昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

ヒトを見殺しにする/昼行灯の悪

2006-07-06 23:32:57 | ものおもい
父が入院する前の数ヶ月、梅雨~盛夏~晩夏の時期にもかかわらず、実家ではストーブが出しっぱなしであった。
そして、父の寝室では、ガスストーブが点けられていた。
その時点で、父の体調が相当悪いであろうことには予想出来た。事実、気づいていた。

本来なら、そこで強制的にでも病院へ連れて行き、自分が立会いのもとで検査を受けさせ、医者から結果を聞く、ということをすべきであったろう。
しかし、前回の入院以降、父は肝機能検査と糖尿病の検査のため、月1回通院しており(少なくとも最初の2年は)、検査では問題がないと言う報告を父から受けていた。そのことを根拠に、それ以上は考えるのを止めていた。
頭の片隅では、父が都合の悪いことは隠す性格であることに気づいていながら。
思えば、その頃はすでに、検査結果について父から証拠書類を見せられることもなくなっていたように思う。
父が禁酒を解いていたのは知っていたから、体調の悪化がそのことに起因するのは自明であった。
要は、私は当時、父にまつわる様々なトラブルに巻き込まれ、自分達の時間が削られることを嫌っていたに過ぎない。

結果、父は入院し、死んだ。

だから、私は父を見殺しにしたのだ。

*****

かつて、飼っていたペットの尿の色が以前に比べ黄色味が強くなっていることに気づいた時、疑問に思いながらも、具体的な行動には移さなかった。
その後、ペットは咳き込むようになり、吐しゃもするようになった。慌てて、県外の専門医へと連れて行った。
そして、投薬を指示されて帰宅した翌朝、彼女は激しく咳き込み、そのまま息を引き取った。
病理解剖の結果、死因は肝機能障害による内臓の癒着・炎症と、その結果としての肺水腫であった。
彼女が吐いていたのは、肺に溜まった水だった。

後日、手元の飼育書を見ると、便の黄変は肝臓障害を疑うべし、と、ちゃんと書いてあった。
異変に気づいてすぐに飼育書を見直し、肝臓病の疑いありと告げた上で専門医の診察を受けさせていれば、と、今でも悔やむときがある。
もっとも、所見によれば、内臓の炎症は相当長期のものであったそうだから、それで余命が延ばせたかどうかは、わからない。

生来の昼行灯が、こういう時には悪いほうに作用する。
慢性的に進む危機にはえてして鈍感である。
それでも、また、きっと、同じような過ちをしてしまうのだろう。

あるいは、今度は、自分の身に降りかかるかもしれない。何せ、体重が増えて仕方が無い。
気をつけねば。
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伊坂作品と故郷の風景

2006-07-06 23:28:50 | 読書
10年ほど前、広島に行く用事があり、ついでに寄り道をした。翌日の新幹線で帰るところを、岡山で下車し、そこで一泊。翌朝、後楽園を見物し、また新幹線に乗って、西に逆戻り。降りたのは尾道。
大林宣彦監督作品を始め、様々な映画の舞台となった町だ。
短い滞在だったので、駆け足でこの坂の町を駆け巡った。おもに、映画のロケ地を見て回った。「転校生」の神社の階段、「ふたり」のトラック事故現場(トラックの出てきた道は実は民家の玄関先へ繋がる私道であり、大型車が飛び出して来るような状況には無かった)。高台からは「さびしんぼう」の船着場を見下ろした。
要するに、富田靖子と石田ひかりのファンだった。それだけのことだ。

*****

伊坂作品で故郷の風景が描写されているのをを目にすると、上記の体験を連想する。ただし、順序が逆だ。物語で見た景色を実際に見るのではなく、実際に見知っている景色が出てくる。小説だから、映画よりも場面の具体性に乏しい。にもかかわらず、おそらくその光景を他者よりもリアルに観念できている。ある種眩暈にも似た感覚。

『ラッシュライフ』では、河原崎と塚本が、泉ヶ岳の山腹、スキー場のゲレンデ用地から街を見下ろす描写がある。
5年ほど前、仕事で泉ヶ岳の北に広がる国有林の調査に同行した折、初夏の泉ヶ岳の山腹から、小説と同じように市街地を見下ろしたことがある。その下、泉ヶ岳に繋がる市道からも、東南に広がる街並みはよく見える。
実は、現在居を構えているのは、その道路と住宅地が接する辺り。だから、この光景は、今の私にとっては「地元」と言ってもいい。車で15分も移動すれば、河原崎の視線になれる。それだけ、馴染み深い。

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いま、文庫版「重力ピエロ」を読んでいる。仙台市内の落書きについて描写がある。作者と私は、同じ落書きを目にし、同じように憤っているのだろう。ところが、彼は、小説の中で落書きを消してみせる。私はというと、憤ることしか出来ない。

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「砂漠」が直木賞候補となった。大学生活を描いた作品と聞いている。基本的に「青春」と呼べる様な時期とは無縁の生活をしてきた自信があるが、もし、そういう時期があったとしたなら、大学生活を含む数年がそれに該当する。読めば、やはり、作品の筋とは異なる部分に反応してしまうことになるのだろう。小説を読むことにおいて、それが幸福な事か否かは、わからない。
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