最近つくづく、一つ一つの何気ないと思っている選択が
人生を作り上げていると感じる。
それがどんな結果を生むかは後にならないと
もちろん分からない。
人生で起こる様々なことは選択の結果によるものが多いのだろう...
何かがしっくりいかないと思っていても
軌道修正ができるのにしない選択をすることもある。
様々な選択の結果の中で、その人生を終える。
私たちには人生の最後の時は分からない。
だから、その時の最善、もしくは何気なくあまり考えずに選択する。
さっきも書いたように、
嫌だと思っていてもそのまま変えない選択をすることもある。
でも、もしも最後の時が見えていたら違う選択をするかも知れない。
人生で何が幸せなのかは人によって違うだろう。
最後の時に向かって歩んでいるその道に何を期待するだろう。
今、正しいと決めている道は正しいかは分からないし
誰かが思う幸せの形が自分に当てはまるとは限らないし
それこそ社会が思う幸せという形が
自分が望む最後の時の迎え方ではないかも知れない。
人生の中で良かれと思った我慢や些細な揉め事を避けるために
やり過ごしている日常生活の出来事も
それがどんな結果につながっていくのか見えない。
ましてや人によって選択は異なる訳で
多くの人が関われば個人の思うようにはいかないのは当然なのに
いつまでも誰かや何かに期待した選択を含めていれば
よりストレスや虚しさを生み出す事になるだろう。
最後の時は分からないのだから、
なるべく常に、幸せだと感じる環境に自分を置き
自分でいいと思う選択を日々したいものだ。
もちろん、小さな子供がいる間はそうはいかないけれど
それも自分の選択であり、
その期間は自分の人生の時間を子供に使うのが幸せと決めたわけだ。
でも、それもあっという間で子供も別の自分の人生を作り上げていく。
人生は大きな選択より日々の小さな選択の方が多い。
他人に任せた選択を選ぶのも
また、自分の選択だということも忘れないようにしなくてはいけない。
もっと人生を丁寧に生きよう。