かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

髭剃り

2017-06-29 | 気ままなる日々の記録

 私が小学生の頃父が髭を剃るのをよく見ていた。熱いタオルを顔に当てそれから刷毛で石鹸を付ける。父は髭が濃くて多い方だったので顔半分くらいは泡だらけになっていたのを思い出す。其れから何分もかけて、丁寧に髭をそるのである。

 ところが、主人の髭剃りはみたことがない、ホームへ入って手伝うようになって、主人に質問をすると出勤する前日入浴の時にそっていたという。髭が少なくてそれで十分なのだろう。6カ月の入院中は、どうしていたのかと聞くと、全然覚えていないという。多分私は手伝っていないので、看護士さんか、ケアーさんに、手伝って貰っていたと思う。

 ホームに入ったときには引き出しに電気カミソリが入っていたので、家から持ってきたか売店で買ったと想像するが、何しろ私の生活が霞んでいたので私も全然思い出せない、

 ここ数年は、電気カミソリを使っていたが、半年ほど前から「それはダメだ。髭のほこりが鼻に入って、気持ちが悪い、

Tの字型のカミソリがよい」という。湯を沸かし熱いタオルを用意しまた石鹸を落としてと電気カミソリの数倍手間も時間もかかるようになってしまった。それでも、時間はたっぷりあるので、主人の気持ちを大切にしてその方法に従った。

 ある日外出から帰ってくると顔の下の方がサッパリしていた。「どうしたの?」というと、「自分で剃った。」という。「電気カミソリなら一人でも上手にできるのね」と云う言葉に気を良くしたのかそれから毎回電気カミソリを使っている。運が良いことに本日売店の閉店セールがあり、半額になっていた。新しいのを買ってくると刷ってみると乗り気になっている。よいことである。(E)

   

                                       蓮池のパピルス

「パピルス」について。エジプトのピラミットの中から見つかった紙がこのパピルスからつくられていた、と云うことがわかって注目を集めた植物。緩やかな流れの川岸に自生する繊維質の強い植物。

 

 

 

 

 

 

 

 


プラム

2017-06-25 | 気ままなる日々の記録

 今私の部屋は甘いプラムの追熟の香りが充満している。まるで花粉の飛ばない花畑にいるようである。

本日婿が雨の中プラムをリュックに背負って届けてくれたからである。

 先日娘に今年は空梅雨のようで、プラムが甘くて美味しくなるから、楽しみとメールを送ったら着果が悪いと書いてきた。添付の写真を見ると本当に悪そうで何処になっているか分からない。その傾向は昨年あたりからで出したが今年は特にひどく、最盛期の10分の1にもならないようだ。

 主人はまふゆにやっていた硫化硫黄剤の散布をしていないので、ふくろみ病が発生したにちがいないという。

 娘は受粉に大切な異種の木が周りの木々の日陰になって花粉が飛ばないからという。

 私は25年前に植えた木の寿命がそろそろなくなりかけたと推測する。その他にも開花時期の気候やミツバチの数、除草剤の影響も考えられる。

 毎年収穫できた我が家の美味しいプラムが将来なくなるのはとても淋しい気がする。やはりしょくぶつには。毎日の管理が必要かもしれない。(E)

    

                                                ワイルドストロベリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 


農家の朝は今も早い。

2017-06-25 | 気ままなる日々の記録

  今日は日曜日、リハビリもお風呂もなく24時間フリー、それだけでワクワクして、早速「館内散歩」に出かけた。

 3階の中央部に広いまどのところがあって、其処へ行くと視野が広い。僕はそこへ行って眼下に広がる広大な田畑を見ていることが好きだ。

 小学校高学年から、中学・高校とよく農作業を手伝っていたので、田畑もみていると、いつの間にかそこにこどものころの自分がいて良く働いている。

 今は機械化が進んで、広い畑や田圃にエンジン音が響いている。今朝も5時頃もう耕作機が動いていた。

 昔は朝食前にする仕事のことを「茶前仕事」といって、重労働と思っていなかった。

 どうやらそうした考え方は今も残っているようで、近くの農道には、軽トラが止まっている。 作業が一段落したところで、朝食のため帰宅されるのだろう。

 どうして軽トラが2台必要かちょっとしたクイズで耕運機を田圃へ運び途中朝食に家へ帰るとすればやはり軽トラが2台欲しい、切り詰めれば1台で後は、自転車ということななるが、自転車は雨の日や風の強い日は大変だ。

 農業の近代化も相当の予算が必要だ。

 アメリカで農作業中の青年にあったことがあるが、彼は耕運機を運転中に運転席でコーヒーを淹れサンドウィッチを食べていた。農家の豊かさを見た気がした。

 日本では3食共にお茶漬けでハムやソーセージはお祭りとか何か特別な日でないと食べなかった時代のことである。あの頃と比べれば農家も随分豊かになったが、まだ、アメリカの農家には及ばない。アメリカでは、冬など農閑期にはペットの犬まで連れてフロリダなど温暖な温泉地へ子供を連れて出かけてしまう。フロリダの小学校には冬季だけの生徒をうけ要れる体制ができているからやはり大したものだ。(T)

   

                      田の様子

 

 

 

 

 

 

 

 


クロネコ大和に賛成!

2017-06-24 | 気ままなる日々の記録

    お恥かしいかぎりだが、昼間寝すぎて夜中に目が覚めることがある。

 若い頃は「いつでも、どこでも、どれだけでも、寝る」と友人に羨ましがられた僕であるが、最近はそれほどでもなく、

 夜中に目が覚めることがある。そんな時おとなしく寝ておれない性分でゴソゴソ起き出して廊下の突き当たりの窓から国道を見に出かける。 今も見てきたがさすがに国道を走るトラックの数が激減している。

 多分これは、物流大手のクロネコヤマトの配達回数の見直しによる従業員の生活時間の健全化の影響だと思われる。

 従業員の労働時間を無視して数時間配達時間を早くして何になるか。

 生鮮食品ならばクール便にすればよい。年末と比べて夜中に国道を走る大型トラックが激減した。これは物流最大手のクロネコの決断によって大型トラックの運転手の生活が守られたからだと思われる。

 国民の文化的生活を守るために大手企業の経営者の判断は大切だと思う。

 この点において我が国の経団連にエールを送りたい。(T)

 


タニシ

2017-06-22 | 気ままなる日々の記録

 毎日散歩する道路脇の田にタニシを見つけた。30匹か40匹はいたと思う。田の持ち主が持ち帰らず一時的に集めていたものと思っていた。ところが、一週間たっても、現状は意向に変わらずそのうちに、注水が始まり水の勢いで2メートル四方へと散ってしまった。

考えてみれば今は農薬を使うので、田の中にいるタニシを食べる人は多分いないとあとで思った。

 私が小学生の頃通学路はのんびりした気配が漂い通学時間は子供の足で45分もかかった。家と学校のちょうど中間あたりには、幾つもの田が広がり綺麗な2メートル幅の小川も流れていた。夏の暑い日や退屈な通学途中では、よくここで遊んで帰ったものである。勿論タニシも取った。そのタニシを家に持ち帰ったと思うのだがどのようにして食べたか記憶がない。

 主人に尋ねたら子供の頃やはりタニシをとり家でも水瓶に土を入れて飼っていたという。冬さえ越せば簡単に増え、それも食べていたそうだ。始めに泥を吐かせるため、きれいな水に移す。数日経過したあと、そとの殻も綺麗に洗い、茹でる。楊子で身の部分を取り出し、酢味噌あえにする。これが一番美味しかったと思い出したように云う。時には茹でた分葱をいれたとか。私は大人になってから、田楽の専門店で串に刺したものを食べたことがあるが、市販されているかどうか分からない。

 家では毎年田楽パーティーをしていたが、面倒なタニシは使ったことがなかった。(E)

    

                   無花果畑の水路


戦前の教育のはなし。

2017-06-21 | 気ままなる日々の記録

 今日お茶会の時、書家とご一緒し、旧制中学校の頃の学校のお話を聴くことができた。僕も昔先輩の先生方からお聞きした話を思い出しそのお話の真偽をお尋ねした。以下Tは私、Sh書家のお話である。

T「旧制中学で汽車に乗って遠足に行くとき、すれ違った列車に女学生が載っているのを見つけ、窓からハンカチを振った生徒は全員謹慎処分を受けたという話を聞きましたけどそんなふんいきでしたか?」

S[そんなこともあったかもしれんね。僕が中学の鍛練部にいた時毎朝4~5キロ走るのでしたが、そのコースが女学校の門の前を通るコースだった」そのことを先生に告げ口する生徒もいて、「女学校の門の前を通るな!」と先生に注意されたことがあった、とのこと。男女共学の今の若い人には信じられない学校でした。歴史の証言のために書きました。(T)

  

                   父の日とサクランボ


初めての検査

2017-06-18 | 気ままなる日々の記録

  胃カメラの検査は何回も受けたが、大腸の検査は受けたことがなかった。ところが、最近腸から出血し受診したところ、内視鏡の検査をすすめられた。そろそろ、年齢的にうけた方がいいかなと思っていた矢先だったので、前向きな気持ちで承諾した。

 検査の準備は、三日前から始まる。三日前は消化の良い食事をとること。二日前はそれに加え、寝る前錠剤を弐錠服用、前日は検査食という特別食 が始まる。昼食はクリーム・シチュウのみ、夕食はおかゆと野菜の煮物、薬2錠と200シーシーの下剤。当日朝は絶食となり、またも200CCの下剤。

 9時ごろ病院に着きそれからが、大変だった。

1時間くらいの間に1000CCの下剤とその後コップ3杯の水、その後また下剤と続く。

 私は体重が少ないためか割合早く1000CCに達しない頃検査OKとなった。最初腸の動きを止める点滴を受け直前に注射器の様なもので、他の薬を加える。多分眠り薬の一種だろう。うとうとするかしないうちに、腹部に圧迫を感じ検査が始まったようだった。痛みは全然なく、数分後思ったより早く検査はあっけなく終わった。そして、注意書きの用紙の何の制限もなしと云う文字が目に入った、本当に検査はアッという間。下剤を飲むのが苦しかったのみである。(E)

  

                      前庭にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[仏教について。

2017-06-14 | 気ままなる日々の記録

   お陰様で毎日24時間暇である、食事は毎日3食部屋に届けられるし、トイレも部屋についていてドアーをあけるだけである。

 毎週3日、一日45分のリハビリが義務付けられているが、後は自由時間である。

そこで、必然的に多くなるのが読書の時間である。

本は昨年までにアマゾンで買った新書版や文庫本が手元にある。そこで、いよいよタイトルの本であるが、具体的には岩波ジュニア新書「仏教入門」松尾幸剛次著「仏教入門」である。ちょうど僕に合った入門書であった。

 我が家では毎月父と祖父の月命日にお坊さんが来てお経をあげていて、 盆正月にお礼を持って行っていた。我が国の代表的な仏教徒の家庭であったが知 らないことが多すぎ僕に適した入門書であった。

 江戸時代家康がキリスト教や一向一揆に困ってお寺に戸籍係のようなことをさせたために仏教が「葬式仏教」として定着し釈迦の教えを何も知らないまま仏教徒になった気でいた。今から思うと「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏にお任せしますと云う信仰告白であると云う事さへ知らなかった。

 だから仏教徒のつもりでいたというべきだった。

 宗教を考える時もっとも大切なことはその宗教は人の世をどう見ているか、ということである

。キリスト教の場合は全てのことは神様の思いのまま動いているという世界観であるし、 仏教の場合は全てのことは何処かに原因があってその結果によって動いていると考えていると云えよう。つまり「因果報応」というか、 どこかに原因があって今こうなっている、と考えているということである。 よく分からないときはご先祖様に原因があるということにしてしまうようである。

 オソマツ君の場合半身不随になったのもオソマツ君が相当の悪事を働いたかおそまつ君の先祖が悪事を働いたからということになる。 ところが、そのどちらも、訊いていないし心当たりもない。もっとも無意識の内に何か悪事を働いたのかもしれない。

 つまり何もわからない。こういう時はもうまとめて阿弥陀如来にお任せするしかない。

 つまり、南無阿弥陀仏だ。南無阿弥陀仏は、カタカナで、「ナムアミダブツ」と書いた方が感じがいい。

 何もわからずにお念仏を云っているという感じがでるからである。シツレイシマシタ。(T)

  

                                                            蓮池の半夏生

 

 

 

 


旧制中学の入試

2017-06-13 | 気ままなる日々の記録

   突然昔の話しが出てきて、面食らう人が多いかも知れない、私でさえ少し混乱している気配がある。同じ階へ入居中のSさんから旧制中学入学の時の話を聞いた。その中学は京都府内にあり当時は綴り方のみの入試で合否が決められたそうだ。今大学入試で行われている小論文というのに似ている気がする。「綴り方の題は覚えてみえますか?」と尋ねると「防空演習の夜」とすらすら口にされる。だが同級生の中には大変だったらしい人もいたとか。きいたこともいないひとがいたから。私自身も内地に住んでいなかったので、その当時のことは何も分からない。

   後で主人に聞くと警戒警報とか、空襲警報とかいろいろ関連した言葉が出てきて、ますます分からなくなる。警戒警報とは敵機が近づいているときにでる警報で学校があるときなど、通学班ごとに並んですぐ帰宅になったという。空襲警報はモット緊迫した状態のようで、部屋の明りを暗くしたり壕の中へ逃げ込んだりしたという。入試では警報が発令された時の訓練の様子を作文にしたのではないかと推定する。

  主人の話しとは地域も時代も少し異なるのでわからないこともある。

 経験の無かった同級生の方も無事入学され長い間弁護士をなさっていたとか。見たこともない人の話しだけど、本当に心からホットした。

 本日はその友達の弁護士の話を聞いた。土地問題で困っている時助けて貰ったと。いい友達をお持ちでSさんはお幸せだなあと主人と話し合った。(E)

    

                                           中庭の紫陽花

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語について2題

2017-06-13 | 気ままなる日々の記録

その1 「大丈夫?」の大流行

  今日は6月13日[火)でオソマツ君にとってはお風呂の日。時間通りに行動しないと皆様にいろいろ迷惑をおかけするので、緊張して腕時計を見ながら行動した。

 お風呂ではケアーさんが慣れた手順で次々に衣服を脱がせて下さる。

 時々麻痺している左腕を伸ばしてシャツを脱がせて下さるが、体の硬いオソマツ君に半身まひが起こっているのだから、スムースにはいかない。

 そこで、少しくらいなら腕がねじれても曲がっても、エイと引っ張ってしまうこともある。そんな時には肩や背中に激痛が走る。思わず「痛い!というとケアーさんたちが「だいじょうぶ?」と聞いてくださる。お湯が熱くないか?も「大丈夫?」だし頭を洗う時も「大丈夫?」だ。

普通「いいですか?」と聞くところをすべて「大丈夫?」とおっしゃる。

 思えば「大丈夫?は、女学生言葉だ。女子高校生たちは友達同士「大丈夫?」と云い合って友情を深めている。

 お風呂のおばさんたちもいつの間にか若返った気持ちになって「大丈夫?」「大丈夫?」と云って、若返っておられるらしい。そう思って聞くと余計に小母さんたちの若返り願望の強いのに驚かされる。

小父さんたちは高校生の頃に戻りたいなどとは1センチも思わない。

その2 鼠蹊部について。

 オソマツ君は発病前に比べると圧倒的に運動不足である。

そうすると皮膚病に罹りやすくなる。

 多分、運動不足は毛細血管の血流を弱め、白血球の劣化が起こり、いろいろな皮膚病に罹りやすくなるらしい。とまあこういうことでオソマツ君は皮膚科で塗り薬を貰っていて、 お風呂から出るとそのお薬を塗って貰う必要がある。

 そこで「ポケットのチューブの薬を鼠蹊部におねがいします。」と云うと「ハイハイ」といって塗って下さる。

 そのとき、オソマツ君が「女性の鼠蹊部は何と云うのかしら」と聞いたら「やっぱり、鼠蹊部でいいと思いますよ」とケアーさん。「でも、ネズミがいないがいいですか?」と僕。ケアーさんは、キョトンとしておられた。

 多分ケアーさんは、「この人も痴呆になられたか・・・・・・」と思われたに違いない、(T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今年も我が家にツバメは来ただろうか?

2017-06-11 | 気ままなる日々の記録

  住宅型有料老人ホームに夫婦揃って入居して3年になります。

 僕が明け方の5時にトイレに起きてその場に崩れ落ち救急車のお世話になって近くの総合病院に運ばれたのが12月25日。 そこでいろいろ応急手当てを受けて最後に脳のCT検査を受けて戴いた病名が「右脳視床下部内出血による左半身不随」というもので、総合病院から専門病院へ転院となり、さらにそこから、再度リハビリ設備が充実しているからということでここへ移るように云われて、今日に至っています。

 僕が育った生家は純粋な農村地帯にあって、廻らには田圃も畑もたくさんあって、夕暮れともなれば田圃からは蛙の鳴き声が聞こえ夜には蛙の鳴き声の大合唱に眠られないほどであった。5月ごろには前年我が家で育ったツバメが帰って来て巣の修理を始めそこに卵を産み2羽のツバメが交代で抱卵し子ツバメに餌を運んだ。子ツバメが大きくなる頃沢山の糞を落とすので毎朝巣の下を掃除するのが子どもの仕事になっていた。

 此処へ来てからも3階や5階の窓から眺めるのは決まって田畑でありその上を飛び交うツバメである。ここで発見したことはツバメは羽ばたきもせず何もしないのにスーッと天に昇って行くということである。よく見ていると、そこに上昇気流が起こっていてツバメはそこへ入って羽を広げているだけで天高く登って行きある高さまで来たとき少し羽を動かし45度下方へ向かって滑空する。

 その途中にとんでいる昆虫を食べて食事としているということである。毎年5月下旬にツバメが我が家に来ていたが、それは、昨年ここを巣立ったツバメだと云っていたが印をつけて調べたわけではない。ただ我が家の場合ツバメが出入りしやすいように壁の一角を切り取っていたが来たばかりのツバメがその穴を上手に使って出入りするので、子供の時に覚えたルートを思い出していると云えなくもない。

  

                     梅雨の合い間に

 

 

 

 

 


「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」

2017-06-11 | 気ままなる日々の記録

   今日は日曜日、終日何の予定もない。僕はよほどの自由人願望が強いのか、これだけで、ワクワクする。

 そこで、新潮文庫の見出しの題名の文庫を読み始めた。 僕らが高校時代に習った日本史では、そこをキチンと教えてもらえなかった。戦犯裁判というものがあって、東条英機氏を始め7人ほどが死刑の判決を受けて処刑されたが、この裁判を行ったのはGHQで、日本政府ではなかった。 本来ならば戦後の新政府の手で、何故我が国は世界を相手に戦争をしてしまったかを、分析し「過ちは二度と起こしませんと」国民に示してほしかったが政府が主催する検討委員会も開催されなかった。

 日本人は本当に論理的でなく、都合の悪いことはすぐに「水に流す」ことが好きで、なかったことにしようとする傾向がある。 そのうえ「お祓い」をすれば、責任は問われないという傾向もある。新年を迎える時お宮で大切なことは、「水拭き」と「お祓い」である。日本人の傾向は、神道から来ているかもしれない。

  最後に、見出しの件ですが、日本のマスコミ(主に)新聞の罪を忘れてはならない。特に朝日新聞が顕著だったようだ。 日清戦争の頃から従軍記者を派遣し、「勝った勝った」と云う記事を書いたという。そうすると、新聞購読者が増加し、新聞社は増資をし、 発行部数を増やしたという。今まで新聞を摂っていなかった、家庭が新聞をとるようになって、新聞市場は活気に溢れたという。

 2.26事件や5,15事件によって、リベラルな貴族や知識人が軍人によって暗殺された影響で、リベラル派が口をつぐんだことも忘れてはならない。

 我が日本民族は短絡的なところがあり、複雑化する国際情勢の中で複眼思考とか、人道的思考を見失うことなく目立たなても、他国から尊敬される国でありたいものである。(T)

    

                                                             ブルーベリーのみ


子供の頃の思い出Ⅱ

2017-06-10 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君が子供の頃は7人家族だった。

 祖母に子供がなく、自分の妹を養女に迎えその養女に養子を迎えた。 其の養子がオソマツ君の父親である。

 ところで、僕が子どもの頃、母屋の東側にチョットした空地があって、そこに大きな枇杷の木があって丁度今頃、沢山黄色い枇杷の実を付けたものだ。 完熟を待って、収穫すると、これが、本当においしい。

 この木は鳥の落とし物から生えたのか、苗を買ってきて植えたものではなかった。

 子どもの頃はこの枇杷が美味しくて、よく食べたものだ。

 ところが。その頃祖母は偏頭痛に悩まされ、よく床に臥せっていて、そのうえ、「枇杷の木を屋敷に植えると、その家に病人が絶えない」という迷信を信じていて、 枇杷の木を切るようにといつもいっていた。子どもたちは大反対、で母は板挟みになって困っていた。

 その時、父が枇杷の木を中心に半径50センチくらいの円周上に槇の木を植え、この枇杷の木は屋敷の外の木だと云えばよい、と云い張った。

 というのも、我が家は屋敷の周りに槇の木が植えてあって、いわゆる生け垣が槇の木だったのだ。これには祖母も観念して枇杷の木を切るようにとはいわなくなって子どもたちは父を尊敬したものである。

 勿論養子の父が姑に直接そんなことをいうはずもなく、全ては母を通してのやりとりで、母も苦労が多かったものと思う。

 参考までに;琵琶には、薩摩琵琶とかいう浪曲に似た語り節があって、それを「唸る」と云っていた。

 その槇の木も今ではヒョロヒョロで見るも無残な姿になっていることだろう。第一日当たりが悪くて槇の木の新芽が育っていないだろうし、枇杷の木に押され槇の木は根を伸ばす余地もないことになっているだろうからである。(T)

    

                                                        淡路島からの琵琶 ↑


携帯騒動。

2017-06-08 | 気ままなる日々の記録

 主人の携帯が突然故障した。電源を入れると画面が出てくるが少し経過すると消えて真っ暗になってしまう。たまたま帰省した娘に相談すると即座に「買い替え」「買い替え」という。

私の気持ちも10年近く使っているのでそろそろ買い替えの時期かと思い始めた。

 気がかりなのは、新しく買い替えた携帯が、果たして操作できるかということ。本人は気落ちして入浴もしたくない様子。兎に角早くと思い次の日近くのドコモショップへ出かけた。

 私としては小さな電気製品でも買うつもりで出かけたが、それがとんでもない間違いであることが判明した。

 アンケートに記入したり、相談したりしている内に、新規購入ということになった。本人でないため委任状は持っているか、本人確認の書類はあるか、同居を証明できる書類はあるか。手帳はもっているか。と矢継ぎ早の質問にうんざりしてしまった。時計を見ると1時間半も経っていた。携帯一つ買うのにこんなに時間や書類が必要なのかと、改めてびっくりした次第である。次の日出直したらまた1時間以上かかかった。

 ヒトツダケ運がよかったのは、私が「80歳以上の老人がつかうのだから、操作が今までとさほど変化がないこと、使う目的は通話のみ」と主張して、今まで使っていたガラ系の形態とそっくりなのを探してくださったことだ。

 本人はいまのところ気分よく使っているが値段は今までのと比べると倍以上はしている。いろいろな機能が付いているに違いない、(E)

    

 

 

 

 

 

 

 

 


3階の窓から広大な尾張平野を見ています。

2017-06-08 | 気ままなる日々の記録

   僕は暇ができるとすぐ、いそいそと3階へ車いすを漕ぎ眼下の田畑をみに出かけます。間もなく田植えシーズンです。此処大口町は立派に耕地整理を行い縦30メートル横20メートル位の田圃に揃え、耕運機が入りやすい農道も作っています。最近は田植え機も使われており農作業の機械化も画期的に進みました。

 オソマツ君は30×20=600平方mの土地を水平に耕すということは機械には随分難しいことじゃないかと考え込んでしまいます。これをキチンと行わないと水を張ったとき浅い所と深い所が出来て機械で田植えをしたとき稲が沈んでしまったところと沢山頭を出しているところができて、きっと収穫量にも影響が出ると思えるからです。キャタピラー進むブルトーザー出た階部分の土を低い部分へ押していくという方法ではきっとうまくいかないだろうと考え込んでしまいます。ブルトーザーを押して土を水平にするという仕事はかなり高度な技術と測量機器が必要と思われますが、眼下の田圃は其れを見事にやってのけ水面から出ている稲がほとんど同じ長さに揃っています。

 それに、給水用の水路と排水用の水路を別にして静かな差し水で給水をした様子が見てとれます、多分1枚の田に水を張るのに1昼夜を掛けていると思われます。

 オソマツ君の家の方の田圃はこんなにうまくはいきません。初期条件の違いや農家の平均耕作面積の大小にも影響するわけで、耕地整理と一言で言っても大変難しい問題を内包しています。水平の実現も耕地整理後の農地の配分に伴う端数処理の問題まで、全て数学の問題です。

 更に農地の場合特別な法律があって、ウッカリするととんだ制限を受けます。これらを農民にとって、都合がよいように気を配りながら耕地整理をするということは、大変なことでした。(T)