元気印

毎日元気に過ごす私の出来事

ウズベキスタンの旅 その6

2018-10-24 22:51:08 | 旅行

10月24日(水曜)

ヒヴァ(イチャンカラ)観光日です。首都タシケントの西約750km、ウルゲンチ市から南西に35kmのアムダリヤ川の下流のオアシスの町。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として繁栄しました『中央アジアの真珠』ヒヴァは、ペルシャなどの周辺諸国の攻撃によって何度か破壊されているので、現在見ることができるのは17世紀から18世紀に整えられた建造物です

朝食の前にホテルのお庭散策。二階建てで数棟建っています。          

ホテルから徒歩で行けます。

     

アタ・ダルヴァザ門を入ると、すぐ右手に見えます。青の彩紬タイル模様で覆われた、ヒヴァで一番カラフルな美しい塔ですが、残念ながら未完成品です。当時のムハンマド・アミン・ハーン が中央アジアで最も高い109mのミナレットを建てようと、1852年に着工されましたが未完成。色々と理由や伝説がありますが結局26mで終わってしまいました。

   城壁の中には20ものモスクなどがあります。 砂漠の砂が入らないように深く作られています。                

義務教育は11年制。教科書は国からの貸し出し。無料。6年生の数学の本を買いました。

 

クフナ・アルクとは『古い宮殿』という意味で、新しくタシュハウリ宮殿が完成した後に区別する意味でこう呼ばれるようになりました。モスク内にある最古の柱は古代ホレズム王国の都から運ばれたもので2本あり、他にも4本が10〜11世紀、25本が12〜17世紀の古いものだそうです。
          宮殿は公務を行なう謁見や儀式の場、宴会やお客を接待する場、アルズ・ハウリと呼ばれる    

ヒヴァのイチャン・カラの東門近くにあるタシュ・ハウリ宮殿です。
タシュ・ハウリとは『石の庭』の意味で、アラクリ・ハーンによって1830年から1838年にクフナ・アルクに匹敵するものとして建てられた宮殿です。ヒヴァの中でも最も豪華なタイルや柱で飾られているそうです。ハーレム。王の部屋の屋根は一段高く。4人の妃はすべて同格に扱われています。

       

ジュマ・モスク 10世紀に建てられたモスクですが、何回もの修復工事を繰り返し、18世紀末頃に現在の形に。広さは55×46m、高さは5mで、3.15mの間隔で212本の柱が立っていて、明かり窓付きの天井とシンプルな漆喰の壁に囲まれています。柱には一本一本異なる精密な彫刻が施されています。この間隔と本数は、説法者から全員の顔が見えるように、計算されて決められたそうです17世紀に建てられた、ハーンの居城です。

               

昼食 ここのナンは温かく美味しかったです。焼きたてです。

     

自由行動の時この用紙の写真を見せると入場料無料になります。

  

     

 

 

 夏のモスクは七宝タイルの細かい模様で飾られていますアラクリ・ハーンの命令で1838年に建てられた夏のモスクはの七宝タイルの細かい模様で飾られ、6本の柱で支えられています。

  

お買い物もなく、西門から入りましたが帰路はタシュダルヴァザ門からホテルに向かいました。

イスラム・ホジャ・メドレセ 1910年にヒヴァの最後のハーン、イスフェンディヤル・ハーンの大臣イスラム・フッジャによって建てられた、まだ100年足らずの新しいものです。イスラム・フッジャは、ヨーロッパ式の学校、病院、郵便局などを作り、ヒヴァで初めてロシア語の学校を開くなど、とても革新的な人だったそうです。保守派の嫉妬と反発を買い、生き埋めにされて殺されてしまったそうです。自由時間が3時間少しありましたが私達はお買い物も特別なくホテルに戻りシャーしてくつろぎました。 

夕食 は宮殿での食事。ゴージャスなお部屋で旅も6日目になると和気藹々で話が弾みながら楽しい時間です。

 

         

ホテル到着 明日は国内線でタシケントに向かい観光後帰国になります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする