翌24日、多度山に登りました。多度山と云えば多度大社の鎮座ましますお山ですが、この多度大社(多度大神)は日本宗教史に燦然と輝く貴重な資料を残した由緒ある大社(神宮)です。
岩波新書「神仏習合」(義江影夫著)によると、奈良時代の後半に入った763年、多度大神(たどのおおかみ)は人にのりうつって、次のような託宣を下されたというのです。(古文書「多度神宮寺資材帳」に記載)
「我れは多度の神なり。吾久劫を経て、重き罪業をなし、神道の報いを受く。いま、こいねがわくば永く神の身を離れんがために、三宝(仏教)に帰依せんと欲す」 (ざっとの意味:私は長い間神であったがいつの間にか沢山の罪を犯してしまった。それで仏教に帰依して罪滅ぼしをしたい) これが我が国の宗教の特徴である「神仏習合」の原点であり、当時の人々の宗教的心情だったのです。大神の氏子たちはこの声を聞いて、お宮の中に小さなお寺を造り、神宮寺と呼びました。こうした動きは弥生時代から古墳時代にわたって各地で生まれ守られてきた神社で起こり、各地の神社で神宮寺が造られました。
私は、登り始めてすぐにこのことを思い出し、踏みしめる足にも感慨を込め登りました。
快晴の恵まれ足取りも軽く(?)登りこと2時間と少々。途中のハプニングといえば、野生の猿の群れに遭遇したことです。私の近くにデンと座って動かない猿がいたので急いでカメラをとりだしてシャッターを押したら、フラッシュが光って、その猿が私めがけて襲いかかって来たことです。どうやらボス猿で、群れを護るために我々の前に陣取って睨みをきかせていたようです。
それにしても立派なボス猿だと尊敬しながらも、私はハイキング用のストックを持っていましたので、このボスを居合抜き一本で打ち倒してやりたかったのですが、すぐに逃げて行きました。
標高が300mを超えたころから眺望が開け、風が心地よく、快適なハイキングとなりました。上の写真で、一番手前が揖斐川、そのすぐ向こうが長良川で、少し離れて木曽川が見えます。右手の彼方はもう桑名であり伊勢湾です。
頂上は小さな公園になっていて、“ベンチ”や“あずまや”があり先客が数人楽しそうに笑談していました。
頂上に設置されていた各種の案内板で、右が「宝暦治水」の工事現場、左が「三本杉の相場振り」とかで、六華苑でお聞きした旗振りに寄る情報伝達拠点図のようです。もちろん、こんなに拠点が整備されたころには、コメ相場の世界にもう諸戸家の姿はなかったと思われます。