正満月が照らすみかんの丘は不思議色に染まっていた。空は月に近いほど暗い。だから逆に地平線にある島も、その上に掛かる雲もくっきりと見える。澄んだ空気の中で冬の星座がひときわ鮮やかだ。思い立ってカメラを三脚に取り付け、竹取庵を望む場所まで出てみた。カメラ感度1600、露出5秒。写真に撮ると分かる。やっぱりこの丘はおとぎの国。不思議に通じるワームホールの入り口だ。
同じような写真を何枚か撮って、また観測デッキに戻った。その途中に居間で入れたしょうが湯が体をほぐしてくれる。ああ、至福。とその時、隣りの尾根で細く甲高い音がした。雄鹿の雌を呼ぶ声だ。それはまるで時代劇に出てくる呼子にも似て鋭く、それでいてどこか切ない。その声に応えて、近くの山で競うように同じような鳴き声がいくつもした。声のする方角から見て雄鹿は少なくとも5頭。
「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の…」という百人一首を思い出した。時期は少し遅いが、まだ繁殖期が続いているのだろうか。ただ、ここはそれほど山深くない。民家もたくさん有る。それなのにこれほどの鹿。ひょっとするとこの鹿たち、満月の夜にだけ現れるのかもしれない。
星々の間をゆっくりと移動しながら欠けていった月は、また時間をかけて輝きを増してゆく。そして午前1時20分ごろには地球の影の濃い部分を完全に抜け、さらに午前2時を過ぎると地球の半影と呼ばれる薄い影の部分とも別れを告げた。
中天に掛かる月が、今辺りを照らす。前にも書いたが、満月とは太陽と地球と月が一直線に並んだ時に地球から見た月の様子を言う。しかしほとんどの場合、地球の公転面と月の公転面とのずれなどでこの3つの星がなかなか一直線にはならない。だから望遠鏡で見ると、十五夜と言えども月はどこかが欠けているのだ。
しかし今は正真正銘の一直線。欠けた所がどこにも無い。まさに『正満月』だ。