ジブリの最高傑作は『ラピュタ』だと信じて疑わない。妻も同意見。
先日の金ローでは、『ラピュタ』と『魔女宅』が連続放送され、後者の方が高視聴率だったと聞き、驚いた。
『魔女宅』は久しぶりの放送ということもあるのかもしれないが、『ラピュタ』最高の信念を持つ自分にはどうも解せない。
しかし、調べてみると『魔女宅』は、ジブリ作としては最初のメガヒット作品だと知り、また驚いた。
そして、これもまた名作の『トトロ』は、興行上は惨敗(ラピュタ・ナウシカの半分)だったということも知り、またびっくり。
1988年公開アニメとしては『逆シャア』がジブリ組に勝っている。すげえぞお禿。
とはいえ『トトロ』は興行的には不振だったが、映画賞総舐めもあり、その後、名作としての認知度が高まり今に至る。これは、まあいい。
今となっては子供と観る映画のスタンダードだ。納得である。夢がある。スリルもある。幸せがある。
さて、『魔女宅』だ。何回か観ているはずだが、実は一向にストーリーを覚えていなかった。「キキが修行に出る→パン屋に住み込み宅急便を始める→トンボに絡まれる→ウルスラと出会う→ジジが喋れなくなる」というエピソードしか覚えていない。
先日の金ローで、記憶が呼び起こされて、ああ、こういうストーリーだったかと理解した。
で、今回改めて視聴した上で、私は『魔女宅』をやはり面白いとは思えなかった。ストーリーも覚えられないのも納得である。
理由を考えた。
多分、キキの悩みにシンクロできないのである。
あるいは、その悩みを理解するけれども、エンターテイメントとして楽しめないのである。
作中、キキはうまくいかないことが多い。失敗し、がっかりし、落ち込む。そのことが単純に暗い気持ちにさせられる。
身につまされる、というのとも違う、単に不快なのである。
ゆえに終盤、トンボの危機に飛ぶ力を取り戻し、街のヒロインとなり、社会に受け入れられるキキにも、爽快感は持てない。
宮崎駿や鈴木敏夫は、キキを通じて「都会に出た若い女性がぶつかる壁や、揺れる心情をリアルに描いた」と述べる。バブル期の空気感とも相まって、おそらくこのテーマは多くのファンに受け入れられ、日本が経済的に潤っていたこともあり、興行的な成功を収めたのだろう。だが、ここで描かれたテーマは、自分にとっては、ただ、辛いキキの心情を「そこは見たくない」と思わせるだけのことだった。
先日読んだ『荒木飛呂彦の漫画術』では「少年漫画のストーリーは、絶対にプラスで上がって行くことが王道。主人公がマイナスになるところを、読者は読みたくない」というのがあった。要は、これなのである。キキは修行に出て、うまくいかず、しまいには魔力が衰えてしまう。これはプラスとマイナスが交錯し、マイナスに振れて、最後には飛べる(ゼロに戻る)というストーリーだ。「これでは読者は感動しない」と荒木は言う。『魔女宅』に自分がわくわくしないのは、これが原因だ。
『魔女宅』と同じようなテーマを扱ったジブリ作品といえば二つ。一つは『おもひでぽろぽろ』である。これは楽しめた。それは舞台の一つが、母方の出身地である山形県であることが大きいだろう。あの光景には単純にノスタルジーがあり、そこの生活を受け入れるヒロインの行動は、単純に嬉しいのである。そして、物語の当初、都会での生活に迷っていた状態から、ヒロインは脱する。ここには「マイナスからプラスへ」という王道が貫かれている。
もう一つは『千と千尋の神隠し』だ。これも楽しめた。なぜかは後で述べる。
ラピュタはどうか。ラピュタはジブリ前史であるナウシカを興行的に上回ることができなかった。宮崎駿はそれを「普通の少年が主人公の作品が、劇場に足を運ばせるだけのキャラクターにならないという限界」という分析をした。しかし、自分には十分すぎるエンターテイメントに思える。パズーは飛行機に憧れる少年であるがスーパーヒーローではない。そこに飛行石というスーパーアイテムを有するお姫様、シータが降りて来る。パズーはシータを守る。力不足で一度はシータを守れず家に帰るが、海賊に同行志願することで新たな力を手に入れ、更に成長し、ついには父の無念を晴らす「ラピュタ発見」に至る。シータのことも守り通し、ラピュタ王家の軛も解放した。アゲアゲのストーリーである。パズーは少年主人公として実に魅力的である。『未来少年コナン』のコナンほどではないが、根性とまっすぐな気持ちが心地よい。やはりラピュタは名作である。
『千と千尋』が楽しめるのは、千尋が色々と大変な目に遭いながらも、くよくよしないところだ。彼女は多くの仲間に見守られて、ただひたすら頑張る。両親を助けるために奮闘し、白を助けるためにまっすぐに行動する。そのストーリーには、プラスとマイナスの往復はない。ただひたすら「プラス」の法則が守られている。荒木のいう「黄金道」である。
つまるところ、やはり私は「少年漫画」が好きなのであろう。
先日の金ローでは、『ラピュタ』と『魔女宅』が連続放送され、後者の方が高視聴率だったと聞き、驚いた。
『魔女宅』は久しぶりの放送ということもあるのかもしれないが、『ラピュタ』最高の信念を持つ自分にはどうも解せない。
しかし、調べてみると『魔女宅』は、ジブリ作としては最初のメガヒット作品だと知り、また驚いた。
そして、これもまた名作の『トトロ』は、興行上は惨敗(ラピュタ・ナウシカの半分)だったということも知り、またびっくり。
1988年公開アニメとしては『逆シャア』がジブリ組に勝っている。すげえぞお禿。
とはいえ『トトロ』は興行的には不振だったが、映画賞総舐めもあり、その後、名作としての認知度が高まり今に至る。これは、まあいい。
今となっては子供と観る映画のスタンダードだ。納得である。夢がある。スリルもある。幸せがある。
さて、『魔女宅』だ。何回か観ているはずだが、実は一向にストーリーを覚えていなかった。「キキが修行に出る→パン屋に住み込み宅急便を始める→トンボに絡まれる→ウルスラと出会う→ジジが喋れなくなる」というエピソードしか覚えていない。
先日の金ローで、記憶が呼び起こされて、ああ、こういうストーリーだったかと理解した。
で、今回改めて視聴した上で、私は『魔女宅』をやはり面白いとは思えなかった。ストーリーも覚えられないのも納得である。
理由を考えた。
多分、キキの悩みにシンクロできないのである。
あるいは、その悩みを理解するけれども、エンターテイメントとして楽しめないのである。
作中、キキはうまくいかないことが多い。失敗し、がっかりし、落ち込む。そのことが単純に暗い気持ちにさせられる。
身につまされる、というのとも違う、単に不快なのである。
ゆえに終盤、トンボの危機に飛ぶ力を取り戻し、街のヒロインとなり、社会に受け入れられるキキにも、爽快感は持てない。
宮崎駿や鈴木敏夫は、キキを通じて「都会に出た若い女性がぶつかる壁や、揺れる心情をリアルに描いた」と述べる。バブル期の空気感とも相まって、おそらくこのテーマは多くのファンに受け入れられ、日本が経済的に潤っていたこともあり、興行的な成功を収めたのだろう。だが、ここで描かれたテーマは、自分にとっては、ただ、辛いキキの心情を「そこは見たくない」と思わせるだけのことだった。
先日読んだ『荒木飛呂彦の漫画術』では「少年漫画のストーリーは、絶対にプラスで上がって行くことが王道。主人公がマイナスになるところを、読者は読みたくない」というのがあった。要は、これなのである。キキは修行に出て、うまくいかず、しまいには魔力が衰えてしまう。これはプラスとマイナスが交錯し、マイナスに振れて、最後には飛べる(ゼロに戻る)というストーリーだ。「これでは読者は感動しない」と荒木は言う。『魔女宅』に自分がわくわくしないのは、これが原因だ。
『魔女宅』と同じようなテーマを扱ったジブリ作品といえば二つ。一つは『おもひでぽろぽろ』である。これは楽しめた。それは舞台の一つが、母方の出身地である山形県であることが大きいだろう。あの光景には単純にノスタルジーがあり、そこの生活を受け入れるヒロインの行動は、単純に嬉しいのである。そして、物語の当初、都会での生活に迷っていた状態から、ヒロインは脱する。ここには「マイナスからプラスへ」という王道が貫かれている。
もう一つは『千と千尋の神隠し』だ。これも楽しめた。なぜかは後で述べる。
ラピュタはどうか。ラピュタはジブリ前史であるナウシカを興行的に上回ることができなかった。宮崎駿はそれを「普通の少年が主人公の作品が、劇場に足を運ばせるだけのキャラクターにならないという限界」という分析をした。しかし、自分には十分すぎるエンターテイメントに思える。パズーは飛行機に憧れる少年であるがスーパーヒーローではない。そこに飛行石というスーパーアイテムを有するお姫様、シータが降りて来る。パズーはシータを守る。力不足で一度はシータを守れず家に帰るが、海賊に同行志願することで新たな力を手に入れ、更に成長し、ついには父の無念を晴らす「ラピュタ発見」に至る。シータのことも守り通し、ラピュタ王家の軛も解放した。アゲアゲのストーリーである。パズーは少年主人公として実に魅力的である。『未来少年コナン』のコナンほどではないが、根性とまっすぐな気持ちが心地よい。やはりラピュタは名作である。
『千と千尋』が楽しめるのは、千尋が色々と大変な目に遭いながらも、くよくよしないところだ。彼女は多くの仲間に見守られて、ただひたすら頑張る。両親を助けるために奮闘し、白を助けるためにまっすぐに行動する。そのストーリーには、プラスとマイナスの往復はない。ただひたすら「プラス」の法則が守られている。荒木のいう「黄金道」である。
つまるところ、やはり私は「少年漫画」が好きなのであろう。
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