文化によって表現力は違う。
年代によっても違う。
感じかたにも違いがあるのかもしれないし
感じる深さにも違いがあるのかもしれない。
これだって実際目に見えて計れるものではないので
それが表現力や大きな表現をするからといって
表現の小さな人より深く大きく感じたかはわからない。
そもそも、その人の中の器自体に差があるのかもしれないし・・・
でも、せっかく外へ表現できるのなら
人とその思いを分かち合うのもいいのじゃないかと思う。
言葉が苦手でも心の中には沢山の思いがあるはず。
かっこなんてつけなくてもいい。
外にその感情を表現するだけで伝わる。
最近では「見てみて!私を見て!」という風潮があるけれど
それはそれで私が言っているものとはまた違う。
表現するために感情を探しに行くのではなく
感情が沸き起こることで表現する。
湧き出る表現と、ただの言葉の表現との温度差・・・
単純に素直に日本語を使うだけでも十分だ。