人は色々な物事に理由をつけたがる。
よくこのブログにも書くけれど。
辛いことや頭にきたこと良かったこと悲しいこと・・・
自分自身で理由をつけて納得させようとしたり
余計なお世話なことに
他人の物事に対しても理由をつけてあげたりする。
尋ねてもいないのに、誰かが理由をつけてくれるようなら
その親切な人はどこから理由をつけてくれているのか考えてみる。
それは自分を落ち着かせてくれるのかもしれないけれど
本当の事実でないこともきれいごとの道筋をつけることもある。
本当にそうなのだろうか?
その理由はもしかしたら
自分を正当化するためのもので他を批判していたり
自分を他よりも上に置こうとするものかもしれない。
なんて傲慢なんだろう!
スピリチュアルなことに関心がある人だって
たいていの人はそんな傲慢さを持っている。
理由をつけるときに傲慢さは入り込んでいない?
そもそも、理由なんてつける必要もなくて
その今ある事実だけを認めるだけ・・・
どうして自分だけ・・・
そんなことも考えない。
その他、自分という境界線を持たないことが必要なのかも。
ここには他があるから、そう感じるのかもしれないけれど
あくまで自分に起こることは自分のこと。
過去のこと、今のこと、未来のこと
何か理由をつけることがあったら、
その理由はどこから来ているのかよくみてみる。