時々感じる面白いこと。
通常ネイティブでない語学学習者であれば
それぞれのレベルに合わせての理解力があるわけで
それでも、それぞれ完全ではない。
そも、それぞれのレベルで分かっていると思うことはある。
自分では分かっていると思っている。
でも、本当の意味やその背景も含めての
ニュアンス的なものまでは理解できているのかは微妙なのに
それでも自分は分かっていると本気で思っている。
本当に初心者はまだ全く分からずにいても
少し分かってきた人以上になると起こることなのかもしれない。
文法をしっかり勉強して文法的に解釈できるのと
会話で理解するのはまた少し違うかもしれないけれど
それぞれ一瞬を聞き理解することは難しい。
それにそれが本当に正しいのかなんて
誰も頭の中で指摘してくれないし
一番厄介なのは自分が分かっていると思い込んでいて
場合によっては後から話や人間関係が
噛み合わなくなってしまうこと。
微妙なニュアンスや意味の微妙な取違い・・・
大学もアメリカを出て流暢な英語を話している人も
同じようにミスをしていることがある。
それでも、長年そこで勉強し続けていれば
理解力も変わっていくだろうけれど・・・
私のような勉強中には当然ながらあるけれど
どのレベルでも完璧にならないものなの
かもしれないと思ったりする。
これって、目に見えないものを表す時も同じような気がする。
違いは、その場所で文化的な感覚も含めて
長期にわたって勉強し続ければ理解力が増すことでしょうが・・・
それぞれのレベルで分かっていると思ったりして
分かっていないものや間違ったものがあっても
気づかないまま正しいのだと思い込む。
似たようなレベルの人同士話しても
どっちが正しかったのかさえ分からないで
頑なに自分が正しいのだと思い込む。
似たような人同士だからこそ
どっちも分からないレベルでお互い譲らず
信じようとしなかったり。
物事は多少分かったつもりでも
本当はなかなか分かっていなかったりするのかも・・・
分かったと思うことさえ疑わしいかもしれないときがある。
そんなことを、フッと思うことがあります。