かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

自問自答の楽しみ。

2017-12-24 | 気ままなる日々の記録

  4年前の12月15日のあけがた、トイレに行こうとして、ベッドの横に立った時、「寒い!」と思った瞬間に突然激しい頭痛に襲われその場に崩れ落ち、家内が救急車をよんでくれて総合病院へ。そこでレントゲンを摂ったりして頂いた病名が「右脳視床下部内出血による左半身不随」というもので、即入院。それまで、何不自由なく過ごしていた僕が突然の半身不随に。正に天国から地獄に落ちた思いだった。

 1ヶ月ほどその病院にいて、転院を勧められ移った先がリハビリ施設が充実している総合病院。その後併設のホームへ。今ここで四度目の正月を迎えようとしている、

 「世の中一寸先は闇と云う諺があるが、正に僕のことを言っているようだ。ここでは個室にベッド、「りはびり」と呼ばれている訓練が週三日、理学療法士と呼ばれている指導者の指導で機能回復訓練。残りの三日がお風呂。

 チョット前に比べれば実にありがたいことだ。

 しかし、このリハビリが「労多くして功少なし」だと思われる。「これをしないと「寝たっきり」になりますよ」と脅しますが、僕はそれを信用していない。

 個室のベッドにいても、トイレは自分で済ませているし、車椅子を操作して新聞を読みにも出かけている。

 「リハビリ」は昔の針;灸。マッサージが進化したものだが、思いのほか楽しくない。「医療行為に楽しいものなどない」と云えばそれまでだが、日本的思考で「針の莚に座る」程効果があると説得されているようなきがする、

 思えば、寒中にふんどし一本で滝の下に立つというような修行を好むのは日本人だけだろう。

 とはいえ、目も耳も健常者のままで、終日ベッドで寝ておられるなどと云うことは正にありがたいことで、この時間を有効に使うべきだと考え人類がたどり着いた最高に美しい理論だと云われている「相対性理論」と「量子力学の概要」を知ろうと文庫本の解説書ヲ今読んでいるところです。

 原子爆弾が造られ残留ほうしゃのうが問題になっていたころ「人類は核融合によって無限にエネルギーを取り出すことに成功するだろうと云われていたが、あの話はどうなったのだろう?(T)

 

 

 


小春日和に誘われて。

2017-12-22 | 気ままなる日々の記録

  今日は正に小春日和で、家内に車いすを押してもらって近くの田圃を見に出かけました。

ここの水田は農業の近代化に成功した田圃ばかりで、一筆が広く、給水用水路と排水用水路も見事に整備されていてよく管理されています。

 いつも感心していましたが、今日はちょっとがっかりしました。

 第一はあぜ道の草が刈ってないことであり、第二は田圃の土が農道に溢れ通行の邪魔になっていたことです。

 小生は高校生までよく家の手伝いをしていて、田圃の農作業は熟知しています。

 今はそれらが機械化され、昔のように農夫が腰を曲げて猛暑の中で農作業をするということは、なくなりましたが、機械化とともに農夫のモラルも失われた気がして残念です。

 失われたモラルの第一は「ご近所様に迷惑を掛けない」と云うことであり

 第二は、いつも土作りに気を配るということです。

 具体的には①自分の畑に隣接する農道は何時も綺麗にしておく、ということであり、

 ②いつも「土造りに気を配るということです。

 具体的には畔道の草はいつも綺麗に刈っていて、

 種の付いていない草は土に埋め込み、種がついていそうな草は夕方まで待って乾燥させた後燃やして灰にして土に戻したものです。

 これらが土つくりに最高にいいからです。

 ところが、最近の農家は草は刈らない、刈った草は燃やさず農道に放置していて車いすの僕は通りにくくって泣かされる始末でした。(T)

    

                                お茶会で  ころ柿。


今日ここ「太郎と花子」の避難訓練がありました。

2017-12-22 | 気ままなる日々の記録

  前もって館内放送で予告があり、その時間になったら、「火事です、火事です。落ち着いて下さい」と繰り返し云い、いよいよ慌てさせるような口調でサイレンの音まで流していました。落ち着かせようと云うなら、落ち着いた声でゆっくり云うのが、常識ですが、この放送は慌ただしい話し方で聴いている人も慌てさせる。どうやら、訓練用のテープを消防署が作成していて、従業員の多い企業に貸し出しているようです。「落ち着いてください!落ち着いてください!」と大声でわめく。というのは全く矛盾していていかにもお役所仕事という感じで苦笑を通り越して怒れてきました。消防署もお役所だと思うとますますいや気がさしてきます。戦前も戦後もお役所気質は変わらず、真面目な顔をして、酷くばかげたことをします。そして、その評価は勿論、自画自賛。とまあ、こんなわけで今日はとんだ一日になりました。(T)

   

                           散歩道で  山茶花。


ラ・フランスの思い出

2017-12-19 | 気ままなる日々の記録

 ふるさと納税の返礼品であるラフランスが今年も届いた。蓋を開けると不正形でまだらのついたまだ固い感触が手に伝わってきた。そして、掃箱詰される前の山形天童市の厳しい気候も感じとれた。

 ラ・フランスは最近ではとてもよく見かけ人気もあるが、20年も前はまだ市場に出回っていなかった。少なくとも私が住んでいた地域では。

 私が、ラ。フランスを始めて見たのは遠い昔遠い土地でのことであった。私が主人にあまり無理な願いをしたことは無いが60歳になる前に一度だけ大きな願いを聞いて貰った。一か月間ホームステイをさせてほしいと。行先はカナダのバンクーバー。子どもたちも家を離れ就職している頃だった。ホーム・ステー先は、バンクーバー市街からシーバス(湾を渡るフェリーをそう呼んでいた。)で10分ぐらいの北バンクーバーの住宅地、三食ベッドルーム付のホストマザー一人暮らしのアパート。

 当時68歳のホストマザーとは年もそんなに離れていなかった性かよく気が合っていろいろなところへ連れて行って貰った。

 あるとき、ホストマザーに友達が再婚してパーテイーがあるが一緒に行くかと尋ねられた。何でも珍しかったので、ついていくことにした。パーテイーが開かれたのはアメリカワシントン州にほど近い国境の田舎町だった。牧草地が広がり長閑な雰囲気が漂っている地域だった。友達の家も広い庭付きの家で芝生の周囲には果樹が一杯植えられていた。そこで、見慣れない直径3センチ程のラ・フランスの小さな実を見たのだ。ラ・フランスとは言わず『ウエスタンペア」と教えられたような記憶がある。それから間もなく日本で見かけ大好きな果物になるとは当時思いもよらなかった。

ラ・フランスと一緒に蘇る遠い昔の思い出話である。

                                                                                                                              ”


日本文化のすばらしさ!

2017-12-17 | 気ままなる日々の記録

 オソマツながら、先日誕生日が過ぎた。此処まで来ると、自分が何歳であるかも定かでない。日本人男性の平均寿命は確か77~78歳だったので、其れは越えた。正に馬齢を重ねた感じだ。

 子供の頃はよく扁桃腺炎になり38度以上の高熱を発して母親に氷枕を造って貰って4~5日ねていたものだ。それが、敗戦によって、アメリカからペニシリンがどっと入り保険適用薬になって、すぐ治るようになった。

 家は一応小地主のいえであったが、戦後の改革で「農地解放」で安い値段で農地を国家に買い取られ、しかもその代金は25年払いの市価を下回る安値。あれは、一種の革命であったと思われる。

 僕は次男で都会へ出てサラリーマンを夢見ていたが、兄が国立大学の工学部を出て大阪の会社に就職した。その会社の寮に入りそこから通勤することになった。ここで騒ぎ出したのが僕の両親で、誰か家に残って農業をしながら両親と同居してくれなかったら、年老いた親はどうするんだ?というわけだ。母親は僕にお前は学校の先生か市役所に勤めて自宅通勤でとにかく、親の面倒を見て呉れなければ、年寄りは自殺するしかなくなる。と騒ぎ始めた。僕が高校3年のときである。

 そこで、僕は教員養成系の大学へ進み、大学生の時どうせ教員になるのなら、高校の教員がいいと思い始め、国立の教員養成系の大学の数学科に入った。大学の数学を学んで腰が抜けるほど驚いた。当時工学部系の数学は微積分が中心で計算力がものを言ったが、理学部系の数学は、新しい空間の提示により新しいルールによる計算を少しするだけで、その空間内でどんな定理が成り立つかの研究が中心だったからである。

 その頃兄は工学部で難しい微積分や、微分方程式を解く計算を盛んにしていた。僕が学んだ大学は、偏差値が高い大学ではなかったが、先生には恵まれ、世界確率学会の機関誌編集委員をしておられる先生にもお世話になり、大学院への進学を勧められたが、勧められた大学は東京か京都か広島であったので、親に相談するまでもなく辞退した。高校教師になってからは、進学やろうと呼ばれる教師だった。

 大学進学を希望する生徒のために早朝補修をし夏休みも始業時間早めての補修を引き受け、福井県の松原海岸から一の宮まで、車を走らせて補修をやった。英語や理科はよくできるが、数学だけつまずいて有名国立大学に入れないという生徒を僕が数学の面白さを教え、彼らを夢中にさせ3月に見事合格して喜ぶ生徒の顔が忘れられなくて夢中になっていた。あのころはよく酒も飲んだ。

 当時の高校教員は日教組と呼ばれる教職員組合に入っていた。掉尾は「べ平連」とか「原水禁」と云う組合運動が盛んで。僕はそれぞれの団体の機関誌に目を通していた。あるとき、組合の幹部が、アメリカの原水爆実験には反対するが、ソ連の実験には反対しない!」と云い始め呆れた。彼らを「思考停止野郎」と名付けてバカバカしくて議論さえせずその組織を脱退した。当時の日教組は宗教活動のようであった。それにしても、頭のよくない僕がいい友人と素敵な先生に恵まれたことは正に不幸中の幸いであった。今思い出しても友人や先生方には、心からお礼を申し上げたい。(T)

     

                                                           夕日に映える雪山


不思議な携帯メール

2017-12-10 | 気ままなる日々の記録

 水曜日の朝だった。携帯のメール着信音が鳴った。娘だと分かった。何故かと云うと娘しか登録していなかったからだ。

娘からの着信音は、可愛らしい鈴のような感じのおとがするので、すぐ分かる。

 私と家族はいろいろな方法で、連絡を取り合っている。息子と上のまごとはE-メールで、孫娘とは携帯電話で、その母親とは固定電話で。すぐ隣に住む主人とは、ケータイと時には車いすを漕いで、と云う具合である。

 さて、娘からの携帯メールだが、急いで蓋をあけると、「九時過ぎにお伺いする」と出ている。あと数分しかない。週末しか来訪したことがない娘がどうして、今まで数時間前か、前日に連絡するのに、どうして?という疑問が湧いた。それでも

前向きに考えて東京出張の帰り急に実家に泊まったかもしれない。キイウイが豊作と云っていたので、また、届けるつもりかもしれない。12月はこまめに帰省すると云っていたので、有給を取ったのかも知れないといろいろ考えてみる。

 九時過ぎになってもくる気配はない。見間違いかも知れないと再度携帯を手にし着信メールを見る。ふぃしぎなことに、先ほどのメールはどこにもなく、全然異なるメールがでた。人騒がせなメールにより、変な気分で幻覚症状でもでたのかな、と思った。

 パソコンでも想定外の画面が出てビックリすることがある。文明の利器はときどき人を惑わすこともあるかと、自分自身を納得させた。それにしても、不思議な携帯メールであったことに、間違いない。(E)

   

                     家のキイウイ

 

 

 

 

 

 


我が国の外交は大丈夫か?

2017-12-08 | 気ままなる日々の記録

  最近の新聞トランプ米大統領の関連記事でもちきりだ。「エルサレムをイスラエルの首都と認定しアメリカの大使館をエレサレムに移すと宣言してみたり、朝鮮の近くの海域で米韓合同の大訓練を実施して、北朝鮮に圧力をかけてみたり、

 瀬戸際外交というべきか、エルサレム問題にしてもイギリスを始めフランスもドイツも憂慮しているが、大統領選挙のとき、ユダヤ系アメリカ人の応援を貰ったのでそのお返しとのこと。

 トランプ氏の当選祝いに真っ先に駆け付けてトランプを喜ばせた安倍首相も大丈夫かと疑いたくなる。

 まあ欺瞞と云えば我が国の近代史は欺瞞の塊のようなもので、憲法に非武装中立と書いていて、アメリカの核の傘にまもられているなど、紳士の態度ではない。非核三原則にしても、アメリカの核の傘にまもられていて、北朝鮮の核実験に反対できるのか、我が国ほど言葉遊びで八方美人ブッテいる国はないと思えるがどうだろう?(T)

     

                                                              12月のイベント


風邪を引いて

2017-11-30 | 気ままなる日々の記録

 ある朝眼を覚ましたら、喉がヒリヒリシテ話をするのも苦痛であった。どうやら、風邪をひいたらしい。その症状が二日間続きその後二日間の咳また二日間の発熱となった。私の場合風邪では受診しないことにしている。あるとき風邪の症状がまとめて出て近くのクリニックで薬を処方して貰うと風邪が治った頃風邪よりひどい高熱が出た。病院で血液検査を受けると肝機能障害と診断された。それ以後風邪薬は怖くて飲めない。

 もう一つ忘れることができない、苦い経験がある。主人が退職したときはことのほか寒い冬だった。急に思い立ち南の石垣島へ1週間滞在するプランを立てた。のんびりレンタカーで美しいサンゴ礁の海岸を見たり船で近くの島を見学したりして有意義に休暇を過ごしていた。

 ところが、帰る前日よりによってインフルエンザの症状が出た。にっちゅう20℃以上もある土地で風邪をひいたりして何と運が悪いこと。ペンションのオーナーは島には頼りない診療所が一つあるのみという。兎に角1秒でも早く帰りたい一心で診療所出向き解熱剤を貰った。次の日も熱は高くなるばかり、主人はと云えばビタミンCが多いジュースを買ってくる気配りやペンションのオーナーにおかゆを依頼する知恵も浮かばないらしく「マイッタナー」「マイッタナー」を繰り返すばかり。

 退職1年目の男性はこんなものかと呆れながら文句をいう気力さえ失せていた。それでも解熱剤を服用し3時間のフライトに挑んだ。夕食はコンビニでおにぎりを買い1日1食だったのを思い出す。

 それ以後主人はといえば私の4回に及ぶ入院で取得したのか、手際よく最小限の気配りができるようになった。石垣島の思い出は今でも半分は辛い思いに塗り替わっている。(E)

    

                           近所のダイダイ


ビーダー・マイヤー(のろま・要領のわるいやつ)

2017-11-28 | 気ままなる日々の記録

 

  今世紀最大の発見と云われている、ニュートンの万有引力の法則とアインシュタインの相対性理論の発見者であるアインシュタインですが、彼は学生時代友人からビーダーマイヤー(のろま、要領の悪い奴》と呼ばれていたそうです。アインシュタインはドイツ在住のユダヤ人夫妻の子どもで、代数や幾何は得意だったようですが、外国語や動物・植物・博物など暗記物は全くダメで、友人からもばかにされていたようです。《参考文献:php文庫「相対性理論を楽しむ本》佐藤勝彦監修)

サブタイトルは「よく分かるアインシュタインの不思議な世界。」

筆者にとっては決して相対性理論を楽しめるようではなく、高校時代同様難解な本であったが、少しだけ後姿を見た感じはしました。

ここで「神はニ物を与えず」と云うと。僕の場合は何も与えられていない感じで畏れ多く、言葉もありません。(T)

   

                     散歩道で  きく。


暫くご無沙汰いたしておりました。

2017-11-25 | 気ままなる日々の記録

   此処数週間ブログを更新せず、失礼いたしました。

実は、歯痛に悩まされ鬱々とした日々を送り「蛙の呟き」にまで気がまわりませんでした。

  ここの施設には「訪問歯科」のせいどがあって、自宅でお父さんの代から歯科医院を開業しておられるせんせいが予約をしていくと此処へ診察に来てくださるのですが、 生憎ご自宅の医院の方が忙しく当分此処へは来られないとのこと、 仕方なく同じ医療法人が経営している総合病院の歯科で診察してもらった。

此処には歯根を1本1本レントゲンで撮る機械があって、僕も痛いよ云った歯を中心に3本ほどレントゲンを撮った。

 そして最後に薬が処方され、 薬は僕の病室へ配達されるとお聞きし、帰ってきた。

 勿論その間も歯はズキズキと痛んだ。夕方お薬が届いた。

 注意書きを見ると頓服用の「鎮痛剤」とあった。

 僕は夕食まで我慢してやっと鎮痛剤を服用、やっと痛みから解放されたが、 我が国の医療制度にがっかりした。

 厚生省や国会議員は何処を見て医療行政をしているのだろう。

  少なくとも痛がっている患者の方を観ていて呉れないことだけは、はっきりした。

    

                              近所の柿 


失われつつある我が国の伝統文化!

2017-11-24 | 気ままなる日々の記録

 

 ここは6階建ての鉄骨ビルで、設計は東京駅を設計したフランス人の設計士のようです。此処の3階の中央に展望台の様なガラス張りの見晴らしの良い個所があって私は、よく、車椅子を操ってそこへ出かけ、眼下に広がる広大な田圃をみています。

 最近の農作業は機械化が進み、1台600万もするという耕作機械を操って稲刈りから脱穀までをすませ、

昔のようにお百姓さんが腰を折って農作業をされるような姿は見られません。

今のお百姓さんはみな耕運機の運転手さんで、見事なハンドルさばきで、あぜ道に沿ったところも上手に刈り取っていかれます。

ただ残念なところは、耕運機は田圃の中を進みますので、タイヤの堀が深く此処へ沢山の泥を付けて農道へ出てきます。そのどろ

を農道へ落としていきますので、簡易舗装の農道の汚れはひどく、其処を通る軽自動車はガタンゴトンと揺れながらとおります。

 僕が子どもの時のお百姓さんはこんなことは決してしませんでした。

 あのころは「ご近所様に迷惑を掛けない!」というのが、お百姓さんの唯一の行動規範でしたので、

 畦道の草を刈っても夕方まで刈った草を日干しにし、ゆうがた、火を点けて燃やしてしまい、灰は箒で田の中へ掃き落とし次の年の稲作の肥やしにしたものです。

 最近は、耕作機械が田に入り泥を一杯付けたタイヤが農道を通りながら泥を落としますから簡易舗装の農道が泥ばかり、軽トラもガタンゴトンと揺れながら通っています。

 戦前の百姓はこんなことは決してしませんでした。戦争に負けて、農業までもアメリカ方式になって、

 我が国の美的な百姓根性が失われたのが残念でなりません。

  そういえば、テレビに出るタレントと云う人にもアメリカ風の人が増え残念でなりません。

 部屋の中で帽子をかぶっていたり、サングラスを掛けていたりしています。

 本当に目のためにサングラスが必要なら、真ん丸の大きなサングラスを掛けなさい。と云いたい。

  アメリカの真似が流行したこと自体が残念です。

 アメリカはヨーロッパの人たちが「一攫千金」を夢見て、出稼ぎにいった国です。

 そんな国の真似をして何処が嬉しいのか。

 テレビのディレクターと呼ばれる人たちの教養が疑われます。

  僕は下品なコマーシャルをテレビで流す商品は絶対に買わないことにしています。 

 このままほおっておくと伝統文化を誇る我が国もほんの数十年で下品で御粗末な国になってしまいます。(T)

    

                                          珍しい稲刈りあと

 


蟾蜍《ひきがえる》の呟き。

2017-11-23 | 気ままなる日々の記録

  4年前の12月15日に救急車のお世話になり、運ばれた総合病院で戴いた病名が「右脳視床下部内出血による左半身不随」というものです。 

  その後総合病院に紹介され、ここの介護老人ホームへ。

 介護保険がスタートしたのに合わせての営業のようです。三度の食事は病室へ運んでいただき。病室には24時間使いたいときに使えるベッドが与えられ、

 週に三日「理学療法士のご指導の下にリハビリ。

 小生の場合はノート型パソコンを持ち込み通販で新書版や文庫版を買い込み、

 四六時中好きな読書。学問的にはよく知られているかも知れないのに、突然「我が国はどうしてアメリカ軍を中心とする全世界を相手に戦争をしてしまったのか、等と云う課題を本で調べようとしています。

 考えようによっては、この上ない豊かな老後を過ごさせて頂いています。

 今日も今日とて、定年退職後楽しみに始めた家庭菜園の野菜作りのあれやこれやを教えて頂いた「師匠」がわが病室に顔を見せて頂いたそうですが、そのとき、不覚にもお昼寝をしていたようで、お話をお聞きすることができず、残念なことでした。

しかし、戦後我が国も先輩諸氏のご努力により豊かになり、役に立たない老人に三食昼寝付きの生活を保障して下さるなど、本当にありがたいことです。週3回のお風呂もついています。お風呂のケアーさんとの珍問答もときどき、このブログで紹介させて頂いています。

以上、近況報告とお越しいただいた師匠へのお礼に変えて。シツレイシマシタ。

追伸 ;同じ5階に入居中の書家も毎日のようにお目にかかり、昔話をお聞きしています。

駄足 ;小生今自問自答している問題は「アジヤ大陸で古代東西共に小麦の栽培が農業の中心なったのに。何故、西ではパンが中心になり、東では「うどん」が中心になったのか?ということなどです。(T)

    

                                                          遅すぎた紅葉

         


呆けた頭に稲妻が走った。

2017-11-14 | 気ままなる日々の記録

  ふざけたタイトルで失礼しました。NHKテレビを観ていたら、「沖縄の高校生は台湾の大学を目指している」そうだ。理由は講義が全部英語で、さらに、英語教育が充実しているからだといいます。

 もちろん、その他にも実家への交通費が安いということもあるのでしょうが、それにしても、東京の大学へ行っても費用対効果で得るものがないという理由だと云います。

 僕は同じことが名古屋に居ても云えると思います。下宿して、高い授業料を払ってそれだけに見合う学力を身に着けることができるのか?

 ここでいう学力は世界で通用する学力のことである。そう、これからの世界はどの方向に進むか、いや、どの方向に進むべきなのか、など大きな世界観を身に着けてこそ大学教育である。我が国は、リーダーたちにこうゆう世界観が欠けていた。第二次世界大戦に入ったころ、我が国では中等教育から英語を無くしました。理由は敵性言語だから、というものだった。一方アメリカでは日本語教育に力を入れた。それは、捕虜や奪った日本の資料から、日本の実情を正確にしるため、だったといいます。

 全く我が国はいつまでたっても、島国こんじょうといいますか、自己中心的で、国際性に乏しい情けない国です。政治家がダメなのか、官僚がダメなのか。日本の大学生は本当に勉強しません。だから、発展途上国からも日本の大学で勉強しようという学生が来ません。授業料だけが高いのです。これが続くとまた世界の異端児になって、戦争をすることになりそうです。逆に東京の近くにアメリカ軍の基地を作らせ、独立国といえるのでしょうか?政治家か、評論家か新聞社と論説委員かとにかく、オピニオン・リーダーが真に愛国的になっていません。何時でもアメリカへ逃げ出すひとばかりじゃないでしょうか。

 非武装中立などという、憲法を神棚に祭って、これで日本は安心・安全だなどと云うことを考えている大人が多いのが日本です。猛獣が沢山住んでいるジャングルのなかで、ふんどしだけでお尻を出したサルが生きていけると思いますか?しかし、精神主義と云いますか、ふんどし一つできらりと輝く日本刀を振り回せばライオンも像も逃げてゆくと思うのが日本人ですよね。困ったものです。

 日本の国立大学で紙屑の山を築いている教授と云う人たちがアジア諸国から日本の大学で学びたいという学生が来るような講義をするようにしてここに日本の価値を築いてください。(T)

 

 

 

 

 

 


柿の味

2017-11-09 | 気ままなる日々の記録

 三連休の一日娘夫婦が家で獲れた柿を持って訪ねてくれた。

 私は実際に実った所を見ていないので、どれくらい収穫できるのか想像しがたくあまりあてにしていなかった。それでも、11月初旬に入ると今頃完熟の柿は美味しいのになあと思ったりした。今年は高い所に実ったのか婿さんまで一緒だった。背が高くロッククライミングや登山が趣味であるスポーツマンの婿は平地の木になる柿を摂る位お手の物であるだろう。

 我が家では柿が有り余るほどなっていた頃主人が一人で収穫していた。遠くの親戚や友達には10月下旬ごろ送り、近くの知人や友達には11月初旬まで待っていた。そうすると、1回か2回霜に当たって柿がとても甘くなるから。

 私は40代までは柿があまり好きではなかった。どういう訳か50歳代ぐらいから好きになり60歳ぐらいには柿なしでは年が越せないくらいになった。とくにサラダ風さっぱり味の次郎柿より濃厚な富有が好きだった。少し肌寒い晩秋、柿の木の下に行き鳥が突いた少し傷のある柿を探す。其れをとり傷のある半分を捨て残りの半分を食べるという贅沢な食べ方をしていた。何故なら、鳥がツツイタ柿は絶対に美味しいし、追熟が程よく進み柔らかさも私好みになっているからである。

 今ではコンビニやスーパーに行けば手に入るが次郎柿の可能性が高い。まして、少し傷ついた柿や木で完熟した柿は手に入らず、家からの貴重な数少ない柿を大切に少しずつ味わっているのである。(E)

   

                            落穂を探す鳥たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「地球の履歴書」大河内直彦著(新潮選書)に夢中になっています。

2017-11-08 | 気ままなる日々の記録

  この本の腰まきに罹れたきゃつちコピーには「かってこれほど美しい言葉で「地球史」を語った本があっただろうか」とあります。

京都市生まれ。東京大学大学院ご卒業、京都大学や北海道大学、米国ウッズルホール海洋研究所等を経て現在海洋開発研究機構生物地球化学研究分野分野長。

 大河のように流れる隕石の流れの中で、幾つかの偶然が重なり地球や月が誕生し、偶然の重なりによって一方には水が沢山生まれ、他方には水は岩石の中に閉じ込められたままという状況が生まれました。

 生命の誕生に水が必要なことはご存じのとおり。かくして広大な宇宙に生命を乗せた地球が生まれたと云う訳、

 現在通読が終わった所で、論理の展開を思い出し、疑問が生じた所を読み返しているところです。

 熟読が終わったら再度この本を取り上げたいと思っています。やはり興味を抱くのは生命の誕生物語でしょう。

 筆者が高校時代に習った「進化論」は今読んでいる本の扱っている時代と比べれば扱う時代のスケールが天と地ほど違います。

 ダーウインの進化論も地球の歴史から見ればほんの最近のこととなります。(T)

    

                                                           タンポポの綿毛