いつの間にか自分でも気づかないうちに
どんどん自分の快適ゾーンに
籠もってしまうようになっていたようだ。
人の気質や考えを敏感に見抜くのに
当たり前のように直ぐ人を信じて
人間関係でがっかりすることが毎回あり
だんだん疑うことが身についていったのだろう。
信頼や人間関係は
人によって思う深さが違うのかもしれない。
そのうち自分の快適を探して
どんどん狭くなっていったのかもしれない。
それは本当に何の疑いもない
安全で快適ゾーンだ。
それがあったら別に何も必要となくなる。
けれど、自分が傷つくことや裏切られること
くだらない陰口や噂話に巻き込まれることを避け
与えることも狭まっていっていることに気づいた。
人を受け入れると言うのは簡単だし
頭では理解できるし出来ているように感じるだろう。
けれども、実際にしている人は本当に少ない。
みんな、人を評価したり外から眺めるような
関係が成りたっていたりする。
今、いつも人を受け入れ与える人は稀だ。
私は基本的に世話焼きでおせっかいだ。
今の私は狭いゾーンに対しての行動と
それ以外に対しての行動が極端だろう。
それくらい、ピンポイントでしか
心を許していないのだ。
実際にそれ以外必要ともしていなかったし
むしろ、いらなかった。
やっと今、そんな自分を変えるときだと気づいた。
与えたら同じだけ相手に求めることや
相手がどう思うか気にして全てを見せない。
そんな恰好つけて何になる?
もっと、そのままに自分で構わないのだ。
もっと、与えるだけでいい。
もっと、自分が受け入れるだけでいいのだ。
それで自分自身が本当に失うものは何もない。