かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

ブーメラン台風に思う。

2016-08-30 | 気ままなる日々の記録

   東北地方を襲った台風10号による被害報道をテレビで見ていて、我が国の政治家は何を考えているのだろうと、情けなくなってきました。

 防潮堤にしても、河川の堤防にしても、仮設住宅にしても罹災後には国家予算で対策をたてているのだから、それを半年前倒ししておけば、罹災者は無しになるのでは無いだろうか、と考え始めたからである。

 国土交通省とは別に防災省のような省を作って計画的に日本列島を改造して、災害に強い国を作ろうという発想はできないものだろうか。「日本列島改造論」である。10年計画でも20年計画でもよい。自然災害による罹災者「なし」の国を作って子供たちに渡そうではないか。雄大な計画を立て、着実に夢を実現させるのが政治家の仕事であり,そのお手伝いをするのが、大学の使命であり、そちらへ世論を導くのがマスコミの役割ではないだろうか。

   我が国のマスコミは建設的な批判とは正反対の揚げ足とりに終始していないだろうか。以前、熊本地震のとき、屋根の上に泥を乗せその上に瓦を並べるという家の造り方は少し古典的すぎるのではないだろうか?と書いたら友人の建設会社の名古屋支店長が新しいタイプの瓦が試作され実験中とのことであった。同じことが住宅そのものに対しても研究を開始して欲しいものだ。(T)

 


台風10号に振り回されて。

2016-08-29 | 気ままなる日々の記録

   先週発生した台風10号は、本当にブーメランのような動きをして、今八丈島の南方の海上にある。今後北東に進み関東付近に近づいたところで進路を北西に替え日本列島を縦断するらしい。

   何時までも蒸し暑い日が続きお盆が過ぎても秋らしい気配も見せず忌忌しい台風であるがもっと私を悩ませたのは雨戸を閉めに家へ帰るかどうかと云うことである。

  先日此処の施設でも台風のために葭簀を外すという作業が始まりテレビでも台風対策は土曜日が良いと盛んにこちらの気を煽るような報道をする。

  我が家はタクシーで往復1時間は掛かる。其れでも今後のことを考えて土曜日の夕方帰ることを決心した。

   しかし、朝起きてみると小雨模様で意外と涼しい様子。大急ぎで準備をし八時半に出発した。

  家まであと半分というところで、娘から「実家へ帰宅中、用事は無いか」と云う携帯メールが入った。

   戻る気にもならず雨戸だけ閉めて帰った次第である。其れだけでも久しぶりの外出で、相当疲れてしまった。(E)

      

              ボリジ    前庭にて


凡人は全て時代の申し子。

2016-08-28 | 気ままなる日々の記録

   暇に飽かして、読書三昧、至福の日曜日である。今は、白澤社発行三木清『人生論ノートを読む』岸見一郎著を読んでいる。三木は神戸の生まれで1高に進学、一高から京大へきている。京大では、西田幾多郎に師事京大卒業後は岩波書店の援助を得て ドイツへ留学。ドイツではハイデッカーのもとで学び、リッケルト達と交流している。

  まあ当時の我が国では目を見張る秀才であり、哲学界切ってのサラブレッドであった。この頃我が国の青年たちは「人生とは何か」とか「死とは何か」と云ったことを全身全霊で考え学ぼうとしていた。

   一方オソマツ君たちの高校・大学前期では、人生論は下火で誰も関心を示さずむしろ社会主義とは何か、マルクス・レーニン主義とは何かと云うことに興味が移っていた。

  戦前は徴兵制があり、何時戦場で死ぬかもしれないという宿命から逃れることはできなかったし,戦後は米ソの冷戦がはじまっていたことを思えば一応は理解できるが、大きく括れば所詮は時代の枠の中での出来事で自由も自立も夢のまた夢といえよう。そして現代もまた敗戦時にアメリカが造った変な檻の中でうごめいているに過ぎない。(T)


白鷺観察記

2016-08-28 | 気ままなる日々の記録

  今日は日曜日で、お風呂もリハビリも何もない。全ての時間が自由と云うのは、怠け者のオソマツ君にとっては、最高の幸せである。

 お天気は下り坂とかで「ブーメラン台風」の台風10号が、心配だが昼食後三階の展望窓のところで眼下の田圃とシラサギを1時間ほど見ていた。

 数日前一羽も居なくなった白鷺だが、今は幾つもの群れが戻っていてくれた

 ①田圃に数羽の白鷺がいて、盛んにくちばしを稲の間に突き刺しているときは、通りかかった数羽の白鷺の群れがその近くに舞い降りる。どうやら、其処には餌があるということを教え合っているようだ。

 ②カップルが成立している白鷺が居て空を飛ぶのも餌を食べるのもいつも一緒にいる。

 ③カップルのうち、舞い降りる度に胸の羽を少し立てたり羽を数センチ広げて風を入れている方が雌だと思われる。鳥が抱卵するのは胸のあたりが暑くて冷たい卵に胸を当てると気持ちがいいからだそうだ。産卵期を迎えた雌鳥はもう胸のあたりが暑くなり風を入れているのだろう。

 こういうことを考えながら白鷺の行動を観察しけていると実に楽しく同じところにぼーとして1時間も居て「認知症の老人」と思われてしまう。

 とかくこの世は住みにくい。(T)


小学校の絵日記について。

2016-08-27 | 気ままなる日々の記録

   今日は土曜日で、午前中からお風呂の日。今日僕のお世話をして下さったケアーさんはお子さんが小3の女の子と年長さんの男の子だそうで、小3の子は夏休みの宿題に絵日記を書くことと云うのがあるそうで、毎日書くことがないといっているそうです。

   「朝早く畑へ行って草取りをしましたとかいておきなさい」というと「それは、きのう書いた」というそうです。出校日に学校へ行けば××ちゃんが○○へ行って来たとかいう話ばかり聞いてきてどうしても、どこかへ連れて行かなければならなくなるそうです。

 その家のご主人が阿部内閣の内需拡大路線に教育委員会が躍らされて夏休みに絵日記を書かせていると怒っておられるそうだけど、それで、最近できたとかいう犬山のモンキーセンター内の流れるプールとかに家族全員で出かけられたそうです。お昼はコンビニ弁当で済ませてもけっこうな支出になるそうで、絵日記は止めて貰いたい。と盛んに言っておられた。この人は自由研究のことは話されなかったが、何処のご家庭も子供の夏休みの自由研究には泣かされたようです。

 絵日記にせよ自由研究にせよ、提出されたものを先生がどう評価し、何をどうサポートするかは非常に難しく、どうやら、先生方も手を抜いておられるようです。文部科学省というところは、建前重視の実態把握や正当な評価をおざなりにすることが得意な部署らしくいつも内側が空洞になっている、御神輿をかついでおられるようです。

  何時になったら我が国の文部行政が質実剛健になることでしょう。(T)

 


お見舞い

2016-08-26 | 気ままなる日々の記録

   昨日妹と姪の家族がお見舞いに来てくれました。先回姪夫婦に会ったのは10年も前になるでしょうか、まだ子どもはおらず、新婚さんと間違えられそうな時でした。それが今ではお婿さんには貫禄がつき、姪には母親としての余裕と包容力が漂って、理想的な家族と云う感じで本当にうれしく思いました。

 妹夫婦は20年くらい前から三重県に移り住んでいるがお寺が愛知県にあるため盆の時期になると毎年立ち寄ってくれます。今回は姪の里帰りと重なったため大勢の訪問となりました。

 姪が私と妹が並んで腰かけたのを見て、「本当に良く似てきた」と笑いながら言います。それを聞いて小学3年生の姪の子は私の顔を長い間じーっと眺めて目を逸らしません。この世に自分のお婆ちゃんそっくりの人がいることが不思議でならない様子です。そして多分夏休みの日記帳にはこの話が出てくることになるでしょう。

 妹は料理が得意で時々手作りの品を送ってくれます。今回も母親代わりのようにいろいろな品を保冷バックから取り出しました。

 マーマレイド、ゴウヤの佃煮、青ジソウのジュース、紅茶風味のもも肉等々。毎回の一汁三菜の食事に飽きてきている私たちにはとても新鮮で嬉しい品ばかりでした。(E)    蓮池にて


農業の近代化に思う。

2016-08-24 | 気ままなる日々の記録

   この施設の3階の中央には広い展望ガラス窓があって、そこからは、遥か彼方の木曾山脈から、眼下に広がる一面の田圃が眺望できる。

 オソマツ君は此処からぼーっと広大な田圃を見ていることが好きだ。

 今日も大粒の雨が降る田圃を見ていた。が、

気が付くとあぜ道の草が枯れて茶色くなっている。

これは、除草薬を散布したに違いないとイライラしてきた。

嘗ての農家は除草薬は決して使わ無かった。

土を痛めるからである。あぜ道の草は必ず手で刈った。

小型エンジンの付いた草刈り機も使わなかった。

角や隅が綺麗に刈れないからである。手で刈って、半日放置すると、

夏は刈った草が良く乾く。そこで、草が種を持っているかどうか、よく見極めて種が無かったら草を田圃に埋めこみ、

種がありそうならば乾燥させ焼き払った。

何れの場合もこうした方が土のためにいいからである。

あぜ道とは言え除草薬を散布なんかして百姓の心意気を冒涜する行為である。

これが近代化であったら、農業は衰退するであろう。土の中の微生物の営みが肥えた土をつくり、そのおかげで豊作がもたらされる。除草薬を散布して、その微生物を殺したら、回復に数年は必要だろう。

 全ての作物は土つくりから始まるという農業のイロハのイの字を知らない農業経営者が増えた。

 困ったものだ。オソマツ君は久しぶりに老人特有の怒りを覚え自らを苦笑した

追記;エジプトのピラミッとの中の石の部屋の中に当時の石工の落書きが刻まれていたと云います。その落書きには「最近の若い者は仕事をキチンとしない」と云うようなことが書いてあったと云います。6000年も前から年寄りは「最近の若い者は・・・・」と云って何かにつけてなげいていたということです。これは6000年も続く人類の年寄りの習性なのでしょう。(T)


  メールのチェックと早朝の電話

2016-08-17 | 気ままなる日々の記録

 

   真夜中にドアーのノックを聴いた。こんな時間にケアーさんが血圧の測定に来るはずがないと不思議に思っているとだんだんノックの音が大きくなった。これは一大事とばかりドアーを開けるとその向こうに主人がいた。どうしたのかと問うと「孫の○○からEメールが届いているので見るように」という。「冗談じゃないこんな真夜中に」と思いながら時計を見ると午前3時。

   主人は変わった癖がある。夜中にトイレに起きたついでにメールをチェックするのである。そして気になると時間に関係なく一途にそのことばかり思いつめる。老化の一現象と云うことだろうか。今までにも「ニユーヨークからメールが届いている」「孫からメールが来た」と云って起こされたことが2~3回ある。

 私は意地が悪い方で素直に見に行かない。真夜中だからと拒否する。明るくなってから一番にみるからと言い訳をする。主人は悪びれた風もなく少しだけ不満そうにして帰って行く。私と云えば少しだけ後悔する。チョットだけでも見ればよかったかな?と。

 もう一つ安眠を妨害されることがある。早朝の6時前の電話である。早朝は未だ館内が静かだからいつも以上に響く。その上主人の声は男性としてはイエローボイスとニックネームを貰うほどの高い声。こちらは相手のあることだから我慢して黙認している。(E)

          ペンタス     前庭にて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ホーカンさんとボーカンさん

2016-08-16 | 気ままなる日々の記録

   昨日《月曜日)左足親指の爪が巻爪になりそこから出血、化膿が見られたので付属の総合病院の皮膚科を受診、消毒と薬を付けて貰って巻爪の下にガーゼを挟み込んで包帯をするという治療をうけた。そこで、お風呂は入ってよろしい、ただし最後に綺麗なお湯で洗い、十分にお薬を付けて貰ってテープで留めてもらいなさいと指導された。

  今日お風呂でケアーさんにそのことを云ったら「分かりました。それはホーカンさんに頼みましょう」とのこと。僕はきょとんとして「え?」というばかり。ホーカンさんが分からない。よく聞けば「訪問看護士さんのことだそうだ。ホーカンさんは、僕のような入浴にケアーさんでなく、看護師さんが必要な患者に対して前もって連絡しておくと訪問看護士として、お風呂まで出向いてくださる看護師さんのことだそうだ。

 之も介護保険のスタートとともに始まった制度らしい。そういえば、オソマツ君の世代は看護婦さんと云いそうだが、男性の看護婦さんの誕生とともに看護士さんと名称が変わった。それでここにも、男性看護士さんの見習いが来ていた。浴室をボーっと見ていると、同じようにボーっと立っている青年がいる。彼はチャント看護士さんの制服を着ているのに何もしていない。 

僕は、顔なじみの看護士さんに

つい「あそこの青年はボーと立ってるだけで何もしないね。何物?」「ああ、あの人ね、見習い看護士さんだけど毎日ここにきて立ってるだけで夕方になるとスーッと帰って行かれるわよ。今はやりの『指示待ち人間』らしいわね。私たちはボー看さんって呼んでるわよ」とのこと、「そう!。傍観してるわけだね」と云って笑い合った。

 ベテラン看護師さんがおっしゃった。「私たちの仕事はね。子どもを育てたことのある人でないとできないの。娘さんでもボー看さんは一杯おられるわよ」とのことであった。看護婦さんが看護士さんになったときの論争はよく知らないが、呼称を変えても仕事は変わりない。僕もどちらかというと何かにつけて傍観している方だから、偉そうなことは言えない。(T)


三河の風 (その2)

2016-08-14 | 気ままなる日々の記録

  若いころ数年住んだだけで、三河の風が分かるかと云われそうで、丁寧に二度「前書き」を読んだ。渋くてとても味のある文である。その後に具体例としてエッセイ風の話しが出てくるが「味噌の色」と云うのが興味深かった。

 修学旅行で伊勢へ出かけ黄色の味噌汁にカルチャーショックを受ける話。

 私の主人も生粋の尾張人で味噌汁は赤味噌でないと手が出ない人。ミックス味噌を使っただけで厭な顔をする。

 ところが娘が結婚の相手に選んだ人は関西の人だった。ごあいさつに伺わなければならない。そして、お寿司と汁ものをご馳走になった。

 婿さんの母上はその時すでに他界されていたので、全て父上の意向であると思われるが何と汁ものには赤みそが使われていたのだ。こい赤みそを使った汁の中に、白い明石の鯛の切り身が一切れ。赤みそと鯛の相性がとてもよく、とにかく美味しかった。主人は多分ホットしたことだろうと思う。

 

 スポーツマンでありながら、そんな心遣いができる人柄を私たち夫婦はどれほど尊敬していたか。その方が潔い幕引きで旅立たれてしまった。丁度1か月前のことである。婿さんに「おどろいているのは当の本人でしょう」と言わしめるほど周りの人々に世話を掛けない旅立ちであった。(E)

          蓮池の蓮

 


「楽しみは」?

2016-08-13 | 気ままなる日々の記録

  「楽しみは」稀に魚煮て子等が皆、美味し、うまし、と云って喰う時」。

作者は橘暁覽(たちばなあけみ。(1812年――1868年)、貧乏な福井藩士。)で情感豊かな生活歌を沢山詠んでいる。ちなみに、1868年は明治元年である。

。その他の歌や参考文献はネット検索でご覧ください。橘の写真は、詠んだ歌にふさわしいいい顔をしているとしみじみ眺めています。興味深いのは、ネット検索によると、橘の著作に感動した福井藩主に召し抱えを許されたのに辞退したそうです。やはり歌人独特の風流を追及していたものと思われます。

 

 おそまつくんも橘さんの真似をして楽しみはシリーズを作ってみようかと思い立ちました。

勿論、愚作で、愚作さえもできずにあえなく計画倒れになるかも知れません。

 橘暁覽は寺子屋の師範をしていて、近所の子供たちに「読み書き」を教えていました。

 なお、蛇足ですが、寺子屋と云っても別にお寺が会場だったわけではなく、八畳間があれば十分で、村の集会場とか大きな家の離れとかを借りて教室にしていたようです。

 教室の正面には神棚があって、天神様が祭ってありました。

天神様が学問の神様であるということと、その教室では「礼儀・作法・立ち居、ふるまい」も教えていたからです。

授業料は決められた日に神棚へ「御奉謝」としてお供えしたと云います。

 橘暁覽が魚を買った日も御報謝の日だったかもしれません。

なお、この寺子屋の教育力は凄く立派で庶民の識字率は世界一で、

当時の最先端文明国のイギリスのロンドンを抜いていたという研究もあるそうです。

更に約束は守る、とか、勤勉・誠実など人格形成にも偉大な力を発揮し、

アジアで唯一近代資本主義の導入に成功しヨーロッパの植民地にならなかったのは、この「寺子屋教育の」お蔭だといいます。

其れでは以下から『楽しみは』シリーズ開始です。

●楽しみは新書版の本を読み終えてポンと本を閉じ、また目次を開いて、順に何が書いてあったかを思い出し、そうか、そうか、と云ってから「なるほどね」と云いながらまたポンと本を閉じるとき。

●楽しみは、中一の孫から写真添付のメールが来て、息子の家族の日常が垣間見えたとき。

●楽しみは、旧友からの分厚い封書で、彼が愛読している雑誌の「お気に入り記事」のコピーが届いたとき。

●楽しみは、過酷なリハビリ訓練(機能回復・筋力アップの訓練)が終わって、あの本の続きを読もうと思って、自室へ帰るとき。

●楽しみは、家内が運動不足解消のためよる2階のギャラリーを歩くとき、用心棒として車いすで少し遅れて後を追いかける時。

●楽しみは、夜中に起きてブログに「楽しみは」を書いているとき。

●楽しみは「世界史としての日本史」で日本史の出来事の新しい意味を知ったとき。

●楽しみは、そっと装具を外し足の傷跡を見て順調に治っているとき。

●楽しみは、給食の配膳を見て好きなフルーツを見つけたとき。

●楽しみは、ある本によって、今までバラバラだった知識が整理され一つの系統的な論理になるとき。例えばキリスト教の誕生やイエス・キリストについての各種のエピソードは岩波ジュニア新書「キリスト教入門」によって綺麗に整理されました。僕の中では岩波ジュニア新書は手ごろでお勧めです。

●楽しみは、日曜日の朝、何処からかパンを焼く匂いが部屋に流れ込むとき。

●楽しみは、世界の出来事で、サッパリ理由が分からなかった事件の原因が新聞の解説記事を読んでいて、「そういうことだったのか!」とぱっとわかったとき。

●楽しみは、電波の調子が良くネットで、素早くユー・チュブにたどり着き、仲道育代さん演奏のショパンの「幻想即興曲」へ素早くたどり着けたとき。

ぼくは、この曲については仲道さんの演奏が大好きで、フランス人の演奏はスキになれません。一つの曲が演奏者によってこんなに感じが違ってくるものだということを始めて理解しました。

また、話題を三つ前の「楽しみは」に戻して、ついでに、此処の朝食のメニューを紹介しておきます。日曜日の場合、

 メイン・デイシュは厚切りのトースト。オレンジジャムを付けて頂きます。

 おかずの大皿にはハムやウインナー・ソーセージ、緑黄野菜として茹でた人参やさやいんげん、そのほかスクランブル・エッグ。紙パックのオレンジ・ジュースなど、

 それとポタージュスープ、オソマツ君はドレも概ね好きでゆっくり時間をかけて頂きます。ただ、有名ホテルの朝食で頂いても好きになれないのが洋食のポタージュ・スープで、あのバター味を体が受け付けてくれません。失礼しました

●楽しみは、「楽しみは」に書こうと思うことが次々と頭に浮かぶこと。これぞ本当の『失礼シマシタ』です。

●楽しみは、夢で発病前の体に戻るとき。

●楽しみは,家内に車いすを押してもらい広い田んぼのあぜ道を行くこと。よく肥えた稲の間を散歩していると、すぐそこに、子供時代の僕が居て、田植えをしていたり、旅草取りをしている。子どもの頃あぜ道の草刈りは良くしていた。蛇は逃げてゆくから心配なかったが、ムカデによく手をかまれた。これはかなり痛いしポンポンに腫れあがる。ムカデに噛まれたらすぐに手を洗い傷口から沢山血を絞り出すのがよい。血と一緒に毒もしぼりだされるからである。そのために、傷口を広げて血を絞るのが良い。勿論痛いのは我慢だ。其れを十分しないとポンポンに腫れあがり夜も眠られぬほど痛い。数日後にはテ全体が痒くてかきむしり、夜も眠られない。子どもの頃の苦い想い出である。

●楽しみは,家内に車椅子を押してもらって広い田んぼの農道を行くこと、しばらく行くと直ぐ近くに子どもの頃の自分がいる。何時も四つん這いで田の草取りをしていたり、追加の田植えをしている。子どもの頃8月はお盆まで、毎日田圃に出ていた。あぜ道の草刈りや田の草取りだ。僕は子供に声をかける「がんばっているね、偉いぞ。タオルで顔を拭きな。頬に泥がついているよ」と。子どもは、素直に顔を拭く。僕はいう「いや違う左の頬だ。そうそう、もう少しうえだよ」などと。なかなか素直ないい子だ。これぞ、自画自賛で、失礼シマシタ。(T)

 

 

 オソマツ君は発病前近々に実現しようと思っていたことが二つあった。

 一つは阿波踊りに行って徳島で徹夜踊りをすること、

 二つ目は新潟県と山形県の県境辺りにある鳥海山にのぼることであった。この山は標高が1600mくらいでたいした山ではないが、登りも下りも何時も美しい日本海を見ながらの行程で実に景色が良く特に夕焼は空の紅色模様がが海に映りその模様が刻々と変わりここは天国か極楽かと思えるそうです。

 更に、冬の間日本海を渡りながら水分を含んだ空気が山にぶつかり上昇するとき

 冷えてあたりの岩を氷で包みそれが、夏の太陽によって解かされどの登山道も、

 綺麗な冷水に溢れているそうです。

 だから登りに缶ビールを埋めて帰りに掘り出して《ただし、他の登山者に見つからないような目印を付けて埋めておくこと)飲みながら降りると最高に美味しいと聞いた。

 ところで、昨夜夢で僕は徳島で徹夜踊りを踊っていました。

 夢の中で大いに楽しみ、そのうえ、おかしいなあ、俺、踊っている。と不思議がっていた。

 本当に夢と云う現象は面白く、楽しいものである。

 そのうち鳥海山の方の夢もみるかもしれない。ビールを飲みすぎて千鳥足で下山していて谷へ転げ落ちて死んでしまう夢でないことを祈っています。(T)

 

 

 

 


三河の風

2016-08-11 | 気ままなる日々の記録

   沢山積んである本の中から、「三河の風」と云うタイトルが目に付いた。著者は大正末期に三河でうまれ、戦前まで其処で育った、英文学者でもあり、エッセイストでもある外山滋比古である。名前も著書も知らなかった。有る本などはとても話題になりミリオンセラーになったにもかかわらずである。

 ペラペラとめくってまえがきを読んでいるうちだんだん読む気が湧いてきた。最近活字が小さくて読みにくくなり本から半年ほど遠ざかっていたのであるが。

 前書きによると「三河の人々は維新以来、百数十年の間、身に見えない弾圧に黙々と忍んできた」というのだ。先ずどうして?と云う疑問が湧いた。徳川発祥の地であるからと云う理由である。そんな風には感じなかった、と反論したくなった。

 実はわたくしは、人生で一番充実している時期に2年間三河に住んだことがある。城下町の風情が残り研究機関や大学もあり住みやすく文化的で明るい街と云う印象を持っていた。地形的にも小高い丘が沢山ありよく霧が出て歩くのに楽しみの多い土地でもあった。勿論知り合いも友達も多くできたが皆屈託がなく率直な人が多いと思っていた。

 此処の施設にも三河出身と思しき人が見え良くお風呂で見かける。スタッフの方と話されるのを聴いていると活発で思ったことははっきりと話される。この人が特別なのか数十年と云う年月が三河の風潮や文化にも変化をもたらしたのか分からない。がともかく尾張の地で三河弁が聞けるのを楽しみにしている。(E)

 


「「お疲れ様」について考える。

2016-08-11 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君は、週に3回午前10時からお風呂に入れて貰っています。

 しかもその間ずーっと、マネキン人形と同じで、衣類の脱着から体洗いまで、全部お風呂のケアーさんのお世話になっています。

 それなのに、お風呂を出て、サッパリしてお部屋へ戻るときケアーさんが「お疲れ様でした!」と毎回云われる。

 或るときオソマツ君は「チョット待って、『お疲れ様でした。』と云わなきゃいかんのは僕の方で、先に云われてしまったら僕が云えなくなっちゃうね」と抗議した。

そうしたらケアーさんは「私たちはチャントお給料を貰っているからこれが仕事なの。

だから、私たちに「お疲れ様!」とはいわなくていいの。

お客様がお手当貰ってお風呂へ入っているのなら私たちも云わないわよ」といわれる。

 ちょっと待ってくれ!お風呂へ入ってお手当が出る国なんかあるはずがないだろう。

そんな国があったら政府はいくらお金があっても赤字国債ばかり発行することになり、そんな国債は買う人がいないだろうと云いたかったが云わなかった。

 此処のおばちゃんには口では絶対勝てないからだ。それ以来「お疲れ様」と云われると、小さい声で「こちらこそ」と云うことにしている。(T)

 


平成天皇のお言葉について。

2016-08-09 | 気ままなる日々の記録

   今日8月9日の新聞は昨日午後3時に放送された平成天皇の生前退位のご意向について、ばかりであった。

 オソマツ君は「そうかそうか、ご高齢だから長時間のご公務は大変だろうなあ、

幸い皇太子がお見えだから早速皇太子に天皇職を譲られのんびりして頂けばいいじゃないか」。

としか思わなかったが、新聞によると、いろいろゴチャゴチャ云う学者がいるらしい。

何か完璧主義というか、偏屈と云うか困った奴が多い国だ。

 第一戦争を放棄して軍隊を持たない国になると憲法に書いて、

アメリカ軍の駐留を認めていて、何が憲法だ、と云いたい。

アメリカでは日本は北太平洋に浮かぶ我が国の不沈空母だと云っているではないか。敗戦の時憲法も皇室典範も占領軍の意向通りに造られ、現実的には矛盾だらけである。

どんどん改正し、また悪いところが出てきたらそこでまた改正すればよいわけで初めから完璧主義は民主主義に馴染まないと思うがどうだろう。

 日本人は表面的でも完璧主義が好きでかえって、非現実的な議論になることがすきなようである。

 第一憲法9条にしても、そんなことが可能な世界か、と云うことだ。

 憲法9条は、アメリカの永久占領の手段になっているだけだ。其れを狙って占領軍が制定したのが我が国の憲法である。じゃあどうするか。それを知ったうえで日米同盟を結んだというのならそれはそれで、高度な政治判断といえる。

 同じように我が国の皇室の在り方についても女性天皇もよし、皇太子へ譲るのもオーケー,不都合が出てきたらそこでまた考えればよい。と思うが、楽観的すぎるだろうか。

 憲法改正の国民投票なんか10年に一度ぐらいどんどんやればよいのではないだろうか。

 成熟した民主主義に関してこんなイメージを持っているがどうだろう。(T)

      エキナセア

 

 

 

 

 

 


降圧剤

2016-08-09 | 気ままなる日々の記録

 私と降圧剤との付き合いは、20年以上になる。

 三番目の仲人を頼まれた50代初めの頃のことである。大事な役目なのでその日に何かあってはいけないと思い立ちクリニックを訪ねたのである。私の血圧を計測した医師は急に険しい顔つきになり、このまま帰ってはいけないと私に言い渡し処置室へ向かうよう指示した。何と最高血圧が180位あったのだ。舌下に錠剤を入れ徐々に溶かす治療をされた。

 このようにして私と降圧剤の長い長い付き合いが始まった。20年間の間に二度血圧が高くなり薬の種類が三つになった。病気や転居で病院もお医者様も変わったが、薬は何時もおなじようなものを探してくださった。

 数年安定した時期が続いたが、今年の春先異変が起きた。最高血圧が90代まで下がってしまったのである。3種類のうち1種類を半分の量に減らして貰った。それでも相変らず下がり気味で低くなる時間帯と入浴時間が重なると緊張してしまう。再度朝と夕に分けて貰い何とか落ち着いている。

 私の血圧は厄介で何かが原因ですぐ乱高下する。そのようなときでもめったに自覚症状が無いから気味が悪い。それでも付き合っていかなければならないので、気がもめることもある。(E)