主人の友人の一人に、いつも自分が読んで 興味を持った記事のコピーを送って下さるかたがある。外出もままならず、暇を持て余しているのでは、少しでも脳に刺激を与えて衰えを遅らせようと配慮して下さってのことだと感謝している。
内容は多岐にわたり、今回は私もその恩恵に預かった。経済とか時事問題に弱い私は今まで読んだことは無いが、題名位は見せてもらう。その中で目についたのは曽野綾子さんの、-わすれるための月日ー 私日記風の記事でご主人の亡くなった様子と自分の心のうちがつづられている。
冒頭の「この月私の意識の中から社会がかすんでいる」と云う名文には本当に心を動かされ最初から最後まで、もう3回も読んだ。
一流作家の方から文面をお借りしておこがましいが私も「一か月私の意識の中から生活がかすんでいた」という経験をした。
3年前、冬の寒い日の早朝主人が倒れた時のことである。始めの1ヶ月は救急病院で残りの5カ月はリハビリ病院で過ごした。この救急病院でのことが思いだせないのである。市内の病院だったので、タクシー代は半額になった。其れで毎日午前中に出かけ夕方帰っていた。その間の自分の家での食事・掃除・洗濯はどのようにしたのか何一つ思い出せない。病院ですることは、何もない。どのように過ごしたのか覚えていない。未知の世界と先行き不安の中でただおろおろしていたのではないか。電話にも出たくなかった。人と話をするゆとりさえ失っていた。
このような状況では、自己防衛として苦しいときのことを忘れ去ってしまうのだろうか、と今になって思う。生活がかすんでいたというのは1か月ほどの期間でその後のリハビリ病院でのことはしっかりと覚えている。(E)
4月の夕焼け