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20220303 横濱・中華街
神奈川県横浜市中区山下町
中華街の2022年3月⑦
大通り③ 善隣門
横浜中華街のシンボル的存在のひとつ。1955年2月、戦後復興の願いを込めて初代が完成し、そのころは「牌楼門」と呼ばれていました。この牌楼が建つまでは「南京町」と呼ばれていましたが、中央の銘板に隣国や隣家と仲良くするという「親仁善隣」という言葉を掲げ、「中華街」と書かれたことによって、正式名称として「中華街」と呼ばれるようになりました。現在の姿にリニューアルしたのは1989年、名称も「善隣門」に改められました。 風水に基づく牌楼
横浜中華街の牌楼は、なぜ東・南・西・北(東西南北ではないことを頭においておきましょう)にあってそれぞれ色が違うのか不思議に思う人も多いでしょう。それは風水思想に基づいて建てられているからです。風水思想とは中国の古代科学によるもので、ひとことで言うなら、人間が幸せを確保しようとするなら、天地=自然の影響と調和していかなければならないという考え方です。
善隣門
中華街牌楼②③ 横浜中華街西門・善隣門
石川町から自動車道をわたると「西門」が迎えてくれる。中華街の牌楼では珍しい色、白を基調としている。他の牌楼は、赤が主体だが、西門だけが雰囲気を異にしている。延平門(エンペイモン)といい、平和と平安のやすらぎが末永く続くことを願い、守護神は白虎神。色は白にしているらしい。
中華街大通りまで来ると最も大きく存在感を示しているのが「善隣門」。横浜中華街には現在、10基の牌楼(門)が建っているが、大通りにある善隣門は、テレビや雑誌などでよく見かけるもの、その他に9基もあり、中でも東南西北の4基には深い意味があるらしい。善隣門は、横浜中華街のシンボル的存在のひとつ。1955年2月、戦後復興の願いを込めて初代が完成した。当初は「牌楼門」と呼ばれて、この善隣門が建つまでは「南京町」と呼ばれていましたが、中央の銘板に隣国や隣家と仲良くするという「親仁善隣」という言葉を掲げ、「中華街」と書かれたことによって、正式名称として「中華街」と呼ばれるようになったらしい。現在の姿にリニューアルしたのは1989年、名称も「善隣門」に改められた。
東南西北の守護神4基 https://www.chinatown.or.jp/guide/ 横浜中華街が横浜新田と呼ばれた時代 中国では古来より、皇帝が王城を築くとき、天文博士に天意をうかがわせ、城内に入ってくる邪を見張り、これを見破るために東南西北に限って通路を開いて、それぞれに門衛を置いたといいます。それらは「春夏秋冬」「朝昼暮夜」という陰陽五行に基づく色である「青赤白黒」で彩られ、さらに各方位の守護神として人々に根強く信仰された四神を据えました。 その守護神は東=青竜神、南=朱雀神、西=白虎神、北=玄武神。いつの季節も24時間、それぞれの守護神が邪を見張ることによって、城内の繁栄と安全をはかったのです。ようするに、東方の霊気は青竜神が見張り、陽気が南方に入ると朱雀神に引き継いで、さらに西方に移ると白虎神が受け、やがて陰気が満ちる夜となると北方を玄武神が守るということなのです。 横浜中華街も同じなのです。ただ、本当に東南西北の位置に建ってるの?と疑う人もいるかもしれません。実は、横浜中華街は周辺の道路に対して、どういうわけか45度傾いていて、ほぼ東南西北に角があるのです。みなさんが道に迷ったり方角がわからなくなるのはこの45度のせいだと思います。
中華街の門は「善隣門」と思っている人も多いが、牌楼は数基位置している。しかし、大通り入口の門は存在感がある。
数年前から、大通りを車両通行止めとしている。通常でも一方通行ではあるが、市場通りも帰省しているわけではないが現在はほとんど自動車が通ることはない。地のイメージにも合う、車止めが準備連れ時間になると接地される。これらも中華街発展会(商店街)のなせる技、新規入会している店も増えているのがありがたい。 私が大好きな華錦飯店も入会、中華街の発展に寄与するはずである。
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