右脳視床下部内出血による「左半身不随」になってはや3年です。普通こういうとき「馬齢を重ね」と云うのでしょうが、小生の場合「馬」に申し訳なくてそんなことも云えません。
三度の食事は部屋へ運び込まれますのでいつも有り難く頂戴しています。そして、月、水、金がリハビリと称する訓練で火、木。土がお風呂です。経費を考えたら1ッか月で僕の預貯金はそこをつくでしょうが、健康保険と介護保険で安心してお世話になっています。ありがたいことです。リハビリとお風呂以外は、ベッドで寝ていて好きな文庫本をよんでいます。学生時代卒業ゼミでヒルベルト区間論を勉強した友人が、時々ボイスと云う雑誌のコピーを送ってくれますので、有り難く、丁寧に読んでいます。
まあ、僕の関心事は昭和16年12月8日でしたか、我が国はハワイのアメリカ海軍基地を奇襲して第二次世界大戦に突入していきましたが、そのとき。我が国の首脳陣たちは「何をどう考えていたか?」です。何をどう考えても勝算はありません。「外交音痴」といいますか、「盲人蛇を恐れず」の世界でしたか。山本五十六連合艦隊司令長官が「3年は暴れてみせる」と云ったとか聞きましたが神風が吹いて敵の船が全部沈むという神話を信じていたのでしょうか。といいますのも、「戦争放棄」の憲法を守っておれば戦争にはならないと信じている人が多い我が国では、もはや、つける薬がない。というところでしょう。「言霊信仰」というほかない状況だとおもいます。
たよりのアメリカも怪しげな人が大統領になる時代です。そろそろ真面目に憲法を改正して自衛隊を合法化して、軍が独走しないような、法整備をし、「歴史の教訓生かす」賢い国民世論が政治を動かす国になるべき時代に入ったと思います。
山茶花