かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

文春新書「大人のための昭和史入門(半藤一利、佐藤優外4名著》を読んで。

2016-07-31 | 気ままなる日々の記録

   今日は日曜日、朝からいそいそと上記の本をよんでいます。そう!我が国が満州事変から太平洋戦争まで、破滅への道を辿った歴史を振り返り幾つかの教訓を学びだそうとして書かれた本です。

   我が国は本当に民主主義が苦手な国だということが良くわかりました。意見が違う相手をよきライバルとして尊重することが苦手な民族です。陰湿に相手を抹殺しようと裏で画策することが好きで、予算や人事で、ライバルを抹殺しようとする反民主的な動きを好む民族文化を身につけているようです。真に民主的な人間からすると卑怯で、非人間的な存在です。皆同じが好きな農耕民族の歴史的な体質なのでしょうか?

 満州事変を起こした当時我が国は国際連盟の常任理事国でした。他国が満州事変のような事件を起こした時それを取り締まるたちばにいたのです。当時の我が国の外交や国際連盟での活躍はどのようであったのでしょうか?。更に、イギリスを中心としたリプトン調査団の勧告はかなり日本の立場を考慮した友好的な勧告であったのにそのことが分からずに、勧告に従わず、その後のことを考えていなかったようです。我が国の政党もマスコミの論調も世界の世論から外れたヤンチャ坊主同然で我が国は年々世界から孤立していったようです。

  現在は当時より少しは改善されたのだろうか。外務省を始め世のオピニオンリーダーたちは井の中の蛙状態から抜け出していてくれるのだろうか。逆にアメリカ一辺倒の盲目に陥っていないだろうか心配です。

 沖縄の米軍による女子暴行事件に対する我が国の対応はどう見ても対等な友好国というものではありません。戦後70年過ぎても敗戦国であり属国です。この問題の基本はあくまで、米国人は我が国のビザを得て国内にいることが許された外国人で犯罪を犯した場合は逮捕権も裁判権も我が国にあるというものではないでしょうか?(T)

  

 

 

 

 

 


孫たちの帰省

2016-07-29 | 気ままなる日々の記録

  先週関東に住む息子の家族が見舞いに来てくれました。

  小学生の孫娘は挨拶もそこそこに「田圃にいる白い鳥はなにかしっている?」とききました。どうやら、父親に聞いても確かなことがわからなかったようです。お爺ちゃんが何時も田圃をみている、展望台スポットへ皆で行こうということになり荷物も持ったまま急いで出かけました。

  とびたたずにまだいました。30羽以上の白鷺が。田圃の緑とサギの白い色がマッチしてとてもきれいでした。2~3羽飛んでくるのはよく見かけるがこんな大群を目にするのは初めてで、印象的な光景でした。今年は餌が豊富にあるのでしょうか。よく見ていると長い時間田圃の中に居座っている様子でした。丁度午後3時頃のことです。孫たちも珍しがって、盛んにシャッターを押していました。

 此処の施設には1時間半近くいましたが実家での仕事を頼んだのでいつもより早めに引き上げました。庭に植えた枝垂れ桜が道路の方まで伸びてきて迷惑を掛けるので、簡単な剪定を頼んだのです。勿論本格的にはプロに依頼してあるのですが。   ともかく夏にしては其れほど暑くなく、風のあるその日は孫たちにとっては珍しい景色を目にしたり、田舎での生活の経験をしたりした日になったに違いありません。また、我々祖父母にとっては、お手伝いが上手になったうえの孫を頼もしく感じた楽しい日でもありました。(E)

 


「幸福」について。

2016-07-29 | 気ままなる日々の記録

  相変らずの雑読・乱読である。イエスキリストを十字架に掛けた政治勢力のことを調べたり、親鸞の聖人の信仰をしらべたりしている。

 幸いインターネットでアマゾンに入り出版社を指定して検索すると目を通したい本がゾロゾロでてくる。

 立ち読みができないのが残念だが、出版社を信頼して取り寄せると概ね二日で配達されて来る。

 郵送料は不要。どうやら、小売店の利益分で郵送できるらしい。郵送のための梱包も機械らしく防水も兼ねて完璧な梱包で配達されて来る。

 アマゾンの御蔭で、ここ「太郎と花子」の生活も充実している。以下の話しは乱読から得た話しである。

 戦後アメリカで発明されたナイロン繊維は世界中の靴下をナイロンに替えた。原油からこのナイロンを造りだすことに成功したのは、アメリカの若き化学者カロザースで彼が勤めていた会社がデュポン社。

デュポン社は莫大な利益を上げ、カロザースに報奨金を出そうと重役たちが考えた。彼が旅行好きで世界各地に出かけ、行く先々で高級レストランでその国の名物料理を楽しんでいることを知って、彼にすべての旅行に会社が指定した旅行業者を使えば一切の経費を会社が払うという制度を作って彼に連絡した。

 カロザースも2~3回その制度で海外旅行を楽しんだようだが、だんだん、世界旅行が好きでなくなってしまって最期にカロザースは気が狂いて自殺してしまったそうだ。どうやら、これは、実際に有ったお話のようで、「幸せ」とは何かを考えさせる事例のようだ。人間の脳は、お金の工面をし、限られた休暇で日程を終えるようにして出かけるから旅行がたのしいのであって、お金も時間もたっぷりあって出かけたのでは充実感が乏しく感じるらしい。(T)


無差別殺人について思う。

2016-07-28 | 気ままなる日々の記録

   最初は①アメリカの同性愛カップルのレストランか何かで銃の乱射事件であった。犯人は警察との銃撃戦で射殺されたとか。次が②フランスのレストランでそこは、外国人のお客が多いことで有名なレストランだった、この時も犯人は射殺だったと思う。

  同じような事件が③ドイツでも起きた。その頃、此処の老人たちは「アメリカもEUもどうなっちゃったんでしょうね。その点日本はいいねえ」と話し合っていた。

  ところが、今度の養護施設の無差別刺殺事件だ。

 外国の事件の扱いや報道はさておき、日本の事件に関する報道はやや気になる点がある。

それは、犯行当時の犯人はほぼ、発狂状態で犯行に及んででいる。

其れなのに通常の殺人事件と同じように犯人の動機や、

平常時の動向を調べてそこに犯行の動機が隠されているかのような新聞報道である。

 それより、犯人が発狂した原因が重要だと思われる。米国、フランス、ドイツ、日本には、若者が、20歳後半から30歳の始めに掛けて発狂しやすい社会的要因があるのではないだろうか。

 夢多き思春期がら人生の大枠が見えてくる壮年期初期にかけて、日本の若者たちは誰にも言えないストレスを背負わされ、

発狂しやすい環境におかれているのではないだろうか?

これは日本に限ったことではなく米、英、仏、独、日、共通の課題でしょう。

 若者たちは、コマーシャルに溢れ、

極めて贅沢な生活が安易に手に入るような情報にあふれ、

それが実は、夢物語にすぎないという現実に毎日毎日迫られている。

階級の世襲制は社会が若者たちに最も隠している部分でしょう。

   銃の乱射や無差別殺人の犯人たちも実は社会から疎外された被害者かも知れな

 い。こうした視点を忘れない捜査や報道を期待したいとおもう。(T) 


忘れられない大失敗

2016-07-25 | 気ままなる日々の記録

  数日前失敗の話を書いてブログで恥をさらしたが、10年前にも思い出す度に汗が出るような失敗をしている。しかも海外に於いてである。

  その頃夏の暑さや冬の寒さを避けて海外で一か月くらい滞在する旅行をしていた。あれは、オーストラリアでの初めてのロングステイであった。8月中旬から9月中旬まで西海岸ケアンズから北へ20キロほどのパームコーブと云う小さな村で過ごした。  四個建ての住宅が一つのグループとなり四つのプールを囲んで木々の間に点在するというコンドミニアムと云う形式のホテルであった。室内は2ベッドルームと大きなリビングルーム、キッチン、洗濯室付きと云うスタイルであった。

 その村は30軒ぐらいのホテルと数多くの別荘で成り立っていた。朝夕はビーチや別荘地内の散歩、午前は読書、午後はプールサイドで過ごすというのが日課であった。レストランは意外と少なく高かったので、ほとんど毎日自炊をしていた。

 有る日のこと、湯を沸かそうとしてやかんをオーブンに載せた。暫くして何だか変だと気が付いた。ゴムが焦げるような匂いがしてきたのである。よく見るとやかんの底にゴムが貼り付けてある。やかんそっくりであるがやかんでないことが分かった。湯沸かし器であったのだ。ゴムは熱で溶けオーブンに張り付いていた。

 しばらくはパニックになってしまい、状況が分からなかった。家のやかんと全く同じ形をしているので習慣的にオーブンにかけたのだ。

 今より少し若かったので、失敗をする自分が許せずパニックを起こしてランチも取れなかったくらいであった。今では失敗を失敗として素直に受け入れることができる年齢に達してしまったようだ。(E)

 

         鉢植えのブルーベリー

 


東京周辺の中学には、プールがないそうです。

2016-07-24 | 気ままなる日々の記録

  千葉に住む孫[中1男と小3女の子)が見舞いに来てくれて色々学校の話を聞いた。その中で一番驚いたことが見出しのことであった。多分、地下水の汲み上げが禁止になり、水道水を使っていてはランニングコストがかさみ設置できないのだろう。

 急激な人口集中で用水計画が間に合わなかったのだろう。

 その点愛知用水はうまくいった。高度成長の前、世界銀行から金を借りて木曽川の上流にダムまで作って、新しい用水路を掘り知多半島の先まで水を届けた。、各市の水道に水を供給し、更に、農業用水にも使い、数年前借金を全部返済して黒字決算を発表して公団は解散した。

 東京でこれができないはずはない。利根川の上流にダムを造り都民の水道水を確保しのこりを学校のプール用水とすればいい。学校のプールの水はいざと云う時は消火用水にも使うとすれば都市計画の骨組みにもなる。

 こうなると政治家の先見性と云うことになる。こうした先見性と云うことになると、日本の政治は与党も野党もお粗末である。学校のプールを含む設備の充実は票にならないのだろうか、正に政治の貧困で、恥ずかしい限りだ。

 孫は、東京の私立大学を運営している学校法人が経営している私立中学へ通っている。息子の話によると小学校の時、仲の良かった友人が進む私立中学へ自分も行きたいと

孫が云い出したので、仕方なく私立の中学へ通わせているとのこと。

 それでも私立中学には合宿施設があって、学年別の学習合宿もあるし、運動部の合宿訓練もあって孫は喜んでいるとか。公立中学はとてもまねができないそうです。大学も私立大学の充実ぶりは目を見張るものがあります。ボーとした国立大学はやがて、国民から見捨てられていくことでしょう。

 数年前ある私立大学の後援会に出た人からきいたはなしである。一流企業の人事部の部課長になった卒業生を招待して、大学の学長、課長等経営陣が集まって

企業の人事部長たちに「皆さんが、後輩を採用して下さってありがとう。ところで、皆さんの目から見て後輩は他大学卒よりも劣るところがあったら教えてほしい」と質問し、人事部長側から「最近は工学部系でも英語力が必要で、特に会話力が求められていますのでよろしく」と云う声が出たら、即座に大学側が、「工学部でも英会話をヒス単位にして、この単位を修得しなければ卒業できなくします。貴重なご意見を有りがとうございます」とこたえたといいます。国公立大学にはこうした発想はまるでなく、十数年後他大学の動向を見て工学部でも英会話の単位をとれるようにするぐらいのことでしょう。

 東京の中学のプールの話しから工学部の英会話まで話が飛んでしつれいしました。日本の政治家の先見性の乏しさが、官僚の怠慢を招き、全てが後手後手になっていることを嘆いているのです。日本のマスコミもお粗末です。無責任です。(T)

 

 


西瓜とメロン

2016-07-21 | 気ままなる日々の記録

   何時もお見舞いして下さる知人から、小玉西瓜を頂いた。そのお方は西瓜作りがお得意で大玉西瓜50個小玉西瓜20個も自分の畑で収穫したと確かブログに書いておられた。そのブログの中でオヤ?と思ったのが一番果は全部摘果すると書いておられたことである。

   そういえば私もメロンや瓜を作っていたことがあった。そしてやっぱり芽を摘んでいた。瓜類の場合は本葉3枚で親蔓の先を、つるの長さ60㎝ぐらいで、小蔓の先を摘んでいたのである。5種類位の瓜とかメロン類に挑戦していた。

  数年間はとてもよくでき、友達兄弟近所の皆様に貰って戴いた。ところが、あるとき、突然甘みが減少してしまった。そういう時もあると友達は慰めてくれたが、期待した次の年もやっぱりダメだった。

 いろいろ試みた。漬物用の瓜を近くに作付けしないようにしたり、収穫前の10日間ぐらいは、水を控えたりした。其れなりの肥料も与えた。やっぱり成功せず、甘みが減少しなかったニューメロンばかりつくっていた。ニューメロンはあまみや匂いが強くて美味しかったが、熟す寸前によく傷んでいた。そのためか、市場には出ず、なかなか手に入らなかった。

 何しろ自然が相手なので毎年同じようにうまくいくとは限らない。雨の多いときは失敗する。日照時間も影響する。何年たっても一人前にならない。失敗がつずくと止めようと思う。

 それでも、イチゴ作りもメロン作りもとても楽しかった。(E)

         戴いた小玉スイカ

 

 

 

 

 

 

 


お婆さんとお婆ちゃんの話し。

2016-07-20 | 気ままなる日々の記録

  僕の娘の配偶者の父上がお亡くなりになった。

 僕にとっては最上級の親戚である。ご葬儀には何はさておき、参列させていただくべきご葬儀である。

 しかし、相変わらずの半身不随で何ともならない。

 仮にタクシーで斎場まで出かけても、葬儀中のトイレ一つを摂っても介助の人が必要で僕の存在そのものが邪魔以外のなにものでもない。

 そこで、僕の名代として長男夫婦を参列させることにした。

 関東在住の長男夫婦には男の子と女の子がいる。

 そこで、子どもたちの母親の実家からおばあちゃんが留守番に来てくださった。

 僕と孫とはメールでお互いに近況報告をしあっている。

 その孫がメールで「お母さんの実家からお婆さんが来てくださった」と知らせてくれたので

 僕は「お婆さんではなく、お婆ちゃんが来てくださった」と書くべきだということを書こうかどうか迷った。

 考えてみれば日本語は難しい「お婆さんがきてくださった」と「お婆ちゃんが来てくださった」とでは、意味が大きく異なる。

 しかしこれを孫に説明するのは難しい。それでもあえてそのことを書いた。。「お前のお婆ちゃんが住んでおられる○×市には「お婆さん」は沢山おみえだがお前の「お婆ちゃん」は一人だけだ。その「お婆ちゃん」が来てくださったのだろう!」と書いた。それから、「お前のもう一人のお婆ちゃんは愛知県に住んでいて、今このメールを打っている僕の隣にいてこの文章を読んで笑っているよ」と云う文章も付け加えた。

 それから何も言ってこないので何とかわかってくれたかなあと思っている。もちろん「分からなかったらパパやママに聞け」とも書いた。

 このような、普通名詞の中の二種類を文法的に何とか云ったなあと考えても思いだせません。どなたかコメントを使って教えてください。

[追記]愛知県の「お婆ちゃん」を間違えて「おばあさん」と呼んだら間違いなく「お年玉]も「お誕生日祝」も半分になるだろうと書こうと思ったが無垢な孫に下品な冗談を飛ばしていてはいけないと思ってやめた。(T)


最近にない失敗をして。

2016-07-18 | 気ままなる日々の記録

  先日のことである。その日は血液内科と皮膚科の診察の日であった。いつもと違って時間の流れが随分と速かった。

 先ずお風呂。診察が二か所もあって、当然12時を過ぎてしまうと思われた。そこで、診察前に入ろうと9時過ぎに出かけた。ついでに携帯メールの画面がどうしたことか大きく出すぎて困っていたので、風呂用のバッグに入れて事務室へ寄りなおして貰った。

 10時45分発の施設のバスに乗り、11時から予約通りの時刻で内科の診察を終えた。皮膚科の方は最近とても混んでいて予約が取れず予約なしの診察である。1時間待ちは覚悟しないといけない。それでも何とか1時間ぐらいで終わり、時刻を見ようとして携帯を探した。ない。確かにバッグに入れ替えたはずだが。その時は部屋に置き忘れたかと思い直し帰ってあちこち探した。ない、ない、何処にもない。大切な連絡先になっている私の携帯が、見当たらないのである。

 最後に考えていたのが病院での紛失である。事務室で、病院への連絡を依頼した。

 少々パニック的な気持ちを抑え、部屋に帰ろうとした時である。部屋の外から携帯の呼び出し音が聞こえた。ドアーを開けると音は一段と大きくなり、私の部屋の中からに間違いない。布団までひっくり返してやっと見つけた。私が紛失したはずの携帯を。何とお風呂用のバッグの中から出てきたのである。思い違いも甚だしい。

 それにしても、事務室スタッフの機転の利いた探し方には心から感謝した次第である。(E)


展望台発見。

2016-07-17 | 気ままなる日々の記録

  最近、この施設の3階に展望が素晴らしい場所があることを発見。此処は6階建てだから、中央部に広いガラス窓の部分を作って眺望を楽しめる設計をされたのだろう。そこは床から1mぐらいが腰板でそこから上は広いガラス窓になっていて遠くの山脈から足下の田園まで存分に眺望を楽しむことができる。

 今日は日曜日ということで、読書以外に予定はなし。

 朝食後早速眺望を楽しみに行ってきた。広い田園地帯を切り裂くように国道が走っていてそこを片側6本もタイヤを付けた大型トラックが走りその上を十数本電線を乗せた高圧線の鉄塔が建っている。こうした鉄塔を見る度に僕はどのような手順で電線を引いたかな、と考え込んでいるが未だ正解をえていない。ヘリコブター使用は当然としても、鉄塔の間隔が広いので乗せる銅線の重さは相当なものになろうと思っただけで思考が止まってしまう。

 田圃を見ていても最近の田植え機の弱点を思うと隅から隅までキチンと稲を植えるには田植え機をどう動かしただろうと考え込んでしまう。田植え機の弱点は方向転換である。特にUターンができない。何しろ小回りが利かないのだ。

 景色を見ながらそんなことを考えていると、突然思考が飛んで革命記念日の花火大会の人込みの中へトラックが突っ込み何十人もの人をひき殺したというフランスのことを思い出した。「我々は何処からきたのか?、何者だ。何処へ行くのか?」と悩んだという画家のゴーギャンのことを思い出した。

 正に今、この問いは人類に向けられている。「自由と民主主義と云う名の資本主義が破綻している歴史的転換点にいるのかもしれない。何しろフランスは自由と民主主義発祥の地である。こんなことを考えていると、いよいよ暗い気持ちになり、類人猿の中から出てきた人類と云う種は、もしかすると神様の失敗作かも知れない。という気がしてくる。

 以上オソマツタロウの「夏の夜の夢」でした。失礼しました。(T)

     はすいけ

        


外気を求めて。

2016-07-14 | 気ままなる日々の記録

   毎日最低一回は日光浴を兼ねて外の空気に触れるようにしている。今日は朝食後、蓮の花を見に、二回目は3時にお茶会の後で、夕方もう一度は自主トレの合い間に。一日に三回もと云うことは珍しい。

 最高気温は35℃との予報が出ていたが空気がからりとしていて、外の気温に慣れてしまうとあまり暑く感じないせいかも知れない。木陰に入れば涼しい風が肌に心地よく15分の心算がついつい30分を越してしまう。

 そして不思議なことがあった。前庭で寛いでいると突然噴水が噴き出した。太陽の光に当たって頂上から下へ落ちる様はまるで氷砂糖がからからと音を立てて転がっているように見えた。庭の噴水は水が無くては、と思っていると、10分ほどで止まった。二年余りいて初めて噴水の水を見た瞬間であった。

 2回目はオートロックドアーがあくと私がいつも腰掛けるベンチに先客があった。80歳近い老人が一人夢中でハーモニカを吹いておられた。ハーモニカのことは詳しくないが、相当の腕前らしい。伴奏が付いていることだけはよくわかった。嘗て昔自分の子どもたちと合奏されたのを思い出しながら、いいえ、もっと昔恋人のために独奏されたのを心に描きながら吹いておられたのかもしれない。近寄りがたい雰囲気が出ていて庭を一巡してそっとその場を離れた。

 最期は半月前、植えられたアーティチョークの花が枯れた蕾の中から出ていた。色と云い繊細さと云いまるで瑠璃菊かアザミそっくりである。初めて見る花なので蕾が枯れてその中から花が咲くのか水分不足でただ少し枯れただけなのか判断し難い。

 が、本日のこのからりとした湿度の低い気候はオーストラリア・パースでの、ロングステイを思い出させる。何しろ41度C湿度10パーセントの中外出していたのだから。(E)

   

 

 

 

 

 

 


天皇陛下「生前退位」意向

2016-07-14 | 気ままなる日々の記録

  今日の新聞は各紙とも一面の見出しに「生前退位」、「生前譲位」の文字が躍った。

こんなに「生前」「生前」と見せられると「生前」が「?」と思えてくる。正しくは「死前」、「生存中」の意味なのにこれでよいのかなあ。どう考えると「生前」が「生存中」とか「死ぬ前」の意味になるのだろう。

  仏教には「死」を「あの世でうまれるという」解釈をすることがある。そこで、あの世で生まれる前ということを「生前」というとすれば、生前が死ぬ前ということになる。この解釈でよいかどうか、教えて頂きたいと思っています。正解をご存じのお方は是非「コメント」欄で、正解をお教えてください。その他「生前」に関することなんでも歓迎です。コメントをお寄せください。(T)

 

 


「隣百姓」二ついて考える。

2016-07-12 | 気ままなる日々の記録

 

   尾張地方の田舎には古くから「隣百姓」ということばがある。畑仕事をお隣の畑を見てその通りにするという農家のことである。このようにしておれば、大きな間違いはない。という態度のことをいう。

   弥生時代後期に中国から稲作が伝えられ、田圃における水の管理が重要になってから、特にお隣と力を合わせて水の管理をすることが大切になった。農業用水の整備と水門管理である。農地の管理のために武士が生まれ、戦国大名は農地を奪い合うためによく隣国と戦争をした。何しろ30年も平和が続くと人口が倍になり耕作地が不足し食糧難に陥る。第二次世界大戦にしても根本には東北地方の農村人口が急増し、慢性的な農地不足を引き起こした。当時の言葉で云えば、農家の次男三男が相続する農地が無いのである。そこで、中国の東北部と呼ばれていた一帯を「満州国として独立させそこへ農家の二三男を入植し名実ともに植民地として独立させようとしたのであった。

  当時日本は国際連盟の常任理事国で、そうした行為をする国を連盟の名において処罰する立場にあったのに、正に背に腹は代えられなかったのである。此処で中国は見事な外交を展開してアメリカを味方にしたのが第二次世界大戦へと繋がっていきます。

   この日本の方向音痴で外交下手は今日にまで及んでいます。文化の違い(言語・習慣・善悪の判断基準の違い、等を乗り越えて主体的に同盟を結び共存共栄を図る外交を展開するなどと云うことは我が国は最も苦手な分野である。 

   話が少し脱線したが、今回の参議院議員選挙の開票結果を見ても、世の評論家が云う論点を外して「隣百姓」その物であったということが云いたかったのである。逆に言うと世の評論家が如何にピンぼけな解説をしていたかということであり、更に彼らは我が国の国民の思考傾向さえわかっていなかったということである(T)

 

.


究極の災害対策。

2016-07-10 | 気ままなる日々の記録

 日本は地球上に浮かんでいる四つのプレートのぶつかり合っている境界の上にできた島国で大きな地震と津波は避けられないのだそうです。

 だから地球上のすべての災害の展示場のような様相を示しています。

 地震、津波、火山の噴火、溶岩流の流出、更には日本列島の位置から来る気象上の台風、集中豪雨、竜巻、落雷、豪雪とまあ地球上の全ての自然災害に苦しめられています。

 今日もテレビで徳島県の太平洋側のある山村は高さ14メートルの津波が地震後20分で来る可能性があるとかで、高齢者の多いある村で避難訓練をし、今まで車使用は禁止されていたが、特別な村だけ車使用を認めて訓練をしたそうですがやはり、渋滞が発生し山間部のある部分の道路拡幅の必要性を認め県全体の要望として国へ予算要求をすることにしたといいます。

 それを見ていた僕はいかにも「場当たり的で全体的計画性に乏しく思え中央官庁の役人や国会議員は何を考えているか情けなくなりました。

 大災害が起きた後仮設住宅を建てたりガス管や水道管の埋設を国が援助しているのだから事前にそれらを用意しておこうという発想は無いのだろうか。

 徳島県の例でいえば事前に仮設住宅をつくり、村全体を安全な場所へ移しておこうという発想です。

 畑や田圃にしても新しい安全な場所に造成すればよいわけで今日の科学をもってすれば容易なことだと思えます。

国の中心にいる人たちの考え方ひとつです。我が国は全く独創性やスケールの大きな発想に乏しい人が政府の中央部に多すぎます。

 よその国の真似とか他国の成功例をまねることしか考えていないように思えます。小さな津波に関しては立派な防潮堤を何十キロも作った我が国です。

 村ごと安全地帯へ移す日本列島改造計画を作ったらどうだろう。

 ちまちま景気刺激対策ばかり熱心な政府の時代ではないと思えますがどうでしょう。(T)

 


園芸療法ーその2ー

2016-07-09 | 気ままなる日々の記録

   7月の園芸として梅雨時しかできないこととして、挿し木と種まきの講義があった。

   私の場合、種まきは一坪程のミニ温室を使っていたので殆ど発芽した。挿し木はそうはいかない。紫陽花、菊、ペンタス等は成功率100%ぐらいになるがクレマチスは50パーセントぐらいに落ちてしまう。バラに至っては20%といったところ。

   だから種まきより挿し木の方に熱が入った。早く沢山の苗が欲しい時は大変だった。

   あるとき、私の誕生日プレゼントに手作りのフェンスを送ってもらったことがあった。そのフェンスは花壇の中心にありTの字型で周りはTの字に沿って煉瓦で囲ってあった。そこにクレマチス10本を植えたかったのである。そのような単純な理由で始めた挿し木であった。勿論沢山失敗もし9月に鉢上げしたときは、10本も残らなかったこともある。

 本日は、実習のため、20種類近くの草花が用意されていた。その中にハイビスカスもあったのには、驚いた。その他雪柳、椿なども挿し木が可能らしい。説明を聞いているうち私は数々の間違いをしていたことが分かった。

 ①一番適した時期を考えていなかった。

 ②穂木に合った切り口を造らなかった。

 ③残す葉が少なすぎた。

 ④穂木の調整が正確でなかった,などなど。

だが、3年前難病のため、土いじりに対してドクターストップがかかり、それ以来何となく遠ざかっている現状である。(E)