★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

当たり前はありえない

2016-05-28 | 最近おもうこと


どの人も幸せを感じたい。

どの人も必要とされたい。

どの人も愛情を感じたい。




誰もが結局は同じことを求めているのだと思う。


一見、目先の言葉にすると違ったことを言ったとしても
その根本は同じことを求めている。



でも、どうして上手くいかないのだろう・・・




それぞれの感じ方が違うから?

それがいわゆる「価値観の違い」という言葉になるのかもしれません。




でも、大人になると好き嫌いだけでない
自分にとって何が得かも考えてしまいます。


そのうちに、それが相手からされることも当たり前となったり
気づかないうちに幸せでないことにも慣れてくる・・・


それでも、表面的な形があれば得なことも多いから。



でも、その表面的なことも自分勝手に望み続けても
相手があるものならば、その相手をごまかし続ける賢さも必要になる。


相手の表面的な望みも続けることができなければ
その関係は成り立たなくなってしまうかもしれない。



本当に自分にとっての幸せは何か?なんて
もしかしたらよく分からないまま人生を過ごすかもしれない。


愛なんて本当によく分からないまま
夫婦としての形で人生を終えるかもしれない。


それでも表面的な形でお互いが折り合いをつけ続けられ
求められることを表面的に、そこそこ与えられたのなら
その関係は続くのかもしれない。



でも、そのバランスが崩れたら・・・

きっと自分が幸せでないことに気づき、向き合う必要がでるのかもしれない。





本当はもっと単純であるべきことなのに。



全て、当たり前なんてものはない。



今ある生活、今ある幸せに気づかなくてはいけない。




あたりまえに与えられ続けられるものなんてないのかも知れない。



あたりまえと錯覚させてくれるほどに、
してくれたことに感謝することに気づくことが必要でしょう。




自分の見方次第で、幸せは自分で掴むこともできる。


親子、夫婦、友達など、どの関係だとしても、
他人と自分という関係からなるものなら
自分がコントロールできるのは自分自身でしかない。


どんなに近い関係でも、
お互い当たり前に与えられているものなんてないのです。


子供だから、妻だから、夫だから・・・
そう思うなら、全て甘えにすぎません。


他人を巻き込んだ物事に関して、
計算通りになど行くはずは最初からなく
それまで上手く行ったこと自体ラッキーなことなのでしょう。




どんなことも、確かなものは無い。



唯一できるのは、
自分自身で自分が求める道を見つけて歩むことだけなのかもしれません。





コメント
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