上の写真は今日私が除草薬を散布してきた「耕作放棄地」です。
かつて畑であったところが雑草で覆われていますので、年4回、草刈りまたは除草薬の散布をしています。最初が4月下旬、次が6月下旬、そして9月の中頃と11月下旬です。隣の畑が耕作地の場合は草刈りを、そうでないところは6月と9月に限り除草薬散布をしています。今年は9月になっても猛暑続きであったので9月分が今日までかかりました。一回の作業を終えるのに1週間から10日かかります。この作業は私にとってかなりの重労働で、毎回憂鬱な気分になりますが、自分に課せられた義務だと観念して続けています。
少し前までは「休耕地」と呼ばれていたものが、いつの間にか「耕作放棄地」と呼ばれるようになりました。マスコミのネーミングでしょう。しかし、私はこの呼び名に本質を見誤った悲しい響きを感じています。せめて「耕作断念地」と呼んで欲しいと思いますし、もっと言えば「落涙断腸地」です。たった10年ほど前までは「休耕地」を耕してくださる人が近所にいました。もちろん「お礼」などなしで「どうぞどうぞ」と使っていただいていました。しかし耕作者の高齢化に伴い返却され、その後の耕作を希望される人がいなくなったのです。
何百年にもわたって、地域の人々や我が家の先祖が、懸命に護り耕してきたこれらの農地、多くの人の命を支えた豊穣の農地を、かくも無残な姿にしている現代という時代や自分に慙愧の念を禁じえません。有効に使って下さる人がいたら大いに使って頂きたいと思っていますし、お譲りしてもいいとも思っています。しかし、農地は法律上自営農家しか買うことができないそうです。でも、この地域では自営農家はもうほとんどありません。その上、農地には家も工場も建ちません。その意味で農地は「再利用不可地」と呼ぶべきでしょう。農地は今や溶かすことが禁じられた金属ゴミです。法律が地域の実情や時代の変化に合わなくなっていて、土地という貴重な資源が再生不能なゴミになっています。私はこのゴミのために固定資産税を払い、ご近所にご迷惑をおかけしないように草を刈り、そっと薬剤を散布しているといえなくもありません。
上の写真は、今日除草薬を散布した畑の東側の境界で、竹藪になっています。ここは最近竹藪になってしまった道路(道路予定地?)です。しばらくすると竹との戦いが始まるかと思うといよいよ憂鬱です。