体もサイトに寄っては違うときもあるからなんともいえませんね

そういえばファドリケにはやっぱり庶子はいなかったみたい?
私は見つけられませんでしたが・・・(苦笑)


KE007さん
それはそうと後編が載ったGOLDはお手元に届いたかしら?
ブス姫のことがわかっているって事は無事届いたってことかな?(笑)

そうそう、端役というか脇役までちゃんと細かく行き届いてますよね~エル・レビもそうだけど、知らなきゃ知らないで楽しめるし、「あれ?この人って?」みたいな疑問が合って調べてもこうやってちゃんと符号する・・・「エロイカ」も「イブ」もそうだけど、小ネタが一杯でほんと2重3重にも楽しる奥の深さが良いですよね

こういう漫画家さんって少ないんじゃないかな~

たいてい主人公やその周りの重要キャラは凝ってても、脇役まで手が回らないもの

私も前編ではオスナ伯がちゃっとまたリバウンドしていたのに小笑いしたし、後編ではホアナ姫が嫁にいってて安心したわ(爆)

>レビの豪邸
なるほど~そんな呼び名になっているんですね~
レビへの嫉妬というより、ユダヤ人全てに対しての嫉妬や何らかの思いがレビという成功者の代表格に集結したという感じがしますね~

為になりました、ありがとうこざいます

もしまたあったら色々教えてくださいね~


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Unknown (たれぞ~)
2007-06-25 18:33:13
KE007さん
ありがとうございます!!
感謝感激でございます~!!
ではHPの方でありがたく転載させていただきますね~

>出来ましたら、転載されるときに一致させていただけませんでしょうか

すみません、自分の無知をさらけ出しますが、どれが違うのかが判らないのです~(涙)

とりあえず

勇将ガスリン→ベルトラン・デュ・ゲクラン
マルティン・ヤンズ・デ・セビラ→財務官・ヤニェス

という事で宜しいのでしょうか?

地名では
セビル→セビリア

なのは判ったのですが、ブルゴス、カラオラ、セゴビアは青池先生の方でも使われているのでヨシとして、他の地名がどれに当てはまるかが判らないのです~
・カストロエリス
・アスチューディオ
・ブリベスカ
・アビラ
はこのままでいいのでしょうか?

お手数をおかけして申し訳ないです
返信する
副教本が出来そうな勢い。 (KE007)
2007-06-23 04:20:00
端役のレビさんの話でこれだけ盛り上がれるとは思ってもみませんでした。このままみんなで勉強を進めていったら、一冊の本になっちゃうかもしれませんね。(誰が買うんだろう…)でも、青池先生のお話は端役にまで愛情が注がれているので、目に付いちゃうんですよね~。ブスのホアン姫のこともいろいろなところで、「最終的に幸せになれてよかった」ってとっても好意的だし。
レビの豪邸に関しては、実は「レビの豪邸」という言い方ではなくPalacio del Judio(ユダヤ人の豪邸)となっており、やはりそれなりの理由があったからなんでしょうね。(もしかしたら、エル・グレコってユダヤ系ですかね~)
このようにマイナーなことを調べるのは結構楽しいですね。青池先生もあちこちで調べえた知識を薀蓄として各所に登場させていますが、楽しくて仕方ないと思いながらやっておられるんでしょうね。
また、来週時間のあるときにでも、B型さんご紹介の文書と格闘してみます。では、よい週末を。
返信する
調べました~ (寝不足になったB型)
2007-06-23 02:58:50
昨晩、エル・レビが登場しなくなったのはどの辺りだったか確かめようと思って、うっかり読みふけってしまいました(笑)。

未収録分は確かめようがないのですが、12巻までで最後に顔出ししているのは、アルフォンソが生まれた頃でした~。
ウラカの懐妊のあたりで一度だけ王様の台詞の中に「大財務官」という単語が出てきますが、これが誰を指しているのかは不明です。
ということは、未収録分に登場していなければ、エル・レビは「アルカサル」のお話の中でも1360年頃に退場していることになりますね~。

>カタリナとエンリケの子
実は私も、ちらっとですが、そんなことを考えてました(苦笑)。
青池先生の「アルカサル」は歴史書というわけではないので、そういうことがあったとしても不思議ではないんじゃないかと思うわけで。
系図サイトでもペドロ坊やの母親の名前は「unknown」なんて書いてあったりするし、つい妄想が~(汗)。
因みに、カタリナのモデルになったと思われるホアナには、3番目の夫との間にレオノールという子供がいたという情報もあります。

系図サイトを見てると、「あの人に実は子供が~!」とか、「あの人の子孫が~!」なんてことが結構あるんですよね~(笑)。
ただ、同じ名前がぞろぞろ出て来るので途中で迷子になってしまったり(苦笑)。
きっと青池先生も、読者が混乱しないよう、違う名前をつけて下さってるんでしょうね。

>KE007さん
フォローありがとうございます!
英語はそんなに得意なわけではないので、実は和訳してくださった分の半分ほどしか読んでおりませんでした(苦笑)。
あらためて読んでみると、やはり相当にユダヤ人達への反感があったんだな~と。
中でも、エル・レビとその一族への憎悪は特に酷かったんでしょうね~。
↓は同じサイトの別ページです。
http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=699&letter=A#1670

こちらの下のほうにも、
「1360年、ドン・ペドロはトレドの大司教とエル・レビが関係しているという大掛かりな陰謀の存在を知った。大司教は釈放されたが、(嫉妬深いユダヤ教徒に告発されたという)エル・レビは、裕福な親族と共にセビリアへ連行され、投獄された」
というようなことが書いてあります。
やはり、何かの罪を犯したというよりも、陥れられたという感じがしなくもないですね。

余談ですが、トレドのエル・レビの豪邸は、一時期エル・グレコが住んでいたことがあるそうですよ~。
現在は美術館になっているそうです。
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よござんすよ~ (KE007)
2007-06-22 22:23:52
どうも、こんにちは。
仕事の合間にやりました(って言うと聞こえが良いのでうが、すっかりはまってしまって、つまりは仕事をサボってやりました)ので、今読むと何ともつたない日本語だなって思えてしまいますが、どうぞご利用ください。
私も昨晩もう一度前編を読み返したのですが、人名や地名は青池先生の表記の仕方と合わせたほうがよかったなと思っています。図々しいお願いですが、出来ましたら、転載されるときに一致させていただけませんでしょうか。(会社に漫画を持ってきて、作業することが出来ませんので。)
今日か明日に日本から後編の載ったプリンセスゴールドが届きます。楽しみでなりません。
B型さんが紹介されているレビのことが書かれたサイトは、ユダヤ人の受難記録サイトで、レビの項の上にはドンペドロに関する記録が書かれています。随分とユダヤ人を優遇したこと、王がユダヤ人を優遇すればするほどエンリケのユダヤ人に対する憎しみが募っていったことなどが書かれています。これは、ヨーロッパ―の歴史をユダヤの観点から見るということで、大変い興味深いサイトだと思います。
では、後編を読んだらまた来ます!
返信する
いらっしゃいませ~!!KE007さん (たれぞ~)
2007-06-22 18:56:03
KE007さん
いらっしゃいませ~!!KE007さん
そしてコメ&和訳ありがとうこざいます!!

もう読んでて「きゃ~~~~っ!!!」状態ですわ~
あの英文サイトを判りやすく和訳してくださったお陰で、私にももうもう鮮明に完結編の前編が蘇りました

散らかった我が部屋からゴールド3+4号をひっぱりだして、また和訳を見ながら読み直して感慨にふけってました(ちょっとまた泣きそうになった・苦笑)

そっか~前編でエル・レビが出てこなかったのは、
やはり1360年(あるいは1361)にレビが処刑されていたからなんですね~
他のサイトによるとマリアの没年が1361年と1365年の2説あるみたいなんですが、青池さんは1365(あるいは1366)没年説の様なので、


>これはマリア妃の寵愛が受けられなくなったからではないということは確かであるが

ここのくだりにもピッタリ当てはまりますね~
となるとやはりマリアの没年は1365又は1366年なのかな


>アスチューディオの修道院に数年間滞在させられていた王の愛妾

ついこのくだりでイギリスに渡ったコンスタンシアとイザベルの会話で「お父様にはいっばい(愛人が)居たのに・・・」というセリフが思い出されて、レビには悪いけど笑っちゃいました

でもこの和訳を見ているとレビをはじめ、ユダヤ人が裕福なのが許せなかった人達の思惑が見え隠れしますね~
ヒトラーのユダヤ人政策も、宗教上の理由というよりは商売上手なユダヤの人達が経済の中心になるのが許せなかったという考えもあるそうですし、案外、レビの処刑もそんなのなのかなぁ・・・
後の財務大臣は自分の欲で王様を裏切る人だし、欲が絡むと影に陰謀がありそう・・・

なんか読ませていただいてると色々妄想が膨らんじゃいますね(笑)

それと勝手なお願いがあるんですが・・・
とても立派な和訳なので、私のHPの方でも転載をさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?
是非是非宜しくお願いいたします
返信する
(サミュ)エル・レビさんの最期 (KE007)
2007-06-22 02:49:16
皆さんこんにちは。海外にいるので、まだ読んでいないんです、後編を!で、ネットにくれば何かしら話がされているのではないかと思い、ここまでたどり着きました。B型さんが見つけられたサイトにも行ってきましたよ!で、日本語にしちゃいました。翻訳をしながら、前半で描かれていたエンリケが王冠をもらうシーンとか、王がどんどんと窮地に追いやられていくシーンが走馬灯のように思い出され、胸が一杯に。ちょっと長いのですが、頑張って読んでみてください。一部意訳あり。
++++
サミュエル・レビの栄華は長くは続かなかった。王国と王のためにかつては精力的に仕事をこなし、財務に関する敏腕さは王の期待に大きく適ったものであった。しかし、その一方でレビには多くの敵が存在し、レビに対する憎しみはやがてユダヤ人全てにも向けられることになってしまった。当時の詩人であり歴史学者でもあったペドロ・ロペス・デ・アヤラの残した残酷風刺文「リマド・デル・パラシオ」には、いかにレビとその家族が深い憎しみの対象になっていたかが描写されている。
王の寵愛を受けた他の家臣たちと共に、レビは突然高位から退けられてしまった。これはマリア妃の寵愛が受けられなくなったからではないということは確かであるが、どうやらカストロエリスの近くにあるアスチューディオの修道院に数年間滞在させられていた王の愛妾が、ユダヤ人たちと交信を取り続けていたことが原因だと思われる。
レビのことを嫉ましく思うユダヤ人による陰謀なのか、あるいは、途中で露見してしまった「リコ・オンブレ」謀略にレビが関わっていたのか、あるいは、王がキリスト教関係者(具体的には法王庁)の人気取りをしようとしたからであったのか、真相は不明である。
明確に史実として残っているのは、レビは1360年に取り押さえられ、セビルに連れてゆかれ、同年11月に拷問に掛けられて死亡したということである。
金貨70,000枚、銀貨4,000枚、宝石や高価な洋服が一杯に詰まった洋服箱20個(120個あったとの記録もある)、アラブ系の奴隷80人にも及ぶレビの莫大な財産は、王国によって没収され、レビの親族は(その中には税金の取り立て役人もいた)、レビと共に逮捕され、親族の財産300,000枚の金貨も王国による没収の対象となった。
財務省でレビの後釜となったマルティン・ヤンズ・デ・セビラは、レビの住んでいた豪邸の地下室で莫大な量の金銀が発見されたと主張した。この豪邸は今もレビの豪邸として知られている。
戦いを続けて行く方法は幾らでもあったが、王の戦運は底をつき始めていた。カスティリア王座を得るために、エンリケ(英語ではヘンリー)は、勇将ガスリン率いる「グランド・カンパニー」と呼ばれる一軍に援助を求めた。一軍の獰猛な兵士達はどこにいこうと必ずユダヤ人を襲った。ブルゴスの近くにあるブリベスカでは、そこに住むユダヤ人家族は全て抹殺の対象となり、一軍の去った後に200あったユダヤ人家族にひとりも生存者はいなかったほどである。
カラオラで新王の宣誓をたてたエンリケは、1366年3月31日に勝ち誇ってブルゴスの町に入った。ブルゴスの町は自ずからエンリケへの忠誠を誓った。エンリケはブルゴスに住むユダヤ人に30,000枚の金貨を税金として差し出すように命じた。ユダヤ人たちはその莫大な税に従うために、全ての財産を売りに出さなければならないほどであった。資金を得るために、ユダヤ教の聖典であるトーラ書の巻物にある飾り物までもが売りに出された。
セゴビアとアビラのユダヤ人たちも自らの財産を手放す羽目となった。一方、当時まだペドロ王に忠誠を誓っていたトレドのユダヤ人たちは、軍隊の下働きをなすり付けられるだけでなく、1,000,000枚の金貨を払わされる羽目となった。
窮地に陥ったペドロ王は、ポワチエの戦いの勝利者である英国皇太子に助けを請い、その結果、エンリケは後退を余儀なくされたが、戦力を一新した後王国に舞戻ってきた。度重なるエンリケの攻撃にも屈さずに長い間ブルゴスの地に住み続けてきたユダヤ人たちは、ブルゴスの町に住みつづけるために1,000,000枚もの金貨を差し出さなくてはならなかった。
返信する
うわ~壮絶・・・ (たれぞ~)
2007-06-21 19:02:18
B型さん
ありがとう~!!
うわ~ペドロ坊や、そんな亡くなり方をしていたんですか・・・上手く合わせましたね~先生。

私は最初読んでて、カタリナとエンリケの子なのかな?と一瞬思ったけど、それは違うのね。
純粋にカタリナの甥っ子だった訳だ・・・
でもな~あの行動はほんとショックでしたよね~・・・


>エル・レビ
そうです~ふぉたさんがおっしゃられていたのは、この「サムエル・レビ」のことです
日本じゃマイナー過ぎて、クグってもヤフってもヒットしないのよ~
やはり英文サイトじゃないとダメなのね~
英語がダメダメな私には口惜しい・・・(苦笑)

1960というとコミックスで連載していた頃の話ですよね~
今、手元にコミックスが無いので確認できませんが、いつ頃から出なくなったのか、調べてみたくなりますよね(笑)

私はてーーーっきり、コミックスに登場していない時、エル・レビはユダヤの人達の為に金策に廻ってて、お留守にしているんだと思ってました(苦笑)

なので王様が窮地に陥るこの完結編で財務大臣が違う人だったのが不思議でしょうがなかったのだけど、亡くなっていたのなら納得です

それにしても理由・・・なんだったのでしょうね??
かなり王様の信用を得ていたと思うのに・・・

B型さんが貼ってくれたサイトでは、私の読み違え出なければ「レビの死で莫大な財産を得た」みたいな表記がありましたけど、まさかそれが理由ってことは・・・ないよね??(汗)
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史実では (辞書と格闘するB型)
2007-06-21 01:35:09
ペドロ坊やは、セゴビアのアルカサルのバルコニーから、乳母の腕をすり抜けて転落死したらしいです。
乳母も責任を感じたのか、後を追ったとか。
検索キーワードが何だったか忘れてしまいましたが、たまたまたどり着いたのが、ペドロ坊やの墓碑のあるセゴビアのカテドラルに行かれた方の旅行記でした。

>エル・レビ
モデルになったのは、Samuel Levi(Samuel ha-Levi Abulafia)という人物ではないかと思いますが、この人1360年に亡くなってます(61年説もあり)。
突然、王様の逮捕命令が出てセビリアに連行され、牢獄で拷問の末に亡くなった(または処刑された)ようなのですが、そういうことになった理由は、はっきりわかっていないみたいですね~。
彼を妬むユダヤ教徒達に讒言された説、陰謀に巻き込まれた説、聖職者を味方につけたい王様の都合で犠牲になった説・・・などがあるようですが、3つ目の理由だとちょっと嫌かも(苦笑)。
↓のサイト、全部読んだわけではないんですが(英語だし:汗)、真ん中あたりにソースの一つがあります。
http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=992&letter=S#3237

次回の付録、「アンヘラの飛翔」は読んだけど忘れてるし、「指輪物語」は未読なので、多分買います(笑)。
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とうとう完結です (たれぞ~)
2007-06-20 19:12:48
くまさん
そうなんです~未完の時は早く続きが読みた~い!と思っていたのですが、終わってみるとなんか寂しい・・・(苦笑)

ほんと怒涛の展開&ストーリーですから
1ファンとしてはじっくり読みたかったのだけど・・・でも完結しただけヨシとしなければ・・・。

今回の200pに番外編+コミックス未収録部分をあわせて、年内には完結となる第13巻がでるんじゃないかな~と勝手に思っています

出たら是非通して読んでくださいませ~


トミーさん
とうとう終わっちゃいましたよ~

私も歴史は好きだけど、頭が良くないので入り組んだ世界史は理解するのがとっても大変(汗汗)
王様のコトはネットで調べたりしてて、結末は知っていましたが、それでも国内のサイトは少ないから、皆さんに色々教えて貰いました

やっぱし英語が出来る人は英文サイトも検索できるから詳しいですわ~

ただ今、既刊分が旅に出ているので、帰って来たら完結コミックスと合わせてエロイカ共々お送りしますね~


ブックさん
ほんと、あれはじっくり読まないと読めない話ですわ~
私も月曜にようやく買ったのだけど、その日は「アルカサル」を読むだけで精一杯だったもの(苦笑)

ほんとあれだけの内容を100Pに納める技術ってのも凄いもんです

コミックスで未読はありますよ~私(苦笑)
「ピルグリムイエーガー」という漫画なんだけどあまりに難しくて断念したの(あはは)

とうとう漫画すら読めんくなったかと思いました
脳が退化しています~(苦笑)
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魂ぬけた・・・(苦笑) (たれぞ~)
2007-06-20 13:19:38
なごいくさん
今んトコ、コミックスが出たら、ブックさん、トミーさん、満天さんのトコに廻る予定なので帰ってきてからでも良い?
っていうか既刊もまだ帰ってきていないのでだいぶ先の話になりますが・・・

やはり長のブランクがあるから通して読まねばね、
通したらまたきっと感想も違うと思うのよ~

手元に帰ってきたら、ご連絡しますね~


B型さん
うんうん、やはりB型さんもそう思いになられましたか~・・・

私も月曜にようやくゲットして、2回読みました。
ほんともっとじっくり読みたかったけど、あそこまで濃い内容で書いてくださったから、ただ感動と涙でしたわ~

それはそうとエンリケの次男くん(ペドロ)の死は漫画と同じく転落死なの?
それは知りませんでした~かなり詳しいサイトなんですね~

私もさ、すんごく気になっていたエンリケとカタリナだったけど、エンリケのあの老け込み様を見ているとね、なんか哀れに感じたわ~
昔の人の平均寿命自体が短いから、青池さんにしてみれば年相応に書いたつもりなのかもしれないけど、王様の死から10年でこうなっちゃうのかって・・・
だから余計に「後悔」みたいに思えたのよね~

>英国に渡ってからの、コンスタンシアとイサベルの会話が、なんだかほのぼのとして笑えます。
二人とも、悩みが少なくてよかったわね~(笑)。

私もあそこ、笑った~(笑)
幼い頃から王様のこと、ちゃーん判っているんだって(爆)
「1人しか居ない」「1人もいない」って大らかだなぁって(笑)これもマリアの教育の賜物かしら??

それとアラゴン王の王女ホアナが結婚したのがわかったのもちょっと嬉しくて良かった~
それほど重要な役じゃないし、皆からブスブスと言われ、挙句の果てに作中でも「アラゴンのブス姫」って紹介までされていて可哀想なんだけど、脇役もちゃんと忘れていなかったのね~って(笑)

そうなるとエル・レビなんかは書きたくても入れれなかったのかもしれないね~
エピソードが多すぎて・・・以前ふぉたさんが調べてくれたのだけど、どうもエル・レビのモデルとなった人は処刑されているみたいなのよね~

それがエル・レビのことなら、今回に入れるのはページ数を考えたら無理だモノ
やはりじっくり連載したかっただろうね~


>コンスタンシアの娘のカタリナが父親譲りの金髪碧眼ということは、黒髪サド目の遺伝子はこのルートからじゃないってこと?

どうだろう??
隔世遺伝という可能性もあるし
ほら、王様の2人の庶子のうち、1人は獄死しているけど、ディエゴくんは50過ぎまで生きて子もなしているそうだから、そっちからかも知れないよ~

絶対あのサド目黒髪、そして何よりあの性格は受け継がれていると思っているんだけど(爆)

次回の付録は「アンヘラの飛翔」みたいですね~
私、コレ未読なので楽しみです^^
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読んでない~・・・ (ブック)
2007-06-20 12:56:25
買ったんですけど、読めてません、簡単に読めるような
内容ではないので、先送りになってます
マンガで未読ができるなんて思いもしなかったです
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歴史もの~。 (トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人))
2007-06-20 09:59:40
 歴史物はやはりまとめて一気読みしたいですね~。なのでしばらくこれは我慢して後のお楽しみにとっておこう。西洋歴史は私もだんなも疎くて皆さんに勉強させてもらいます。
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とうとう… (くま)
2007-06-20 07:42:14
とうとう完結したんですね~!
なんて最近コミックスで読み始めた私などにはおこがましいセリフですが…
コミックスが待ち通しいです。
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しみじみと・・・ (心中複雑なB型)
2007-06-20 00:54:55
とうとう終わっちゃいましたね。
発売日通りに16日にはゲットして読んでいたのですが、予想通り前編以上にめまぐるしい展開で、一度目は話の流れを追うだけでいっぱいいっぱいでした~。
すでに何度か読み返しているのに、まだ、これで完結なんだというのが信じられないような気がしてます(苦笑)。

10月に完結編のお知らせが出て以来、王様の周辺についてはネットで検索などもしていたので、どういうことが起こりそうか大体のところはわかっていたつもりだったけれど、青池先生のまとめ方、脱帽です(笑)。
個人的には、やっぱり連載で読みたかったなぁ・・・とは思いますが。

前編ではベアトリスがマリアに似てきた~と思ったけれど、コンスタンシアはあの3人の中では一番王様似でしたね(笑)。
英国に渡ってからの、コンスタンシアとイサベルの会話が、なんだかほのぼのとして笑えます。
二人とも、悩みが少なくてよかったわね~(笑)。

そういえば、コンスタンシアの娘のカタリナが父親譲りの金髪碧眼ということは、黒髪サド目の遺伝子はこのルートからじゃないってこと?(笑)

もう一方のカタリナは・・・どんな形でも登場してくれたのはよかったけれど、あの最期はちょっとショックでした。
発作的に、だったとは思いますが、あれはないよ~(泣)。
史実のペドロ坊やがセゴビアで不幸な亡くなり方をしたらしいのは、たまたま先週知ったばかりだったのですが、カタリナと絡めてああいう形にするとは・・・。
なので、たれぞ~さんの
>カタリナの亡霊はエンリケの後悔のあらわれ
この説に全面的に賛成!
ペドロ坊やのこともエンリケの後悔から生まれた妄想であって欲しい・・・。
そうでも思わないと、読むたびに悶々としてしまいそうです。

兄妹の関係は、本当のところはどうなんでしょうね~。
系図サイトには、カタリナの本来の名前(Juana)や3回の結婚歴などは載っているけれど、兄とのことまでは・・・(苦笑)。

コミックスは、あと1冊で終わるのかな~?
未収録分と合わせても、半端な頁数のような気がするのだけど・・・。
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予約… (なごいく)
2007-06-19 23:04:24
させていただいていいですか?(笑)

コミックスが出て、ぶちょーがもういいっちゅうくらい読み返したら、お貸しくだされ~♪
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