宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

さよならじゃなかった!

2015年04月29日 10時59分02秒 | Weblog

本当はこの書き込みは19日の夜するつもりだった。しかしいろいろと忙しくて、写真がアップできたのは今日の未明。それでもどうしても書いておかなくては。ブログはWeb log ウェブに載せる「日誌」だから。


 

竹取庵は木造だ。だから普通の日曜大工では使わない大きな梁や柱も使う。その材料はホームセンターだけでなく、業者専用の材木店でも調達してきた。それを運ぶのがみかんの丘の力持ち「ブルーベリー号」だった。
この青い助っ人が来たのは2001年の6月。年を取って運転が怪しくなった親族の、農作業用の軽トラをもらってくれないか。目の前からいなくなれば諦めるだろうという事だった。

軽トラはこの時すでに車齢が5年を過ぎていた。確かにあちこちぶつかって擦れや凹みが出来ていたが、それでも塗装にはまだ艶が有った。この車に「ブルーベリー」の名を与えたのは、丘に特別な思いを持っていた友人だった。青いからかっこよくブルーインパルスはどうかという僕の提案を一笑に付して、かわいいフォルムだからと名付けたのだ。

それから14年。梁を運び、柱を運び、レンガを運び。時には生コンまで運んで竹取庵の建設に大きく貢献した。彼が居なければ、この天文台はとても建たなかったのだ。ただ、20年近い車齢を重ねたブルーベリーは空調のダクトが風化して割れ、排気管も穴だらけ。最近はエンジン音も怪しくなっていた。
来月には車検の時期を迎える。もう終わりだな。寂しいけれど別れる時が来たんだ。丘から自動車会社に持っていく最後のガソリンを入れるために丘を降りようとした時、たまたまおばさんの娘さん夫婦に出会った。挨拶のついでに事情を話すと
「えぇ、まだ動くが。もったいない。」
「でもボロボロですよ。」
「そんなこたあない。あの良かったらうちの農作業に使わせてもらえんでしょうか。」
車検は受けない。廃車にしてプレートも返納する。しかし、この丘の敷地の中だけで本当に動かなくなるまで使いたいという事だった。

別れると覚悟を決めていた車とさようならしなくて済む。丘に上がればこれからもブルーベリー号に逢える。ガソリンスタンドに向かいながら、握るハンドルが暖かかった。

コメント (1)
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