かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

梅雨明けの日に

2017-07-29 | 気ままなる日々の記録

   梅雨明けのニュースが流れた日の夕方散歩に出た。その日は本当に梅雨が終わったと思えるような、湿度の低いそよ風がてきとうにある素晴らしいひであった。

それでも、高齢者にとっては強い日差しはよくないと思い、夕食後の6時過ぎに出かけた。

給水用の側溝の水がさらさらと流れ先日の大雨で池と化した田もすっかり元気を取り戻し爽やかな夏の日が広がっていた。

  よく見ると、田も私たちが子どもの頃見たのとはずいぶん異なっている。水はわさび田に近いほどきれいだし浮き草や水草・藻などもない。そのためかボウフラやメダカ、オタマジャクシも見かけない。機械化されたのみでなく、そこに住む生物までも変化していることに驚いた。

 田の稲の様子も違う。主人がいつも田植えが遅れがちな田にやきもきし毎朝窓から見ているのを知っていた。一番最後に植えられたその田は何と草の中に苗が植わっているのである。これも新しい現代的な方法かもしれないと思ってしまう。しばらく歩くと苗と苗との間に隙間の無い田に出会った。一番びっくりしたのは。麦を刈り取った後株をそのままにして、水が張ってある田である。休耕田にされるつもりだろうか。

 今も昔も変わらないのは、田の畔に生えている元気な雑草たちだけである。(E)

     

                                                               珍しい田

 

 

 

 

 

 

 

 


週刊文春 7月27日号

2017-07-26 | 気ままなる日々の記録

 近頃に無く出るのを待ってコンビニへ買いに行った週刊誌である。何が目当てかというと平松洋子さんのエッセイで「ぬかづけ」の話である。先号ではとてもおいしそうに、糠漬けを付けている様子が書いてあり、そうそう私もそういう時があったなど、思い出し懐かしくなってしまった。

 例えば夜中に胡瓜3本を漬け翌朝半分取り出して浅漬けを味わい、その夜もう少し漬かったの 又翌日よく漬かったのとだんだん変化してゆく味わいを確認して・・・・・・。と云うあたりなど自分があたかも糠漬けを漬け糠に手を突っ込んでいるような、感触がよみがえり、他人事ではなくなってしまった。

 その糠床に異変がおき、7月27日号は終わった。

 行方が気になって1週間が待ち遠しかった。原因は一回かき混ぜるのを忘れたためかと信じがたい様子だったが、結論はかき混ぜ不足が乳酸菌の敗北を招いたとしている。

 私などすぐかき混ぜるのを忘れてしまい糠床が酸っぱくなり卵の殻をいれたり新しい糠を加えたりした。其れでもすぐに元に戻らないと諦めてまた新しい糠床を作っていた。何しろ夏場はなす、人参、キュウリなど、野菜がどっさりあったから。

 ところが、食べ物について、エッセイを書くこのエッセイストは糠床を2週間以上かけて、復活させるのである。

復活させるということができるということ、また作者の根性に驚かされている。そして、あーあー、もう一度糠漬けに挑戦したいなと思わしめるプロの文にも感嘆しているのである。(E)

    

                                                           花とミツバチ

 

 

 

     


[水切り」について。

2017-07-25 | 気ままなる日々の記録

   オソマツ君は「館内散歩と称して車椅子を漕いで3階へ出かけます。

 3階には広い出窓があって、其処から外を見下ろすと、広々とした田畑が見渡せます。

 先日もボンヤリ田圃を見ていて「アツ水切りだ!と思ったものでした。

   「水切り」と云うのは丁度梅雨明けの頃,わざと水路を止めて田の水を無くし、稲にショックを与えます。稲は驚いて、全身の力を振り絞って、根を地中深くのばします。これが大切で8月の中頃本当に雨が降らなくて稲が枯れそうになったとき、深く伸びた根から水分を吸収することができ、豊作を実現するというのです。

  この「水切り」は「艱難汝(かんなん)なんじを玉にする」という諺にも通じ、若いときの苦労は将来役に立つということのようだ。その水切りを今も実行している田圃があることを見つけ、凄い郷愁を感じた。

 今はもう「艱難汝をたまにする」という考え方は消えて子供たちが苦労しないように気を配るのが一般的になった。これも敗戦によるアメリカ化と物質的豊かさ尊重の時風だと思っている。(T)

      

                                                         戴いた朝どり完熟トマト

 

 

 


 思い出すままに。

2017-07-22 | 気ままなる日々の記録

    ここ「有料老人ホームにはリハビリ専用コーナーがあって、自転車に跨ってペタルを漕ぎ、脚力を付ける器具とか二本の平行棒に捕まって歩行訓練をする器具とかがあって患者が筋力をつけるためによくここへ連れてこられる。「さあ、○○訓練を50回やりましょう!」といわれて、へとへとになるまで、しごかれる。

 命令するのは「理学療法士」と呼ばれる資格を持ったトレーナーで、一応国家試験があって、合格者に与えられる医療関係の技術者。何しろ筋肉強化が目的で、まあ力士《相撲取り》のトレーニングと同じですごくハードだ。「理学療法士は20歳代後半の女性が多く、高齢者の患者さんとよくもめる。

 先日もお婆ちゃんと理学療法士と本気で喧嘩を始めた。理学療法士はいつも「これをやらないと「寝たっきり」になりますよ」と云って脅す。お婆ちゃんは、少しもあわてず「私の前から消えろ!」とわめいておられる。僕はすぐにお婆ちゃんの味方になった。

 そして理学療法士にいったものだ。「君たちは学生時代人間の骨の名前や骨についている筋肉の名前をおぼえただろう?」と聞いた。すると「そうです」という。全く骨の名前や筋肉の名前を覚えるのは人間の体の仕組みを理解するための手段であって、治療と全く関係がないですよ。筋肉強化なら、楽しくどこかにゲーム性とか記録性を取り入れ、患者を夢中にさせなければトレーニングなんかできるはずがないですよ。

 お婆ちゃんと若い女性の理学療法士とのけんかが続いていたので、僕は婆ちゃんにはなしかけた。我が家のにも 老人性痴呆のお婆ちゃんがいて、よく話していたので自信があった。コツはお婆ちゃんの意見を絶対否定しないことである。「なるほど、そうだねえ」と云ってから、「それもそうだけど、○○もいいかもね」とかいって、だんだん自分の方へ引き寄せ、大げさにお婆ちゃんの意見を肯定することである。ぼくはお婆ちゃんに近づいて「ねえ、お婆ちゃん」と声をかけた。ところが「私は男は嫌いだで、あっちへいっとてちょう!」としかられてしまった。

 喜んだのは僕を担当していた理学療法士だった。ぼくは「ギャフン!」そのものだった。今思えばお婆ちゃんの興奮がまだ収まっていなかったときに僕がかおを出したのでお婆ちゃんが八つ当たりされたという構図であった。まさにオソマツ君のオソマツな一コマであった。(T)

     

                                                        前庭にて。  ルドベキア


テレビで「尿路結石」を見て

2017-07-19 | 気ままなる日々の記録

  最近テレビで、「尿路結石」についての番組をやっていた。水を少量しかとらない人がかかりやすいとか、食事をした後すぐに寝てはいけない、シュウ酸の多く入った食べ物を食べたときは一緒にカルシュウムを多く摂るとよいとか、云っていた。

 私の家族は子供たちが3歳と6歳になった頃から、正月明けに友達の家族とスキーに出かけるのが恒例になっていた。

 ある時そのスキーに出かける途中、1時間も運転していない地点で、主人が病気になった。私は運転ができず主人も腹痛が酷くてとても運転どころではない状況になった。国道の脇のガソリンスタンドに車を入れ救急車を呼んでもらった。そのガソリンスタンドと病院の間は、数百mしか離れていなかったのだが。

 幼い子供たちは兄が迎えに来てくれ、祖父母がいる家に帰った。主人はレントゲン検査の結果、結石があることがわかりモルヒネの点滴を受け、痛みは和らいだようだった。私はと云えば初めての出来事で、しかも旅の途中と云うこともあり、ただおろおろするばかりだった。

 次の日レントゲンを撮ると昨日あった石がない。運がよいことに、尿と一緒にでたらしい。一泊しただけで無事退院となり、縄跳びをすること、ビールをよく飲むこと、と云う助言を貰った。その言葉通り帰宅途中寿司屋さんでビールを飲み、祝杯を挙げた。そしていま、テレビを見ながら45年前の話を思い出したのである。(E)

  

                        駐車場浸水の後で。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


雷と大雨。

2017-07-14 | 気ままなる日々の記録

  昨日の午後酷い雷と土砂降りの雨があった。このことを携帯メールで関西に住む娘に送信し終えた途端電話が鳴りだした。ピーコロン、ピーコロンととても可愛い響きであったが、はじめてのことで、急いで開けてみた。土砂災害警戒情報というものであった。午後四時二十五分隣の市へ出されたものだ。このあたりはめったに、災害の難に出会わない広い平野であるが、昨日は特別であったらしい。あちこちの、鉄道路線が3時間から4時間ぐらいの、運休の知らせを出していたから。

 それに比べると子供の頃は随分怖い思いをした。台風の時期になるとすぐ近くの1級河川が濁流となって渦を巻きながら流れていたからだ。二つの大きな堤防があったが、護岸が弱く、水がしみ出して住宅地にじわじわと押し迫ってくる。近くの畑が半分泥につかっているのを見ると、子供心にも堤防が決壊するのではないかとおののいていた。

 一方大人たちはこの時とばかり薪取りに大忙しだった。上流の方で崩れた山の木々が沢山下流に流され岸に押し寄せる、それを拾い上げるのである。当時風呂を沸かすのに使うのは落ち葉、枯草、薪であった。そのため、家族総出で木々を集めていた。熱心すぎる若者が濁流にのまれ命を落とすという悲しいニュースも数年に一度くらいあったように思う。

 60年以上の間に護岸はコンクリートで固められ、水量も調節され、子供のときの様な心配はなくなった。今では薪取りも必要ない、本当に恵まれた地域となった。だが、テレビで災害のニュースを見る度、子供の頃を思い出すと心が痛む。(E)

   

                                     駐車場が池に 道路が川に。

 


我が国に『論理」はあるか?

2017-07-09 | 気ままなる日々の記録

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」と云うシリーズが新潮文庫にあります。編集はNHKスペッシャル取材班です。

 陸軍の幹部さえ「勝てない」と思っていたアメリカに、宣戦布告もなしに、突然ハワイの真珠湾を攻撃したわけです。

当時は今の憲法ではなく、軍の統帥権は天皇にあり、

 総理大臣が内閣を組閣しようとしても、陸軍や海軍が納得しないと陸軍大臣や海軍大臣が空席になってしまって組閣できないという状況でもありました。立憲君主制の難しいところです。

 我が国では江戸時代が長く続いて、西洋で民主主義が育った時代に惰眠をむさぼっていました。

 それから、ペリー提督が軍艦4隻を率いて開国を求め、関税交渉もないがしろに開国し経済が大混乱し、「尊王攘夷」の運動によって明治政府が生まれましたが、

 為替レートや関税制度が分からないままに開国し経済は大混乱、

 そうしたことを学校で教えず誠に貿易に関して無知な国民を生み出し、

 第二次世界大戦の原因となったのです。

 その後も我が国は論理的な思考と率直な反省が下手で、

 精神主義的な美辞麗句を並べて我が国の歴史として次世代に教えています。

 我が国のこうしたオソマツさは同時にマスコミのオソマツさと表裏一体で、

 第二次世界大戦へ向かわせた勢力が朝日新聞で朝日は「勝った、勝った」の報道で、売り上げを5倍に伸ばしたとも言われています。インフレもありますからそこは厳密に修正しないと正しくありませんが・・・・・・・。

総じて我が国では、誰が何と言おうと自分はこう思うという真摯な論理展開が少なく、すぐに派閥を作ってその派閥間の論争に歪曲し、論争が終わった後にも結局何が正しかったかはっきりしないまま、論争が終わったりします。

 この非論理的な思考形態は稲作農耕民族として、

 隣の田圃の人と協力をして同一歩調で田仕事をすることによって豊作を求めたという長い歴史の中で身に着けた思考法で「隣百姓的思考」と呼べるものだとおもわれます。

 特徴は強烈な個人の意見はなく、つまり無責任体制なのです。かくして、優れたリーダーが育たない集団になっています。広島の原爆記念碑に「安らかにお眠り下さい、過ちは繰り返しませんから」と書いたのが日本的思考の代表です。つまりこの文章には主語がありません。誰が過ちを犯し、誰が反省しているのかわかりません。少し角が立っても構いません。原爆投下を指令した米軍の総司令官の名前でも彫り込んだらどうだろう。第一次世界大戦後に取り決めた毒ガスの使用禁止や無差別爆撃禁止に違犯しています。これは、国際条約ですから、無条件降伏に違反しませんから今からでも主張すべきです。トランプ流に云えばですが・・・・。失礼しました。(T)

  

                    梅雨の晴れ間

 

 

 

 

 

 


日本人は論理的思考が苦手、言霊信仰の人種だと思います。

2017-07-08 | 気ままなる日々の記録

   神道では言葉に魂が宿り、神の声が言葉になって胸に聞こえると信じているようです。神様がお嫌いになるのは穢れです。御幣を左右に振って「払い給え、清め給え」と祈るのが神道です。キリスト教の場合全てが神との契約です。日本の神様は私利私欲ではなくもっと純粋に同朋のために祈ればお聞き下さるのです。戦争中のことですが「一億玉砕」という言葉が流行しましたが、「全国民が死んで、それで日本が勝ったのですか?」と誰も聞きませんでした。全国民があの世で幸せになっていると信じていたからです。(T)


7月6日は「サラダ記念日」

2017-07-06 | 気ままなる日々の記録

  俵万智さんが「「この味がいいねと君が云ったので7月6日はサラダ記念日」という詩を発表して有名になったのが1987年・(昭和61年)だったかなあ。

 僕は未だ定年前でバリバリの地方の進学校の教師だった。当時は山岳部の顧問をしていて毎年7月の後半から8月の初旬にかけて山に入っていた。高校の山岳部は一人前にプロの登山家の真似をして組み立て式テント一式に食事の材料をすべて持って行っていたので荷物が多く重い。この時季の登山が山岳部にとって最大のイベントだったので、どうしても有名な山へ行きたがり、結局槍と穂高ということになる。

 この登山には先輩たちも参加するという伝統があって、名大や早慶へ進学した先輩たちも参加した。先輩たちは顧問を助けるという伝統を良く守り、僕の荷物を持ってくれたり、ペースを僕に合わせてくれた。

 この高校の山岳部には奇妙な伝統があって。穂高の水場である岩の先端に立って、好きな女性の名前を3回絶叫するというものだった。顧問はおくさんのなまえだという。先輩たちは自分で絶叫して見せ次に顧問に絶叫させ続いて3年2ねんにやらせた。

 そういえば下山した後で誰が何と叫んだかを口外してはならない。と厳命していた。これも共同の秘密をもつという団結の証をつくっていたのだろう。まあしかし、あの勇壮な青年教師も今や落ちぶれて左半身不随で車いすでもたもたしている。これが、無情というやつで、之以上の無情もない。以上近況報告に変えて。(T)

  

                       蓮池のスイレン

 

 

 

 

 

 

 


北朝鮮のロケット打ちあげについて。

2017-07-06 | 気ままなる日々の記録

  7月5日NHKテレビのニュース解説は時間を延長して評論家の座談会のようなことをやっていた。

 興味の涌くテーマだったので最後までみたが、中身がまるでなかった。

 日本の評論家と云う人たちはいろいろ想像して勝手な解釈を、あたかも北朝鮮の指導者に聞いたように言う人たちだと思った。実は、全て勝手な想像にすぎないのにあたかも真実のように言う人たちが評論家だと分かった。

 こういう人たちが活躍する国は危なくてしかたがない。

 国民が色眼鏡で世界を見てしまい、いつの間にか、政治のの指導者や外交官まで間違った目で世界をみてしまう。

 我が国が真珠湾攻撃を行い米国と戦争をしたのも、政権中枢の決断ではなかった。

 我が国は高い授業料を払って勉強したはずなのに、キチンとした理論をを汲み上げて結論に至るという思考をせず、世の評論家のように、自分の想像があたかも現実のように思い込みその上に結論をのせようとする。

我が国は言葉巧みに情緒的な考え方をする人が人気を得て指導者になる傾向がある、危ない国である。

 今日の評論家の座談会を聴いていてそう思った。国民がしっかりしないとまたもや、奇妙な方向に走り出す可能性がある。(T)


無花果《いちじく》畑」

2017-07-05 | 気ままなる日々の記録

 私がすんでいる施設の5階から、二つの無花果ばたけが見える。広さや作り方はほとんどおなじである。ひとつは70歳くらいの男のかたが、もう一方はやはり同年輩の女の人が作付けされている。ところが男の方はほとんど毎日軽トラに乗ってやって来られ、ていれをされる。女の方は1か月に数度現れるだけである。

 二人とも出荷されているらしく散歩の折など、ネットに囲まれた中を覗くと、それはそれは立派な実がなっている。我が家の倍くらいはありそうである。どうしてそれほどおおきくなるのかを詳しく見てみると、大きく三つの違いがあることが分かった。

 プロの畑は、畝の幅が広く、高さが高い。2mぐらいの幅があり、乾燥を防ぐため藁が敷き詰めてある。そして、両側の溝には、たっぷり水が入っている。

 次に木の仕立て方が違っていて、一文字である。我が家は2月に枝をバッサリ切るだけで、紐を使って添え木に引っ張ったりしばったりしない。

 それに、木の高さが驚くほど違う。50㎝ぐらいである。我が家は伸び放題で、高いところなど3メートルはあり実を取るのに苦労をする。

 そしてここ数年は食べる人もいないので、自然と手入れなども怠っている。最初は、30㎝くらいの、根のついた枝を近所から貰い、5本までに増やしたが、どんどん野生化しそうである。(E)

   

                                             無花果ばたけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北朝鮮のロケット噴射。

2017-07-05 | 気ままなる日々の記録

 最近、、北朝鮮が何度もロケットを打ち上げ飛行距離を伸ばし、ついに、アメリカ西海岸まで攻撃できるまでの能力をてにいれたという。東風論日本は完全に射程距離内に入り沖縄に限らず、日本国内の全ての基地が狙われているという。日米軍事協力によって米軍基地とみなされるからである。平和憲法賛同者に聞きたい。憲法は北朝鮮の攻撃から我が国を守ってくれますか?

 我が国の文化は言葉遊びが好きで、実態を見ずに綺麗な言葉を使って説明すると汚れた実態も綺麗になったように錯覚する文化をもっている。代表が平和憲法である。

 学生時代第5福竜丸の事件があって「核実験反対運動が全国的に展開された。そのとき、ソ連も核実験をした。そうしたら、全学連はソ連の核実験には反対しないといいだして、僕を驚かせた。こうした騒動を繰り返し全学連はバラバラに分裂し、左翼テロ集団へと変貌していった。

 ところで、最近の北朝鮮のロケット実験を通して我が国は何を学ぶべきか、草の根レベルからの議論だ必要だろう。平和憲法至上主義でもダメだし、アメリカのペットでもだめ。アメリカも、トランプさんが出て前任者が苦労して結んだ条約をアメリカ・ファーストかなんかで参加せずとかやっていては、世界の信用をうしなうのではないのだろうか。基本的にアメリカは下品な国である。国内の貧富格差も改善されないままであるし、人種問題もめをおおうばかりです。

 そして日本も何時までも12歳の少年をやっていなくて、自立した、普通の国として善隣友好国として歩み出して行くべきだと思う。(T)

    

                                             梅雨時の風景

 

 

 

 

 

 

 


[プロポーズはキリスト教文化!」

2017-07-04 | 気ままなる日々の記録

  僕の学生時代からの友人が僕のブログにコメントを寄せて呉れて、彼も結婚するときプロポーズせずに、結婚準備をどんどん進めた」と書いてくれました。僕はそうだよなあ!とひざを打った。彼女が僕との結婚を喜んでくれるか嫌がっているかは、交際中に雰囲気で分かるものだと思うんだ。よほどのことがなければ嫌がっている彼女と結婚しようとは思わないと思うんだ。つまり、結婚が上手くいかなかったときの責任は僕が取ると云う責任感であり、断るという厭な仕事をさせないという思いやりであり。以心伝心という「眼は口ほどにものをいい」と云う日本文化の世界だとおもうんです。

  それに引き替えキリスト教文化圏は『契約」の文化です。キリスト教がそもそも神との契約ですものね。僕は契約文化よりも「以心伝心」文化の方が進んでいると思っています。英語に訳せない言葉を沢山持っている日本語を巧みに話せる人は優しい心を持った人だと確信しています。「武士に二言は無い」の世界の方が契約文化より進んだ文化だと思っています。

   江戸時代国民の識字率は世界一だったと云います。日本では藩主の命令を板に書いて村の中心部に掲載すればそれで、周知徹底できたそうですが、ロンドンではそれはとても無理で、為政者は新政策や税の取り立てにくろうしたといいます。たしかに、日本の場合まあ単一民族で、江戸言葉でまあ、全国の人々と意思疎通できたわけですがロンドンの場合国際都市で何十種の言葉が飛び交い文字を持たない言葉の人々も多く、イスラムと云う個性の強い文化圏の人も多く住んでいたので大変だったと思う。(T)

   

                                                梅雨時の風景

 

 

 

 

 

 

 


パソコン騒動

2017-07-03 | 気ままなる日々の記録

  今日朝からパソコンの調子が悪く何時もの通り操作しても「このページは開けませんと云うメッセージばかり出て、何ともなりません。チョット怠けていたブログの更新ができず、途方にくれていました。

 何しろ僕のパソコンの基礎知識はゼロで、正に猿真似で操作しているだけで何もわかっていないのです。3時間近くあれやこれや試していましたが、昨日までうまくいっていたのに、今日は「そのページは開けません」と云うメッセージばかりでます。困り果てて事務室に行って誰かに診てもらううようにたのみました。そして、《続く)(T)


芸能ニュースにブログの話が出て萎縮しています。

2017-07-02 | 気ままなる日々の記録

   「この世だけでなく、あの世へ逝ってからも僕のそばにいてくれないか」と云われて嬉しかった。とは、

最近乳がんで亡くなった、元フリーのアナウンサーだった人のブログに書いてあった言葉だそうです。

 マイッタマイッタです。僕のブログにはこんな素敵な言葉は出てきません。

其れを思うとブログが遠くへ行ってしまいます。

彼女たちは言葉のプロだと思ってもやはり、腰が引けます。

 僕は家内に「僕はプロポーズのとき。何と言ったっけ?」と聞いたら、

 「あんたは、昔から図々しい人で、私がOKと云う前から、

 OKしたかのように振る舞っていたわよ」と云われてしまった。

 これでは、ブログに書けない、(といいながら書いてしまったが・・・・・・」まあ折角始めたブログですから、

 蛙が死ぬまで呟かせていただきます。ヨロシク!。(T)

  

                    7月のバラ