かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

投薬ミス

2017-10-30 | 気ままなる日々の記録

  2~3日前の毎日新聞に投薬についての記事が載った。どこかの市民病院で高血圧の人が飲む薬を低血圧の人に渡してしまい飲んだ人が死亡したという記事。20年間も高血圧の薬を飲み続けてきた私にとっては、とても身近な問題としてショックを受けた。

 私も降圧剤の中に一種類いつもと違う別の薬が入っていたことがある。それから、薬に対して神経質になり、そんなことでしぼうするとは、とても思えなかったが、そういうこともありうると考えた。

 私の場合事前に気が付きクリニックへ電話したら、薬剤師の方が「すぐお宅へ伺います」ということだった。私はたまたまクリニックの近くに用事がありクリニックへ寄ると、薬剤師の方が、飛び出てきて謝罪された。「先生からもお話があります」と云って、またも謝罪を受けた。私は少しオーバーな気がしたが、今では其れが正当だったかも知れないと思う。

 私はいま10種類以上の薬を朝・昼・夕に分けて飲んでいる。つい先日今度は私のミスで、夜の薬と朝の薬を取り違えて飲んだ。飲んでからすぐオレンジ色のカプセルは夜にはないことに気付きシマッタと思った。急いで事務室へ向かい薬局へ電話をしてもらった。事務室のスタッフは電話でハイハイと何十回も繰り返すのみで、私にとって長い長い時間が過ぎて行った。

 結論を云えば夕方の分を朝飲むようにということで、たいしたことにはならなかった。それ以後薬に対する考えがとても慎重になった。(E)

   

                              10月の夕やけ

 

 

 

 

 

 


大型台風

2017-10-24 | 気ままなる日々の記録

 台風21号は、まだ遠くにいるときから、どんなコースを辿るのだろうかとズーット見守っていた。というのは10月中旬に子供が帰省した時、「もう台風はこないだろう」と云って雨戸を開けてくれたからだ。今回もう一度閉めに行くかそのまま放っておくかで、心が揺れた。

 三重県の沖の方にいるとき、タクシーを使って閉めに行くと決めた。それは、テレビの画面に▲▲半島に上陸するコースをとるという字幕が出たからだ。そうだとすると、台風の中心が家の近くを通るような気がしたからである。半日くらい過ぎたころテレビの気象予報を観ていた主人が「静岡県に上陸する」と、コースが変わったことを知らせてくれた。これなら行く必要はないと思った。

 それ以来、いかない気持ちを保持するのに随分とくろうした。

 夜になって開票結果と台風のニュースを交互に見てあわただしく時間が過ぎて行った。しばらくすると、情報がありすぎる画面の見続けで疲れが出てきた。チャンネルを変えてみると、パイプオルガンで弾くバッハの曲が耳に入ってきた。日本人の演奏者がドイツの有名な教会をあちこち訪れてパイプオルガンでバッハの曲を演奏する企画だった。優雅なオルガンの音色に心癒された後床に入った。

 再び目覚めたのは、午前二時。風も吹いていないし、雨も降っていない。テレビを点けると予報士が静岡県の様子を話していた。台風は知らない間に通り過ぎ、たいしたことはなかったと安心して、再び眠りについた。

 そのとき、画面では衆議院選挙の投票数312、143、という数字が映し出されていた。(E)

     

                                                           台風後の刈り田

 

 

 

 

 

 


柿の木の思い出

2017-10-21 | 気ままなる日々の記録

 いつもの散歩道に、柿の木が5~6本植わっている 。立ち止まってじっくり観察する時もあれば、最近は色づいてきたので写真に撮ることもある。ところが数日前近づいた途端アッと驚いた実が青いのを除いて一つも付いていないのだ。やっぱり、ヘタ虫にやられたのかなあと残念に思っていると、最近落ちた実はないようで、どうやら、早めに収穫されたようだ。

 何故これほど気になるかと云うとうちの庭にも4本の柿の木があるからだ。思い出があったり、柿の木に個性があったりして、毎年この時期になると落ち着かない。昨年は消毒しなかったので、色づく直前に全部落ちてしまった。一昨年は大きな実が数十個だけ残った。今年はドウかなと思っていた矢先、隣の奥様から電話を貰った。電話の中にカラスが柿をつついているという情報もあった。そして週末、娘が気を利かせて其の柿を数個持ってきてくれた。やっぱりいつものように独特の味がした。今スーパーに出ているのは、さっぱり味が多いが、家の柿は濃厚である。

 私が嫁いできたときはもう大きな木で娘が育つときには近所のわんぱくな男の子を多数集めては木登りをしていた。他に渋柿があり、或る年皮を剥いて干し柿にしたら白い粉をふく代わりにカビが生えた。主人が病気になる10年前この渋柿に甘い富有を接ぎ木した。毎年一枝ずつ成功して6年経けて枝全部がアマ柿になり,その後数年の年月を経て大きな実を付けるようになった。他に数年に一度しか実が取れない柿や昭和元年に植えたという富有もある。

 木はどれも古いけれど手入れをすれば必ず実る。プロに頼んで消毒することも考えたがそうするととても高くつく。スーパーで買った方が安い。収穫の手間も省ける。一時は実が色づくまえに全部落ちてしまうので、切ろうかとも思った。が、先祖が長い間守ってきた思い出のある木を無くしてしまうのはとても気が重い。それに12月に枯れ枝に残っていた赤い柿の実を熱心にカメラに収めていたホームステイヤーたちもキット悲しむことだろうと思う。(E)

    

                                        散歩道の柿の木

 

 

 

 

 


農民気質の変化。

2017-10-15 | 気ままなる日々の記録

  一昨日家内に車いすを押してもらって、散歩に出ました。ここの周辺は全て田圃である。僕も子供の頃よく家の田仕事を手伝ったので、季節ごとに変わる田仕事は殆ど知っている。

 8月の暑いときは「田の草取り」である。四つん這いになって、稲の間に顔を出している草を引き抜くのである。稲も一緒に抜けて来そうなときは、左手で稲を護り右手で草だけを引き抜く。この仕事を3~5畝すると背中の日焼けがひどく、夕方お風呂へ入ると飛び上るほど痛い。しかし、田植えを済ませた田圃の仕事は消毒と草取りである。

 8月12日~17日ごろ「カナカナカナ」と云うなき声が耳に届くころ「寒蝉(ひぐらし)鳴く」で立秋である。この頃までに田仕事は終わっておくひつようがある。田仕事の最後は畔草刈であった。これを丁寧に刈っておかないと、凄い勢いで成長し稲を押しのけ沢山の実を落とし翌年猛烈な雑草に悩まされることになる。この頃の畔草刈も大変だった。草の中に潜む蛇は逃げてゆくがムカデはじっとしていて体を触られると敏速に頭を挙げて、咬みつく。ムカデに噛まれると手は晴れ上がり、ズイズイと痛んで夜も眠られない。急ぎ病院の皮膚科に架かることになるが、太い注射を打たれるだけで、一向によくならない。9月に入るころようやく痛みはとれるが、今度はかゆみに襲われる。僕の場合ムカデに噛まれるのは右手が多く、夜床に入り眠くなると右手が痒くなる、このかゆみが猛烈だ。ついに母親をよんで熟睡するまで右手をなでてもらうことになる。母親は母親で、夕食後は忙しいので僕の添い寝から逃げ出そうとする。これが僕の「夏の思い出」だ。そこには、尾瀬も水芭蕉も出てこない。

 ここホームのまわりの田圃は戦後農水省が肝いりで行った「耕地整理」が成功した方で、一枚の水田の面積が大きく、軽トラがすれ違えるほどの農道がキチンと舗装されて縦横に整備されている。もう昔のようにリヤカーや第八車の時代でないとしみじみ思われる。残念なことはこの道に刈った草が散乱し、農道に土くれが一杯おちていることである。僕が子どもの頃のモラルはだだひとつ「ご近所様に迷惑をかけない!」であったが、耕地整理が進んだここの農家では、「農道は我が家のゴミ捨て場」となっているようである。僕の見方では。ここでは戦後の「個人主義」が進み、江戸から明治にかけてあった農村の「よそ様に迷惑をかけない」型のモラルが敗戦とアメリカ化によって綺麗に消されたということのようだ。敗戦直後の我が国の指導者は大切なところで、間違いを犯したようだ。「よそ様に迷惑を掛けない」というモラルと「個人主義」は立派に両立するし、むしろ、両者はお互いに補完しあっている。そこを間違えた人が多かったと思われるがどうだろう?(T)

    

                               稲刈りが始まった田


日本の七十二候について

2017-10-11 | 気ままなる日々の記録

  日本には、1年を24等分した二十四節季と72等分した七十四節季と七十ニ候と云う季節がありました。第二次世界大戦に敗北するまで、日本の国民のほとんどが農民で海岸線に沿って漁民もいましたが、彼らも含めて自然の移ろいと豊かな恵みを感じて暮らしてきました。

 思えば暦とは自然と人々の暮らしを結びつけるものでした。海岸線に近い地方では必然的に、農村部でも月の満ち欠けが暦であり、暦の中で生活を組み立てていました。もう少し具体的に述べると、新月の日を毎月1日とし、この日から満ちて欠けるまでを一月としたのが太陰暦、それでも、数年繰り返していると誤差が生じます。それを修正するために閏年(うるうどし)や閏月(うるうつき)を設けてうまく調整して、暦が農作業の目安になるまで、洗練したものに育て上げてきました。

 戦後日本は独自の歴史的文化をすべて「遅れたもの」として捨て去り、狩猟・牧畜文化の真似をしたのは宝の山をどぶへ捨てたように残念なことでした。我が国の国民性なのでしょうか、熱しやすく冷めやすい。すぐに謝罪し、その場を取り繕うとする。伝統文化に誇りをもち、熟慮断行して慎重に歩を進めるようにしたいものである。

 ところで、今日10月11日は七十ニ候では「雁来る」だそうである。ツバメが南の国へ去って雁が北国から飛来する季節になったことを日付けが教えてくれる。さらに始めてきた雁を「初雁(はつかり)とよび、その年の初めての雁の鳴き声を「雁が音」(かりがね)といったそうである。ぼくの実家には燕の巣があって、其処で育った雛が翌年帰ってきたものである。雁もそうであるが、よく帰ってきたものだと感慨も一入(ひとしお)であった。広い海や日本の尾張地方へ入ったとしても我が家を見つけるのは大変だとおもわれる。ツバメが返ってくると愛おしく、玄関の戸を5センチくらい開けておいてやったものである。

 ここの施設の周囲は広大な農地で、今は稲の実りのあきとなり「実るほど頭を下げる稲穂かな」といわれるとおり、黄金色に実った稲穂が最敬礼をしているようにあたまをさげている。ねがわくば、あと半月ほど台風がここへこないことを!だ。風にやられて稲穂が倒れると穂が水に浸かって、お米が全部飼料用になってしまうからである。(T)

     

                                                           実りの秋

                        


奇妙なものが入口のドアーに。

2017-10-10 | 気ままなる日々の記録

 数日前、スタッフ3人が、昼寝の最中どやどやと入ってみえた。ケアーさん2人と薬剤の方だった。薬の出し方が今までと変わって薬剤の方が担当になるということだった。今までは時々ミスがあって、一人の方が責任を持ってやって下さる方がよいと思っていた。

 つぎの日ドアーの上の方に何か取り付けられた。主人の部屋だけで私の部屋にはない。私が冗談半分に「いよいよ俳諧老人のグループに入れられて、入り口で監視をし動向を見るのじゃない?」というと主人も「そうか」と云って笑っていた。本人が笑っている内は安心である。言い訳したり怒ったりすると、本当に認知症が出始めたと思わないといけない。

 そんな会話をした後昼の薬を飲んでいないと勘違いして、ケアーさんに連絡したら、しっかりしたケアーで、「ちゃんと、飲んでありましたよ」と返事があった。わたしも昼食後の薬を飲み忘れることが多い。途中で気になって、確認のため屑籠をひっくり返すことが度々ある。

 入口のドアーの上の方にはりつけてあった、裏が磁石で袋のようなものは、1回分の薬入れであることはが分かった。自分で管理しない方々は、スタッフが1回1回そこに入れ、ケアーさんが配膳するとき、お膳に移すことになったらしい。

薬の飲み方は一人一人違うので問題が多いことだろう。(E)

      

                                                                  薬入れ

 

 


失われた上品な「お笑い」

2017-10-06 | 気ままなる日々の記録

  半身不随になって、しろくじちゅうベッドに横たわり,ぼんやりテレビを見ている時間が多くなった。

そこで思うのだが「お笑い芸人」と云う人たちの質が劣化したのではないか、ということである。

 ①まずメイクや服装である。頭髪を黄色に染めて真っ赤なネクタイをしたり、部屋の中で変な帽子を冠り、部屋の中でサングラスをかけたりしている。むかし、大道芸人が変な鼻を鼻にのせて、太鼓をたたいたり、鐘をならしたりして、「大売出し」の広告を背中でひらひらさせながら道を歩いていたがそれと同じ形相でテレビに出ていて、話す言葉に何の芸もない。

 昔「とんち教室」と云うラジオ番組があって、答えを聞いてそのうまさに感嘆したものだが、 最近の芸人は何の芸もない、ただ普通の人が下品で口にしないようなことをマイクの前で云って笑いをとろうとしているだけだ。かって、②大宅荘一という人が民放テレビが始まる時によほど真剣に取り組まないと、内容審査をしないと「一億総白痴化が進むと云ったが、現在を見ていると正にその予言通りになってきているように思われる。番組作製のデイレクターの劣化だろうか。こんなとき、いつも、憲法だの自由だのわめく人たちがいるが、我が国の伝統的な公序良俗は壊してしまったらもうもとにもどらない。

 ささやかながらくだらないコマーシャルを流すスポンサーの商品は買わない、そういうテレビ局のテレビはみないようにしている。

 愛国的な評論家の皆さんが立ち上がって、我が国の伝統的な上品なトークや川柳が聞けるように声をあげて頂きたいものだ。蛇足かも知れないが、一言付け加えておきたい。エジプトのピラミッドの中の通路に何やら書かれているというので、ヨーロパの古代エジプト文字を研究している人が集まって分析したところ「最近の若い者は真面目に仕事をしない」とかかいてあったとか。

 巨大な石を積み上げてあれだけの建造物を造ったのだから、大勢の男たちが集められ連日重労働をさせられたことだろう・そのとき、中堅労働者として中年の班長さんの様な人がつい愚痴を落書きにかいたのだろう、ということだった。つまり、6000年も前から中年男は「最近の若い者は」といって若者批判をくちにしていたということらしい。筆者も注意しないといけない、と心にちかったところだ。

 何かの弾みで、また、大言壮語に走ってしまいシツレイシマシタ、全部取り消したい気もしますが頑張って指1本で打ってきたのでまあ投稿することにします。失礼の段ございましたら、ご容赦賜りますようお願い申し上げます。(T)

  

                     中秋の名月

 

 

 

 

 

 

 


イエス・キリストを十字架に架けたのはだれか?

2017-10-05 | 気ままなる日々の記録

  ここ「住宅型有料老人ホーム」にはリハビリ用の器具が各種おいてあるコーナーがあって、其処に集まる人たちはいつの間にか友人になっている。或る時そこで話題になったのがタイトルに書いたテーマであった。

 イエスはすでに、少しのパンをあっという間に増やし貧しい人たちに配ったりしている。

 そんなことのできる神様の申し子のような人を十字架にかけるなどということを、チョットした王さまができるはずがないからである。みんな「わからんなあ」というのみ、中には「誰でも構わない」というひとさえいた。

ここに、岩波ジュニア新書792という新書があってタイトルは「キリスト教入門。僕は早速ネット通販で買って目を通した。

 イエスはユダヤ人で、旧約聖書と云われているユダヤ教徒で、そのユダヤ教の宣教師の資格さえ取ります。ここからがイエスの凄い所でユダヤ教の布教のために使途を集めていろいろな講演をしますが、その中にどんどん自分の考えを織り込み、信者を獲得していきますが、ユダヤ人以外の人種に関しても神の愛を説き沢山の支持者をえます。 

 これに腹を立てたのがユダヤ教の頬分で改善命令を出したり、宣教師の資格を剥奪したりしますが、イエスはその命令に従いません。そこで。イエスを捉えて処刑したのはユダヤ教徒の司令部でした。普通こういう時、イエスが起こした宗教運動の本部はユダヤ教をはいじょするのですが、イエスはそれを許さず、ユダヤ教徒の神との契約を全て受け入れ、新約聖書に織り込みます。

 かくして、イエスを処刑したのは、ユダヤ教徒の宣教師たちであり、イエスはそれを受け入れ黙認し刑に服した、ということのようです。十字架に架けられたイエスは、翌日には十字架から離れて天に上ったとか、いろいろと伝説があるようですが、それらは、どうも後から加えられた寓話のようです。

 ただ、僕が不思議に思うのは、大昔人類の祖先がジャングルに住んでいたころから、イエスが誕生したころ、それほど時を経ずにインドの山奥で釈迦が生まれ、中国の黄河のほとりで、江氏が現れ儒教を広めた点である。筆者はダーウインの進化論は正しいと信じています。だから、機会があったらガラパゴス島へは行ってみたいと思っています。まあ、のこり少ない人生です。ガラパゴス島へは、あの世経由でゆくことになるでしょう。以上蛇足で失礼しました。(T)

    

                                 中秋の名月


夕方の5時頃散歩に出ました。

2017-10-03 | 気ままなる日々の記録

   正確には、家内が連れて行ってくれました、と云うべきところ。

 ここの施設に入居して早や3年は過ぎたと思う。正に「光陰矢の如し」の観である。

  此処の5階からいつも見ている田圃を今夕は同じ目線で見て自分が子どもの頃お手伝いでよく見ていた稲穂をマジかに診て、稲穂が風に揺れて微かに立てる音も耳にし感無量であった。

正に「秋来ぬと、目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を体感した。

 更に、振り向けば十五夜の月。正に「盆の様な月」であった。「菜の花や月は東に日は西に」と謳われたたように大自然は美しい姿を私たちに見せてくれている。この美しさは東京の銀座のネオンや街路灯の及ぶところではない。

 我々人間は偉そうに発電所を作って街路灯を灯したりして見たが、大自然が生み出し私たちに惜しげもなく見せてくれている美しさにとても及ばない。

 それを忘れずに自然に優しい生活を大切にすべきだと思いつつの散歩であった。

 江戸時代から明治になっても続けていた陰暦による生活をもう一度とりもどしたいものである。(T)

     

                                             散歩道にて    黄金色の稲穂。

 

 


エレベーターホールでの会話

2017-10-01 | 気ままなる日々の記録

  ある日エレベーターホールで待っていると、私の後ろで、若い娘さんと老婦人が話しているのが耳に入った。気になったのは、会話の内容である。

老婦人曰く、「それで、あなたの御母さんが、私の娘になるのね」娘さん曰く、澄ました顔で「そう」。という。

 普通こういう言い方をするだろうか。考えられるのは娘さんが海外留学へでも行って、長い間に様子が変わりあまりにも成長が速く記憶が付いて行かない場合。あるいは、孫の数が多くて名前がとっさに出てこない場合。最後の一つは、考えたくはないが、認知症が始まった場合。

 認知症と云えば、私の母も70代後半から、認知症が出始めた。脳梗塞も発病し急速に物忘れが進んだ。子どもは女の子ばかり3人。このことは、随分遅くまで、しっかりと覚えていた。名前が云えるのは日によって違いまちまちであった。ある日主人と妹と3人で母を訪ねた時のことである。主人の義理の父、妹と私には父に当たる人の名前が出た。母にとっては忘れようのないダンナの名前である。その時の母の反応は「私そんな人知らないわ」であった。居合わせた3人は最初唖然としたが、その後皆で大笑いした。

 明るい性格でお喋りが好きな母はときどき、このようなトンチンカンなことも口走り、皆を笑わせていた。

 私も70代後半になりどんな認知症が出るか不安であるが、できれば、軽症で意地悪でない方がよい。(E)

    

                              土手の花