立春の朝のあの清々しくもウキウキとした気分はすっかり消えて
意気消沈した私は、家人の食事の支度をしましたが、自分は食べ物も喉を通らないような状態でした。
自分がしでかした出来事に後悔と反省と心配とが入り混じり気持ちが少しも落ち着きません。
気分が滅入って何も手につかない状態でした。
食事の後、家人から質問責めにあいましたが、何を聞かれてもはっきりと答えることができないのです。
ちょうどそこへ、朝待ち合わせて私の事故を見た友人から電話が入りました。
彼女も心配してくれていたのです。
彼女は電話で
向こうも動いていたと思うと言いました。
現場で相手方は駐車スペース内に止まっていた、クラクションも鳴らしたと言っています。
もし彼女の記憶が正しければそれは嘘だということになりますよね。
クラクションの音を聞いたかと彼女に尋ねると、それは彼女も聞いていません。
もしかしたらもう一度警察に相談して偽証の件で調査をしてもらえるかもしれません。
私たちは目撃者の出現で気持ちを新たにこの事件を調査に持ち込むために動き出しました。
保険屋はいません。
自分たちで動くしかないのです。
よーし、やったるぞ❗️
その後、家人からはどうして友人に残ってもらわなかったのか と責められました。
後になって考えれば本当にその通りで、彼女が居れば携帯で写真を撮ることもできたし、
相手が場所を移動したことも指摘してくれただろうし、
目撃者として事実に近い状況説明ができたのに、
私は自分でその機会を失っていたのです。
彼女に迷惑をかけたら悪い、と考えている自分がいました。
それもこれも子供の頃から人に迷惑をかけちゃいけない、という
盲目的な教えが身に染み付いていて
それが本当に迷惑なのか、必要なのか、
その判断もできない状態だったということです。
あとで彼女は
私も後になって、どうしてあの場に残らなかったのかと
後悔した、と言ってました。
彼女の中にも職場に迷惑をかけたくないという条件づけられた意識があったのではないでしょうか。
仕事に遅れるのは悪いこと、と思っているからです。
私がするべき事は人の事を配慮することではなく、
目の前で何が起こったのか冷静に判断する事でした☆