私達は神戸発。婿は伊丹発。沖縄で合流です。
旧海軍司令壕ではボランテァガイド付きに申し込みしていたので良くわかりました。
戦争時の記憶がある夫が愛知県から来ている学生達と若いガイドに補足説明をしていました。
司令部壕は1944年8月10日に着工されたが、本格的な工事は10月10日の以降に始められ同年12月に完成した。
海軍の約3000名が設営にあたり、工事はつるはしなどを用いた手作業で行われた。
周辺にはこの他にも多数の防空壕が建設され多くの住民が動員されたが、
海軍司令部壕は最高軍事機密であったため民間人は近付くことも許されず工事は軍隊の手のみによって行われている。
深く掘られ迷路のよう。 10m2 の広さがあり幕僚が手榴弾で自決した痕跡が残されている。 すべて手彫りだたのでツルハの後もくっきり。
壁面に大田司令官の愛唱歌「大君の御はたのもとに・・・」の墨書が残されている。17m2 の広さがあり、ここから約2,900通の電報発信された。
歩兵兵はこのように通路で寝ていたようです。 構内はトイレもなく血と汚物の匂いが充満してたようです。
当時の様子がよくわかります。
1953年(昭和28年)3月、戦争で生き残った元海軍部隊隊員が司令部壕跡を訪れた時、入口は崩壊し坑内には泥水が溜まっている有様であった。
壕内からは大田司令官をはじめとして800名以上の遺骨が収集された。1958年(昭和33年)には更に1500名以上の遺骨が収集され、沖縄海友会によって海軍慰霊之塔が建立された。
海軍壕公園では桜、コスモス、向日葵と本土では春から秋の花が沢山咲いていました。
再開を祝してオリオンビールで乾杯。楽しい夜です。