かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

農作業報告

2010-08-21 | 気ままなる日々の記録
最近やっている畑仕事を報告します。夏物野菜が終わりましたので、秋物野菜の作付準備をしています。役割を終わった作物の撤去、それはトウモロコシ、トマト、キュウリ、バナナ瓜などですが、それらをきれいの取り除き、トマトとキュウリに関しては支柱も片づけ、そのあとに残された雑草の「草引き」です。今年は例年にない猛暑、作業のすべてを早朝5:30開始で、8:00に終了という日程で進めました。

                              
上の写真は7月24日、兄と一緒に瀬戸の牧場から貰ってきた牛フンで、青シート3枚に包んで駐車場の片隅に積み上げておいたものです。「野菜作りは土作りから」をモットーにした、艱難辛苦の作業による宝の山です。これを一輪車で運び、その後三角マンノウでこれを畑一面に広げ、その上から耕運機をかけようという作戦です。

               

上の写真の左側が一輪車で運んだ牛フンの山(40杯ほど運びました)、右が一面に広げたところです。この作業、身長168㎝体重58㌔スタミナ切れの老馬にはキツイものがありましたが、最後の強力な助っ人が登場しました。それが四馬力のヤンマー小型耕運機「ポチ君」です。畑の広さが2アール弱で方向転換ばかりに追われる作業でしたが、さすが駿馬4匹、この作業のときは鼻歌でした。ただ、バックギアを入れたときには「ポチに足を噛まれないよう」に注意しましたが。下の写真は、完成した現在の畑と「ポチ君」です。このまま2週間ほど寝かせて牛フンの醗酵をまち、9月初旬にもう一度「ポチ君」をかけ種まきに入る予定です。諺にいわく「大根十耕」。

                  

日帰り旅行の下見に行きました。

2010-08-14 | 
                                 
8月下旬から9月上旬にかけて、2つのグループの日帰り旅行を計画する係なり、下見に出かけました。行き先は琵琶湖の最北端「奥琵琶湖パーク・ウエイ」にある展望台からの眺望を楽しんだあと、マキノ・プリンスでランチ、続いて京都大原三千院参拝としました。

                                  
お天気が良かったら、展望台から湖半沿いの道を3.5キロ下りながら、ゆく夏を惜しみ、忍び寄る秋を楽しんでいただこうと思っています(車は周回して下の国民宿舎前で待ちます)

                                         

                                  

三千院では全員でお抹茶を頂き、そのご解散。帰途に就く集合時間だけを決めて思い思いの観賞と参拝を楽しんでいただく予定です。所要時間とキロ数を調べました。不安要因は三千院から京都東インターチェンジまでの道路状況です。少し早めに帰路につけたらと思っています。


鳳来寺山に登りました

2010-08-08 | 
                           
7月28日、友人と鳳来寺山に登りました。石段数1,423、(一説に1,425段)所要時間は45分ほどでしたがひと汗もふた汗もかきました。ただ、足を止めれば、木立を抜ける風の心地よさに疲れも和らぎ、古の人たちと心を通わせた思いでした。(左が参道入り口の山門、右が最初のころの登山道です)

                     
参道の後半は急な石段が続きます。でも「石段が急になったら頂上が近い」と聞いていましたので頑張りました。右の写真は、本殿の横をさらに登ったところにある家康を祀った「東照宮」です。

                      
山麓にある「博物館」に寄りました。昭和10年にNHKラジオが全国放送で鳳来寺山からブッポウソウの鳴き声を実況放送したところ、全国的な大騒ぎになったようです。そして得た結論は、「ブッポウソウ」と鳴いているのは「コノハズク」で「ブッポウソウ」は「ブッポウソウ」と鳴いていない、ということのようです。写真左はブッポウソウのはく製で、右はゲージの中で生きている「コノハズク」です。 

「巨大シッポの妖怪魚と愛くるしい稚魚たち」(後編)

2010-08-06 | 気ままなる日々の記録
 悪夢にうなされ、ついに覚醒したときには全身汗まみれになっていた。意識は戻ったものの爽快感はまったくなく、なげやりな気分だ。俺たちの世代はまあいいか。子どもたちも、我々が過ごした時代とは格段に異なる激動の社会を生きているが、今しばらくはいいだろう。問題は孫たちの世代だ。
 私にも可愛い孫が二人いる。おかげさまで恵まれた環境であどけなく育っている。エアコンの効いた部屋で、気のきいたおもちゃに囲まれ、嬉々として遊んでいるさまは、奄美の海域で、波紋に揺れる暖かな光を浴びながら、サンゴの間をのどかに泳ぎ回っている稚魚たちに似ている。だが、この子たちが巣立つころ、彼らを待ち受けている社会は、そして世界経済は、どうなっていて、彼らが生きていくために必要とされる資質は何になっているだろうか。老婆心の強い爺は、乏しい知識を駆使して考え込んでしまう。
 能力のある少数の人は活躍の場に恵まれるが、多くの「普通の人」は不安定な生活を余儀なくされるだろう。その上、恵まれた人に求められる能力は10年ほどを単位として次々に変化し、恵まれた「活躍の場」では激務が待ち受けているだろう。能力ある人々は集められ、その中で激しい競争を強いられるからだ。今すでにその兆(きざ)しがある「能力のある人ほど心を病む社会」はその病状を悪化させ、治療の方途もない。

 恵まれた環境で可愛がられて育っている今の孫たち、親からは「普通の人」として平穏な生涯を送ることを望まれている孫たちに、爺世代は最小限何を伝えておくべきだろうか。悪夢にうなされた老人は愚考に愚考を重ね、次の四つの徳目にたどり着いた。
 ①先ずは、「労を厭(いと)わない」ということだろう。体を使うにせよ頭を使うにせよ、にわかには結果が出ない疲労と消耗の中で、自分の労働を自画自賛できるオプチミズム。性急な結果に拘泥せず、自分の労働と疲労を尊いものと感ずる生命の燃焼力。爺は、孫がお絵描きにせよブロック遊びにせよ、長時間の作業を続けたとき、結果の如何を問わず激賞することにしよう。これは今流行の「好きなことを見つけさせる」という態度とは天と地の違いがある。沸々とした生命の燃焼力のない人が「自分探し」に出かけても、永久に自分は見つからないだろうと考えているからである。
 ②次は、世の中には「いろんな奴がいる」いるということを受け入れる心の広さだろう。善悪・好嫌に捉われず、あるいは日本人の好きな「身内か他人か」的な人物評価から脱却して、人間とは長所と短所の入り混じった厄介な存在であり、自分は常に回りの人から「人間とは何か」を学んでいるという態度。爺は、孫からクラスのできごとや友人とのやり取りを聞きながら、常に、「そう! 面白い子がいるねえ。そりゃ大変だ」と答え「こんど来たときまたその子のことを教えて」と応答することにしよう。孫たちが巣立つ社会は、価値観の多様化をはじめ国際化・個性化が進んでいる社会だろう。そうした多様な人々と関わりながら孫たちは自分の人生を刻むことになる。以心伝心の村社会の消滅は火を見るより明らかだ。
 ③「豊かな言葉と爽やかな身のこなし」。孫たちが就く職業が会社員の場合も自営業の場合も、変化の激しい経済界にあって、次々と新しい人たちとの出会いが待っているに違いない。そしてそこには「いろんな奴がいる」。そこで求められるのが「豊かな言葉と爽やかな身のこなし」だろう。言葉と所作は「育ち」と深く関わる。語彙を増やし文型を豊かにし、冗談も含めたTPOに即した表現力は、次世代の人々に求められる必須事項だろう。そこには「逃げる場合の身のこなし方」も含まれる。八方美人は本心と態度に乖離があるが、次世代に求められるのは、長所も短所も併せ持つ人格の存在を認めた態度であり、そこで自分を失わない距離感の形成力である。そこで爺は、歳端もいかない孫に対しても丁寧な言葉を使い、紳士・淑女として扱ってやろうと思う。この爺は、最近はやりの大人が使う幼児語を好まない。親密感は、非言語的な表現によって十分に伝わり、言葉が未発達な段階から子どもたちはそれを感じ取っていることを、爺は知っているからだ。
 ④そして最後に、これは孫が小学校高学年から中学生になったときに伝えたいことだが、「他人の意見を参考にするのに吝(やぶさか)かではないが、結論はゆっくり考えて自分で下す」という態度である。
 爺は、孫たちが生きる社会でもっとも厄介な存在が「広告」とマスコミに登場する「評論家先生たち」だろうと思っている。広告も評論家も、新聞・テレビ・ネットを通して、あらゆる分野でまことしやかに人びとに近づき、耳元で甘い言葉を囁きかけてくる。
 一つだけ例をあげておこう。2007年11月、『お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 』という本が有名な出版社から出されてベストセラーになった。この本で勧められたことは 日本の銀行に預金するということは愚かなことで、外国通貨での債券・株式・不動産投資などを紹介したあと、要するに投資信託に回せということだった。ところが、この本が売れた10ヶ月あとサブプライムローンに端を発する世界同時不況で、株式をはじめ外国債券は大暴落。この本を信じて預金を動かした人は大損害を被ったはずだ。しかし、この本の著者は責任を追及されることもなく、現在も経済評論家として別の発言をしながら活躍している。
 これには背景がある。沈黙の10年が過ぎ、バブル崩壊から20年の歳月が経過しても日本経済は低迷を続けている中で、1200兆ともいわれる国民の預貯金が金融市場に流れ込んだら、少しは景気が上向くのではないかと考えたグループがいて、その意向を受けてこの本が書かれていたからだ。グループの中心メンバーが金融業界の経済アナリストと呼ばれる人たちであったことは言うまでもない。彼らは有名な肩書の他に、スポンサー料という武器を懐にして、放送・出版業界に隠然たる影響力を保持している。そして彼らが第一に狙っていることは自分たちの業界の活性化である。
 出版物も含めて、ソロバンを片手に肉食獣たちが、香りのよい餌を撒いて草食動物をおびき寄せているという構図が「広告」の中に潜んでいる。こうした商品の購入に当っては消費者の高い判断力が要求されているわけだが、現実には、売り手の側が圧倒的な情報を持っているのに対して、買い手の側は草食小動物の五感程度の情報分析力しか持っていない。市場経済の公平性を担保しているものは、売り手と買い手が同じ程度の情報を共有していることであるのに、現実には情報の非対称性は極度に進み、圧倒的な情報量を持つ売り手の側が、価値を創り、流行を作り、庶民の欲求を掘り起こすことによって利益を得ようとしている。
 毎日流されるニュースやその解説も、「編集されたもの」つまりある意図をもって組み立てられたものであることを忘れてはならない。爺は、孫たちの人生がこうした売り手の側の情報によって弄ばれてはならない、と考えている。流行を知ることは必要だろう。うごめく多様な考えを知ることも大切である。そのために自分で選んで本を読むことも、お金を払って講演会に参加することも大切である。しかし最後は自分の観察と思考によって判断し、自分らしさを貫くしかないだろう。安価な情報ほど怪しいということを教えておきたい。その上「多数が賛成したことが、多数を幸福にするとは限らない」こと知ると、悩みは深まるばかりである。
 サンゴに護られた楽園を出て、荒波の渦巻く大海に向かう稚魚たちに似て、孫たちが出あう社会も、妖怪がうごめきいつ床板をはずされるか分からない社会であろう。あの忌まわしいセフティー・ネットという言葉がそれをよく表している。この問題に対して、爺たちは目を背けることなく考え続け、気づいたことを少しでも「愛くるしい孫たち」に伝えて行かなければならないだろう。

 軽率にも大きなテーマに取り組み、粗雑・冗長になった粗稿を畏友××氏に観て頂き貴重な助言を頂いた。ここに篤く感謝するとともに、なお至らぬ点の多いことをお詫びしつつ諸兄のご高評を仰ぎたい。

             参考文献
                ・本山美彦著『金融権力』岩波新書
                ・金子 勝著『閉塞経済』ちくま新書
                ・金子 勝著『長期停滞』ちくま新書
                ・水野和夫著『金融大崩壊』NHK出版
                ・広瀬 隆著『資本主義崩壊の首謀者たち』集英社新書
                ・辰野和男著『ぼんやりの時間』岩波新書
                ・武田邦彦著『偽善エコロジー』幻冬舎新書 ほか

            

「巨大シッポの妖怪魚と愛くるしい稚魚たち」(前篇)

2010-08-06 | 随想
「巨大シッポの妖怪魚と愛くるしい稚魚たち」
(所属の研究会編集部から急遽穴埋めを依頼され書きました)

6月26日、友人に誘われるまま、彼の車に乗せてもらってある講演会に出かけた。会場には500人ほどの聴衆がいて、ときどき爆笑が起きる楽しい会であったが、今思うと、私はそこで安眠妨害の毒を盛られてしまった。講師が語った次の二つのことが気になってしかたがない。

 《歴史上、最悪の王様も極貧の貴族も、石炭よりも小麦が安いからといって、ストーブで小麦を焚いた人物はいなかったし、小麦用のストーブを開発した職人もいなかった。 
 小麦は食糧だからである。
 それなのに今、アメリカではトウモロコシからバイオ燃料をつくる大工場を幾つも建設している。これが米国の農家の所得向上と脱化石燃料社会への移行を推進する一石二鳥の政策だという。しかし、これによってアフリカでは餓死者が急増し、対策を急いでいるが、実は打つべき手がない》
 《日本は世界に冠たる食糧輸入国であるが、輸入した食材を調理したあと残飯として捨てている国としても世界のトップクラスに入っている。食堂で、レストランで、コンビニで、各家庭で膨大な量の食べ物を捨てている。しかし、計算上とはいえ、この廃棄食糧で全アフリカの乳幼児餓死者を救うことができる》

 確かにどこかがおかしい。決定的におかしい。私自身についていえば、サブプライムローン不況とかで、就活中に卒業式を迎えてしまった高校生が膨大な人数になるという記事を読んだとき、胸が引き裂かれる思いがした。彼らに何の落ち度もない。何の落ち度もないフツ―の若者が大量に突然地獄に投げ込まれた。しかも世界的な出来ごとであった。解雇された労働者も数百万人にのぼりその家族も地獄に落とされた。有史以来のどんな天災よりも大きな災害で、失われた富は第二次世界大戦の損害を上回るという記事を読んだこともある。
 寝苦しい夜、浅い眠りの中で盛られた毒が効き始め、うなされてしまう。講師は数年前まで名大院で資源材料工学を教えておられた教授で、政府の審議会や専門委員会の委員を務められた人だ。先生は何度も《ソロバン勘定がすべてに優先する社会が、それほど長続きするはずがない》といっておられたが、この「長続きするはずがない」という言葉が私を苛(さいな)む。
 確かにどこかがおかしい。決定的におかしい。私自身についていえば、サブプライムローン不況とかで、就活中に卒業式を迎えてしまった高校生が膨大な人数になるという記事を読んだとき、胸が引き裂かれる思いがした。彼らに何の落ち度もない。何の落ち度もないフツ―の若者が大量に突然地獄に投げ込まれた。しかも世界的な出来ごとであった。解雇された労働者も数百万人にのぼりその家族も地獄に落とされた。有史以来のどんな天災よりも大きな災害で、失われた富は第二次世界大戦の損害を上回るという記事を読んだこともある。
 半醒半眠の脳の中で、幾つかの言葉が浮かんでは消える。サブプライムローン、債権の証券化、金融商品と金融工学、商業から産業を経て金融に入ったとかいう資本主義、金融ビックバン、金融立国アメリカ、などなど。これらはつまり何なのだ。
 軽い頭痛を覚え、ため息混じりに「今夜も熱帯夜だ」と呟いて寝返りをうつと、突然これらの言葉に関する幾つかのパロディを思い出す。

 《金融というのはお金の流れ、経済活動(実物経済)を魚にたとえると金融は尻尾。尻尾が正常な時には魚はスイスイ泳いでたくさん餌を食べ大きくなる。つまり世界が豊かになる。ところが最近は尻尾が巨大になりすぎて、尻尾が少し振れると体の方がガタガタ揺れて、魚は前へ進まず沈んでしまうんだ。つまり失業者が溢れる世界同時不況。》
 《どうして尻尾の巨大化が進んだかというと、アメリカが増え続ける貿易赤字に困って、資本移動の自由化=「金融立国」政策をとったからさ。世界に出て行ったドルを取り戻すために「金融商品」を売り出して世界の金融機関や資産家に買ってもらったんだ。話題のサブプライム・ローンも、「債権の証券化」という手法で売り出された》
 《債権の証券化とはね、つけで飲んでいくお客の多い飲み屋の女将が、お客への請求書をいろいろ混ぜて幾つかの束に分けて、金持ちに売ることなんだよ。金持ちは請求書の束を安く買って額面通りの金額を回収すれば儲かるし、女将は現金が入って次の仕入れができるというわけ。問題は焦げ付きね。サブプライムの場合は、品のいい紳士(権威ある格付け会社)が出てきて『焦げ付きは少ないですよ』というものだから、世界の銀行や年金基金などが買ったわけ。ところが焦げ付きがひどい。あとで調べたら出てきた紳士は女将のイロだったわけ》
 《金融商品の開発には、NASAで働いていた数学者や大型コンピューターが動員され、顧客のために低利でお金を貸してくれるノン・バンクや、損をしたときに支払われる保険まででき、その上先ほどに紳士が保証したりで、至れり尽くせりの業界を創った》

 ここで突然あのケインズ先生が言った「金融業界にあっては、情報を知っている人はそれを公に書くことはできず、書くことのできる人は情報を全く知らない」という言葉を思い出す。つまりは賭け、ウォール街は今や先物取引に狂奔する巨大な賭博場と化している。
 猫の目のように変わる円相場に一喜一憂し、小さなギリシャ政府の財政不安が日本の派遣労働者の生活を破壊する。こんな理不尽・不条理が世界を覆っていて、その上、確たる改善策が全く見あたらない。現在の処方箋は、取り合えず基軸通貨としてのドルを守るために、先進国中央銀行の協調介入と公的資金の投入なのだが、これがまたジャブジャブ通貨(実物経済の数倍にもおよぶ流通通貨)の元凶で、賭博資金の供給源になっている。
 人類の英知が生みだした『信用通貨』だったが、その中に孕まれていた鬼子は、いまや巨大な『投機マネー』として育ち、制御不能な悪魔となって、アジアやロシアの通貨を弄び、先物取引で石油を食い荒らし、穀物を手玉にとり、敵対的買収という手法で大企業さえ獲物にしている。餌食になった会社は投資ファンドに経営権を奪われ、リストラと資産売却によって増配、株価が上昇したところで売り抜かれてしまう。後に残るのは破壊された地域経済とやせ衰えた会社のミイラだけである。このありさまはもはや、トゲトゲの巨大な尾をもつ妖怪が、雲に乗って人々の住む上空に現れ、暴れまわっている風景に似ている。
 世界経済のダッチ・ロールと呼ぶべきか、いや地球規模での地殻変動、地球上のすべてのプレートの境界で、すべての海溝・トラフで歪が蓄積し、一触即発へと突き進んでいるというべきか。