真言宗大谷派・東本願寺の飛び地境内渉成園(枳殻邸・きこくてい)で源氏物語の講座があった。
渉成園は当時、枳殻(からたち)を生垣に用いたことから、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれていました。今は門を入ったところに少しあるだけとなっています。
平安時代の優雅さをしのばせる書院式回遊庭園は石川丈山の作庭で、印月池を中心に、漱枕居(そうちんきょ)・縮遠亭(しゅくえんてい)などの茶室や書院を配しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/56/af82c999bfbf5ec39fb73e34c9bd79d3.jpg)
平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。
この皇子・左大臣源融こそが光源氏のモデルといわれていて六条院の佇まい春夏秋冬の庭になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/38/c9f67fb3ddadefbe738c23072ecd9ada.jpg)
上は卯月池のほとりにひっそり佇む漱枕居(そうちんきょ)無粋なビルが写ってしまった。
下は侵雪橋(しんせつきょう)程よく積もった雪の日が絶景やそうです。
美しい風景が広がっていますが暑くて暑くて日陰を探しながらの講義でした。
近くの京都駅横ルネッサンスビル4階の京一に場所を移して食事を取りましたが先生の80歳誕生日を心ばかりの寸志と大きな拍手でみんなでお祝いしました。
渉成園は当時、枳殻(からたち)を生垣に用いたことから、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれていました。今は門を入ったところに少しあるだけとなっています。
平安時代の優雅さをしのばせる書院式回遊庭園は石川丈山の作庭で、印月池を中心に、漱枕居(そうちんきょ)・縮遠亭(しゅくえんてい)などの茶室や書院を配しています。
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平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。
この皇子・左大臣源融こそが光源氏のモデルといわれていて六条院の佇まい春夏秋冬の庭になっている。
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上は卯月池のほとりにひっそり佇む漱枕居(そうちんきょ)無粋なビルが写ってしまった。
下は侵雪橋(しんせつきょう)程よく積もった雪の日が絶景やそうです。
美しい風景が広がっていますが暑くて暑くて日陰を探しながらの講義でした。
近くの京都駅横ルネッサンスビル4階の京一に場所を移して食事を取りましたが先生の80歳誕生日を心ばかりの寸志と大きな拍手でみんなでお祝いしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/55/0e0c17dc1af7062c937fbc1a2e2cd7fe.jpg)