かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「ながら」運転事故について。

2017-05-29 | 気ままなる日々の記録

  今朝のテレビでチラッとみただけで、詳しくは分からないが、「ながら運転」をしていたトラックに撥ねられて息子を亡くした親が一審で言い渡された禁固2年とかの判決を不服として控訴したとかで、もっと重い刑罰をもとめているという。

 アメリカでは、同じような事故で、運転中には作動しないスマホを売り出すべきだという主張で、スマホのメーカーまでうったえられているという。

 確かに可愛い我が子が「ながら運転の」の車にはねられて亡くなっては親の気持ちはおさまりません。 それはよく分かりますが、だからといって「ながら運転」の刑罰をもっと重くすべきだとは思いません。

 筆者は、そもそも人間と云う動物はいい加減な動物で、どんなに刑罰を重くしても必ず違犯する人が出て、事故は起こると思うからです。 そしてまた、その「いいかげんさ」がいいところで、詩を作ったり音楽を聴いたりして楽しんでいることができると思うからです。

 人間の存在は気体的で決して固体的ではないと思うからです。

 だから、人間社会では必ず事故は起きる。勿論、事故が無いように精一杯努力はするわけだけれど、事故は起きます。 何故なら人間がやることだから、です。交通事故を皆無にするには、 人間が運転する車を無くし、人間が造った車もなくさなければなりません。新幹線の未事故記録も単に運がよかっただけで、 地震や突風に見舞われれば、何が起きるか分かりません。 そのときはそのときで、よく原因を調査し対策を立てて再開することになるでしょう。

 原子力発電もそうだと思います。運が悪いことが重なれば大事故になるでしょう。 そのときはそのときで、また対策をたてることになるでしょう。

 最悪の場合日本人が地球上から消えるかもしれません。

 だって、太陽がそのうちに大爆発をするという説もありますからね。 そんなとき、地球上で生きていても楽しくありませんし、第一生きておられないでしょう。

 人間という動物が原子力にまで手を出し始めた時から恐ろしことが始まったと思います。

 

また、大上段に構えてシツレイシマシタ。(T)

  

                    最近の蓮池

 

 

 

 

 

 

 


山吹の花

2017-05-28 | 気ままなる日々の記録

  春のこの季節,山吹の花を見ると思い出すことがある小学校5~6年の頃授業で聴いたはなしである。思い違いがあるといけないのでネットで検索したら少しの違いをみつけたのみであった。

  室町時代、若き日の太田道灌が鷹狩の帰り雨に合い蓑を借りるべくある小屋に入った。ところが、若い女の人が何も言わず山吹の花を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後で山吹には{七重八重花は咲けども山吹のみの(蓑・実》一つだになきぞ悲しき」の意味が託されていたのだと教えられた。そこで自分の無学を恥じたという有名な話。

 今年になって、近所の散歩コースのある家の庭に山吹の木を見つけ毎日眺めていた。ところがある日ビックリした。白い4枚の花弁を付けた花が咲いたからだ。我が家にも山吹の低木があったが、色は黄色で八重であった。調べて見たら、白山吹と云うのもあることが分かった。

 もう一つびっくりしたことがある。数日後この白山吹が実を付けているのである。有名な話と矛盾してしまうがどうゆうことかと気になった。ひょっとして、山吹ではないのかと思ったりしたが、八重山吹の場合雄蕊が花びらに変化して八重咲きになり、雌蕊も退化するという。そのため実はならないが、一重の山吹には実がなることが分かった。

 有名な話が矛盾していなくてほっとした。(E)

   

                                         白山吹の実

 

 

 

 

 


ノイスバンシュテイン城

2017-05-27 | 気ままなる日々の記録

   「ドナウ川のさざ波」から話しが膨らみ脱線に次ぐ脱線で恐縮ですが最後に中世ドイツの名城中の名城が「ノイスバンシュテイン城」だといわれています。

 ところでドイツではそもそもお城とはなんであったか?。

 答えは国王の兵士の宿泊所であり、食糧や武器弾薬貯蔵庫でした。ところで、 名城中の名城として有名なノイスバンシュテイン城だが、このお城を造った王様は勿論近隣諸国で一番大きくて頑丈なお城をおつくりになった。ところが、完成して間もなく自分の領民の襲撃に合って殺されてしまわれたといいます。このお城の建築に莫大なお金が掛かり、確かに他国から責められる心配はなかったが、領民から多大な税金を取ることになり領民の襲撃に合い王の兵士も領民に味方し、王は殺されてしまったと云います。

 例えば日本が北朝鮮の襲撃を恐れて陸自、海自を充実させ、原爆も装備して外部からの攻撃は大丈夫となったころ、重税に喘いだ国民の反政府デモに合い、国民によるクーデターにあったようなものです。

 近代も中世も、更には東洋も西洋も同じで、政治判断の難しさがここにあると云えます。(I)

 

  ノイシュバンシュテイン城

 

 

 

 


「ドナウ川のさざ波」の思い出。

2017-05-27 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君が卒業した中学校は、運動会に全校男子は騎馬戦、全校女子はダンスと決まっていて、全校女子のダンスは全員が白のパンティーストキングに白の運動靴を履いて優雅に踊っていた。女子のダンスは毎年「ドナウ川のさざ波」だった気がする。中学3年にもなれば、女子は立派な娘さんで、短いスカートの下から立派なモモ出ていてその足が綺麗に踊り飛んだり跳ねたりするのだから、男どもの眼を惹き付けないはずがない。自分のクラスの女子の足を見て胸をドキドキさせていたものだ。そして今でもこの曲を聴くとそのドキドキを思い出す。

  それにしても便利な世の中になったものだ。パソコン一つで「ユウ―・チュウブで「ドナウ川のさざ波」を検索してスタートすれば、LPレコードも針もなしで「ドナウ川のさざ波が聞ける。

  ついでに簡単な解説までついてくる。この川は半分がドイツを流れ、残り半分をルーマニアを流れているのだそうだ。作曲者は立派な髭をはやした軍人さんでその写真まで出てくる。この髭の軍人さんがこんな甘いメロディーを作曲されたのかと驚かされる。

  オソマツ君は、定年退職した年に名鉄観光が企画したヨーロッパ名所めぐりと云うツアーに家内と一緒に乗ってドナウ川(ライン川)の川下りをたいけんしたことがある。ドナウ川は透明度の高い水で両岸に迫る岩山のところどころに石を積み上げた古城があって、正に風光明媚そのものである。

日本語のガイド付きの川下りは正に最高。ヨーロッパの夏は、日本と違って湿度が低いから

川下りは最高のレジャーである。勿論生ビール付きである。ドイツビールは癖があるという人がいるが、それは、ドイツビールを日本で飲むからダメなんで、ビールほど湿度、気温、風景に合わせた飲み方をすべきだと思う。(T)

   

                                                        前庭にて  テッセン

 

 


「麦秋」(ばくしゅう)という言葉があります。

2017-05-26 | 気ままなる日々の記録

   見出しの言葉は、中国から来た言葉ではなく、日本人が造った言葉だと思われます。そして今が正しく「麦秋」です。住宅型有料老人ホームの五階から眼下の田畑を見下ろすと、煙霧の下に黄金色に染まった田畑が見えます。この時期の黄金色は麦が実って輝いている色です。勿論秋の黄金色はお米が実った色です。

 此処で気になることは「麦秋」と云う言葉を知らない人にはこの景色はどうみえるだろうか?ということです。唯物論哲学の基本命題は実態が先か言葉が先か?でしたね。 

  2~3歳のころ母親から路傍の草花を見て「きれいね!」と話しかけられた子は大人になって路傍の草花を見つけ「綺麗だ!」と感動する人になる。夕焼を見て母親から「綺麗だねえ!」と話しかけられた子供は、「夕焼けは綺麗だ」と思うようになるという考え方だ。「実存が概念に先行する」と云う世界観である。これはこれで立派な世界観で論理的にどこかで破綻することはないとおもわれます。

 ところで、実存が概念より先行するという考え方を「人間」にあてはめるとこの地球上に「人間と云うものはこういうもの」と云う概念があって、我々はその概念の通りに考え、感じ、行動しなければならなくなります。でもよく観察すると犬はいつも犬の通りに行動しているが、人間はどうもそうでもないらしい。人間だけが絶対自由のようなものを持っている。

 だから、人間はいつも「人間とはこういうものだと云うことを主張していることになる。全ての人間は自分の行いを通して「人間とはこういうものだ」ということを主張していることになる。その主張は勿論責任を伴う。「親が死んで子供が泣けば、そのこどもは、人間とは、親が死んだら泣くものだ」ということを主張していることになる。つまりそれはそれで人間に対して責任を負うことになる。かくして、サルトルの実存主義へと導かれる。麦秋から酷く脱線しました。まあ学生時代友人と夢中でこんな話をしていたことが懐かしく思い出されます。シツレイシマシタ。(T)

    

                                                         五月雨と麦秋


[日進月歩」の農作業

2017-05-24 | 気ままなる日々の記録

    オソマツ君は暇さえあれば廊下の突き当たりの窓から眼下の田圃を見ている。 

 間もなく田植えの時期で、その準備が着々とおこなわれていることがわかると、 農家の皆さんに幸多かれと祈っている。

   以前あぜ道の草刈のことを書きましたが、今朝見た田圃ではあぜ道に除草剤を使ったと思われるように綺麗に雑草が枯れているのを見つけ、

 驚いた。これだと、多分、残留う除草剤を中和するような薬品が開発され、

 その中和剤をたっぷり散布すれば田植えによって移植された稲への影響がゼロとなる。

 農家はそれを、50CCのエンジン付き散布機で散布すれば、稲への影響が皆無となる、

 薬剤ができたに違いないと思って見ていた。

  こうなると、オソマツ君がこの頃ガブガブお茶をのみながらやっていた農作業がなくなり、

朝方の薬剤散布で、全ておわりということになる。田植えはもう700万円の田植え機がやってくれる。 残るは8月の田の草とりであるが、これも多分薬剤散布で済ますことになるだろう。

葉が広い草だけ枯らし、稲や麦のように細長い葉の植物は枯らさない薬剤が出来ていた。これを散布すればよいということだろう。

 「農薬を使いすぎた農作物を食べると癌になりやすい。」という噂があって、

 江戸時代の農法で収穫してほしいという声があることはあるが、

 多分、都会人の願望でまだ、証明されていないと思う。

 人口増加もブレーキがかかったようで。慶福至極だが、 まだまだ、科学技術の発展余地は至る所にあって、安易に悲観する必要はないと思うがどうだろう。

 以前、原子力発電所の冷却水で海水温が上昇し、岩に着く藻が無暗に育ち海を覆い尽くすという話があって、

「地球が破戒される」とさわがれたことがあったが、 その藻を家畜に食べさせれば高級な牛肉や豚肉が得られると喜んでいた 評論家もいた。

 同じ現象を見ても悲観主義者はいつも「大変だ!大変だ!」と騒ぎ

楽天家は「そのうちなんとかなるさ!」と云ってあまり心配しない。

 そのうち、大型コンピューターが開発され、もう少し未来予測が可能になることでしょう。(T)

    

                                                               五月の夕焼

 

 

 

 


[五階です」と「誤解です」

2017-05-21 | 気ままなる日々の記録

  ここの施設のエレベーターは到着した階を自動音声で「五階です」と伝えてくれますがそれが「誤解です」と聞こえて「ハッと」します。自分が何か誤解しているようなきがするからである。車いすを操って、やっとエレベーターに乗り込み行き先ボタンを押すと急に疲れが出て全身の力を抜いて寛いでいるとき「ゴカイデス」と云われると何かミスをして「誤解」、している様な気がするからである。(T)


ギラギラ輝く太陽光に悪い方の足を晒し日光浴を楽しんで来ました。

2017-05-18 | 気ままなる日々の記録

  いよいよ今年も夏本番を迎えこの施設からも太陽光を全身に浴びて葉を広げた木々の歓喜の姿が見て取れます。

 こんな風景に目を奪われていると、いつの間にかその中に子供時代の自分が現れ”ああそうだったなあ”と懐かしくなります。

 今頃になると田植えの準備に大忙しでした。

 「田の畔草刈は以前書いたとおりです。

 もっと重労働は「田お漉(おこし)でした。二毛作で、育てていた麦を刈取り、高く盛り上げていた土を平らにする作業です、

 結構重労働で持ってきた番茶を浴びるほど飲んで汗をかき、

 首に掛けたタオルで汗を拭きながらする作業でした。

 この作業は本当は雨の日の方が楽ですが、

 お天気も意地悪でそんなに思うようにはなりません。

   最近は「田植え機」も普及してきて、広い田んぼも半日ぐらいで田植えが済むようですが     以前は親戚の方々のお手伝うを頂いても1日仕事でした。

 本当に大変なのは農家の主婦でした。

 田植えを手伝って疲れ切った体で家に帰ると直ぐ夕飯の支度です。

 お風呂は最後に入って、お湯も随分少なくなっていて「首まで湯につかって・・・といっても足首までしか湯がなかった」とよく母が笑っていました。

 田植えを終わって8月には田の草取りや施肥をして順調だと喜ぶのもつかの間9月になって台風が来ると稲は倒れ一瞬にして数か月の努力も水の泡。

 もう食べられるお米は収穫できません。

 それでも、百姓は黙々と作業を続け誰にも文句が言えません。(T)

 もう少し巨視的にみると、30年もすぎると人口は倍になりますが、田圃は倍になりません。つまり、必然的に貧乏になるということです。具体的には、農家の次男・三男は相続する田畑が無くなり、工場労働者になるしかない。と云う宿命を背負わされ、 今までの経験や技術が無になってしまいます。

 日本の場合、中国東北部《満州)へ進出してそこへ東北の農民に移住を勧めます。南米のブラジルとかへも大勢の移民をしました。

 しかし、ここでも、楽な暮らしはできません。

 本当に一国のリーダーに背負わされた課題は大変でした。また脱線し申し訳ありません。(T)

  

                    無花果畑の農作業

 

 

 

 


穴があったら入りたい。

2017-05-18 | 気ままなる日々の記録

 ここの施設は、3度の食事を各部屋へ配ってくれる。

 「名古屋食糧」とかいう給食会社が調理したものを此処の厨房へ運び込み、此処の厨房では再度火を通しお膳をつくり各部屋へ配膳してくれる。

 今朝もここの配膳の小母ちゃんが

 「いつもパソコンをやっておられて偉いですねえ。お仕事ですか?」と声を掛けてくださった。

 「いいえいえ!」と慌てた僕は「チョットブログをやっていまして・・・・」

 「まあ、ブログがおできになるの?」といわれる。

 「まあ、真似事の様なものですわ。

 子供たちへの近況報告もかねて」と頭を掻く。

 確かに最近は手の込んだ素敵なブログも多いようでそれと比べるとまあ、幼児のお絵かき程度だ。

 折角褒めて戴いたのに、最近更新してないことに気づき、慌ててパソコンを開いたところである。

今夢中になっている本は、新潮文庫「日本人はなぜ戦争へと向かったか(外交・陸軍編》NHKスペシャル取材班編著定価550円である。

 少し丁寧に読んでいるので、読み終わるまでにもう少し月日が掛かると思われる。

 昭和16年12月8日、『臨時ニュースを申し上げます」と少し上ずった声でラジオが繰り返していたことを覚えている。

 このラジオ放送に祖父と父が対照的な反応を示したので余計に良く覚えているのかもしれない。祖父は典型的な明治人間で「神国日本」を信じていてイザトなれば「神風」が吹いて我が国を守ってくれるので負けるはずがない、と信じ切っていたが、

 父は大正デモクラシーと呼ばれる時代に学生生活を送った経験があるので、我が国の後進性を良く知っていたと思われる。(T)

  

                  散歩道で  柘植の花

 

 

 

 

 

 

 

 


高校時代の思い出。

2017-05-17 | 気ままなる日々の記録

   高校の2年だったと思う。ある友人が或るとき「親父がお前の年頃は何でもよく覚えられる時だから、有名な詩や文を覚えると云いと云うので覚えることにした。お前も付き合わないか?」とさそってくれたことがある。彼は島崎藤村の「千曲川旅情の詩を覚えたぞ!」といって、文庫本を僕に渡した。そこには前述の詩が載っていた。友人は、「云うぞ!」と云ってから、

小諸なる 古城のほとり

雲白く 遊子悲しむ

緑なすハコベはもえず

若草も 敷くによしなし

白銀のふすまの 岡辺

陽に溶けて淡雪流れる

暖かき光はあれど

野に満つる香り

は知らず

麦の色わずかに青し

旅人の群れいくつか

畑中の道を急ぎぬ

暮れゆけば浅間も見えず

千曲川いざよう波の

岸近き宿に登りつ

濁り酒 濁れる飲みて

草枕 暫しなぐさむ。

 と気分よく歌うように言った。

僕は驚いて 彼を心から尊敬した。

そんなことがあってから、僕たちの間で

有名な文章を暗記することが流行した。

「ロッテさんさようなら 時計が12時を打ちます

……・・・・・  ・・・・・・・」これはゲーテの小説「若きヴぇるテルの悩み」

の主人公がピストル自殺をするときの独白の出だしだ。

思えば高校時代の友人の影響は大きい。

  オソマツ君は、田舎の高校であったが、

友人には随分恵まれていたと今も感謝している。(T)

  

                  散歩道で  夏みかんの花

 

 

 

 

 

 


言霊信仰その1

2017-05-16 | 気ままなる日々の記録

   筆者(ダイヤドラゴン;オソマツ君)は昭和11年生まれだから、昭和16年12月8日《日本がアメリカ領のハワイのパール・ハーバーを奇襲攻撃し、同じころシンガポールの港のイギリス軍も攻撃、第二次世界大戦へ突入した日、5歳だった。

  この頃は在郷軍人会と云うのがあって子供会をよく指導していた。以下の歌も在郷軍人会の方に教えて貰ったと記憶している。

 ルーズベルトのベルトが切れて、

チャ―チルチルチル国がチル。

《ルーズベルトはアメリカ大統領、チャ―チルはイギリス連邦の首相であった。こんな下手なダジャレを子供に教えて戦意高揚に役立てようという目論見がオソマツである。

 どうやら、願い事を何度も口にしていると言葉に宿る魂が神様まで届き願い事が叶えられるという信仰である。僕は今、アメリカとの戦争に関して当時の我が国の指導者はどういう見通しを持っていたのか知りたくて文庫本を渉猟しているが、まだしっかりしたものに出会っていない。

 話は飛ぶが、広島の原爆記念碑にイサム・ノグチ氏設計の慰霊碑があって、 そこに「安らかにおやすみください。過ちは繰り返しませんから」と書いてあった。これは被爆者の団体と広島市が建立したと聞いているが、この文章もお祈りの言葉だかどうか知らない。

 ここでいう「過ち」は原爆の投下であるべきなのにいつの間にか開戦にすり替わっている。

これも言葉に宿る魂が拡大解釈された日本特有の言霊信仰《「ベルトが切れる」と同じに思えるがどうだろう。

 ことほど左様に日本人の思考は論理的でなく。歴史の転換点でこの言葉による情緒主義があらわれる。

 最後にもう一つ例を挙げる。 

討幕運動が、薩摩、長州、土佐、肥後の浪士によって起こされた。きっかけはペリー提督が来て幕府に開国を迫り、うろたえた幕府は形式的にせよ朝廷の了解を取らずに開国する。そのときの貿易の関税に関して知識不足の幕府は不利な条約を結んでしまい 国内の市場が混乱し討幕運動が起きる。その時「討幕派の旗印は」『尊王攘夷」だった。

 江戸城無血解放によって、明治維新は成功するが明治政府は攘夷をしなかった。出来なかったからである。江戸川柳の方がよく分かっていた。「たった4杯の蒸気船(上喜撰で夜も寝られず」と笑っている。

最近の憲法と自衛隊の論争を見ていると、また同じことをやっていると思われる。

 革新の側の「戦争放棄」「平和憲法」信仰も「尊王攘夷」と同じ何度も云っているとそれが実現するかのごとき言霊信仰に辟易する。

 日本人の情緒主義は水田耕作によって米を収穫して何百年もかかって育てた日本人的思考だから急には治らない。合理的思考は理科系の学問を学んだ専門家に任せて、ときどき反省して軌道修正に励むという態度こそ我が国に適した政治だと思われる。(T)

       

                                                           田おこしの後ではとが。

 

 

 

 

 


農業の機械化が大分進んだと思われます。

2017-05-15 | 気ままなる日々の記録

   筆者は小規模の自作農の出身で、ここ住宅型有料老人ホームでお世話になっていていても、農作業のことをよく思い出します。

 今の時期は田の畔草刈に追われていました。今丁寧に刈っておかないと田植えが終わった頃雑草が伸びて稲を押し倒し著しく収穫減を招きます。

 昔は軍手をはめカマで丁寧に刈りました。蛇は逃げていくから怖くありませんが、ムカデはじーっと動かなくなり自分の体に触れられると反射的に咬みつきます。

 そうすると全治するのに2週間、夜温まるとズイズイと痛み眠れません。

 最近は50CCのエンジンが付いた草刈り機で刈っているようですが、機械で刈った後は刈った草があちこちに飛び散り見た目が実に汚い。

手で刈っていた頃は刈った草はキチンと揃えて置かれ、夕方よく枯れたころ竹ぼうきで掃き集めて火を点けて燃やし灰も掃いて田に落とし歩道は綺麗にしておりました。

 日本の百姓は「よそ様に迷惑を掛けない」が道徳の大原則で仕事の仕上がりが綺麗でした。ところがエンジン付き草刈り機で刈るようになってからは、刈った草があちこちに飛び散り簡易舗装の車道に草が乱雑に飛び散り実に汚いのに箒で掃いたりしなくなりました。

 江戸時代から培われた百姓の美意識がアメリカから入ってきた近代化によって見事に荒らされた感じがします。

 敗戦ももう少し誇りを持って処理したかったと悔やまれます。(T)

    

                                                  田おこし

 

 

 

 

 


偉大なるかな、宮沢賢治。

2017-05-15 | 気ままなる日々の記録

   半身不随になってしまい、歩くのさえままならず、気ままな読書に明け暮れながら、心は晴れず、鬱々と月日を過ごしていますと、どこからか、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』が聞こえてきます。

  雨ニモ負ケズ

  風ニモ負ケズ

  雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ

  丈夫ナ体ヲモチ

  欲ハナク 決シテイカラズ

  イツモシズカニ笑ッテイル

  一日玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタべ

  アラユルコトヲ自分ヲカンジョウニイレズ

  ヨクミキキシテワカリソシテ忘レズ

  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ茅ブキノ小屋ニイテ

  東ニ病気ノ子供アレバ行ッテ看病シテヤリ

  西ニ疲レタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ

  南ニ死ニソウナ人アレバ

  行ッテ怖ガラナクテモイイトイイ

  北ニケンカヤ訴訟ガアレバ

  ツマラナイカラ ヤメロトイイ

  ヒデリノトキハ涙ヲナガシ

  サムサノ夏ハオロオロ歩キ

  ミナ二デクノボートヨバレ

  ホメラレモセズ

  クニモサレズ

  サウイウモノに私ハナリタイ

以上です。偉大なるかな!宮沢賢治!ですが、何度も読んでいますと、結構欲張りだと思います。そこがまたいいですね。聖人ぶらなくて。親近感のわくところなのでしょう。

オソマツ君のオソマツな一席でした。失礼しました。(T)

   

                           前庭にて  ハーブ

 

 

 

 

 

 


新しい疑問

2017-05-14 | 気ままなる日々の記録

   雑学の大家を自認しているオソマツ君であるが、昨夜ふと考え始めて分からなくなった問題がある。

  それは、アジヤ大陸の西と東で何故、同じ小麦粉を使って一方はパンをつくりもう一方はうどんを造るようになったかである。

 先日テレビで讃岐うどんがどうして全国で有名になったか?をやっていた。

 タモリとかいう、早稲田を出たタレントが出る番組だった。

 讃岐うどんの方は①徳島県を東西に走る山脈によって、山脈の北側は地中海性気候になって雨が少なく日照時間が長いため上質な小麦が取れたこと

、②山脈の南側に急流を誇る谷川が多く、水車が発達し小麦粉の生産に便利だったこと

 ③金毘羅信仰の総本山が讃岐にあって、信者が本山まいりに来て近くの食堂でうどんを食べその腰の強さに感動したことなどで、讃岐うどんが有名になったと云っていた。

  これはうどんの歴史でパンはでてこない。

 美味しいパンを焼くにはイースト菌とかいう細菌の活躍が必要とかいいます。とすると、ヨーロッパの方がイースト菌の繁殖がさかんなのだろうか。

 寡聞しして、そういうことは聞いていない。ヨーロッパではうどんのような形の食べ物をパスタとか言ってパスタ料理はイタリアが盛んと聞いているがイタリアはパンも盛んだ。

 かくして、アジアの西と東で小麦の加工が違った理由は分からづじまいである。文化人類学上重要な課題だと思うがいかがだろうか?

偉そうな事を云っていても楽しいはずの日曜日が眠くて、だいなしである。全くオソマツそのものだと苦笑していることしかできない。(T)

 


最近のテレビ番組について。

2017-05-13 | 気ままなる日々の記録

  半身不随になってから、テレビをぼんやり見ていることがおおくなった。情けないことである

  ところで、そのテレビであるが、情けない内容の番組があまりにも多いことに驚かされる。すぐに若い娘さんたちが太い足を出して踊り始める。いわゆる、ドタバタステージというやつだ。日本文化の「情緒」に欠ける内容であり、音楽である。

   明治の始め我が国は主にイギリスから多くを学んだ。イギリスには「紳士文化」があり、上品かどうかを気遣う視線があって、これがよく日本文化と溶け合った。

   ところが、戦後はあっという間にアメリカ文化に汚染され全体が下品になり「上品と深い情緒」を気遣う視点を放棄してしまった。アメリカにはなかなか「情緒」や「上品」が育たない。人種問題や経済格差も絡んで、大変だ。

   アメリカにデトロイドと云う町がある。自動車産業の盛んなところで、日本車を叩き潰して火を放ったことで有名な町である。此処をレンタカーでウロウロしたことがある。白人居留地と黒人居留地ははっきり分かれていて、黒人居留地は車の運転要注意である。

  信号が赤でも道を横断する黒人がいるからである。事故を興したら大変である。あっという間に黒山の人だかりで、デタラメな証言をする人ばかり現れる。警察が来て被害者・加害者が特定され、保険から損害賠償金が支払われる。そうすると、「自分の証言によって、この保険金が出たのだ。僕にも保障金が出たのだといって、お礼を要求するのだそうだ。

  中には被害者になって家族を養っている人たちもいると云う。こうなるとドライバーは大変である。僕も細心の注意を払ってその町を横切り急いで通り過ぎた。

 ところが日本のマスコミはそのことを伝えない。アメリカのスラム街といったら、とても怖くて昼間も歩けない。大衆の面前で恐喝、強盗が起こっていた。日本の戦後の駅裏と云われたところにその雰囲気が似ていましたが。日本にはもうどこにもそんな街はない。アメリカも無くなったかもしれませんが・・・・。話が脱線しましたが、テレビ番組もせめてNHKだけでも気品を重視してもらいたいものである。(T)

  

                                 前庭にて  ヒューケラ