その日の朝、私は友人とちょっとした散策に出かけるため彼を迎えに車で出かけました。彼の家はある中学校の正門前にあり、大勢の生徒たちのはつらつとした登校風景を久しぶりに眺めることができ、最徐行しながらも、明るい気分で生徒たちに声援を送っていました。正門前には二人の男の先生が立っておられ、生徒たちに大声で「おはよう!」「おはよう!」と言っておられました。
友人の家で、彼が用意をして出てくるまで奥さんと立ち話などをして「お宅のお孫さんは遅刻ゼロですねえ」と私。「いいえ、いいえ、それが毎朝大騒ぎですのよ」と奥さん。
彼が出てきたころには生徒の流れはすっかり途絶え、5~6mおきにパラパラと、二人また一人と来るほどになっていました。そのとき門の方から大きな声が聞こえてきて、振り向くと「おーい、急げ! 遅刻になるぞー」と何度も先生方の声。
ところが、それを聞いて走り出す生徒も、急ぎ足になる生徒も一人もいません。今まで通り、おしゃべりをしてゆっくり歩いている生徒や下を向いてとぼとぼ歩いている生徒ばかりです。先生の声が聞こえていないはずはありません。私は、本当にびっくりしました。生徒たちにとって先生方の声は、あたかも電車の通過音と同じ騒音以外のなにものでもない様子だったのです。
やっと出てきた友人に「おい、今の中学校はこんなんか」という私に、彼は「ここ数年かなあ、ひどいもんだ。とくに女子生徒がいかん。ふてくされた奴が多いよ。男の悪はまあ走るが、女の悪は無視だ」という。そう言われて校門の方を見ると、先生方は相変わらず「おはよう!」と言っておられるのに、遅れてきた生徒の方はプィと横を向いて、ゆうゆうと門を通り抜けています。私の気持ちはアッという間に、暗い洞窟の中に落ち込んでしまいました。
どうなっちゃったんだ。この子たちの学校生活が楽しい筈はない。何とかしなければいけないのだが、何をどうすればいいのだろう。第一、中学校で先生が校門で「おはよう!」などということには、どこか欺瞞があるのではないかという気がします。全校生徒に「おはよう!」といい合うほどの人間関係がある先生などいるはずがない。その欺瞞を生徒たちはどこかで見抜いているのではないか。そして同様の欺瞞が学校の中に溢れているのかもしれません。
しかし、この視点も甚だ軟弱です。集団教育の中にはある種の「方式」があって、その「方式」は、自己を確立しようと模索している年代の子どもたちにとっては、すべてが欺瞞と見えるのもまた事実ではないでしょうか。
こんな全体的な問題ではなくて、生徒の個人的な問題かもしれません。生徒の成育歴や最近起きた家庭内の問題が起因しているのかもしれません。
私は暗い洞窟でもがくばかりでしたが、いずれにしても、後回しにせず大人たちが今直視しなければならない問題だと思います。