知恩院で赤松林太郎君のピアノを聴いた。
昼は、この山門の上に特別に入れてもらい、京都市外が見える
「絶景」を堪能。夕方5時半にライトアップされる知恩院に
もう一度戻ってきて、御影堂の中に設置されたピアノの前の
赤い毛氈に座って、ピアノを聴いた。
真っ暗な伽藍の中に、灯篭が置かれ、向こうに法然上人の御影
がうっすら浮かびあがっている。ここは浄土宗の総本山。
林太郎君の話によれば、寒い京都の秋に、ここでピアノをひくと、
指が寒さでかじかみ、ピアノの鍵盤も凍てついたような硬さなので、
演奏していると、幽体離脱したような気分になって、あたかも自分の
魂が伽藍の上に浮いてしまうような感覚になるらしい。
見ているこちらも「この世のものとかあの世のものかわらない」
くらい幽玄な世界を五感で感じるような夜のコンサートだった。
今日は「順受の会」。
ライトアップされるまで、知恩院のまわりをブラブラしていたら頼山陽の
お墓にたどり着いた。
昼は、この山門の上に特別に入れてもらい、京都市外が見える
「絶景」を堪能。夕方5時半にライトアップされる知恩院に
もう一度戻ってきて、御影堂の中に設置されたピアノの前の
赤い毛氈に座って、ピアノを聴いた。
真っ暗な伽藍の中に、灯篭が置かれ、向こうに法然上人の御影
がうっすら浮かびあがっている。ここは浄土宗の総本山。
林太郎君の話によれば、寒い京都の秋に、ここでピアノをひくと、
指が寒さでかじかみ、ピアノの鍵盤も凍てついたような硬さなので、
演奏していると、幽体離脱したような気分になって、あたかも自分の
魂が伽藍の上に浮いてしまうような感覚になるらしい。
見ているこちらも「この世のものとかあの世のものかわらない」
くらい幽玄な世界を五感で感じるような夜のコンサートだった。
今日は「順受の会」。
ライトアップされるまで、知恩院のまわりをブラブラしていたら頼山陽の
お墓にたどり着いた。