宗教学者山折哲夫氏の随筆にあったと思うが、日本人は世界一夕日を眺めることが好きな民族だという。その背景にあるのは、もちろん仏教で、浄土宗・浄土真宗の広まりとともに、夕日の向こうに浄土を見ていたというのである。能登半島や東北地方の西側海岸線に、日本海の彼方に沈む夕日を拝む絶景ポイントがあり、有名な観光スポットとしてベンチが設けられたり宿泊施設ができたりしている。
オーストラリアの西海岸にパースと云う都市がある。ここは、英国人が最初に入植し、建設した都市だけあって、なかなかいい街である。シンガポールから空路この地に降り、レンタカーをレンタルして、インド洋の海岸線に沿って車で南下するという旅をしたことがある。圧巻は勿論、インド洋の彼方に沈む夕日、連日それを楽しみながら地図上の南極海まで行った。小さな町のスーパーに入って家内が食料品を仕入れ、私はワインを選び、モーター・インに入って自炊、と云う毎日だった。雄大な自然に囲まれ、人々は親切で親日的、シニア―世代の人がサーフィンを楽しみ、日暮れとともにボードを小脇に抱え頭から水滴を落としながら浜辺を歩いていたりする。
モーター・インに帰ってシャワーを浴び、ベランダに出て、インド洋に沈む夕日を見ながらワインをたしなむ。夕日が当たるワイングラスも格別である。
サン・セット・ビューといえばサンフランシスコも有名です。市街地から車で簡単に入れるツイン、ヒルズ(二つの丘)の一つの頂上にベンチなどが置いてあって太平洋へ沈む雄大な夕日を見ることができます。しかし、実はここからは、サンフランシスコの美しいネオンに輝くお花畑のような夜景も楽しむことができ、アメリカ人はこちらの方が好きのようで、ここは、熱いデート・スポットとしても有名です。
若いときは、夕日を見ながら、夕日が沈むのは地球の自転のせい、地球の自転の速さはどのくらいだろうか、もちろん場所によって違うだろうが、赤道面で時速何キロだろう、などと云うことを考えていた。地球の赤道面の胴回りは40000キロだから24で割ればいいはず、答えは1670㎞、凄い速さだ。空気も連れて廻っていてくれるから何事も起こらないが、そうでなかったら、人間もビルディングも強風によって吹き飛ばされている。いや、これは赤道面の話で、北極点は胴回りが0mだから、風は吹かない、正しくは緯度によって風速が違うはず。思えば地球の自転・公転から降り注ぐ太陽光とスすべての動物の食糧となっている植物の葉で行われている炭酸同化作用まで、全ては巨大な大自然の営みであり、この中に、人間の生活があります。逆に言えば、人間の生活も、大自然の営みの一部分にすぎないことを、忘れてはいけません。すべてが大自然の奥に鎮座まします大御神の思召しのとおりです。(註)1670000÷3600≒464 つまりおよそ秒速464mの強風です。
本日、午後から、施設内でイベントが計画され、琴の演奏を聞かせてもらいました。早春にちなんで、春らしい曲や親しみのある「荒城の月」や「春の小川」などの曲が奏でられました。久しぶりに琴の音を耳にして心が和み今まで色々なコンサートが企画されましたが、グループ演奏と云うこともあり、迫力があってやはり邦楽器はよいとしみじみ思いました。
また、数年前琴とフルートのコラボコンサートへ行ったことや子どもたちが小さいころ、母がよく六段を弾いていたことを懐かしく思い出しました。今では子供たちにクラリネットやエレクトーンではなく、邦楽器を習わせておけばよかった悔やんでいます。
トン、テン、シャン、シャ、シャ、コロリッ、トン,テッ、トン、シャン。それシャッテン、シャシャテン、トテツーウン、《六段の調べの口三味線です》
『ヤフーに入って、[筝曲・六段]で検索をかけますと、ユーチュウブで、金屏風の前で生演奏しておられる映像が音声入りで鑑賞できます。お試聴ください。
ここの同じ町内会《同じ階の同じ廊下の近くのお部屋》の方で書道の達人がおみえです。師匠について習われ、若いとき相当没頭されたと思われる達人で、太い筆でも細い筆でも極細筆でも何でも巧みに使い分けられます。米粒にも漢字をお書きになります。旧制中学校ご卒業だそうで、すごい集中力で作品をおつくりになります。オソマツ君は旧制中学校時代のお話をお聞きすることが大好きです。以前先輩にお聞きしたのですが、ある中学校が列車に乗って遠足に行ったとき、ある駅で女学校の生徒が乗った列車とすれ違った時窓からハンケチを振ったそうです。それが先生に見つかり、ハンケチを振った生徒は全員が退学になったそうです。「退学は厳しいですね」とオソマツ君。「それでその生徒さんたちはどうなったんですか?」県立の中学校を退学になった生徒を無条件に受け入れてくれる私立の中学校があって、そちらへ転校して以後真面目に勉強して旧制高校に進学すればそこで。かつての友達と会える。私立の中学も高等学校合格者が多くなって評判が良くなるというメリットがあるので、歓迎というわけ、と聞いたことがあります。(註1)旧制中学校は男子校。(註2)旧制高校に入学するために浪人する人が多かった。
① ② ③
④ ⑤ ⑥
⑦ ⑧
オソマツ君の左足は関節の周りの筋肉が衰えていて、平たく言えば「フニャフニャ」になっている。つまり、変な方向に力が加わるとあらぬ方向へ曲がる可能性がある。それを止めるためにどんな方向に力が加わっても大丈夫なようにアルミ合金でできた装具と云うものを付ける必要があります。今までの装具は、マジックテープを多用した複雑なもので装着が難しかったので、もう少しシンプルなものを作って戴くことになったわけです。
⑦がオソマツ君の足から取った凹型の石膏型で、これをもとに造った装具は足に密着するはずです。①は、足が石膏でかぶれないように最初にサランラップを巻いているところ、②からが優れもので、ガーゼの包帯に石灰をまぶしたものを水に漬け、それを足に巻きつけます。③④⑤は巻き終わって、石膏が少し硬くなるのを待っているところです。⑥は少し硬くなった石膏を切り開いているところで、職人さんの手元が狂えば、オソマツ君の足が深く切られる可能性のある緊張感のある作業でした。⑦は完成したオソマツ君の左足の凹型石膏型です。①から⑧まで、およそ60分ぐらいの作業時間でした。後は業者が工場へ持ち帰っての作業だそうで、完成が待たれます。
ご覧頂きありがとうございました。お見苦しいものをご覧頂きましたので茶店でお茶でも召し上がっていただく気持ちで、梅に鶯のカットをいれさせて頂きました。
このブログを始めたころ、師匠に教えて頂いて作った画像。「もう少し井戸の底の水の部分(蛙の下の白いところ)を多くするように」とご指導いただいたのにごちゃごちゃになって修正できないまま今日に及んでいます。「右脳視床下部内出血によって左半身不随」になったとき、丁度落とし穴で古井戸に落ちてしまった感じと私が何度も師匠に云ってこの絵の構想が浮かんだことを覚えています。今も同じ気持ちですが、この蛙さんのように目に力が入っていません。虚ろな眼差しの蛙です。宇宙の大神の思召すままに!
追記:私のリハビリを担当して下さっている若い理学療法士の方がこの写真を見て「ワー、可愛い!」とおっしゃった。「これは、古井戸に落ちて絶望している私の姿です。この井戸は私の家のものです。」「え~。オソマツさんの家には井戸があるんですか?」と目をパチクリ。「ギャフン、最近の家には水道が引いてあるから井戸はないのだ!」私は「井戸のある家で育った化石的人間だ」、それはそうとして、最近の若い人は可哀そうに、井戸で冷やした西瓜の美味しさを知らないのだ!
昨日も市役所の係りの人が私に面談に来ました。そこで私は敬意をこめて敬礼をし、「これは何だかわかりますか?」と聞いたら「わかりません」とのこと。そこで、「これは、旧陸軍式敬礼です。上官に向かってする敬礼です。海軍式敬礼はこう、上官が部下にする敬礼はこう」とやって見せてあげた。落としどころは、「私は最近家内に向かって最初の敬礼をしています。」というもの。「何一つ自分ではできませんので家内が手伝ってくれますので・・・・」市役所の若い女性職員、一呼吸置いてからやっと笑ってくれた。まさに、オソマツでしたの巻でした。
「脚注」「井戸で冷やした美味しい西瓜」とは?、まず井戸で冷やした西瓜とは、大きな西瓜のことである。冷蔵庫に入るような西瓜はみな小さい。大きい西瓜を大きめに切ってかぶりつくと顔が西瓜に埋まってしまう感じになって西瓜の香りから甘い果汁全部をほっぺで味わって戴くことになる。その美味しさは小さなスイカを細かく切って冷蔵庫で冷やしてちまちま食べるのとは比較にならない。オソマツ君は子供の頃、真夏の昼下がり毎日井戸で冷やした西瓜をガブガブ頂き、お腹いっぱいになって、井戸水で顔を洗っていた。西瓜とは豪快に食べてこその西瓜である。この西瓜は朝、洗って、網の袋に入れ、ロープに縛って静かに井戸の水面まで下しておいたものである。
発病の直前までお手伝いをしていた地元の氏
神様のお社および社務所の大修理事業で、
奉賛金募金開始から竣工式までの記録を後
世のために記録を残そうと記念誌の発行を企
画、その 途中で発病し、以後の仕事を全部
他の役員さんに押し付けてしまった「写真集」
がこのほど完成したとかでお届け戴いた。
背景のブルーとオレンジは外国空路の飛行機
の中から高度1万mの上空で、宇宙や夕日に
レンズを向けてシャッターを押したものを使わ
れたそうです。まさに 宇宙を支配しておられ
る神様のご背光です。もちろん「フォトショップ」
を駆使しての作品で私は平身低頭お礼を申し
上げました。
よく見ると細かいところまでキチンと仕事が
してあることが分かり、頭が下がります。
私の発病も近頃宇宙を支配しておられる神
様のご意向だと思うようになり、これからは、私欲を捨て、神様のご意向に素直に従おうと思うようになりましたの
で、この表紙の輝きの奥にお見えになる神様に無欲で手を合わせようと思っています。
今こうして、当時のことを振り返ってみると、有能な役員さん方に助けられたということがしみじみと分かってきま
す。規約の作成から役員会の原案作成など全体の流れをリードしていただいたお方を始め、農協の口座から奉
賛金を振り込んで下さった氏子の皆さんの入金名簿の整理・点検を完璧にこなしていただいた会計の方、募金促
進のために戸別訪問をしてくださった大勢の係りの皆様など、正に郷土の歴史とこの地に住んだ先人たちへの思
いを同じくする現住民の力を結集した事業だったことが分かります。その記録が、小冊子になって残されたことに
も感謝の気持ちで一杯です。
最初に思ったことですが、経済界の人たちは本当によく勉強するなあ。ということです。
科学の最先端のことを説明した雑誌を経済関係の出版社が特集すればこれが飛ぶように売れ、今度はフランスの経済学者が書いた本が最初アメリカで30万部も売れ、それの訳本が上下2冊になって出版されるとこれが日本で驚異的に売れているようで、この週刊誌はその本の概要を紹介したものです。
ピケティ氏はフランスの経済学者で『21世紀の資本』と云う論文を世界の経済学者と共同研究と云う形で書き上げ、その論文が世界的に注目されているということのようです。この雑誌は、その内容を池上彰氏がピケティ氏と対談しながら詳記するという形式で編集されているところばがいい。分かりやすく読みやすい。従来はお金持ちと貧乏人の間の格差は、その国のGDPが大きくなれば縮小すると楽観的に考えられていました。しかしピケティたちの調査研究によると実はGDPが大きくなれば格差が拡大することが証明されたというのがこの論文の骨子です。つまり高度成長を続ける国にとっては強力な格差縮小政策が必要だというのです。つまり低所得者層への強力な支援政策です。例えば子育て中の所帯に対する各種の補助政策です。イギリスが社会主義政党に政権を取られないように実施した「揺り籠から墓場まで」政策です。財源はもちろん高額所得者から徴収します。実はこの政策は行き詰って,イギリスが『イギリス病』と呼ばれた長期的な不況に悩まされ、サッチャ^-さんが、福祉政策に大ナタを振るいやっとGDPが増加する国になったという歴史があります。
ところで、ピケティ氏は低所得者層への支援政策についての財源に言及していません。
普通に考えると累進課税か消費税かである。私は累進課税がいい制度だとは思えません。
人間には個性があり能力差があります。努力を重ねあるいは能力を発揮して高額所得を得た人から罰金を取るように高額の税を取るという社会が健全な社会と 思えないからです。議会で決めれば低所得者が圧倒的に多いから、累進課税の税法はすぐに成立するでしょう。恒久的にそうした制度で固めようとしたのがマルクスであり社会主義社会だととも言えます。
相続税の高額化も同じです。能力のある人が自分の子どものために頑張って多額の資産を残したのを税でとってしまうなどということは、紳士のすることではないとと思えるからです。
能力のある人、良く努力した人は尊敬されるべきです。どんな名前であれ、罰金を払わせられるべきではありません。会社を興しその会社を大きくすれば雇用が生まれ法人税も払ってくれます。
しかし、あまり法人税が高いと法人税のない国へ本社を移し、世界中から本社が移された国もでてきました。
アメリカでは、高額所得者が集まる地方自治体が生まれ、低所得者が、移住しにくい制度を作ったとかいう話も聞きました。こんな地域割りが進むと、ゆくゆくは内戦が起こるでしょう。
そうではなく、気持ちよく助け合いがなされ、皆が自分の個性や能力を精一杯発揮できる社会はどうあるべきか、経済学者も社会学者ももっと考えるべきでしょう。マルクスの提案も失敗、その意味でピケティ氏の発見も問題提起に留まっていて、それほど騒ぐ価値もないと思われます。
低所得者が何でも政府に要求し、自己努力や自己開発を怠るような社会になってしまったらそうした社会は、重症患者と云うべきでしょう。とくに官僚が累進課税や高額相続税などを提唱し社会を病気に追い込み自分たちが担当している仕事に沢山の予算を獲得しいい顔をしようとする傾向がありますから要注意です。
ピケティ論文が話題になっている今こそ、経済学を専攻している研究者にお願いして、個々人の能力を最大限発揮し、全国民が努力を惜しまず、尚且つ人間性豊かにみんなで助け合う社会を構築するには、経済システムはどうあるべきかを研究していただきたいと思います。マルクスの提案は一見良さそうでしたが、根本的な失敗があったことは明らかです。マルクスは人間理解が劣っていたといえるでしょう。
名古屋大学の女子学生の奇行から、和歌山県の小学生殺人事件などなど、最近若い人の異常な事件が報道され、我が国はチョットおかしくなったぞと思われます。
これからいろいろ研究が進むでしょうが、あまり心理学的な分析に走らず人格形成とか社会性の健全育成とか実践的なアプローチで研究がなされることを期待しています。
心理学的な教育活動論は例え話の上手なおとぎ話に似て、学問とは言えないような仮説によって教育現場を混乱に陥れるおそれがあるからです。数年前も、つまらない講習を受けて来ただけの人がカウンセラーと称して伝統的な指導法を否定したり、全く叱らない指導を展開して学校を混乱に陥れたことがあります。
学校に「相談室」などという看板を下げた部屋が用意され、そこに奇妙な先生がいて生徒が来るとお茶を出したりするという狂喜が跋扈しました。あれは今どうなったでしょうか。当時ユング心理学の大家で教育相談の推進者であられた河合先生の本を随分読みましたが、先生は、①カウンセラーは必ずお金を取ること。②カウンセラーは必ずクライアントを選び、自分に合わないクライアントだと思った時は、他のカウンセラーを勧めるることといっておられました。変な講習ではそのことにふれていなかったようです。
率直に言って、現在の心理学は学派による仮説が多く科学にまでなっていないと思われます。
それから、学校教育では現在すべての評価が相対評価で更に5,4,3,2,1をおよそ何パーセントつけるかまできめられています。これは大きな問題を残していると思われます。この評価法が「自分が自分を評価する」ときにも顔をだし、間違った優越感や不必要な劣等感を生み出す危険性があるからです。
更に教育活動に作業活動を多く取り入れ、「みんなと協力できるか、」とか「困っている友人を助けることができるか」、とか、「リーダーシップを発揮することができるか」、あるいは「みんなと協力できるか、」と云った社会性に目を向けた評価項目を用意すべきだと思われます。最近の学校教育は作業活動を軽視し社会性の育成をスポーツに頼ろうとしている傾向がありますが、人格形成に必要な社会性は清掃とか、花壇や小動物の世話の中で育つと思われます。
ペーパーテストをして、決められたパーセントで評価すれば簡単で客観的評価ができたと思われがちですが実はこの安易な評価が人格形成に悪い影響を及ぼしていると思われます。この点にも配意してこれからの議論の行く末に注目したいものです。
蛇足ですが我が国の不毛な教育学の悲劇についてチョット述べます。明治時代ヨーロッパやアメリカの学問がどっと輸入された中に「教育学」もありました。ペスタロッチと云う学者がこんなことを言っているとか、デュ―ィと云う人が教育についてこんなことを云っているといった調子でした。つまり語学ができる人がいつの間にか教育学者になっていました。
子どもに何をどう与えて学力や人格を形成するかを実践的に研究するのが教育学ですが、日本では西洋の有名な学者の説を紹介する人が教育学者になってしまったわけです。何歳の子どもに何をどう教えて学力・人格ともに立派な人に育てるかを研究しないのです。問題を抱えた学校へ教育学者が来てボランティアとして先生方と協力して生徒と話し合ったという報告を日本では聞いたことがありません。アメリカでは問題を抱えた学校へ入るところから教育学の研究が始まります。また江戸時代や鎌倉時代はどうしていたのだろうという研究から日本の教育学の研究がはじまります。鎌倉時代以降日本ではお寺が教育を担っていました。京都の総本山は末寺の長男坊を預かり高僧にするための教育を実践していました。成果を納めているお寺へは地方の豪族が自分の子どもを預けるようになりました。つまり、かつての日本の教育機関はお寺で、ここは現代風に言えば全寮制だったわけです、ではお寺は何をどのように教えていたか、これを研究するのが我が国の教育学で、外国人に聞かない方がいいわけです。教育は民族文化とのかかわりが大きいから他民族他国のものを見る時は参考程度にしておくべきです。我が国の伝統的な教育は主に臨済宗の大きなお寺が担っていました。ここでは主に清掃を中心に作業活動を中心に指導者への絶対服従、忍耐力、集中力、誠実さ、など人格形成に力点を置き、更に協力や助け合いなども重視されたようです。これができるようになると、写経という課題が与えられます。綺麗に丁寧に写経をするうちに漢字を覚えお経を覚え、やがて、仏教哲学を覚えることになります。庭の掃き掃除や草取り作業を重視し忍耐力、几帳面さ、集中力などを身に着け、更には協力や助け合いをも学びます。つまり、軽作業を通して人格形成をさせようというカリキュラムと云えます。今これを見る必要があると思われます。現在の学校教育は、ルールの厳守や協力などの社会性の習得をスポーツにゆだねている傾向が強すぎて、豊かな人間性に基づく助け合いではなく、勝ち負けや損得と結びついた社会性ともいえる人格形成に堕落している向きが見られます。
すみません!この写真の鳥の名前を知りたいと思っています。ご存知の方はコメント欄でおしえてください!
手紙によるとニューヨークはこの冬すごい寒波に襲われ、マンハッタンの六番街の公園の噴水がすべて凍って長いツララになったとか。携帯電話を持つ人も少なく代わりに熱いコーヒーの入ったマグカップを持った人が多かったそうです。 大規模な停電もあったそうで、何かと大変だったようです。「ice is not nice.」と最後にかいてありました。 彼女はアマチュアの詩人で時々こういうウイットに富んだことを書いてきます。 脚注:この文章だとあたかも私《オソマツ君》の友達のようですが、実は家内の友達で文通やクリスマスプレゼントの郵送なども一切家内担当です。シツレイシマシタ。 註: ハートマークはプレゼントのステッカーです。
『二月の小舟』吉野弘作 冬を運び出すにしては 小さすぎる船です。
春を運び込むにしても小さすぎる船です。
ですから、時間がかかるでしょう。
冬が春になるまでは。
川の胸乳(むなぢ)がふくらむまでは まだまだ、じかんがかかるでしょう。
アマゾンに発注していた見出しの詩集が届きました。この詩集にはチョットした思い出があります。およそ20年前、私の兄の長男が結婚したとき、何故か仲人役を頼まれ、苦し紛れに吉野弘の詩を朗読したことがあります。新郎新婦は小学校・中学校時代の同級生で、結婚式もそのころの友人が主催、名古屋市内の庭園付きレストランを借り切り、平服でお越しくださいという案内状だった。高校は別々のようだった。甥は旭ヶ丘高校に進み大学は早稲田大、専攻は数学でドクターの院まで通い、現在は都内の国立大学の准教授だ。まあ、若い人との付き合いが多く、若い人が勇み足で暴走し始めたときも上手に止めてくれるだろうぐらいの思惑で私のところへ大役が回ってきたのだろう。
私は喜んでお受けしたが、実は「仲人挨拶」と云うか、「お祝いの言葉」をどうしようか考え込み、当時愛読していた吉野弘の詩を朗読して贈ろうと決め,
イラストをちりばめて、この詩を印刷した用紙を用意し会場で全員に配って戴いた後マイクに向かって朗読しました。
届いた詩集を手にして真っ先にその詩を探しました。ありました!。その詩を以下に転記します。
「祝婚歌」 吉野 弘作
二人が睦まじくいるためには
愚かでいいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いている方がいい
完璧を目指さないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを云う時は
少しひかえめにする方がいい
正しいことをいうときは
相手をきずつけやすいものだと
きづいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり 豊かに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい。
よく練習して少し声色も使って朗読した。朗読が終わって乾杯後、「いい詩でした」と盛んに褒め私にお酒を進めてくださったのは、何と旧婚の方々ばかりで、若い人にはこの詩の良さが分からなかったかもしれないと、がっかりしたことを覚えている。
(注)「旧婚」は「新婚」に対する反対語で造語。結婚後10年以上と思しき年配者のこと。
↑ 春近し「朝焼け」
「生命は」 吉野 弘作
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
だれかのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
↑ 麦の芽吹き。中央の建物は当住宅型有料老人ホーム。 ↑ 晩秋に播種機で蒔かれた麦畑「播種機のわだちが残る麦畑」。
ビル内に造られた和風庭園、通称『蓮池』。手前は芽吹きが待たれる萱草(かやぐさ)
歩道と車道を分離するために設置されたハボタン。
分離帯の黄金柘植。
羽を休めておしゃべりに夢中なスズメの大群。
無花果(いちじく)畑にも春の兆し。
開花が待たれる白梅の芽