昨日僕を担当してくれている理学療法士さんが、「大野さん、ブログを長い間更新していませんね、どうしたんですか?」とのこと。
驚きました。「あの蛙は死にました。」とやろうかと云ってやろうかとも思いましたが、あのブログを真面目に読んでくれていた彼女に悪いと思い直し「僕の悪い癖ですわ。勉強計画でも計画だけは立派に立てるんですが、其れを実行できたことがない。困った性格ですわ。」とこたえました。
蓮池のはなしょうぶ
昨日僕を担当してくれている理学療法士さんが、「大野さん、ブログを長い間更新していませんね、どうしたんですか?」とのこと。
驚きました。「あの蛙は死にました。」とやろうかと云ってやろうかとも思いましたが、あのブログを真面目に読んでくれていた彼女に悪いと思い直し「僕の悪い癖ですわ。勉強計画でも計画だけは立派に立てるんですが、其れを実行できたことがない。困った性格ですわ。」とこたえました。
蓮池のはなしょうぶ
連日真夏日が続いて日中は随分暑くなったが夕方になると5月の爽やかな風が吹いて散歩に出る気分になる。久しぶりに外へ出てみると玄関のツツジが満開で花壇の花も昨年とは違ったのが咲いていた。
田圃のあぜ道に出ると驚いた光景が目に入った。いつの間にか色付いた麦穂の間に幾つもの穴が空いている。始めて見る光景だった。一体何が起こったのだろう。
風のしわざか。イノシシの仕業か。(t)
10連休も終わりごろ友達がお見舞いに来てくれました。毎年暮れにやって来るのですが、昨年は顔を見せないので「どうしたのかなあ」と心配していました。
彼は高校時代の同級生で80才すぎの今でも現役の外科医です。
僕の部屋へ入るなり麻痺した方の左足をさわり始めました。丁寧に足首から腿の付け根まで触ったあと、こういいました。
「大腿筋が大分衰えているなあ」と云いました。
「ほとんど歩けないからねえ」とぼくは答えました。「リハビリは?」と彼。「月・水・金とあって、毎回1回が45分。これが全く面白くなくて、いやいや理学療法士につ
きあっているだけさ。やっぱりやらんとだめかねえ。」というと、彼は「しっかりやらないと転びやすくなるよ」という。次の日このことを理学療法士に云うと「そうでしょう!」
と力を入れて答えた。
それ以来蓮池でバーに捕まりながら、歩く練習をしている。(T)
しばらくお休みさせて頂いておりましたが、別に危篤状態に陥っていたわけではなく、天才的な健忘症に陥っていたにすぎません。
実は本日ここ「有料老人ホーム」の浴室で、僕の体を洗って下さるヘルパーさんから、「かわずの呟き、はどうなったの?何時見ても昔のままですがね。」と云われてしまった。その人にはいつもお世話になっているので、「筆者は死んだかもしれませんね」と冗談をいうわけにもいかず、「ずーと観ていてくださったの?」とお聞きしたら「ええ、家の子供が見つけて『面白いよ』と教えて呉れたので、それいらいでね。その筆者があなたと分かったのはズッートあとですわ。」とのことであった。小生としては、最高の読者であったかたをこのままうしなってしまうことはあまりにもざんねんで、その旨を話し、感謝し、早速更新しますとお約束したわけです。
もう夕食の時間となりました。本日の夕食の献立は味噌汁、鶏肉のタマネギソース、切干大根の煮物、メロンぜりー。
まさおなる そらより 枝垂れ桜かな《本日の日和にぴったりの俳句です。(献立表より)
「蛙のつぶやきをご愛読下さっていた、皆さまに心からお詫び申し上げます。筆者は死亡したかとお考えのお方も多かったのではないでしょうか。」「御心配をお掛けしました。申し訳ありません。真相は僕を担当していて下さった理学療法士さんが、転勤され、新しい理学療法士の先生のご都合で僕の生活時間帯が大きく変わりその関係で私がパソコンで遊べる時間が変動しブログの後進を忘れたという、極めてお恥ずかしい理由です。失礼いたしました。これから、忘れないように気を付け「蛙の呟き」を投稿していこうと思っていますので、今まで同様ヨロシクお願い申し上げます。以上、まだ生き恥をさらしている証拠です。失礼しました。
ハスのみ
我が家には、5本のプラムの木がある。あまり同時に実っても食べ切れないと思いそのうちの1本は晩生の木を植えた。其れが6年前のことである。2年ほど前から実を付けるようになったが、少しもプラムの味がしないのである。
娘は誤って台木が育ったのではないか、という。私は密かに土壌が悪いのではないかと、不安に思っている。母屋の屋根をふき替えたとき粘土を除いたのでその土がそのまま、軒下に溜まっている。それに北西の角で日照時間も十分とは言えない。運が悪ければ交雑してしまったのではないかとも思ってみる、それほど味がオカシイのである。
私は、あまりにも悪い条件が多いので、切ってしまおうと思った。娘に伝えたらどうやら娘は、切らずにこっそりと育てていたらしい。私の記憶にある一本の立ち木が10本に枝分かれしていて、花がびっしりとついた写真を見せてくれた。植物栄養を専攻し現在も研究者の端くれである娘は果樹には弱いと云いながらも何も講じないで、切ってしまうということはありえないことなのだろう。
さて、今年の味はというとやはりおかしいことには変わりない。色は暗紫色でプラムそのものであるが、形は中央を押しつぶしたようで、柿の富有に似ている。試に追熟期間を少し長くしたらチョット味が良くなった気がする。
どちらにしても、美味しくなるまでに、まだまだ時間がかかりそうである。(E)
水切り中の田
大雨が降り続いて、全国に被害が出る前のことだったとおもう。部屋で派手に転んだ。ひっくり返ったという方がいいかもしれない。ここ10年間には一度もないことである。
夕食後、デザートをを食べている時主人のためにタオルをとろうとした瞬間の出来事だった。右足のカガトがテーブルの脚にひっかかつた意識だけはあったが、あっという間に床に投げ出され
手も足も何の約にもたたなかった。気が付いたら横に倒れており左足の腰のあたりを強く打ったような気がする。
大変な事になったとまず手足、其れから体全体を動かしてみたら、それ以外の害は無いようである。
ホッとして起き上がり周囲を見渡すと、ひっくり返ったのは私だけではない。お膳の上にあったメインディッシュの皿はべッドの中央辺りまで飛び床はお茶や汁物でびしょ濡れ。ケアーさんに連絡するとシーツ変えより体が大切とばかり、血圧の測定。180以上あった。
シーツ変えに若い男のケアーさんが次に現れ「けがの様子が見たいのだけどご主人がおこるかなあ」と云われ、主人は「見るだけならいいよ」とこたえている。二人の会話をよそに私はトイレに入り下着を下げた。幸い打撲だけで怪我はない模様。
今度は看護士さんまで現れ、いろいろ質問される。
最後に「お家は近いですか?一人で帰れますか?」と云われる。質問の意味がよく分からなかったが「私のお家は隣の部屋です」と答えると苦笑してみえた。
この苦笑をどうとらえるか、3週間たった今も分からない。
大雨の日に
有料老人ホームには建物の南側に大きな池があってそのなかに、車椅子も通れる遊歩道が
造られています。その池にはいま沢山の蓮が植えられていてあの見事な花も今が満開で所狭しと咲き誇って
います。先日家内に車椅子を押してもらって、蓮の花を見にでかけた。
丁度そこにここ「有料老人ホーム」の理事長さんが来ておられたので、僕が「見事な花ですねえ」と話しかけたら、理事長さんが「そうですねえ、近々にまた蓮の花が咲きみだれているところで、御目に掛かれるといいですね、」と云われた。
僕は一瞬何のことだか分からなかったが、すぐにハッと気づき「そうですね。その節はよろしく」といった。理事長さんもホッとされたようで、右手をすっと出されたのでぼくもだして、硬い握手をした。蓮の花が咲き乱れている所は仏教でいう「極楽」である。生前に善い行いをした人は死後蓮の花が咲き乱れているところにいくといいます。蓮の花の上には「阿弥陀如来という仏様がおられて、死者を優しく受け止め死者の望むことを叶えてくださる」といいます。
つまり、理事長さんは極楽で逢おうと云って下さったのである。
僕はパッとこの理事長さんが好きになりました。お医者様は何と言っても科学者ですから、一面氷の様な心の持ち主と思いがちですが、死後についてこんな夢のあるお話ができる理事長先生が好きになりました。以上(ダイヤ・ドラゴン)
蓮の花
筆者がお世話になっているここ「住宅型有料老人ホーム」では日曜日に出る朝食の載った皿が無暗(むやみ)に大きい。
聴けばフランスで使っている皿のサイズと同じだという。勿論お箸もスプーンも載っている。そのくせナイフやフォークは載っていない。聞けば高級ホテルのレストランでも同じだそうだ。
これを見て筆者は苦笑を禁じ得ない。日本人は指先が器用だから箸でほとんどの事ができる。西洋人の指先は訓練不足で箸で豆をつまんで口に入れることができない。だから、薄いハムでさえナイフやフォークがいる。
皿が大きいのは本来ならここに牛肉の大きいのが載っていて箸では口に入る大きさに切れないのでナイフやフォークをのせている。日本料理なら初めから切ってお客さんに出すところだろう。
そのあたりの考察をせずにナイフやホークをのせて出すところが気に入らない。日本はもっと日本流に自信を持って気配りの行き届いた日本流に自信を持ってもらいたい。料理は和食でそこにナイフやフォークを添えてお出しするというようなことは止めて、わしょくに誇り持ってお箸で出して(ナイフやホークが必要なお方はお申し出ください)くらいがいいのではないかと思う。
何しろ「和食は世界文化遺産に指定された」のではなかったか。(T)
日曜日の朝食
朝起きてから、夜寝るまで、全部の時間が自由と云う恵まれた環境に置かれて毎日を送っています。「小人閑居して不善をなす」と云われないように心がけてはいるが、自分が小人であることに、代りはない。そこでふと思いついた疑問が、地球上で最大の大陸であるアジア大陸に人類が住み着き、アジアでもヨーロッパでも農業始めその上小麦を栽培し始めた人類が、その小麦を石で潰し「おから」と呼ばれるところは家畜の餌にし「うどん粉」と呼ばれるものに加工した。
そこまでは中国もドイツやフランスも同じであったのに、それから、ヨーロッパではパンに加工され中国ではうどんにされたのは、どうしてだろうと考え始めた。これがなかなかの難問で数日考え続けたが結論が出ない。これは「文化人類学」と呼ばれる学問分野の問題だと思われますが。なかなかの難問で容易にそれらしい答えが見つからない。それでも一応それらしい答えにたどりついたので、其れを記して、読者諸兄のご批判を仰ぎたいと思う。勿論時代は我が国では縄文時代とよばれる有史時代の最古のじだいである。
収穫した小麦を石で潰して「小麦粉」にするまでは、東西おなじであった。ところがこれが西洋ではパンにされ、東洋ではうどんにされた。これはどうしてだろう。というのが根底の問題である。
先を急ぐと、ヨーロッパでは容易に石炭が手に入り、洞窟の奥には人間の寝るところと石炭を燃やして要る場所があって、洞窟の奥にはいつも石炭が燃やされていたのに対して中国(東洋)では近くに石炭は無く枯れ木を燃料にしていた。
従って小麦を石で潰して小麦粉にしてから水を加えて練ってうどんにしたのに対してヨーロッパでは水を加えて暫くしてから焼いたらパンができた、ということだろうとおもうことにした。
自然環境に支えられて人類はそれぞれの地域でたくましく生きぬき今日に至ったということでしょう。(T)
瑠璃菊
事の始まりは隣の奥様から送られてきた写真だった。写真は花壇の周りに植えてある山茶花の消毒を依頼したのでその様子を寫したものである。私はその写真を一目見て山茶花の消毒よりその根元に生えている雑草が気になった。毎晩夢に見るし自分の体力を試すためにもよいきかいだと考え家に帰ることにした。体力が衰え仕事をするために数年家に帰っていないから。
出かける時は曇りでこのまま同じような天気が続くと思ったら除草液を作ったところで、雨が降り出した。雑草も意外と大きくプロに任せるより方法はないと思った。雨戸を閉め庭のプラムに目をやると木の下に雑草が生えている。これだけは、抜かないと、と思い雨がっぱを着て抜いた。プラムの実を見ると例年より半月もはやく色づき始めている。台風が来ると聞いていたので、出来るだけ収穫した。家に帰るととにかく雑用が多い。気が付くと5時すぎ、バスに乗り最寄りの駅に着いたのは6時30分だった。
荷物があるのでエレベーター用の改札を出ようとしたとき、ヒスパニック系の4人組の男女を見かけた。最初の男性は乗車券を入れて改札を出た。次の女性二人は前の人が乗車券を入れ後ろの人が抱きつくような格好で改札を出た。最後の一人は乗車券なしで、15センチほどのレバーの隙間をこじ開け大きな荷物とともに通過した。何をしているのか理解できなかった。
声を掛けようか。駅員に知らせた方がよいのか。
大勢の人がいたが皆気にかけていない様子、80歳近い私も大勢の人々の一人になった。
しかし、ふだん見かけない光景を目にした所為か私の頭の中に何時までも残りあれこれ考えた。
結局結論は出ずじまいである。(E)
宮崎からのマンゴー
ここの施設の蓮池のドクダミが満開となった。そうは云っても池の中心にある花菖蒲と比べるととても満開とは言い難い。菖蒲の長い葉の根元にひっそりと咲いて白い十字の花びらを付けているだけだから。
我が家は槇の木で四方が囲まれている。その木々の根元の日陰になるところによく自生していた。草取りの時に間違って、茎を切ってしまうと白い汁が出てとても強い悪臭が周囲に漂った。本当に嫌な思いをしたのを覚えている。毎年抜いても、また次の年にはやはり生えていて同じ失敗を何回も何回も繰り返していた。
ところが昨年あたりから、そのドクダミに対する感じ方が変わった。目立たないが、20株、30株と根元に固まって咲いているのを見ると、清楚できれいだな、と思うようになった。それは草取りをする立場から、眺めるだけの立場に変わったからと思うのだが。
昨年だったか。新聞紙上でドクダミについての文を寄せている人を見つけた、60代の男性だったと思うがその文からドクダミに対する好意的なまなざしを感じて、私まで嬉しくなったのを覚えている。最近では、ドクダミが不妊治療に効くという記事を読んでビックリした。
薬草と云う認識はあったが、呼吸器系か消化器系に効果があると思っていたので。
このように歳と共にいろいろな好みが変化していく。(E)
寒がりの僕もようやく「寒い!」と云わなくてもよい季節になった。その所為もあって、家内に車いすを押してもらって近隣の農道を散歩する機会も多くなった。ここ大口町は、数年前政府が行った農地整理を見事にやってのけ、田圃にしても1筆が大きく給水用の用水と排水用の用水が別々になっていている。全ての農作業が年間計画の通りにできるよう給水も排水も行われている。稲の大敵である害虫も消毒で一網打尽にころすことができる。勿論農作業も機械化が進み30年ほど前のアメリカのようになっている。
しかし、筆者はこれをすべて進歩と思わない。我が国の農家には、明治時代から「人様に迷惑を掛けない」という道徳が徹底していて、あぜ道の草は刈る、農道は綺麗に箒で掃くということが常識になっていて、稲を山盛りに積んだリヤカーを引いていつも通れた。
ところが、今は、耕運機が車輪に付けてきた泥が農道のあちこちに落ちていて、リヤカーを引いては通れないし僕の様な車椅子も通れない。現代の農家の人は明治時代の農民のように、この道を通る人の事を考えていない。
農家の機械化が進み農家は豊かになったようだが、昔の農民にあった優しい心が失われた。昔僕は人々が豊かになれば優しい心の人が多くなると信じていたが、現実は逆で、豊かになったら自分勝手になって他人の事なんか少しも考えないようになった。本当に難しい問題だ。アメリカは殆どが豊かな家庭だが例の黒人差別問題は一向に改善していない。我が国の「働きかた改革にしても税制改革にしてもよほどよく考えて取り組まないと、改革どころか、取り返しのつかない改悪になることがある。
こうした問題を考えているのは「社会学」でしょうか。最近の日本の政治をみていると、軽薄な経済学を振り回しての主張が多いように思えるが、ドウにも心配でならない。
特に野党の皆さんの猛勉強を期待します。シツレイシマシタ。《ダイヤ・ドラゴン))
耕運機とさぎ
最近二日間蒸し暑い日が続いた。館内に居ても湿気が肌にまとわりつくようで、エレベーターに乗り合わせた人びと全部が「暑いですね」と口にした。まだ、5月中旬だから、例年なら爽やかさを感ずる季節なのだが、梅雨が始まったような錯覚に陥った。そして、之だけ蒸し暑いのだから、加湿器を必要とする日は来ないだろうと、確信して片づけることにした。
今年買ったこの加湿器はほんとうに、わがままだった。最初の加湿器は水を5リットルも貯められるもので、取り扱いが困難だった。其れで二つ目は容量の少ない部屋の割には小さめの物を探した。デザインもコンパクトでスッキリした2リットル入りの加湿器が見つかった。
最初の1か月間くらい、順調に作動し気持ちよく過ごしていたが、突然スイッチが度々切れてしまうはめになった。コンセントの位置を変えたり栓の締め具合をきつくしたり水の量を加減したりしても、どうしてもだめだった。
思い余って販売店に電話しようと段ボール箱の中を見たら印刷物が出てきた。印刷物には「お客様へ」と題してミネラルの多い地方では次のことをしてください。と云う文面だった。「クエン酸を水300CCに15グラム解いて掃除をすること」 それをしたら、うまくいった。しかし、1週間後又事件が起きた。こんどは、水蒸気が全然出なくなってしまったのだ。歯ブラシでヒーター部分を掃除してなんとか元通りになったが、来年のことは分からない。
そして本日やっと不安な気持ちと一緒に段ボールに仕舞った。(E)
トラブルの多い加湿器
筆者は1936年生まれだが、「右脳視床下部内出血による左半身不随」という病に侵され救急車に載せられ市内の病院に運ばれたが、やがてその病院の紹介により「住宅型有料老人ホームに転院を勧められ此処へ移ってきた。その時の理由は、ここのほうが、リハビリが充実しているから、というもので、あった。
確かにここは、月・水・金とリハビリがあり、20歳台後半の女性理学療法士が40分間運動機能回復訓練をしてくれる。彼女たちは真面目で教科書通りと云うか、いかにもにも訓練らしく、辛くて面白くもないことを、もう一回もう一回とやらせてくれます。僕はもう嫌になりもっと楽しいリハビリを考えてくれ、と云っても聞く耳を持っていない。僕は「オリンピックの選手になるつもりはないよ」とか、「もう日本人男性の平均寿命を生きたから決して長生きを望んでいないよ」というのだけれど、なかなか理解してくれない。
一切をお断りしてこの施設から追い出されても困るから泣く泣く緊要なリハビリをやっている。日本人特有の「生悪拙」がここでもかおをだしているようだ。折角の介護保険もここでは患者の人生観を無視して運用されているようだ。
繰り言はこのくらいにして、心を入れ替え、2階へ行って自主トレをしてくることもある。この施設でリハビリに励む患者さんとも顔なじみになり僕が自主的にリハビリに行くと「明日は晴天にしたいから、自主トレは止めてくれ。」と声を掛けてくれる人も増えた。こんなとき僕は笑って、「悪かった。悪かった。」と謝り。すぐにリハビリを止めている。
大きくなった梅の実。