「正しいこと」とは何だろう?
まっとうな行いとは?
法に触れなければ正しいことの定義に収まるのか?
そんなことはない。
人を傷つけなければまっとうなのか?
そうともいえない。
では、正しいこととは?
例えば、家庭の事情を抱えながらも出来る範囲の中で一生懸命に働いても
生活ができずに死んでいくまたは死を選ぶ人がいるとする。
かたや、全くお金に困ってもいないのに(本人または援助があったり家族に十分な経済力がある)
上手く国の援助や助成、または様々な対策も使っていたりする人もいる。
知っている、知らずにいる・・・ それだけの差なのか?
では、税金対策などで家族の名義を使うのは?
あげたらきりがないけれど、正しい行いとは何だろうと思ったりする。
「正しいこと」をしっかり行っている人は案外少ないのではないかと思う。
法で裁かれることはないにしても、
「正しいこと」を行うのは人間にとって難しいことなのかもしれない。
魂にとっての「正しいこと」・・・
人間は様々な欲望がある。
その中から良かれと思って動いている。
法に触れない中で、善悪どちらも選択し行動している。
人間にとって正しいこと、魂から見ての正しいことは
少し離れて見極めないと混同しがちになるのかもしれませんね。
人によって物事の捉え方が違う。
同じものを見たからといって、同じ言葉を聞いたからといって
同じ捉え方や同じ解釈をするとは限らない。
どうしてだろう・・・?
勿論、この違いがあるからお互いが高めあえたりもするのでしょうが・・・
この違いで物事が複雑になってしまうのも否めない。
人それぞれ受け止め方や感じ方など違うのはなんでだろう?
魂の成長の差かもしれない。
前世での体験の差かもしれない。
今だけの生まれて育った環境でのことだけでもないのだと思う。
それでも、どの人も同じように学び成長しなくてはならないことがきっとあるのでしょう。
だから色々な体験をし色々な感情を生み出す必要があるのだと思う。
同じようにこの世にいるということは、どの人も同じだということ。
誰も格が上ということもなく
みんな同じように個々の成長に意識を持たなくてはいけないのでは?と思う。
積み上がっている本を片づけるために、お正月本棚を注文した。
やっと、整理に取り掛かっても読み始めてしまってなかなか進みませんね・・・
また読みたいと思うものが色々とあるし、今必要なことが書いてあったり。
後で読み直してみたいですね~
自分が気に入った本ならば、ずっと後で読んでも何かしら響くものがあるのかも。
その時その時の精神的成長度合いや状況により
自分が受け取れる意味あいも変わってきたりしますからね。
久しぶりに自分の本を改めて見直してみると
素敵な発見があるかもしれませんよ!
人生初の胃カメラをしてきました。
嫌なものですね・・・
お正月の風邪からずっと胃の調子も悪かったので絶妙なタイミング?!
かなり胃壁が荒れているようでした。
先生が気になる部分の組織を採って終了。
ピロリ菌も調べて欲しかったので丁度良かったかもしれませんね。
それにしても、何だか全体的にドンヨリした感じです・・・
昨夜は夢が鮮明すぎて熟睡していないような状態で眠くてぼんやりしています。
何故かアメリカのドラマ「セックスアンドシティー」の場面が登場。
実際とは違いますが・・・
キャリーという主人公がお友達のパーティーのために電車である田舎にいきました。
私は彼女と一緒に行っているお友達のよう・・・?
盛大なパーティーなので、もちろん有名な人ばかりでビックも来ています。
キャリーはお友達たちと立ち話しながら楽しそうに踊っていると、カウンターに座っているビック(キャリーの彼)が
何か言いずらそうな顔をしていたら一瞬「まぁ、いっか!」と言う表情をした後に
キャリーにある封筒を渡します。
キャリーは嬉しそうに封を開けると「ビックの結婚招待状」。
相手は他の人・・・
すごく怒って会場を飛び出してしまったので私も追いかけて慰めようとしました。
泣きながら駅のほうに行くので私も一緒に帰ると言ったのですが
「一人で帰るから戻って」と言われ、心配でしたが会場に戻ってビックを責めました。
今度は場面が変わって・・・
戻ったキャリーは友達のサマンサに話しを聞いてもらってスッキリした後
クラブで吹っ切ろうと二人で騒いで楽しく踊っている・・・
ここで目が覚めました・・・
疲れた。
なんで急にこのドラマ?
夢の中で忙しいと、起きたとき引きずっているのか疲れているのですね。
忙しいって言っても精神的に衝撃のある夢のときに起きても疲れているかな?
そんな感じで、今日はお疲れ気味。
私のプライベートでそんな展開があるわけではないですよ~
とにかく、何故かドラマが夢の中に・・・
今日はぐっすり眠りたいなぁ。
考えてみると、ずっと自分のやりたいことばかりやってきた。
そう思っていなかったけれど、そうなんだなぁ・・・
でも、最近は別の考え方もできそうな気がする。
「私に何を求められているのだろう?」
「何をやらせてもらえるのだろう?」
「何を期待されているのだろう?」
もっと大きな見方で物事をとらえる方が正しいのではないか。
「私に求められているもの」
私ができる何か・・・
何かに滞りを感じるのなら、今までの自分の物事の捉え方にズレがあるのか・・・?
「今までのみかた」と言う執着や固定観念の枠の中に自分を押し込んでしまっているかもしれない。
いつもとは違う切り口でどっしりと時を待つ。
執着せず時を待つ。
どんな方向でも受け入れること。
「 必ず必要なものは学び、必ず手元にやってくる。」
手相と言うのは意識して見ていると、とても変化していると言うことに気づく。
出て欲しい線もあれば、出て欲しくない線もある。
勉強していくと面白いものですが、
人の手を見れば見るほど全くそれぞれ異なるので奥が深いことにも気づきます。
前にあるサイキックな先生に私にサポートしている人がでタロットのようなものや
手相を見ていたのでやったほうがいいと言われたことがあったなぁ~と思出だしたりする。
その割には全然進歩しませんが・・・
よく「目は口ほどにものを言う」と言いますが、
人間というのは色々なところで現在、過去もしくは未来を表しているのでしょう。
自分個人で「自分を知っている」と思っている部分はホンの一部分にしか過ぎず、
もしかしたら身近な他人のほうがあなたのことを良く知っているかもしれません。
私は良く知りませんが、足裏にも相があるそうです。
もしも、何かしらの警告が示されているのなら意識して注意したり
生活を見直すような良い機会にもなります。
怖がることではないですね。
自分の肉体、人生を自分だけがコントロールしているというような傲慢さではなく
「大事な預かっている素材としての機会」と思えば、もう少し大事に扱うかもしれませんね。
もちろん、嬉しい知らせも出ますし面白いですね。
久しぶりにゴルフに行った
去年に引き続き肩の調子が悪いので、だいぶ体の固くなっているみたい。
スコアは良くないけれど今年はもう少しコンスタントに行って
スコアアップを目指したいと思います~
少し生活をペースダウンしていきたいとも思っているので・・・
違った時間の使い方も必要かなと。
もう少し、日々楽しむこと。
自分のこうあるべきという部分が違うやり方もあることを受け入れてみること。
取り組むべきもの、やらなくてはいけないもの、必要だと思っているもの
それしかないと思っているもの・・・などなど。
本当にそうなのか?
別の方法もある。
別のこともできる。
違う選択もある。
ずっと考えているものやずっと行き詰っているものなどは
一度そこから離れてみるのもいいかもしれない。
何かをリセットする必要があるのかもしれない。
リセット・・・
新しく何かを準備するとき。
一旦止めるもの、新しく始めるもの。
人生のサイクルを面白く見られると、そこにヒントもあるのかもしれませんね。
そうそう、年末年始の出来事のもう一つ。
一年に一度くらいは身体の検査をしていますが、
今回初めて要再検査の項目がありました
18日に胃カメラです・・・
パートナーも同じで今日再検査をしてきましたが
そういえば、既に大晦日ではなく12月後半から私の周りは不穏な感じは始まっていましたね。
只今、少し落ち着きを取り戻していますが・・・
あるがままを見て、あるがままを受け入れること。
今年の課題かもしれませんね。
去年と同じように表面的には体づくりと英語をどうにかしようと目標にしています。
それとは別に内面的なことも・・・
年明けからのブログにいくつか書いてきましたが
「自分がされてうれしいこと」を人にする!は日々意識することとしてあります。
他にも・・・
もっと真実も理解したい。
自分でしっかり理解したいことが色々ある。
ずいぶん前に誰かのワークショップに出た時に
じっと顔を見詰めると何か見えてくるものがあるというのをやった。
人の顔がみるみる変化してった感じがしたり
別の時代風景がみえて違う顔になっていたりした。
ちょっと、そんなことを思い出して何となく自分の顔を
鏡越しにじ~と眺めてみた。
すると、もくもく私の額から煙のようなものが出ているのです。
エ~とちょっとびっくりして更に見てもずっともくもく出ている。
それからちょっと観察して3人くらい感じて終了。
額から煙のようなものがもくもく・・・
何でしょうね~?
今日は祝日。
それも成人式だったのですね
綺麗に着飾った着物姿の女の子を見かけて気づきました!
思い返してみると、その時の自分が思っているほども大人ではなかったなぁ~
むしろ子供だったし無知さゆえの生意気さがあった。
でも、自分がいかに子供だったかは今は分かる・・・
いまだに迷いながら進んでいますしね
それが人間ですけど
ちょっと開き直ってみましたが、どんな人でも程度の差こそあても同じだと思います。
世の中には悟ったようにしている人たちが沢山いますが
それはホンのわずかな人であって、人に言うほど自分のことが分かっているわけでもない。
ましてや、全然分かっていない人が多かったりしますし・・・
そんなものだと思います。
悟った、目覚めた、覚醒した・・・
などなど皆さん良く使っておりますが、いちいち言うほどのものものでしょうか?(毒)
そういったことを言わなければ信用、注目をされないから?
人それぞれの感覚や思いの中で生活しているのも人間ですしね・・・
どういったスタンスでどのようにするか・・・?
これも個人の考え方によるものですから色々あるもの。
話しがズレてしまいましたが、
振り返ってみたときに自分がどう成長しているかがみえます。
これは、ある程度客観性をもってみることができるなら自分で自分を判断できますね。
「今」から先については見ずらくても
過去を顧みることは比較的出来ることだと思います。
そこから少し視野を広げてみると、その先に「今」があるわけです。
どうでしょうか?
反省?
褒めたくなりますか?
少しずつ自分で作った未来が「今」にあるわけですよね。
また、未来からみると「今」という点の繋がりが未来を創りだすわけです。
その未来に立つ自分が在る姿はどうなのか?
そこに立つ自分が、自分の歩みを褒めることが出来るためには何が必要で何をすることが出来るのか?
そんな風に逆目線でおってみるのもいいものです。