詩らしき独り言『僕の左手君へ』 於粗末太郎作
きみが、僕の左肩から
ぶら下がってもう78年にもなるね。
初めはとても可愛かったと思うよ。
良く動く赤ちゃんの手ほど可愛いものはないからね。
だんだん大きくなって食事の時はお茶碗をもってくれるようになり、
あっ そういえば、僕が若かったとき、
ほんの年に数回だったけど、
君にフォークをもってもらったこともあったよね。
フォークでご飯を食べる時はナイフを使ってフォークの背中にご飯を乗せて口へ運ぶんだったよね。
あれはずいぶん難しかったね、でも君は上手だったよ。
最近では僕が庭木の剪定をするとき
横に張り出した枝の根元をシッカリと掴んで僕の体を支えて呉れていたよね。
右手は剪定ばさみを持っていて勝手にあちこち動き回り、度々危ない姿勢になったものだ。
そんな時も君は反射的に枝を掴み瞬間的に力を入れて僕の体を支えて呉れていたね。
君は、僕が何かを頼んだり命令する前に僕の気持ちを先取りして嫌な顔一つせず、
よく僕をたすけてくれていたよね。
あのころ、僕は君にもっともっとお礼をいうべきだった。
君にもっともっと感謝すべきだった。
今つくづく反省しているよ。
あの日(昨年12月15日)午前3時、トイレに立った僕は寒い!と思った瞬間にその場に崩れ落ち、
救急車で運ばれた病院で頂いた病名が「右脳視床下部内出血による左半身不随」だった。
あれから君もおかしくなったんだよね。
思えば君は何処も悪くないのに。
壊れたのは僕の脳だけなのに。
君はもう何もできなくなって、
見るからに無様な格好になってしまったよね。
可哀そうに。
夜中真暗な部屋のベッドで目を覚ました時、
ぼくは、きみはどうしているかと思うことがあるんだ。
君が何処にいるか分からないからだ。どこも動かさずに
両足も右手も何処にあって、どうなっているか、良く分かるのに。
君だけはサッパリ分からないのだ。そんな時ぼくは、右手をそっと動かして
君を探す。そして、僕のお腹の上で君を見つけたとき
おお、此処か!と云いながら、やさしく君を握りしめる。その時君の暖かいこと!
僕は右手で君を取り出し君の甲に頬摺りをする。そして思い出すのが僕担当の理学療法士の言葉だ。
「オソマツさん、気を付けて下さいよ。ウッカリして、左手が何かに挟まって切り取られてしまい
血が滴っていてもオソマツさんは気が付かない場合もあると思いますよ。
それだけに、何時も左手に気をつけてくださいよ」と。
ぼくも、間もなく三途の川とかを渡ることになると思うよ。
その時僕は君の甲に頬擦りをし、思い出話を君にしながらジャブジャブと渡るとおもうよ。
その時は、君も内緒の話を僕にしてくれないか。
いまがら、しっかり頼んでおくよ。
そういえば「私の彼は左利き」と云う歌が流行ったことがあったね。
歌っていたのは麻丘めぐみさんだったと思うよ。あの歌が聞こえてくると
君とは全く関係ないのに君はそわそわしていたね。僕はチャンと知っているんだから。
こんな話を二人でペチャクチャ話し、
クツクツ笑いながら渡ろうよ。
こう書いているだけで、
何か楽しそうに思えて来たよ。
きみはどうだい?
左手「オソマツさん、今の状態では車いすでないと、ジャブジャブは無理でないですか?」
オソマツ「オーオ、そうだったなあ。三途の川には手すりの付いた歩道はないのかなあ」
左手「どうでしょうね。三途の川を調べておきましょうよ」
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(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - [三途の川の用語解説] - わたり川,みつせ川 などともいう。ともに俗称である。『金光明経』によれば,地獄,餓鬼,畜生の三悪道が 三途の川とされるが,通俗には『十王経』 (偽経) に説かれているところの冥途に行く途中 に……)
要するに車椅子や手すり付きの歩道橋ができる前の時代に書かれた経典だから言及されていない。従ってリハビリに励み、ジャブジャブ渡ることができるようにするという結論が妥当だ。
これだけ障害者や高齢者が多い時代になった。冥土も三途の川も改築工事をしているとは思うが……
『太郎と花子』内の蓮池にて、於祖松君の歩行訓練。