★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

当たり前のこと

2020-06-18 | 日々のこと

高温多湿のためか下水の関係かここはハエが多い。

 

始めの頃、

ちょっとロマンティックにキャンドルをつけて

外のテーブルで夕日を見ながら

バーベキューにしようと思い

ステーキを焼いて食べようとしたら

何処からともなくハエが寄ってきて

払うのに忙しくてオチオチ食べてられずに

それから一度も外での食事はしていない。

 

海の見えるテラスも

雰囲気はあると想像しても素敵だろうけれど

これも同じく、何処からともなくハエがくる。

外食でテラス席にして何度も後悔した・・・

外にいるときは分からないのに

食べ物があるとやってくる。

 

想像と現実は違うものだ。

 

家を少し網戸にしても

小さなコバエが入ってしまうのだけれど

何でだか昨日からやたらに増えた。

これ、嫌なものですよね・・・

 

自然の場所には何かしらの虫や昆虫やらが多い。

 

カエルもそう言えば増えたような・・・

雨の後は前から多いけれど

最近はもっといる。

ヤモリは家に入らないように気を付けるだけで

そこら中にいるの避けようもない。

 

セミだってカブトムシだって蛾にもハエにも

大騒ぎする人もいるけれど

日常的なものになるとなれるものだ。

さすがに見るのも苦手なものもあるけれど

視界に入れないよう気を付けるだけ。

 

日本では野菜や果物も形から綺麗じゃないと

売り物にならないし、

少しでも虫食いがあったらダメだ。

 

それはとても馬鹿げていることだと

いつも思っているし

価格の一定化のために

多く収穫があると捨ててしまったり

国の政策の得をとって畑を寝かせてしまったり

沢山の現代ならではの矛盾があるけれど

やっぱり、これからはもっと生産力を上げること

自然との調和を考えた生活へと

国も個々も変化していくのだろうと思う。

 

山も海も

それこそガーデニングや菜園にだって

見て癒される場所でも

素敵な自然のある場所には

それなりの自然の中に

生殖する生き物もいるわけだけれど

現代の特に都会で暮らす人たちは

虫や昆虫をほとんど見たこともなければ

すっかりそんなことも忘れて生きている。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩こう

2020-06-17 | 日々のこと

2時間半のショートハイキングへ行った。

今日は初対面の人も多かったけれど

皆、自分のペースで進むので問題ない。

 

とってもきれいな場所だった。

1人で行っても迷うようなところではなく

きれいな眺めが広がった。

 

木陰になる場所が多くあったので楽だけれど

全く木陰がないと本当に暑い。

 

それに、お昼に帰れると1日を有意義に過ごせる。

 

しばらくハイキングも行かなかったし

歩く量が少なかったようだから

最近はもっと1日の歩数を

増やそうと思っているところだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020-06-16 | ちょっと、ひとりごと

日本でも食物アレルギーは多いけれど

アメリカの子供もとても多い。

たまに単に好き嫌いが多いだけ?とも思えるくらい

ほとんどアレルギーだという人もいる。

食べないことから

食べられなくなっているのか分からないけれど

青白い顔色だったりするので

他人事ながら大丈夫なのか心配になる。

 

嫌いだと言うと無理に食べさせないことも多いし

工夫して料理するようなことも

私が見た中では日本人のようにはしない気がする。

 

いつも思うのだけれど

アメリカ人などが良く朝食にするシリアルは

今は日本人にもおなじみだけれど

私の子供の時もたまに好きで買ってもらっていたくらい

甘くておいしいものが多く

一皿では足りないほど軽いのに比べて

日本でよく食べる朝食はかなりしっかりしたもの。

身体の大きいアメリカ人があのスナックなような

朝ごはんでよく足りるなぁ~と。

私はスナックとして食べると

止まらなくなっていたっけ・・・

意外と日本人の方が食べるのかな?と思ったりする。

私が食べるからそう思うのかもしれないけれど・・・

 

何でも食べられるという人は案外少ないし

好き嫌いや、あまり馴染みのないものは

手を付けない人も多い。

 

それに、ベジタリアンとかヴィーガンとか

宗教上とか色々な条件の中での食があったりする。

日本でも今は多くみられるし

私の周りにもベジタリアンは何人もいた。

 

これからは食を扱う仕事も

多様なタイプが出てきそうだ。

今は日本も当たり前のようにお店側も

アレルギーや嫌いな食材の対応をしてくれる

ようになってきている。

これから日本はそれぞれに特化したような

専門店も増えるのかな?

 

アレルギー

食の傾向

飽食の時代ならでは

起こることなのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気づいた

2020-06-15 | 最近おもうこと

いつの間にか自分でも気づかないうちに

どんどん自分の快適ゾーンに

籠もってしまうようになっていたようだ。

 

人の気質や考えを敏感に見抜くのに

当たり前のように直ぐ人を信じて

人間関係でがっかりすることが毎回あり

だんだん疑うことが身についていったのだろう。

 

信頼や人間関係は

人によって思う深さが違うのかもしれない。

 

そのうち自分の快適を探して

どんどん狭くなっていったのかもしれない。

 

それは本当に何の疑いもない

安全で快適ゾーンだ。

それがあったら別に何も必要となくなる。

 

けれど、自分が傷つくことや裏切られること

くだらない陰口や噂話に巻き込まれることを避け

与えることも狭まっていっていることに気づいた。

 

 

人を受け入れると言うのは簡単だし

頭では理解できるし出来ているように感じるだろう。

けれども、実際にしている人は本当に少ない。

みんな、人を評価したり外から眺めるような

関係が成りたっていたりする。

今、いつも人を受け入れ与える人は稀だ。

 

私は基本的に世話焼きでおせっかいだ。

今の私は狭いゾーンに対しての行動と

それ以外に対しての行動が極端だろう。

それくらい、ピンポイントでしか

心を許していないのだ。

実際にそれ以外必要ともしていなかったし

むしろ、いらなかった。

 

やっと今、そんな自分を変えるときだと気づいた。

 

与えたら同じだけ相手に求めることや

相手がどう思うか気にして全てを見せない。

そんな恰好つけて何になる?

 

もっと、そのままに自分で構わないのだ。

もっと、与えるだけでいい。

もっと、自分が受け入れるだけでいいのだ。

 

それで自分自身が本当に失うものは何もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勘違いに気づく

2020-06-14 | 日記

人の悪意の対象になって

初めて人の闇の感情を実感する。

信じている人に悪意を向けられたり

裏切られたりするたびに

人が持つ感情を知り実感するわけだ。

 

言葉として知っているのと

実際に体験するのとでは全く違うわけで

そこから生まれる自分自身の感情も

実感することになる。

 

物事を知ることは必要。

けれども、初めから人の持つ闇の感情に

目を向けるのは違う。

 

知っているからこそ

単に明るい部分だけに目を向けられない。

だからこそ、自分で意識して

明るい部分に目を向ける。

 

自分の周りのものは

明るいものを選択すると

意識することが大事なんだ。

 

自分で選ぶ・・・

知るからこそ選べる。

自分の周りに置きたいものは何か?

単にそれを選択していくことができる

知恵を付けたわけで

人の感情に闇なものがあることを

知っているだけのことにしない。

 

ちゃんと、賢く活かす知恵を身につけるために

色々な体験をしたわけだ。

 

知らないということは強みであるぶん

もろさも伴う。

 

人の闇の感情を避けるのではなく

在るものはあるのだから

単に自分の周りに置くことを選択しない

それだけのことなんだ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感性を上げる

2020-06-12 | ちょっと、ひとりごと

どこの国でも全員が同じ性格ではなく

内向的な人外交的な人

細かな人大雑把な人

思慮深い人から単純な人と色々だ。

 

全体的に見たときに国民性っぽい性質は

ある感じはするけれど・・・

 

単純な思考は良いことは沢山ある。

猛進するところやポジティブなところなど

羨ましく感じることも多い。

もちろん、表と裏があるように

物事を深く見ないで

決めてしまうところは危険だ。

 

誰かから聞いた噂話をすぐ信じて

真実や自分が見たり感じたことは忘れて

何が善悪かも直ぐに決めつけ

言動してしまったりもする。

それこそ、テレビやマスメディアを

直ぐに信じてしまう。

 

これは危険なことだ。

 

いじめだってそんなことから始まることもある。

 

自分はどう感じるのか?

流されたり、

人の感覚に影響され過ぎていると

自分の感覚を持つことを忘れてしまう。

 

自分の感覚を取り戻していこう。

自分自身が真実を嗅ぎ取る感性も必要だ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイキング

2020-06-11 | 日々のこと

約5時間コースのハイキングへ行った。

 

ここは以前にも行ったことがあるのだけれど

何ヶ所か泥の水たまりを渡らなくちゃならなくて

一歩間違えると泥の中へ膝ぐらいまでハマってしまう。

前回も最後の場所で一見固そうに見える土から

ズボズボっと膝までハマった・・・

結局、今日もまた最後にハマった。

帰ってから綺麗にするのが大変だ・・・

 

日影があまりない上、

アップダウンもなかなかな所で

ちょうど日差しの強い時に歩いていたので

結構疲れた。

 

日本ではハイキングや海には

ほとんど行っていない。

海は見たくなったら

江ノ島へいき特に泳ぐことも今はない。

山は眺めるくらいで

箱根にはよく温泉で行くくらい。

 

ゴルフをよくしていたけれど

今は全くしていない。

場所が変われば、

変わったなりに楽しみがある。

 

どこに居ようと

新しい楽しみを見つけるものだ。

近所を散歩したりするのもいい。

 

私はやりたいことをやったら

座って何かしていることが多いので

身体のために機会があるときは

意識して動いてできる楽しみを

取り入れるようにしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高めておくべきこと

2020-06-10 | ちょっと、ひとりごと

書くことが閃いても書いておこうと思うと忘れて

またそれが閃くのに書くときに

忘れてしまうことがある。

 

それは、まだ書く時でないのかもしれない。

 

 

近頃忘れていたことがある。

 

自分の波動を上げておくということ・・・

人によってはエネルギーとも言うだろうけれど

波動と言うものの方が合う気がする。

 

人は良くも悪くもつい自分を過信しがちだ。

謙虚に静かに個の成長を促し続けることを

忘れてしまったり、外に意識を向けてしまう。

 

決して華やかさがない地味なものに

疲れてしまうのかな・・・

 

もともと人間は波長が不安定な上

簡単に波長を下げることも容易なのだと思う。

 

くだらないウンチクもいらない。

感情は周りのことからも離れよう。

単にもっと自分の波長に敏感になろう。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出来ること

2020-06-09 | 日記

もしも、これから新しいことをするとしたら

何ができるかな?と考えてみる・・・

 

特にこれと言って秀でたものも

強みと言えるものも得意なものも

趣味や大好きなことなども無い。

得意じゃなくても大好きならいいけど

ハマるものなど特にない。

 

良い悪いは知ってはいても

具体的に説明できるほど覚えていたり

理論を知っているわけでは無いとか

出来るけど適当・・・

 

そんな風に、そこそこな感じだけしかない人って

多いのではないかな?

 

これからもっと

その中の深められそうな強みや出来ることを

共有していく時代になっていく。

 

私には何ができるのかな?

何をさせて貰えるのかな?

何を共有できるのかな?

 

そんなことを考える・・・

 

これから、自分が出来ることを

もっと人と共有するときがくる。

 

人を幸せにすることを惜しみなく、

自分の幸せと同等になっていく・・・

そこの境界線が薄れていくのかもしれない。

 

静かな情熱を内に持っていきたいものだ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

途上中

2020-06-08 | 最近おもうこと

何かしらの機会は

誰かによってもたらされることが多い。

 

それは自分にとって、それぞれの人にとって・・・

 

その機会を

自分がどう気づくのか?

どう活かすのか?

それは個々次第。

 

それを機会とみるのか?

それとも単に一つの出来事とみるのか?それもまた、個々次第。

 

どんな中にも機会は含まれる。

けれども、自分が広がっていなければ

なかなか気づくことが難しくもある。

 

私たちは一生を通して

この機会から学び変化していく期間を

与えられているようだ。

誰もそれをコントロールすることはできない。

単に人生に機会を与えられているだけ。

 

どうしてだろう?

もしかしたら

それも間違っている。

何かしら人生に理論を

持ちたがっているだけかもしれないし

多くの人が言うように

人生は学ぶためにあるのかもしれない。

 

真理は分からないけれど

気づき学び、自分が変化していくと

生きやすくなり

人生の幸せが多くなるのは確かなようだ。

 

人生は学び続ける限り明るい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする