かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

平成28年大晦日《12月31日)のご挨拶。

2016-12-31 | 気ままなる日々の記録

  いつも、拙い私のブログをご覧頂き、その上身に余るコメントなどお寄せいただき、誠にありがとうございました。

 心から御礼申し上げます。

 ご案内の通り、小生「右脳視床下部内出血により左半身不随になり、

 まるっと3年が経過、現在は杖を突いてやっと少しずつ歩けるようになり、階段は手すりに捕まってやっと上り下りできるようになりました。が、

 失ったものが大きすぎて心がすっかり元気を失い何事にも意欲が湧いて来なくて生ける屍同然の生活を送っています。

 微かに意欲が残っているのが読書で、テーマは「どうして我が国は勝てるはずがない米英と戦争をはじめてしまったか?」です。

 思えば自分の頭に止まった蠅さえ追えないものが、偉そうに我が国のことを考えているなど滑稽ですよね。

 今夜は、「紅白」とか、もう知らない歌手の知らない歌ばかりで昔のような昂揚感のない紅白ですが、ぼんやりTVを見ながら来年の過ごし方に思いを巡らせようと思っています。

 年賀状は昨年同様今年も欠礼しています。このブログで失礼ですが、来年も、どうかよろしくご指導ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。皆さまがたもどうか良いお年をお迎え下さいますように。(T)


年末の出来事。

2016-12-30 | 気ままなる日々の記録

 数年まえまでは、年の暮と新年の区別がとてもはっきりしていた。年の暮には慌ただしさがあり、新年に入ってからは、ゆったりさが感じられたからだ。

 私は年の暮の大掃除が割合好きだった。其れで12月に入ると早々と計画を立て暖かい日は外回り、寒い日は家の中のストーブのそばでと気温や天気に合わせて、いろいろ区別しながら行っていた。

 我が家は築100年と40年くらいの二つの家が庭を囲むようにして、建っている。ガラス戸が多く両方合わせてガラス掃除は5日以上かけていた。12月上旬から始めるので新年になる前に汚れてしまうこともあり二度拭いたこともある。南側のガラス戸を拭いていると暖かい日などはポカポカとして本当に気持ちが良かった。そのうえ拭き終わったガラスを眺めると実に綺麗になっていて、達成感を味わうこともできた。

 風のない日の外掃除も楽しかった。落ち葉を集めて果樹の根元に敷いたり、堆肥を作るための場所へ運んだり、そのほかに細い樹木の枝を切ったりなど、自分でもできた。ミカン・プラム・柿・キイウイなど、果樹が多かったので実がなることを思い浮かべながらするのも本当に充実した時間だった。

 それが、病気や加齢による体力の衰え、気力の減退などから、今では叶わぬ夢となってしまった。毎日の変化が無くなってしまったのである。

 先日も主人と昨年の年末年始はどのように過ごしたかと云うはなしになり、何も思いだせなかった。特別印象に残らない平凡な日々であったということであろう。

 今年は昨日予想外のことが起きた。息子夫婦から新年用のフラワー・アレンジメントが届いたのだ。部屋の隅に置いたら殺風景な部屋が少しは新年らしくなった。(E)

   

         新年用のフラワーアレンジメント

 

 

 

 

 


現代科学の恩恵に感謝感謝!

2016-12-29 | 気ままなる日々の記録

  間もなく大晦日、寒い日が続き、連日部屋に閉じこもりがち。

 少し読書をして、飽きると直ぐにパソコンを立ち上げインターネットを楽しんでいる。

 小生の場合、母がよく口ずさんでいた昭和初期の流行歌《365夜、目ン無い千鳥)や僕が高校生の頃流行っていた流行歌《異国の丘、湯の町エレジーなど)を「ユーチュ-ブで聴く」としてネット検索し「お気に入り登録をしておき、それをダブルクリックして再生して、訊いている。

 何がどうなっているかサッパリ分かりませんが、それで十分に懐メロを楽しむことができます。

 『光ケーブルだとか聞いた気がしますがよく分かりません。

 いずれにしてもすごいことです。

 量子力学だとか聞いたような気もしますがこれがまたわかりません。

 何れにしてもほんの少しのコストで半身不随の男が自室で近江敏郎さんと奈良光江さんのデユエットで「湯の町エレジー」を聴いているということは恐ろしいことだと思われます。

 科学の恩恵以外の何物でもありません。

 原子力発電の夢は破れて撤退するようですが、あれは日本人の奢りへの戒めでしょう。(T)


クリスマスも終わって、いよいよ年末へと世の中はモデルチェンジしている。

2016-12-28 | 気ままなる日々の記録

  1階ホールにあったクリスマスツリーも片づけられ門松の準備に入ったようだ。

 クリスマス騒ぎはハロウィーンより馴染んできたが、オソマツ君は仏教徒として「メリークリスマス」とは、絶対云わない。何ともない日本人の方が多いようだが、お寺が経営する幼稚園でクリスマスツリーを飾っていたりする。

  日本人の宗教観はよく分からない。

 戦国時代後期にお寺が税の取り立てについて口を出すようになったとき織田信長が怒って寺の焼き討ちを行った。当時お寺が抱えていた僧兵と戦い比叡山の有名寺院をどんどん廃屋にしてしまった。信長は「政治《税の取り立てや公共事業》は武士が行うという意味で「天下布武」を徹底したと学校で教えて貰った記憶だある。

 それ以後宗教戦争や宗教が政治に口を出す空気が我が国から消えたようだ。信長はお寺が後押しする農民一揆に手を焼いていたから政教分離に力を入れたようだ。一揆を鎮圧した後農地を耕す農民がいなくなっていて農地が荒野になっていたからだ。織田信長が手を焼いた一揆は「一向一揆」で親鸞が開祖の浄土真宗な流れをくむ「一向宗」であった。お寺が所有する田畑から税を摂ろうとしたからお坊さんや信者さんは命がけで信長と戦った三河地方は一向宗に勢力が強かったし信長が手を焼いたのは福井から新潟に至る一向宗であった。(T)


安倍総理の「真珠湾でのスピーチに賛成」

2016-12-28 | 気ままなる日々の記録

  安倍総理を日本の総理として誇らしく思いました。

  オバマさんの広島訪問のお返しということになっているようだが、こうした、シナリオを用意されたのも立派!

 パール・ハーバーのことは世界に報道され日本のイメージ・アップに貢献したこと間違いなしだ

 今までの総理はあまりにも小粒でプラスイメージで世界に報道された例を思い出せない。

 安部さんは党内基盤が盤石だからだろうか。そうではなく、発想の基盤のちがいだろう。

 帰国されたら銀座でパレードをして貰って国民の熱狂的支持を目に見えるようにして貰いたい。こうしたイベントは、我が国の野党を育てる意味でも大切だと思われます。(T)

 


中学時代の友人がお見舞いに来てくれました。

2016-12-27 | 気ままなる日々の記録

   事務からの連絡があって「中学時代の友人と云う人が来ておられますが、この部屋へきてもらいますか?」とのこと。僕は「僕が行きます。2階の日当たりのよいテーブルでお会いします」と云ってすぐに出かけた。心当たりは全くない。

  玄関先でそれらしい人をみつけた。子どもの頃の面影を残した老人が立っていた。「やあ。こちらへどうぞ」と気が変わって1階の奥のテーブルへ案内し、チョットしたことの打ち合わせ、家内も顔をだしてくれ、昔話に花が咲く。

 同級生だから彼も80歳だ。それでも10歳代の面影が残っているところが面白い。○○君が亡くなった、とか××君の奥さんが亡くなって、かれは、自炊しているそうだ、という話ばかり聞かされ感無量 。いよいよ南無、阿弥陀仏《すべてを阿弥陀仏にお任せします)の世代になったと自覚した。(T)

           12月の夕暮れ

 


誕生日祝いのE-メイル

2016-12-24 | 気ままなる日々の記録

   我が家は誕生日が寒い時期に集中している。11月下旬の主人に始まり、息子は12月上旬、娘が12月下旬、孫は1月と云う具合である。

  娘は数十年前から私たち夫婦には忘れずに電話かメールを送ってきていた。だんだん仕事が忙しくなって、最近では携帯メールのことが多くなってきたが。それでも子供から便りがあるということは嬉しいことである。私たち夫婦は孫には必ずカードを送るが子どもたちにはしたりしなかったりであったような気がする。

 今年はその役を主人に頼んだ。というのも少し気がかりなことがあって主人と子どもとの会話が少なくなってきていることに、私が気づいたからだ。みみがやや遠くなりそれに加えて年のせいで会話のスピードについていけなくなり、言葉少なになってきているのではないかとしんぱいしてのことである。

 男性としてはおしゃべりな方でホームの皆とは相変わらず話が弾む。わたしは、以前と同じように子供とのおしゃべり好きな主人であってほしいと思うがむりなことであろうか。

 誕生日祝いのE-メイルは息子には名前を決めたときのいきさつやその後のエピソードなども加えてなかなか味のあるメールに仕上がった。そのせいかどうかは分からないが、次の日お礼の電話が入った。今までにないことである。

 娘には張り切り過ぎて、硬い文になり、面白みのないE-メイルになったが、どんな返事がとどくやら(E)

    

          雪化粧をしたアルプスの山々


恐ろしいことです。歪んだ「愛国心」

2016-12-23 | 気ままなる日々の記録

   ユーチュウブで「紅の血はもゆる」と云う軍歌を聞いています。この歌は昭和18年だったか、それまで兵役免除だった大学生にも兵役免除を廃止したときつくられた歌のようで,このとき戦地に送られた多くの学生は2~3ヶ月で戦死しています。戦地の下士官が大学生に劣等感を持っていて無理な作戦をおしつけたからです。

  このとき使われた切り札が「国家への忠誠」でした。それらすべてを承知の上で死地に赴いた学生たちの胸中や如何!日本人の本質はどうやら、「残酷」のようです。(T)


昭和11年生まれは、太平洋戦争を知っている最後の世代か?

2016-12-22 | 気ままなる日々の記録

   最近・暇に任せてインターネットで検索して、子供の頃耳にした軍歌などを「ユ~チュウブで聴く」として「麦と兵隊」や「異国の丘」などを聴いている。背景の映像も懐かしい。すぐ目が行くのが作詞者や作曲家だ。驚いたことに彼らは戦後の流行歌も手掛けている。彼らに思想性や哲学を期待するつもりはないが、あまりにも変わり身の早さには驚かされる。

  彼らは世の中の空気を敏感に感知し何が流行するかを察知する能力が優れているのだろう。大衆は彼らの予測と云う手の内でウロウロしているにすぎないと、云えなくもない。もう少し掘り下げて考えれば日本人はすぐに派閥をつくりその派閥の中で考え行動するということだろう。個人が確立していないのだ。だから「鬼畜米英」という掛け声を誰かが云うと全員が同じことを言ってしまう。

   この傾向は戦前も戦後も変わっていないのではないだろうか。皆が何と言っても自分はそうは思わない、と云う個人が確立していないのだ。これは、長い間の稲作農耕の歴史の中で培われてきたものと思われる。

 狩猟採集民族は他人と同じことを後からしていては、収穫がなく飢えて死んでしまう。あくまで、自分で考え判断しながら獲物を狙わなければ飢えてしまう。こうした状況から日本人的思考がそだったのだろう。(T)

     

       毎日目にするクリスマスツリー


やきもきしたクリスマスカード。

2016-12-20 | 気ままなる日々の記録

 例年は、12月10日前後に届くニューヨークからの、カードが今年はなかなか届かなかった。

 先回、11月の手紙の中に妹さんの訃報に関するコピーが入っていた。それで私はカードを出すべきか、止めるべきかで悩んでいたのだ。私は向こうから届いたらクリスマス当日にEメールで返信すればよいと考えても見たが、折角の年最大のイベントであるクリスマスには、手書きのカードを送りたかった。喪中とは知りながら一週間ほど前に郵送したのである。それでやっと昨日ニューヨークからも届いて、ホッとしたというわけである。

 私の気のせいか、昨年のような派手さはなく、私好みのシットリとしたカードであった。内容もメリーとかハッピーとかいう単語は使わず最北の地メイン州でクリスマスを過ごすということ、メイン州では、松の枝を飾ることや、ドアーのそばにテーブルを置いて挨拶客のためクレメンタインオレンジの準備をすることが淡々と書かれてあった。

 私好みのカードとは表紙にセントラルパークでスケートを楽しむ人々を描いた

オイルペインティングが印刷されたものである。アグネス・タイトの作品で描かれている人々の服装もジーンズやジャージーでなくスカートの人々が多い。

 時代を感じさせる絵画である。しかし、何と優雅なことか。一目で気に入ってしまった。

 ニューヨークの冬と云うと氷つくような寒さを想像するが、この絵からはそんな感じを受けない。ほのぼのとした、温かみさえ感じる。絵の中に古き良きアメリカの雰囲気が漂っているせいかも知れない。

「追記」  八十数年前の1934年、アメリカの女流画家によって描かれたものであることが分かった。(E)

    

       アグネス タイト 作

             「セントラルパークの休日」  

 

 


[スノボー」の大流行にうんざり。

2016-12-19 | 気ままなる日々の記録

今日は驚くほどのポカポカ陽気、土曜日までの寒さは何処へ行ったやら。

 土曜日頃はあう人ごとに

 「寒くなりました。厭ですねえ」

 「もうすぐクリスマスですから」

 「ホワイトクリスマスでしたねえ」などと話していたものだ。

 僕はこんなときいつも、「今はこんな体になってしまってダメだけど、

 若い頃は、スキーが好きで雪が降るのを喜んでいたものです」などと話していたものです。

 すると、今の若い人は「あの細長い板を履くやつですか?」という。

 「そうだよ」と云うとキョトンとして

 「今は誰も板は履かないよ」という。

 「どうして?」と訊けば

 「板だと靴も買わなければならないし、お金が掛かるじゃない」

 とのこと。

 スノボーなら、安いし運動靴にビニールの袋を履いて、紐で留めればいいので、

 お金が掛からないし持ち運びも便利だという。

 実はオソマツ君が優雅にスキーを楽しんでいたころもスノボーはあったが、    

 あれは全然優雅でなく進行方向が周りの人に分かりにくく、嫌いであった。

 それに「ポニーテールの若い女性がスキー板を履いて優雅にスキー場を一杯に右に左にスキー場を横切りながら両手を広げて滑っているところなんか見ているだけでも楽しくなる。此処をスノボーでちょこちょこ滑り降りていては絵にならない。あの優雅さが失われたというのは残念でならない。

 

 

 全く、世の中下品下品へと傾いて行くと怒れてくる。

 若い人がスノボーばかりしているスキー場なんか行きたくもない。

 とついつい毒舌を吐く。困った年寄りになったものだ。(T)


安倍・プーチン会談について(北方四島の帰属)

2016-12-18 | 気ままなる日々の記録

  日本とロシアには戦後70年が過ぎてもなお平和条約が締結されていません。第二次世界大戦後、日本とアメリカはサンフランシスコで平和条約を締結しました。このとき、ロシアも入っておれば問題は多分残っていないでしょう。ここでお互いの領土を確定しますから。占領地に付いてもお互いに帰属を明らかにして平和条約を結ぶからです。

 第二次世界戦争に関する平和条約も日本の世論を二分する大論争がありました。単独条約か全面条約かでした。ソ連も含めた全面講和かアメリカを中心とする単独講和かの論争でした。ソ連も含めた「全面講和」を求めた国民世論と吉田茂氏率いるアメリカ相手の「単独講和」かの論争でした。東大総長が「全面講和」を求めたのに対して吉田茂氏が「曲学阿世」と罵る事件もありました。

 北方四島の帰属問題はアメリカによって打ち込まれた日露間の棘(とげ)でした。(T)


「認知症あれこれ」

2016-12-16 | 気ままなる日々の記録

  11月の終わりごろ、テレビで認知症の番組を放映していた。認知症に罹りやすい人の生活習慣いについて、チエッㇰをする項目が挙げられていた。私の場合     

 ①高血圧症である。

 ②夜ぐっすり眠れない。

と云う項目が引っ掛かった。

  アルツハイマー認知症は早い時期に対処すれば治ったり重くならずに現状のまま持続するということであった。また早い時期にどのような症状が出るかと云うことも、伝えていた。それによると

 ①物が無くなると盗まれたと訴える。

 ②財布の中に小銭が増える。

 ③平仮名で文を書くことが多くなる。

などだった。これも、③が該当してしまった。

  そして本日お風呂でのことである。私が自分で体を洗っているとヘルパーさんが耳元で「今入っている3人の方々は認知症があり目がはなせないのでお手伝いできなくてすみません」とおっしゃる。私はビックリした。3人とも80代後半の方と思われいつも挨拶したり、短い会話を交わす知っている方々だったのだから。今まで一度も認知症状があると思ったことは無い。

 また部屋の近くの方で認知症らしき症状が急に出始めた方があった。だが数か月後すっかり良くなった。不思議に思っていると「プロの人が付いたから」という噂話が耳に入った。

  今では、館内自由自在にエレベーターに乗りいろいろなイベントに参加されている。(E)

          ロビーのクリスマスツリー

 

 

 

 


昨日この施設の「避難訓練」がありました。

2016-12-16 | 気ままなる日々の記録

   想定はこの施設の五階の個室から出火、延焼の恐れがあるので、全員が1階ホールへ集まり、その後屋外に避難するという想定らしかった。所轄の消防署の課長さんだか部長さんだかも来ておられ後で講話もあった。オソマツ君も真面目に参加した。此処に報告するのはその感想である。

 

 訓練と分かっているし高齢者が多いので誰も慌てていないのに「慌てないでください」と云い続けていた。

 つまり、誰も館内の様子を見ていなくて用意されたテープを流し続けていたような感じをもった。 

終って消防署の偉いさんの講話があったが、これが聞こえなかった。

 

 講話をするなら①此処の施設と打ち合わせてハンドマイクくらいは用意すべきではとおもう。

 講師の中身よりも、此処の施設の入居者の方が紳士で、終わった後拍手を送っていた。

 (T)


観月は寒中に勝る時期なし

2016-12-14 | 気ままなる日々の記録

  いつものように 、夕食後「館中散歩」と称して車いすで館内をうろうろし、窓から夜景を鑑賞した。

 今夜は十五夜か。寒そうな夜空に満月が煌々と輝き言葉を失った

寒い夜は湿度が低く月の光も真っ直ぐに地上に届く。

 オソマツ君は、若いころ、冬、よくスキーに出かけていた。

 スキー場は貧弱で不満だったが、何と言っても近くて民宿に泊まれば安いので、美濃の民宿に泊まることが多かった。

 数人の友人と車2台で、1台は女子もう1台が男子で民宿も2軒にお世話になった。

 そんな時夕食後、友人と女子の民宿を訪ね、

 『何か困っていることは無いか?』などと、戸外で震えながら立ち話をしたものだ。

 そんな時お月様の美しさに腰を抜かし、お月様に向かって話しかけたり、 お月様の返事を聞いたような気がしたものだ。

 オソマツながら、あれもオソマツ君の、青春の一コマということだろう。

 今夜お月様を見てそんなことを思い出していた。(T)