昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

遅ネタですが。

2007-01-04 21:11:28 | Weblog
 昨年中に書けなかったのだが,以前の記事で取り上げた国際基督教大学の八代教授と,労働問題に詳しい弁護士の中野麻美氏の対論について(2006.12.29 朝日朝刊)

 まあ,一言でいうと,噛み合っていない。
 八代氏の主張,つまるところ労働ビッグバンをテーマとした対談なのだが,氏の思い描くモデルは,その時々で成長性の高い業種に労働者が流れ易くするというもの。そのために終身雇用制やそれに伴う人件費コストは弊害になり、それらを残すと「企業が海外に逃げ、更に国内雇用が減る」という。
 このモデルでは,労働者は成長産業でそのつど職を見つける。つまり短期雇用ないし転職が前提。そして,景気調整期には労働者も休みが多くなる。そういう自由度の高い社会が,成長の持続のためには必須ということだ。

 なるほど。労働の質(働き甲斐)ということをとりあえず措く場合,このモデルもありかも。ただしそれは,「十分な収入が確保される場合」である。
 十分な,とは,生活保護レベルではない。「余暇を楽しめる」レベルであることが必要だ。「休み」の故に糊口を凌ぐこともままならないのではお話にならない。
 八代氏のモデルでは(というより,いまの日本が目指すモデルでは),企業の成長による利益は株式市場を通じて分配される。成長を持続し,企業価値を高めるために,労働コストはゼロに限りなく近づけられる。であれば,一つの解は,「すべての労働者が投資家になる」ことだ。リスクは勿論あるものの,誰もが株式市場から分配を受けられるのであれば,休暇は休暇として楽しめる程度の収入は確保されるかもしれない。また,自身の労働単価の低さも,その企業の成長性を支えるものとして配当になるのであれば,利益と損失が相殺される余地もあると考えられる。

 さて,こんなことが実現出来るのか?
 現状では,配当される利益は外資が持っていくようにしか見えない。であれば,八代氏の述べる労働ビッグバンは,資本家による労働搾取にしかならない。おまけに,投資するだけの資本がない人はどうしようもない。この10年で無貯蓄世帯が急増したことは既に言われて久しい。
 他方,こんな記事もある。これが実現すれば,八代氏のモデルとも整合性のある解となる。ただし,経営者がこういうことに配慮しているとは思えないので,私は悲観的。
 
 そもそも,勤勉性を売りにしている日本人に,労働ビッグバンのモデルが合うのか?という疑問がある。このモデルでは,確固たる将来像というものは描けない。その結果が,ニート・フリーター問題ではないか。
 というより,八代モデルでは,フリーターこそが理想の就業形態だということになりそうだ。勿論,生活の質もそれでいい,という前提であるように見える。これは「ワーキングプア」肯定の思想なのではないか。或いは,自給的農業が出来る者のみがそこそこ豊かになれるモデルではないか。
 私には、中野氏の「いまは、何が適切な水準なのかの議論がないまま、ただ安上がりだという理由で仕事が決まる、しかも、明日仕事があるかが保証されないという状況・・・市場や競争だけに委ねると失敗する」という言葉の方が真実だと感じられる。
 八代氏は「雇用の質が悪い企業の製品は商品の質も悪いので市場から排除され、生き残った会社の商品は売れるから雇用者の賃金も上がる」と述べており、完全に市場任せのようだが、現実はというと、賃金の上がりは期待されたほどではないし、下げ基調の業種も多い。さらに言えば、いまの経営者のビジョンには「賃上げ」が全くないとしか思えない。このことをなぜ無視するのか。

 こういうのを「深謀遠慮が足りない」というのではないかと思う。生活の質の低下は,労働の質の低下ももたらす。そうなれば,日本における企業活動が従来レベルで維持されることはない。そして,義務教育だけではこういった「気風」は解決しない。愛国心や公徳心を声高に述べても無理だ。唱える人々と,それを聞かされる世代とでは,明らかに育った時代背景が異なるのだから。「昔は我慢していた。俺たちは昔十分我慢したんだから、お前らはこれから先ずっと我慢しろ。ただし、俺たちはもう我慢しない」なんてのは受け入れられない。バブルに踊り、不況を招いたのもまたそういう世代であることを忘れてもらっては困る。

 さて、それならば、となる。どうしよう。どういうモデルがありうるのだろう。今更のように「資本家が敵だ!」と言ってみたところで,共産主義の幻想に戻れる訳じゃなし(私の世代は冷戦の記憶が強いから,そもそも共産主義に幻想はないが。それを言うならその後の「ロスト・ジェネレーション」は尚更か),かといって他の説得力のある政策モデルが見当たらない。「資本家の搾取」しか選択肢がない社会は,悲劇だ。これを止めるのは「倫理」しかない。
 ということで,ひとつ言うなら,むしろ資本家というか,企業経営者にこそ「公徳心」を身に付けてほしいなぁ。あるいは「武士は食わねど高楊枝」とかさ。

 バブルに踊った経験のある人達には無理かな。
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