かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「全然ゴメン」と云われてしまいました。

2015-12-31 | 気ままなる日々の記録

  今日は大晦日、この施設のお風呂は大混雑、私は火・木・土がお風呂の日で、年末も予定通りと聞いていたのでいつもの時間に出かけたら、大混雑でした。聞けば年末年始はお客が多かったり、おでかけのよていがあったりで、家で介護ができない患者さんが、ショートステイと云う形でこの施設に預けられ、そうした人たちもゆっくりとお風呂に入って戴くということでお風呂が大混雑になっているのだそうだ。

 専用の車いすで浴槽へ入る人を座浴と呼び、専用のベッドで入浴する人を寝浴と云っている。重症の寝浴の方は褥瘡もひどく、入浴前に全部のガーゼ交換が行われる。今までのガーゼをはがすときは随分痛いようで患者さんの悲鳴がよく聞こえる。入浴が終わると褥瘡部の消毒と新しいガーゼに替えその時、薬の塗布もなされ、これも痛そう。患者さんも大変だ。病気は殆どが脳梗塞や脳溢血のようで、脊椎を痛めた人は褥瘡ができるほどではないようだ。

 患者さんの悲鳴を聞きながら思うのだが、介護も大変、患者さんも大変、寝たっきりで2~3年長生きした所でだれもが一度は死を迎えるわけで、発病の段階で重い後遺症が残りそうなときは延命治療はやめて、安楽死も大切な医療だという考え方を普及させたい。

 現在の平均寿命から考えて、70歳を超えた人の発病は安楽死ありの医療にしたらどうだろう。長生きしたい人は60歳代で健康診断や健康のための生活習慣の確立に努力し家族にも迷惑を掛けないようになるのではないか、と思い提案します。

 ところで今日混雑したお風呂で「全然ゴメイン」と云われキョトンとし「すみません、全然ゴメンって、どういう意味ですか?」と聞いてしまった。パートの主婦のおばさんたちだ。「今、全然を付けるのがここで流行ってしまって、全然ゴメンなんて日本語ないですよね、ワハハハ」とお笑いされてしまった。ご機嫌を悪くしないようにいろいろお聞きしたところによると「全然OKです」といういいかたや「全然大丈夫」とよく言うのだそうだ。おばさんたち女学生気分で誰かがナウい言い方をするとすぐに皆が真似て大笑いをするのだそうだ。どうやら全然は100%と云うような感じで強調の副詞として使われているようだ。「それにしても、日本語は難しいですねえ~」とおっしゃっていた。(T)


織田信長の策略について。

2015-12-30 | 気ままなる日々の記録

  子供の頃祖父に連れられて木曽川の河原の中にあった我が家の林によく薪を取りに行った。そこから、岐阜の金華山が良く見えた。祖父は、早速金華山にまつわる話を聞かせてくれた。

  織田信長は尾張の国の中島郡辺りに城を構えた織田家の当主の嫡男であった。信長が子どもの頃信長の親が急逝したら、急逝した当主の兄弟が信長を無視して自分たちが織田一族の当主になろうと内紛を起こした。信長はよき家老たちに守られ叔父たちの反乱軍に勝利し尾張北部を統一、やがては京に攻め上って全国統一に向かうのではないかと噂されるほどの有望な名将になっていた。信長が京へ攻めのぼるとすれば、最初に戦うのは木曽川を挟んで尾張と国境を共にする斉藤家でその居城が金華山にあった岐阜城である。そこで、岐阜城の斉藤道三は自分の娘お衲(のう)を

信長の嫁に差し出した。政略結婚である。結婚してから信長は夜の1時ごろになると毎晩寝所を抜け出し3時ごろ戻る。衲姫はそのことについて、信長に尋ねた。すると信長は「お前も織田家の人間になったから秘密の話をしてやるが、決して他言してはならぬぞ」と念を押してから、斉藤家の有力武将5人の名前をあげて、「彼らは俺を慕っていて、準備が出来たら丑三つ時にのろしを上げるから、それを見たら攻め込んできてくれ」と云っているので、毎晩狼煙を見ているのだと云った。お衲は驚いてそれを手紙に書き自分に従って織田家へ一緒に来てくれた侍女に持たせて岐阜城の父に知らせた。

 斉藤道三はその5人を呼び出し謀反のたくらみありと怒り切腹を申し付けた。その噂を聞いた信長はよーしと金華山に攻め込み一気に道三を殺したという。

 祖父はこの話を身振り手振りを交えて紙芝居のオジサンのようにしてくれた。そして「例え婿や娘の云うことでも鵜呑みにしてはいけない。何事も自分で真偽を確かめる大人にならないと、斉藤家のようにつぶれてしまうと云っていた。以上祖父から聞いたお話でした、終(T)


今日は12月29日。

2015-12-29 | 気ままなる日々の記録

  戦前我が家では御餅つきが28日であった。お餅用のコメは田圃で獲れる餅米と畑で獲れる伊規須米があった。勿論田圃で獲れる餅米のお餅が断然美味しい。しかしこのお米は収穫量の効率が悪い。農家としては田圃にはできるだけ御飯用のお米を作付、畑でお餅用のコメをつくったり粟を《粟》畑で作り粟餅にしたり粟入り餅にしたりした。粟の他に黍《キビ》餅というのもあった。黍餅は少し黄色味を帯びた御餅で僕は粟餅よりも黍餅が好きであった。

 28日には、20臼とか30臼お餅を搗かされた。母の従妹の家から数臼頼まれたお餅を搗いていたのだ。28日は朝から大忙しでお餅を搗いた。つき手は僕と兄であったがもうへとへとであった。毎年29日は筋肉痛の日であった。

 母の従妹からすれば安くて美味しいお餅が手に入るからヨモギ餅まで頼んでくる。母からすれば、いいおばさん風を吹かせてお米やあわや黍が売れるわけだから農協へ売るより手取りがいい。ということのようであった。

 30日には自転車の後ろにリヤカーをつけ、リヤカーには延(の)し板の上にお餅を何枚も載せ紐で縛ったものを引いて布袋まで走った。之も大仕事であった。あのころは兎に角よく働かされた。全ては人力だったから。

 あのころは満年齢というのは使われて居なくて全員が「呼び年」であった。つまり、お正月に年齢が1歳増えるのである。

  そういえば、サマータイムというのをやったじだいもあった。田舎ではサマータイムと云わずサンマといっていた。「○○に集まって下さい」というと、「それは、サンマかイワシか」とききかえされたものだ。

  呼び年の頃お正月は今よりもっともっと大切な日であった。国民一斉誕生日と云えなくもない日で、家族全員が元気に年を重ねたことを祝う気持ちになっていた。

  お正月の朝は起きると直ぐに新しい足袋を履きすこし大き目の羽織を着て祖父のいる座敷へ行った。そして、其処で正座して「おじい様あけましておめでとうございます」

と新年のあいさつをし、隣に座っておられた祖母にもおなじことをした。祖父母は喜び決まって「幾つになったの」と聞き「大きくなったねえ。お父さんやお母さんの云うことをよく聞きお手伝いをするんだよ」。と云って「お年玉」をくれた。これはすぐに母に預け、お寺の縁日の日にその一部を貰って出店を覗いて歩き金魚やカブトムシを買ったものだ。

  満年齢もサマータイムも占領軍の勧告によって政府が指示したと思うが浅はかな事であった。

  民族の伝統や文化は重い歴史があるのだから。(T)

 


クリスマスとお正月

2015-12-28 | 気ままなる日々の記録

 今の子どもたちは、クリスマスクリスマスと騒いで幼稚園などでもイベントを組むから、思い出が沢山あるのだろうが、残念ながら私たちの世代では、クリスマスの思い出と云っても、ほんの少ししかない。

 小学校へ上がるころだったか新しがり屋の父が子どもたちのためにプレゼントを用意したらしい。生憎25日の朝には仕事で父母は留守、目が覚めたら、枕元に鉛筆が2~3本靴下に入っていた。苦肉の策で祖母がしたことらしい。仕事から帰った父が画板を取り出してこれがクリスマスプレゼントと渡してくれた。このときはじめてサンタと云うのは嘘で父母のことなのだと悟った。一生の中で思い出に残っているのはこのことだけである。

 それに引き替え正月と云うのは、沢山の思い出がある。先ず大掃除、あちらでもこちらでも大掃除をし、玄関の入口には、橙の付いたしめ飾り、暮れには親戚が集まり一日がかりで鏡餅と正月に戴く四角の餅造り、勉強机の上にも小さな鏡餅が載っていた。

  お正月の朝は客用の座布団に座り特別の割り箸で雑煮を頂く。雑煮は餅と正月菜のみで、削り節を掛けたり黒糖を掛けたりして食べた。

  その日は午前中、学校で式典があり出校しなければならなかった。学校への道中も新しい年が始まる気配が感じられ空気までがリンと冴えていたような気がする。

  数日間このような日が続き徐々に普通の日がやってきて学校も始まる。今では味わえない尊い日々であった。(E)


書家から僕のブログについてのコメントを頂きました。

2015-12-28 | 気ままなる日々の記録

「蛙の呟き」に直接コメントを投稿しようとしてくださったようですが、そのコメントを僕のブログが受け付けなかったようで、別紙に印刷してお持ちいただきました。

 僕のパソコンの調子が悪くて以前はできたことが最近できなくなってしまいましたが、原因不明です。戴いたコメントは本来ならこのブログをご覧いただいている方々に見て頂けたはずだと思い少し紹介させていただきます。「・・・・総理は海外出張行く先々で大盤振る舞い、日本人一人当たり900万円の借金を背負っているというのに何と思ってお金をばらまいているのか分からない。・・・。」「小生も国家予算の記事を見て孫、曾孫の代でも困るだろうなあと思ってこのコメントを書いています。」「おそらく、孫子の代にはこの太郎と花子の様な楽園は全部つぶれてしまうと思う。」「こんなことを書いてブログのコメントに投稿しようとすると「読み直しなさい」と云って投稿できないので一筆書いて直接ブログの筆者にお届けします」と書いてました。

ありがとうございました。12月25日投稿の記事は筆者としても何処か偉そううに書いたような気がして大いに羞恥心もあり、落ち着きませんでした。書家からこんなコメントを頂いて大変喜んでいます。ありがとうございました。私も書家と同じく閻魔様に逢いに行くのが楽しみなだけで、あと何の楽しみをありません。(T)

 

 


今年の12月25日の新聞で・・・・・。

2015-12-26 | 気ままなる日々の記録

    今年のクリスマスはトンだプレゼントが新聞をにぎわしていた。前日に閣議決定された、我が国の来年度国家予算である。

 「億」とか「兆」とかが付く想像もつかない大きな数字の並ぶ記事で面白くもない話であったが、我慢して読んでいると、

 だんだん暗い気持ちになってきた。「おいおい大丈夫かよお」と云う感じである。 

 総額96兆7218億円のうち、35,6パーセントが赤字国債だという。今までの国際発行残高は838兆円とのこと。まあ何処かの法人でもこの予  算案なら

  倒産間違いなしで、こんな法人にお金を貸してくれる銀行はないし、

 実質今のままで倒産状態だろう。平たく言えば借金して借金を返しさらに裕福な生活をしようとしている、ということである。

  この状態を憂慮している国会議員はいないのか。借金には利息がつく。借金をして借金を返しても借金残高は利息も含めて増加し続けて  いる。

  最後はインフレ誘導だ。インフレは借金を軽くする効果がある。日銀の輪転機を回して紙幣を市場にばら撒く。

 借金は返しやすくなるが、一般国民の生活は荒廃させる。餓死者が出るほどだろう。我が国は戦時国債償却のための国家政策で

  戦後の大インフレを経験してる。あれをもう忘れてしまったのだろうか。占領軍がアメリカからシャープ氏を呼んで国家財政の再建をさせた 

  「シャープ勧告」である。

 乾いた雑巾から水を絞るように税を取った。

  我が国は何度も同じ過ちを犯すのだろうか。失敗から何も学ばないのだろうか。

 今日の我が国のありようを心配している国会議員はいないのか。確かに昭和初年に世界を襲った大不況の時、赤字国債を発行して国内需要を掘り起し不況を克服したケインズ理論があることは、知っているが、日本の景気をよくするのにそれが利用できるかどうかは、別問題である。省庁は自分の省庁の手柄顔を大切にし予算要求に熱中し国会議員は

   自分の選挙区へ持って帰る予算獲得に狂奔し、一体誰が国全体の姿を考えているのか。昭和に時代戦争をしてしまったのも陸軍は陸軍のことしか考えておらず海軍もまた海軍のことばかり考えどちらも日本全体のことを考えていなかったために戦争に入ってしまった。我が国は自分の所属している組織に忠誠を誓うことが好きな国民である。危ないところが少しも改善されていない。御用学者が為政者の下心を見越していろいろな説を述べて自分も甘い汁を吸っている。御用学者への正確な評価も求められている。

   こんなことを考えながら新聞を読んでいて、暗い気持ちになった。善良な国民に求められていることは、はっきりインフレ対策であろう。1億総活躍とかで、2パーセント程度のインフレ目標と云うではないか。(T)


エッセイ考

2015-12-26 | 気ままなる日々の記録

最近向田邦子のエッセイを見つけ、アマゾンで手に入れた。

     私は若いころから作者のフアンで、ほとんどのドラマを見てきた。

  昨年亡くなった加藤治子さんの白い割烹着姿の母親役、田中裕子さんの長女役は雰囲気が昭和の時代にぴったりで、つつましく生活している家族の様子がほのぼのと描かれていた。

  同じドラマを数回みたこともある。

  ドラマ作家としてよく知っているわけだったが、エッセイはあまり知らなかった。55年第83回直木賞を受賞し、それから作家活動に入ったそうだが56年8月航空機事故で52歳の若さで急逝。本当に惜しい気がする。まだまだたくさんの作品を残してほしかった。

  今回購入した「無名仮名人名簿」は文体がなじみやすく、取り上げられているテーマも懐かしく感じる。それでも作者は女学校時代を経験しているので、ときどき文中に「天の網」「唯我独尊」とか聴き慣れない言葉が出てきてビックリする。

  一方で時々読む林真理子の作品は、今風と云うかモダンと云うかテーマまでもが全然違う。文体や言葉までが変化しているのである。

  思うに昭和の時代はゆっくり過ぎたのに平成の時代は目まぐるしく変わるという印象を受けるのである。(E)

    25日の朝焼け


コンサート

2015-12-23 | 気ままなる日々の記録

   クリスマスが近くなったせいかここの施設でもいろいろなイベントがもようされる. 

 

  昨日はバイキング形式の食事会、本日は弦楽演奏会、イブの前日はマリンバの演奏会が予定されている。本日の演奏会は今一つ盛り上がりに欠けた。しかし、バイオリンの高い音色とチェロ野低い音色はじっくり味わうことができた。ユーモレスクやクリスマスソングは馴染みがあって良かった。

  今までたくさんのコンサートに出かけたが、一番印象に残っているのは「琵琶のミニコンサート」琵琶などめったに聞けないので友達の誘いに乗った。会場は岐阜市内の図書館、中庭がありそれに面した和風の座敷が会場であった。演奏者は中庭の中にある茶室か能舞台で演奏されていたと記憶している。琵琶の物悲しい音色が今でも蘇る。(E)

      マリンバの演奏

  

  ロビーのツリー

 


冬至の運盛り(うんもり)

2015-12-22 | 気ままなる日々の記録

  文春文庫「日めくり七十二候」白井明大著によると、冬至には「ん」の字のつく食べ物を盛り合わせてお供えすると運が舞い込むという言い習わしがあるそうだ。

  それを、「運盛り」といい、大根、にんじん、銀杏、れんこん、寒天、うどん、金柑などがそれにあたり、これらを盛り合わせておそなえして、皆で戴く。

 これが運盛りだそうです。

 神社では冬至の日の参詣者にアツアツに煮た冬至大根を振る舞うところもあるそうだ。

 我が家では冬至カボチャを必ず食べていた。冬至にカボチャを頂くと病気にならないという言い伝えがあり母は頑なにそれを守っていた。さらに、冬至には柚子湯に入った。筆者の子ども時代は何処の家でもお風呂と云えば井戸から水を汲んで浴槽に運び、薪でお風呂を沸かしていた。だから、冬至の日に柚子湯に入るということは朝からその準備をしたということである。冬至の柚子湯は風邪をひかないという効果が信じられていた。

 季節感あふれるこうした慣わしは大切にしたいものだ。(T)


空に向け欅は高らかに笑うらし、我が足もとに木漏れ日揺らし。

2015-12-22 | 気ままなる日々の記録

  今日冬至、我が中部地方は高気圧にすっぽり覆われ紺碧の青空に綿雲がちらほら。

欅の小枝が空を掃く。小枝君たちご苦労さん。

君たちは君につかまって伸びた葉たちに太陽の光をたっぷり浴びさせようと、よく頑張り、隙間を縫ってよく伸びた。

今では空を綺麗に掃くような様相、だね。小枝君たちよ。(T)

 冬至の薄日に輝く銀嶺。↓

       。


リハビリ考

2015-12-21 | 気ままなる日々の記録

  筆者は右脳視床下部内出血による左半身麻痺と云う病名で闘病中。毎週、月、水、金、の3日間理学療法士の指導による通称「リハビリ」を受けている。リハビリは通常「社会復帰のための機能訓練」と訳されている特定のある筋肉強化訓練である。1回約45分か。

之が全然楽しくない。いやむしろ苦痛である。朝食時から重い気分になって、食欲も落ちる。

 訓練中、無闇にみじめな思いにさせられる。現在はおよそ100mを杖を突いて歩く練習と「立ち座り」と称して車いすからスーッと立ち上がり姿勢を正してから静かに車いすに腰を下ろすという動作を20回する。少し休んでもう20回する。

 これをすると息が切れ、背中に汗をかく。やっと終わっても何の充実感もない、

 微かな終わった喜びだけであるが、時として「もう10回やりましょう」と云われたりする。

 理学療法士の方々はみなさん熱心で真面目である。そして立派な日本人である。日本人は何時の間にか訓練は辛いものであると信じている。

 楽しくては訓練ではないと刷り込まれている。熱心な彼らにしごかれて泣いているおばあちゃんが後を絶たない。患者はダダをこねる。真面目な彼らは此処で甘えを許してはならじと頑張る。こういう場面を見るとオソマツ君は何時も今は、江戸時代か?と錯覚したり、ここは相撲部屋かと思ったりする。楽しいリハビリはないのか遊び心を取り入れゲーム性を加味したリハビリはできないものかと思うが、

 我が国ではこの業界全体が日本的精神論に毒されているようである。此処で思い出したのが、或る随筆で読んだ「思い込んだら命がけ・・・・・」と云う流行歌の一節を「重いコンダらラ命掛け」と思い込みこの歌は精神を鍛える歌だと思い込んでいたという女性作家の随筆である。重いコンダラという器具を命がけで持ち上げて心身を鍛える歌だと思っていたという。

 日本人は何故か何時も「艱難汝を玉にする」が好きである。まるで合理性がない精神論だ。そして、いつも「頑張ります!」と云う答えを期待する。国力も考えずに米国に戦線を布告し、突撃を繰り返したあの武士道だ。(未完)(T)

 

 

備考①「思い込んだら命掛け」を詩をチョットかいておきます。

男純情の愛の星の色
 溢れる思いは
春を呼んでは
夢見ては

 うれしく輝くよ
思い込んだら命がけ
男のこころ
燃える希望だ憧れだ
燦めく金の星


ある冬の日

2015-12-21 | 気ままなる日々の記録

  一昨日は気温12度C、風なし,快晴と云う好条件の中近くのコンビニへ大事な振り込みの用事で出かけた。最近は、ATMを使うときよくミスをする。だが今回ばかりはそうはいかない。慎重に、慎重にと言い聞かせながら操作した。予想外にスムースにいきはればれとした気分で帰路につく。

 ほッとしたせいか気持ちも軽やかに遠回りすることに決めた。ふと道のわきを見ると散り残った満天星(どうだん)寒さに当たったせいか葉の色の綺麗なこと、万両の実が真っ赤になったこと、新たに見つけた千両など季節の移ろいを感じさせる小さな出来事が一杯あった。

 そういえば、長い間散歩に出かけなかったと気付く。体調不良と心に余裕がなかったせいである。

 一番私を喜ばせたのは落ち葉炊きの匂いである。何とも言えぬ懐かしい匂いがする。郷愁すら感じる。何処から来るのかと訝しみながら歩いていくと民家を過ぎ, 田の広がりを感じる辺りにたき火をしているお爺さんの姿が見えた。庭の剪定をした枝葉をもやしているようだ。

 小学生の頃、落ち葉を集めて焼き芋を焼いた。栗も焼いた。登校前の寒い朝,隣のたき火で体を温めたなど、いろいろなことを思い出す。

 マンションに住む孫たちにも経験させてやりたいが、到底叶わぬ夢だ。でもひょっとして焚火の匂いは好きでないというかもしれない。(E)


柚子(ユヅ)について。

2015-12-20 | 気ままなる日々の記録

  私の野菜作りの師匠であり、パソコンや老後のいき方に対する師匠でもある人が開設されたブログに「私の70代」というものがあります。開設された時の年齢が70代だったとかで、長く続くことを想定せず、毎日のスナップ写真のようなページにしようと命名されたとかお聞きしています。それが20年近く続きちょっと分かりにくいタイトルになっていますが、訪問者は多く今更タイトルの変更は難しいことでしょう。

  そのブログに今秋柚子を沢山収穫したという記事がありました。そして12月19日毎日新聞の余禄にも柚子の話しがでていました。その内容を師匠にお伝えしたくてメモを取りながら拝読しました。以下の文章はそのメモによるところが大です。

  柚子も秋になって青柚子が熟し切って黄色くなりその芳香は私にとって欠かせないものである。讃えたのは作家の池上正太郎さんであった。

「柚子だけは贅沢させてくれと家人に頼み毎食魚貝や漬物にかけて楽しんだのは忠臣蔵で有名な大石蔵之助だったそうだ。主君の仇討のために沢山の費用が必要な中経費削減の先頭に立っていた大石であったが、柚子だけは手放せなかった。大石の奥さんは、秋に熟した柚子を刻み、味噌と合わせて

柚子味噌をつくった。蔵之助の晩酌はこの一品だけでよかったという。上記の池上さんも、大根おろしに柚子を絞った一品だけで酒が飲めると書いているそうである。

 いずれにしても、鍋料理に柚子が美味しい、今年も残り少ない師走である。(T)


日経新聞ソウル支局長事件について思うこと。

2015-12-18 | 気ままなる日々の記録

  日経新聞の日本人記者が朴クネ大統領が男性秘書と二人で緊急時に行方不明になっていたという噂を記事にした事件について、韓国検察庁が大統領の名誉を傷つけたとして起訴し裁判所がどう判断するか注目された事件であったが、無罪判決で日本政府はホッとしたようであった。

 日本の外務省が韓国政府に無罪運動をしたようだし、韓国政府も日韓親善のために無罪にするよう裁判所に働きかけたようだ。《三権分立に反しないか?)

 その時の切り札が言論の自由であり、民主主義であったようで、アメリカ政府まで日本側に立って働きかけたようであった。

 北朝鮮に対抗するために日米韓の結束を重視してのことと云う解説であった。

  筆者は少し違う感想を持ちこの動きに違和感を持っていた。筆者の観点は日本人記者の品位というか、紳士度というか、国際的に見てのジェントルマンたりえたか、と云う観点である。

  隣国の女性大統領が不倫関係に興じていたなどということは、紳士の口にすべきことではない。その国の国民の側に立てば確証もなくそんな噂を立てないでくれと云う気持ちになるであろうことは紳士ならすぐ気付くことで普通なら口にしない。記者といえども、紳士として「墓場まで持っていくというニュースもある」ということである。我が国の三流週刊誌程度の感覚ならいざ知らず、言論の自由とか民主主義とかいう以前の記者の品位の問題だと思えたからだ。きちんとした証拠もなく、韓国で今こう云う噂があると噂に加担するような記事も品位を欠く。先進国の記者はもっと紳士としての品位を身につけて欲しいと思ったものだ。

 今日新聞各紙の扱いを見ていて「言論の自由だから何を書いてもいいというわけでもない」と云うことに各紙が言い及んでいたことにホッとした。記者本人もこのことを述べ反省していたようである。その点NHKの報道に不満が残った。(T)

 


ユニークなカードが。

2015-12-17 | 気ままなる日々の記録

  クリスマスとお正月と云うブログを何時立ち上げようかと思案している最中,

   太平洋を越えてカナダ国境に近いメイン州からクリスマスカードが届いた。このカードは27年前我が家へホームステイした友達から届いたものである。それにしても、いつものクリスマスカードと違いユニークで見たこともないツリーの写真が貼ってあった。何度も眺めたり考えたりした挙句、全部ロブスターを取るときの罠で作られていることが分かった。かなり大きいツリーのように見えるが、ロブスターポットツリーとか、ロブスタートラップツリーとか呼ばれているらしい。

  そういえば、友達がメイン州はロブスターが良く獲れ日本へも出荷しているとかいてきた来たことがあった。それで、クリスマスシーズンのみ奇妙なツリーが造られるのだと納得した。

  メイン州の小さな美しい漁村に聳え立つツリーを子どもの頃見たと追記している。何故なら近くに住んでいたからと。

  今でも思い出や話題性があるらしく、新聞や雑誌の切り抜きまで入っていた。

  私はカードは送らずEメールですますつもり。たったの2~3秒で太平洋を越えてしまうので、何とも味気ないけれど・・・・・・。

  年賀状も今年限りにしようかなあ。(E)