寒がりの僕もようやく「寒い!」と云わなくてもよい季節になった。その所為もあって、家内に車いすを押してもらって近隣の農道を散歩する機会も多くなった。ここ大口町は、数年前政府が行った農地整理を見事にやってのけ、田圃にしても1筆が大きく給水用の用水と排水用の用水が別々になっていている。全ての農作業が年間計画の通りにできるよう給水も排水も行われている。稲の大敵である害虫も消毒で一網打尽にころすことができる。勿論農作業も機械化が進み30年ほど前のアメリカのようになっている。
しかし、筆者はこれをすべて進歩と思わない。我が国の農家には、明治時代から「人様に迷惑を掛けない」という道徳が徹底していて、あぜ道の草は刈る、農道は綺麗に箒で掃くということが常識になっていて、稲を山盛りに積んだリヤカーを引いていつも通れた。
ところが、今は、耕運機が車輪に付けてきた泥が農道のあちこちに落ちていて、リヤカーを引いては通れないし僕の様な車椅子も通れない。現代の農家の人は明治時代の農民のように、この道を通る人の事を考えていない。
農家の機械化が進み農家は豊かになったようだが、昔の農民にあった優しい心が失われた。昔僕は人々が豊かになれば優しい心の人が多くなると信じていたが、現実は逆で、豊かになったら自分勝手になって他人の事なんか少しも考えないようになった。本当に難しい問題だ。アメリカは殆どが豊かな家庭だが例の黒人差別問題は一向に改善していない。我が国の「働きかた改革にしても税制改革にしてもよほどよく考えて取り組まないと、改革どころか、取り返しのつかない改悪になることがある。
こうした問題を考えているのは「社会学」でしょうか。最近の日本の政治をみていると、軽薄な経済学を振り回しての主張が多いように思えるが、ドウにも心配でならない。
特に野党の皆さんの猛勉強を期待します。シツレイシマシタ。《ダイヤ・ドラゴン))
耕運機とさぎ