昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

医療制度/行く先は闇か

2006-10-12 22:03:34 | ものおもい
NATROMさん経由で以下の記事。

新小児科医のつぶやき-厚労官僚は50年前がお好き-
父を亡くしてまもなく1年になります。
父は、生活習慣病に起因する急性発作で数度の入院を繰り返した後、肝不全で逝きました。
最後の入院の際、「改善の見込はないが、療養型の入院はできないので、対症療法で症状が改善したら退院。おおむね1ヶ月後くらい」と言われていました。
我が家は共稼ぎ、兄は独身で当然働いており、父が退院しても介護できる人は居ないわけです。いくら当人が身の回りのこと位できる状態で退院したとしても、発作やらで倒れたらそのまま死んでしまいます。
病院にそのことを訴え、ソーシャルワーカーさんを通じて転院の打診をしてもらいましたが、やはり改善の見込の無い患者はダメということらしく、「疾病状態から設備不適合」として拒否されました。
父の居宅は家賃が払えないので解約となり、戻る家もありません。仕方が無いので「家具つきアパートでも借りるしかないか」等と思案していました。
(それぞれ、同居は出来ない事情がありました)
最初の1~2週間は症状が安定していた父ですが、その間、家族への隠し事が露見したことや、信頼していた友人から背信的な行為を受けたこと等がショックだったのでしょうか、或いはもう身体が持たなかったのでしょうか、その後、急速に衰弱が進み、担当医の述べた1ヶ月を経過しようという日に、亡くなりました。
結果的に、介護労働力の不在問題は杞憂に終わった形になります。
さて、リンク先の記事は、私が直面した問題をさらに過酷にするものです。そして、いまは健在な親について、いずれ同じ問題が生じます。

>「自宅で死んでもらう」為には無償の家族の負担を暗黙のうちに要求している事になります。誰かが仕事をやめて介護につかなければならないと言う事です。
>はたして厚労省は療養病床をなくして「自宅で死んでもらう」事による経済効果をどのように試算しているのでしょうか。厚労官僚の頭の中の算盤は社会福祉予算の額しかないようです。

まあこの通りでしょう。でも、何時の世でも為政者というのはそんなものかもしれません。結局、限られた資源をどのように国民に配分するかということですから、国としては国民への医療サービス「も」低下させるというだけの話なのでしょう。
そして、家族構成が変化した現在では、在宅介護又は療養に割ける無償の労働力はない。無理やり作れば、収入は減る。
どうなるか。はっきり言うと、親殺し、配偶者殺し(ネグレクトによるもの含む)が激増すると思います。
あ、リンク先では負の経済効果に触れていましたね。それについても一言。
人件費ゼロ化の風潮といい、国民を疲弊させる医療費削減策といい、いまの日本は国富をすり減らすことしか考えていないように思えます。
国は企業利益の回復・成長により、経済好循環が始まると考え、実際そのようになっていると思っているようですが、企業及び資本家は国際化し、企業の業績回復による経済波及効果は国内にうまく回らない。企業・資本家もそんなことに関心はない。
だから、規制の再強化しかない。いつかはそれをすることになる。もう、やってもいいのではないか?というのが私の持論。

奈良女児殺害事件 被告人の死刑確定

2006-10-12 22:00:16 | Weblog
遅まきながら。
まずは以下のリンク先をごらん下さい。

ライブドアニュース(毎日新聞)

これを見ると、被告人は、いったん犯罪動機の形成過程について再度真実を述べたらどうか、という弁護士の勧めに応じる意思を示したものの、結局それを撤回して、当初の意向どおり死刑を望んだ、ということになります。

被告人のいう「(控訴すれば)命を惜しんだと思われる。何を言っても無駄」という発言が本心だとすれば(余り策を弄するタイプにも思えないので本心だとは思うが)、意外と自分への社会的評価を気にしているということが分かる。
他方、やはり「自分」にしか関心がないのか、とも思えるわけで、被害者への謝罪の気持ちを期待する向きには受け入れ難いことも事実だろう。

まあ、よく考えれば、被害者の写真を携帯に送って脅迫するなどの行為も、加害者-被害者間の関係以外の社会関係を意識していたことの証左だから、特に驚くべきことではないのかも知れない。

そして、死刑を望んでも、それを受け入れても、あるいはただ自殺しても、もしくは本心から謝罪し後悔しても、何をしても、社会はそれを受け入れることはない。それが、やったことの結果。

ひょっとして、被告人にとっては、今回の犯罪を行う前から、社会というのはそういうもの(自分を受け入れない)だと思っていたのかも知れないが、少なくともそれは違う。
犯罪を行う前と後では「受け入れられなさ」に質の差があるはずだ。
でも、こういう人間はそのことには気づかないのかも知れない。
一部には「人格形成のゆがみは虐待やいじめの結果だ」という主張もあるようだが、そういったことも含めて、成人については個人の責任とするしかない。現代の日本社会(および現代社会の多く)はそのように成り立っている。
(「ヒトには本当に自由意志があるか?」という問題。興味のある方はカント「実践理性批判」を読まれたし)