かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

昭和歌謡大全集を聴いています。

2017-08-30 | 気ままなる日々の記録

  科学技術の進歩は、恐ろしいほどです。インターネットから「昭和歌謡大全集に入って「再生」をクリックすると、懐かしい昭和の歌謡曲が流れてきます。

 少しも古臭くありません。

 昭和11年生まれですから昭和初年の歌は知らないはずですが、母がよく口ずさんでいましたから、意外に良く知っています、

 母がいましたら声をあげて喜ぶだろうに、と思いながら聞いています。

 真空管のことも、ラジオまでは分かると思うのですが、テレビになり、ICやインターネットになると、もうだめです。全50巻にも及ぶ録音が図書館のように並んでいて、ユーザーの指示に従って検索しそれを再生することによって近江敏郎さんの「湯の町エレジー」がきけるのでしょうか。

 そのうちに昭和の熱海へ旅することができる時代が来るのでしょうか?恐ろしいことです。(T)

 


びっくりしたこと。

2017-08-29 | 気ままなる日々の記録

  数週間ほど前のことである。1階の新聞エリアで、一人の老婦人に出会った。この方は、90歳過ぎと思われるが、オシャレな洋服を着ていつも館内を散歩されている。年の割に歩く速度は速いし、足元もしっかりしている。ただ変わっているのは一人で話していることがあるくらいだ。

  毎日の行動故目立つ存在だし近寄らないで遠くから、眺めていることが多かった。だがその日は思わず声をかけてしまった。シルバー・カアーの上に洗濯かごを乗せその中に真っ白な猫を入れている。

「可愛いですね。」

「可愛いでしょ。褒めてくださっているのだから、ご挨拶しなさい。」

ごあいさつしなさい。って犬でもあるまいし、とおもっていると、暫く間をおいて、「ニャアー」となき目をパチパチさせる。

おまけに、耳までピクピクさせている。ネコでも人間の言葉がわかるのだと感心していると、

「これは動物ではありません。」とおっしゃる。

「え?どういうこと?」おもちゃなの?本当に?」とつい聞いてしまった。

どう見ても本物に見える。ネコの真っ白い毛の色があまりにもきれいすぎるか、と後から思った。きっと高い玩具、いや、ロボットに違いない、と思う。皆が珍しがって話しかけていた。

 でも、次の日からその高価そうなロボットを見かけることはなかった。その人の部屋で時間が来るとなきその後目をパチパチさせているのかなあ。(E)

 


いよいよ夏も終わりもの悲しさ漂う秋へ向かう

2017-08-28 | 気ままなる日々の記録

  手元の文春文庫白井明大著,旬を楽しむ「日めくり72候」によると、今日8月28日は「天地始めて粛(さむ)し」だそうで9月1日までようやく暑さが収まり始める季節で、陰陽五行によると夏の気が落ち着いて万物があらたまる時期とされます。

  見上げると急に空が高くなり、うろこ雲や鰯雲が浮かんでいたりします。ここに、右脳視床下部内出血により左半身不随の男にも天は平等に美しい空を与えてくださる。アリガタイことです。

 今朝も窓に差し込む朝日に魅せられて池のある庭に出てみようと車椅子を漕いで出掛けたがガラス戸が施錠されていて出られずスゴスゴと引き帰ってきました。そう無粋なのは、いつも人間社会の方。夜は用心のため施錠が必要だし、朝早く開錠するには、当直の人に手当てを出さねばならないのだろう。何の見返りも要求せず、素晴らしい恵みを与えてくれる大自然に比して人間社会は何と卑しいことだろう。

 これこそ「蛙の呟き」です。シツレイシマシタ。(T)


「一億総白知」が実現か。

2017-08-26 | 気ままなる日々の記録

    昭和20年代前半はよくデモ行進というやつがあった。

 丁度学生であったのでよく参加した。

 ジグザグ・デモというのがあった。普通に歩くのではなく少し小走りのようにしてジグザグに歩いて進むのである。

 これは普通のデモより10倍は疲れて終わった頃にはその場に腰を下ろしたいほどだ。

 デモが解散になって、友人とヨロヨロ歩き当時流行っていた「トリス・バー」へ転がり込み、ビールを飲んだ時の美味しさは、忘れられない。

 ちょうどそのころだったと思う。経団連のなんとか部会が提案を出し、よく分かっていない大衆が労働組合の命令で反対デモを行い新しい提案をできなくしてしまう。

 こんなことは、民主主義でも多数決でもなんでもない。こんなことをしていては、日本は世界の最貧国になってしまう。労働者が夢中になる何かを盛んにし、

 暇な人はそちらへ行ってもらうようにしよう、ということで、地域別にプロ野球の球団をつくり、ナイターを始めた。

 狙いは的中、応援しているチームの試合があるときにはデモへの参加者は激減し、 労働組合もデモを計画しなくなった。結果は今日見る通り。世界一野球付きな国民が出来上がり各球団は高配当を誇っている。

  テレビもどのチャンネルも野球ばかりの日が多いこと。

 この背景には、共産党をはじめとする労働組合の指導層の無策もあった。

 我が国は近現代史に関する研究が遅れていていろいろな教訓を次の世代に伝えることに失敗していると思う。

 例の第二次世界戦争にしても、原爆の被爆国でありながら、 どこで、どう間違えて真珠湾攻撃に進んだのか高校の日本史でキチンと教えていない。

 此処でも論争にあけくれして本当に大切な視点を見失い、放置され、次の世代への教訓が伝えられていない。   (加籐陽子(東大教授)著{それでも日本人は戦争を選んだ。参照 

 (t) 

  

                                                           夕立と夕焼け

   


マンゴウあれこれ

2017-08-20 | 気ままなる日々の記録

 始めてマンゴウと云う果物に出会ったのは、かれこれ30年も前になるだろうか。数人の友達と出かけた、招福楼と云う和食の店だった。そして、私にとって、うなぎの甘露煮とともに忘れえぬ味となった。今ではスーパーに行けば、一年中手に入るが当時はあまり見かけなかった。

 初めての味に魅せられた私は其れから数年後よく買うようになり何度も失敗した。見かけ上は変わりないのに冬場に買うとやはり甘味が少なくとてもまずいのである。

 最近になって、主人の知人がシンガポールから、タイへ転勤になり、マンゴウを送って下さった。常夏の国とはいえ、やはりシーズンがあるらしい。味に格段の差がある。それに、産地により味が異なる。いろいろなマンゴウを味わう機会を得た。今年の春先にいただいたのはビックリするくらい甘かった。果物と云うよりお菓子のような甘さだった。現地の人々がそういう甘さを好むのだろうか。

 マンゴウでいつも気になるのは食べ方である。説明書によると種の両側を切ってそれに切り込みを入れて食べるようになったいる。そうすると、種についている果肉があり、惜しくて仕方がない。それで、全部皮を剥いてからそぎ切り切りにしてみた。そうすると、果肉の柔らかいマンゴウが、くしゃくしゃになってしまって見た目にとても不味そうにみえる。全部皮を剥いたあとスプーンで一口づつすくってたべるというのは、どうであろうか?

 まだためしてみたことはないが・・・・・。(E)

  

                                                           沖縄からのマンゴー

 

 


今日は[8月19日)は俳句の日とか。

2017-08-19 | 気ままなる日々の記録

  今日8月19日は俳句の日とか何とか俳句を書いてこのブログにしようかと、午前中句作に励んだが、ついに、一句もできず、自分の専攻が数学だったことを恨んだ。

  僕の専門は「ヒルベルト空間論」である。正直に告白すると、このヒルベルト空間論もよく分かっていない。4年の時ゼミナールということで、1年かけて英文の「ヒルベルト空間論」を読みました。指導教官は世界確率学会の機関誌編集委員をしておられた飛田先生だ。数学者で確立を専門に研究しておられる学者は大勢おみえになる。その中でよく論文をお書きになる人や、最新の理論を勉強しようと思っておられる学者が、高い年会費を払って学会に入られ、会員になると自分の研究成果を発表する機会が与えられる。これが機関紙への投稿である。世界各国の会員から投稿される原稿をよく読み、将来性のある研究かどうかなどその論文の価値を評価し機関誌に載せるかどうかを判断する人が編集委員である。或る時先生はロシア語の応募論文を審査することになったと云ってロシア語の勉強を始められて僕は腰を抜かした。

 書いてある内容が難しくて、その上使われている言葉が文字さえ見たこともないロシア語であったら、思っただけで頭が痛く気が狂いそうだ。「それは、大変ですねえ」とぼくら学生が云ったら、先生はいとも簡単に「これが経済学や社会学だったら大変ですが、数学は世界共通の記号を使い、難しいところは数式で証明してしまうから、ロシア語の文法だけ勉強すれば、まず間違えることは無いよ」と云っておられた。

「ヒルベルト空間論」というのは、アインシュタインが特殊相対性理論を発表した後、一般相対性理論に拡張されたとき、猛勉強されたと云われている理論で、ヒルベルトが研究対象にした集合の要素は関数であった。端的に云えば微分方程式の解が考えている集合のなかにあるか、ということのようである。ちょっと、藪の中にはいってしまったので、此処で打ち切ります。シツレイシマシタ。(T)

  

                    8月の宵

 

 

 

 


今日[8月19日)は俳句(819)の日である。

2017-08-19 | 気ままなる日々の記録

 

  何時頃から[俳句の日]ができたか寡聞にして知らない。

 言葉の変化は忍び寄る寒気のように忍び足で入ってきて気が付くと全国を覆っている。

  そういえば、台風と云う言葉も僕が子供の頃は使われていなかった。大風(おおかぜ)といっていた。此処で思い出すのが、今のようにテレビも新聞の無かった頃。大風が来るという予測は村の古老によってなされていた。

  大風が来るということになると、各家庭のお爺さんやお父さんは急に忙しくなる。

  屋根の頂《いただき;棟》の両端の東側か南側に草刈鎌(かま)を立てなければならなかった。

 理由は風の神様が体を鎌で切られないように、除けてお通りになるからである。

 そして、そうした準備をしていて、突風にやられて、転げ落ちないようにと云う注意をテレビで云ったりはしない。

 当たり前の注意だからである。もし、当時、テレビでそんなことを云ったら「子ども扱いするな!」と云って大人はテレビを消したことだろう。

 最近のテレビは大人に向かって、親切顔をして、幼児に云うような注意をする。当たり前の注意は云われなくてもするというのが大人になったということである。

 更に最近の新聞用語で困るのは、TPPのようにアルファベッドを並べた見出しである。分かっている人には便利かもしれないが高齢者泣かせである、

 僕の友人なんか怒って新聞購読を止めたといっていた。日本の新聞は、我が国の義務教育で教えている表記で書くべきである。

 ニューヨークタイムズと同じ「見出し」を縦書きで用いて何処が嬉しいのだろう。(T)


今日は歯医者さんの日でした。

2017-08-18 | 気ままなる日々の記録

 

 

  老人ホームには「訪問診療」と云う制度があって、予約をしておくと、歯科医も眼科医にも診てもらうことができる。救急車で江南厚生病院に運ばれそこで戴いた病名が「右脳視床下部内出血による左半身不随」というものであった。江南厚生病院に1ッか月ほどお世話になって病状も固定して、転院を勧められた。

  これからは、治療と云うよりリハビリが主な治療にになるので、リハビリが充実している病院へ転院した方がいいでしょうということであった。介護保険が整備されたころであった。たしかに、ここには大勢の「理学療法士」と云う人たちがいて僕の場合月・水・金の週3日間

1回40分の社会復帰のための機能訓練があった。この訓練が痛くて辛いだけで面白くない。


春は霞、秋は霧。

2017-08-17 | 気ままなる日々の記録

  立秋をすぎて、秋けぶる空模様が時折りみられるようになってきます。

 72候の季節は「蒙霧升降」す。深い霧が立ち込めるころという意味で、およそ8月17日から22日までのこと。8月16日は五山の送り火[白井明大著「旬を楽しむひめくり七十ニ候[文春文庫」参照。

 多分室町時代だと思うのですが、四方を山に囲まれた京都盆地特有の季節感を丸ごと楽しんだ日本文化に敬意を表したい。

 「右脳視床下部内出血による左半身不随」の当方も、トイレへは自分で行けるし車椅子ならこの施設の何処へも行けるわが身を丸ごと受け入れ、

 風流を受け入れる心の余裕をもって毎日を送ろうと思う(T)

     

                                                                    夏の宵


今日は8月15日

2017-08-15 | 気ままなる日々の記録

  敗戦記念日である。また、お盆の精霊流しの日でもある。

 オソマツ君の家はいわゆる旧家で仏壇内の御位牌も多く、墓石も多い、宗派は浄土宗である。

 浄土宗では「先祖代々の墓と云う石碑を立てることを嫌ったそうで、墓地も過密化が進み、間もなく墓地の拡張が必要な時代になる。勿論、もう土葬で新仏が出ると、墓堀当番が回ってきて、このときばかりは、休暇をとって、穴掘りをしないと、村八分になってしまうということもない。

 八分と云うことは残り弐分は村の付き合いをしてもらえるということらしい。この二分は火事と葬式だそうだ。子どもの頃近くの老人にきいたことがある。

 しかし今日お盆に関して「地獄の窯のふたがあくとか」、先祖の霊をお迎えするための「お迎え火を焚く」家もすくなくなった。(T)

 

                                                         台風の被害

 


台風の後で

2017-08-13 | 気ままなる日々の記録

  台風5号は、3番目に長い長寿台風であったそうだ。どちらへ進むのかと随分やきもきさせられたが、当地方へ最接近したのは、月曜日の夜10時ごろだった。風雨共に強くなり、雨音がやかましくて、眠れないとおもっていたが、意外といつも通り眠ってしまった。気が付いたら午前3時、そのころはとても静かになっていた。

 それでも、昨年のように稲の被害はないかと、夕方田の方へ散歩に出た。途中いつも通る無花果畑に2台も車が止まっている。すれ違う時に荷台を見ると口が開いた無花果の箱が数個、思わず

「大きな実ですね。家の無花果の2倍はありますよ」

と褒めると、とびきり大きい口の開いた無花果を差し出してくださった。

「下さるのですか。、ワア嬉しい」

というより先に手が出てしまったかもしれない。

「口は開いていても味はかわりないですから」

と云っててわたされた無花果はずっしりとした重みがあり、いかにも完熟の感じがした。

 私は無花果には思い出がある。家に直径15センチくらいの無花果の木があり小学生の頃登校前に妹と二人でよくとっていた。朝の空気がひんやりとした感じととり終わった後の篭の重たさをいまでも思い出すことができる。その無花果の色合いと戴いた無花果の色はとてもよく似ているが、時期と大きさには違いがある。

 いただいたいちじくを主人が両手で大切に持ち私が急いで車いすを押して、部屋に着いた。その間10分。主人は不自由な手に力を入れ過ぎたのか

「早く無花果から解放してくれ」

と云っていた。夕食のデザートに食べたら甘い無花果本来の味と云うかやさしい味がした。こんな無花果はもう二度と味わう機会はないだろう。(E)

    

                                          おいしかった無花果

 

 

 

 

 

 

 

 

 


週刊文春 7月27日号 その2

2017-08-09 | 気ままなる日々の記録

 読みたいエッセイの続きが楽しみで、いそいそとコンビニへ買いに行った7月27日号の表紙について書こうと思う。

 私はもともと表紙のイラストレーターのフアンになっていたのだが今回は店で手にした途端「わー、これは素晴らしい」と思った。グレーのバックに真っ白なエアーメールが題材である。しかも郵便局のスタンプがカナダとはっきり押されてある。一目見ただけで、何と夏らしく涼しさを感じさせる表紙だろうと思った。10ドルの切手には、針葉樹の木々が茂る緑深い森。15セントのもう一枚の切手には、切り立った岩山の峰々と野生の動物たち。よく見ると2枚の切手の上の方にはフランス語と英語の両方で郵便料金と印刷されている。切手の下の方には大きな活字でcanadaとある。どう見ても本物と見間違えそうである。

 後で分かったことであるが、この表紙は1978年4月20日号に初めて載ったもの。今年の7月20日号で2000回達成したものによるアンコール作品であることを知った。道理でいい筈と一人で納得しているわけであるがこれからは時々アンコ―ルの作品がでるらしい。買わなくても表紙だけでも見られる。一日おきに400円は買い物をする常連客にはこれくらいのことは許してもらえそうな気がする。

 週刊誌の出来上がる水曜日には、和田家の玄関には見本が置いてあり、それを見て奥様の平野レミさんが「和田さん、上手じゃん」と云うと「一応プロだからね」とクールな返事が返ってくるそうだ。

 何とも爽やかな夫婦の会話ではないか。(E)

       

                                                                   散歩道で。

 

 

 

 

 

 

 


涼風至る。

2017-08-09 | 気ままなる日々の記録

  日本の古来から使われてきた「七十二候」によると、昨日八月八日は「涼風至る」で涼しい風が初めて吹いてくる頃だといいます。

  朝夕のちょっとした風の中に秋の訪れを感じさせると云います。

 「涼風」(りょうふう)を「すずかぜ」と読んで俳句の世界では晩夏の季語だそうです。

 こうした日本人独特の季節感に満ちた言葉を大切にし次の世代にも伝えるべきだと思うのだがどうだろう。

 義務教育の学校でキチンと教えて、何千年もこの地に住み移ろう季節を慈しんだ先輩たちの言葉と感性を次の世代に渡したいものだ。

 酷暑と極寒しかないアメリカ大陸やヨーロッパ大陸の人たちの真似ばかりすることが文化的ではなかろう。

 子どもの頃母親から日没を「綺麗な夕日だねえ」と教えられた子供こそ豊かな感性を持つ人になるときいたことがあります。俳句に見られる季節感あふれる感性は日本人の誇るべき特性で大いに若い世代に伝えたいと思う。(T)


あおもりねぶた。

2017-08-05 | 気ままなる日々の記録

  今日8月5日青森も弘前もねぶた祭りの日だと思う。

   ねぶた祭りの起原は諸説あるようだが、冷夏を恐れた農民たちの火祭りが起原とする説や、「ねぶた」の起原は「眠気」を追い払おうとしたという説までいろいろあるようだが青森、弘前の農民の生活の中からの願いが起源で、ヨーロッパの伝統行事のように宗教に由来しないところが僕は好きだ。ラッセ・ラッセィと云う掛け声もオソマツ君のこのむところである。 自虐史観や西洋崇拝の文化論はやめて、日本の伝統行事に着目してそこに含まれている先祖の高貴な精神世界に着目する日本史観を学校教育で教えたいものだ。

 太陽暦か陰暦化江戸時代まで、長い間農村では太陰暦だったので、農作業も陰暦による物が多い。オソマツ君の家の方は江戸時代からの農村で伝統行事は全て太陰暦によって行われていた。敗戦によって、我が国の近代化と云うふれこみですべてを太陽暦によっておこなおうとしたが、これによって、失われたものもたくさんあった。

 その一つに端午の節句がある。我が家では母がそうした伝統行事を大切にする性格だったので、太陰暦の5月5日には菖蒲湯へ入った、男の子は菖蒲の葉で鉢巻をしてお風呂に入り女の子は菖蒲の葉で矢を作ってそれを髪に刺してお風呂に入っていた。オソマツ君は子供の頃お風呂は好きでなかったが、しょうぶ湯は好きであった。第一菖蒲の香りがお風呂に満ちれいるのが好きだった。今はもうそうした伝統的な習慣も失われて農村の生活から季節感がなくなった。(T)

 

                                  稚魚が3匹。                                  

 


習作川柳

2017-08-05 | 気ままなる日々の記録

「初めから、泳ぐ気のない水着かな」という川柳が入選したとかテレビでやっていたのに刺激されオソマツ君も作ってみた。

お爺さんが息をしていないと騒ぐおばあさん、へ「大丈夫!そちらは顔でなくお尻だよ」オソマツタロウ作

昔どこかの生命保険会社が「シルバー川柳」と云うのを公募していて、時折入選作を発表していたが、もうあれはなくなったかしら。まだやっていたら、応募したいんだけど・・・・・・・・。シツレイしました。これぞまさしく「徒然なるままに・・・・・・、怪しゅうこそものぐるほしけれ」です。