「楽しみは」稀に魚煮て子等が皆、美味し、うまし、と云って喰う時」。
作者は橘暁覽(たちばなあけみ。(1812年――1868年)、貧乏な福井藩士。)で情感豊かな生活歌を沢山詠んでいる。ちなみに、1868年は明治元年である。
。その他の歌や参考文献はネット検索でご覧ください。橘の写真は、詠んだ歌にふさわしいいい顔をしているとしみじみ眺めています。興味深いのは、ネット検索によると、橘の著作に感動した福井藩主に召し抱えを許されたのに辞退したそうです。やはり歌人独特の風流を追及していたものと思われます。
おそまつくんも橘さんの真似をして楽しみはシリーズを作ってみようかと思い立ちました。
勿論、愚作で、愚作さえもできずにあえなく計画倒れになるかも知れません。
橘暁覽は寺子屋の師範をしていて、近所の子供たちに「読み書き」を教えていました。
なお、蛇足ですが、寺子屋と云っても別にお寺が会場だったわけではなく、八畳間があれば十分で、村の集会場とか大きな家の離れとかを借りて教室にしていたようです。
教室の正面には神棚があって、天神様が祭ってありました。
天神様が学問の神様であるということと、その教室では「礼儀・作法・立ち居、ふるまい」も教えていたからです。
授業料は決められた日に神棚へ「御奉謝」としてお供えしたと云います。
橘暁覽が魚を買った日も御報謝の日だったかもしれません。
なお、この寺子屋の教育力は凄く立派で庶民の識字率は世界一で、
当時の最先端文明国のイギリスのロンドンを抜いていたという研究もあるそうです。
更に約束は守る、とか、勤勉・誠実など人格形成にも偉大な力を発揮し、
アジアで唯一近代資本主義の導入に成功しヨーロッパの植民地にならなかったのは、この「寺子屋教育の」お蔭だといいます。
其れでは以下から『楽しみは』シリーズ開始です。
●楽しみは新書版の本を読み終えてポンと本を閉じ、また目次を開いて、順に何が書いてあったかを思い出し、そうか、そうか、と云ってから「なるほどね」と云いながらまたポンと本を閉じるとき。
●楽しみは、中一の孫から写真添付のメールが来て、息子の家族の日常が垣間見えたとき。
●楽しみは、旧友からの分厚い封書で、彼が愛読している雑誌の「お気に入り記事」のコピーが届いたとき。
●楽しみは、過酷なリハビリ訓練(機能回復・筋力アップの訓練)が終わって、あの本の続きを読もうと思って、自室へ帰るとき。
●楽しみは、家内が運動不足解消のためよる2階のギャラリーを歩くとき、用心棒として車いすで少し遅れて後を追いかける時。
●楽しみは、夜中に起きてブログに「楽しみは」を書いているとき。
●楽しみは「世界史としての日本史」で日本史の出来事の新しい意味を知ったとき。
●楽しみは、そっと装具を外し足の傷跡を見て順調に治っているとき。
●楽しみは、給食の配膳を見て好きなフルーツを見つけたとき。
●楽しみは、ある本によって、今までバラバラだった知識が整理され一つの系統的な論理になるとき。例えばキリスト教の誕生やイエス・キリストについての各種のエピソードは岩波ジュニア新書「キリスト教入門」によって綺麗に整理されました。僕の中では岩波ジュニア新書は手ごろでお勧めです。
●楽しみは、日曜日の朝、何処からかパンを焼く匂いが部屋に流れ込むとき。
●楽しみは、世界の出来事で、サッパリ理由が分からなかった事件の原因が新聞の解説記事を読んでいて、「そういうことだったのか!」とぱっとわかったとき。
●楽しみは、電波の調子が良くネットで、素早くユー・チュブにたどり着き、仲道育代さん演奏のショパンの「幻想即興曲」へ素早くたどり着けたとき。
ぼくは、この曲については仲道さんの演奏が大好きで、フランス人の演奏はスキになれません。一つの曲が演奏者によってこんなに感じが違ってくるものだということを始めて理解しました。
また、話題を三つ前の「楽しみは」に戻して、ついでに、此処の朝食のメニューを紹介しておきます。日曜日の場合、
メイン・デイシュは厚切りのトースト。オレンジジャムを付けて頂きます。
おかずの大皿にはハムやウインナー・ソーセージ、緑黄野菜として茹でた人参やさやいんげん、そのほかスクランブル・エッグ。紙パックのオレンジ・ジュースなど、
それとポタージュスープ、オソマツ君はドレも概ね好きでゆっくり時間をかけて頂きます。ただ、有名ホテルの朝食で頂いても好きになれないのが洋食のポタージュ・スープで、あのバター味を体が受け付けてくれません。失礼しました
●楽しみは、「楽しみは」に書こうと思うことが次々と頭に浮かぶこと。これぞ本当の『失礼シマシタ』です。
●楽しみは、夢で発病前の体に戻るとき。
●楽しみは,家内に車いすを押してもらい広い田んぼのあぜ道を行くこと。よく肥えた稲の間を散歩していると、すぐそこに、子供時代の僕が居て、田植えをしていたり、旅草取りをしている。子どもの頃あぜ道の草刈りは良くしていた。蛇は逃げてゆくから心配なかったが、ムカデによく手をかまれた。これはかなり痛いしポンポンに腫れあがる。ムカデに噛まれたらすぐに手を洗い傷口から沢山血を絞り出すのがよい。血と一緒に毒もしぼりだされるからである。そのために、傷口を広げて血を絞るのが良い。勿論痛いのは我慢だ。其れを十分しないとポンポンに腫れあがり夜も眠られぬほど痛い。数日後にはテ全体が痒くてかきむしり、夜も眠られない。子どもの頃の苦い想い出である。
●楽しみは,家内に車椅子を押してもらって広い田んぼの農道を行くこと、しばらく行くと直ぐ近くに子どもの頃の自分がいる。何時も四つん這いで田の草取りをしていたり、追加の田植えをしている。子どもの頃8月はお盆まで、毎日田圃に出ていた。あぜ道の草刈りや田の草取りだ。僕は子供に声をかける「がんばっているね、偉いぞ。タオルで顔を拭きな。頬に泥がついているよ」と。子どもは、素直に顔を拭く。僕はいう「いや違う左の頬だ。そうそう、もう少しうえだよ」などと。なかなか素直ないい子だ。これぞ、自画自賛で、失礼シマシタ。(T)
オソマツ君は発病前近々に実現しようと思っていたことが二つあった。
一つは阿波踊りに行って徳島で徹夜踊りをすること、
二つ目は新潟県と山形県の県境辺りにある鳥海山にのぼることであった。この山は標高が1600mくらいでたいした山ではないが、登りも下りも何時も美しい日本海を見ながらの行程で実に景色が良く特に夕焼は空の紅色模様がが海に映りその模様が刻々と変わりここは天国か極楽かと思えるそうです。
更に、冬の間日本海を渡りながら水分を含んだ空気が山にぶつかり上昇するとき
冷えてあたりの岩を氷で包みそれが、夏の太陽によって解かされどの登山道も、
綺麗な冷水に溢れているそうです。
だから登りに缶ビールを埋めて帰りに掘り出して《ただし、他の登山者に見つからないような目印を付けて埋めておくこと)飲みながら降りると最高に美味しいと聞いた。
ところで、昨夜夢で僕は徳島で徹夜踊りを踊っていました。
夢の中で大いに楽しみ、そのうえ、おかしいなあ、俺、踊っている。と不思議がっていた。
本当に夢と云う現象は面白く、楽しいものである。
そのうち鳥海山の方の夢もみるかもしれない。ビールを飲みすぎて千鳥足で下山していて谷へ転げ落ちて死んでしまう夢でないことを祈っています。(T)