本日、川口市の中学校の特別支援教育研修で話をさせていただきました。現在の国の動向の話をしなければ時間通りに終わっていたものの、余計な話をたくさんしてしまい、スライド20枚近くを残して時間切れとなってしまいました。相変わらずの確信犯です・・・。思春期を迎え、自分とは何かを考え、身体も心も不安定な時期の中で、人とは違う何かに気づきつつ、どうしょうもなくもがいている生徒たちに対して、直球勝負の生徒指導だけでは立ち行かない現実に、教育相談の範疇として特別支援教育という変化球もあるよ、という話をしてきたつもりです。中学校の先生方は多忙感の中、勉強ができることを求める親御さんたちからのプレッシャーに応えつつ、精一杯のご努力をされています。でもクラスには3~4名の(6.5%)の発達障害の疑いのある生徒がいること(生起率として)を踏まえて、落ちこぼさずに特別支援教育の手法で勉強はできなくとも上手に生きていく術を学んでいくことをの大切さを、今の自分にできる精一杯の誠意を持って伝えようと努力しました。
昨日、自分が3年間お世話になった筑波大学特別支援教育研究センターの設立10周年記念事業があり出席してきました。そこで自分が勤務した時のセンター長だった前川久男先生がご講演の中で言っていた言葉、「教育に普通も特別もない(そんな二元論は成立しない)、子どもがそうしたいと思ったときに、そこでさりげなく教え導き、少しの応援ができること、それこそが教育である」。小学校、中学校の教員がしている教育も、特別支援学級、特別支援学校の教員がしている教育も、何も変わらず、同じことをしている、それこそが教育であるということ。人間とは何か、どう生きていきたいのか(どんな自分になりたいのか)、その自己実現に対して、応援ができるのが教師としての本当の仕事。「協働活動」。子どもも大人も共に力を合わせて協働して人生を作り上げていく。まさに協働活動、それこそが「教育」というものであるのかもしれない。哲学的かもしれないけれど、本質の話。学力だけで児童生徒を評価するのではなく、子どもたちの内面世界に目を向けて、そこの充実を図ることに力を注ぐべき。「自分は大丈夫」。そう思える子どもたちになって欲しい。その願いを込めて、これからも教員をやっていきたい。
畠山