以前、首里城の写真を3回に分けて記事としたのですが、まだ写真残っていたので今回記事とさせて頂きます
首里城の有料の建物を出てきた所からになります また追加で首里城の復元を行っているのでしょうか 建設機械で工事を行っていました
淑順門(しゅくじゅんもん)になります国王やその家族が暮らす「御内原」と呼ばれる場所への表門で、主に女性が使用していた門だと言われているそうです
右掖門(うえきもん)になります 別名、寄内御門(よすふぃちうじょう)とも言われているそうです 現在は、御庭(うなー)からの出口として利用されているようです
寒水川樋川(すんがーひーじゃー)になります 瑞泉門前の龍樋とならんで首里城内の重要な水源だったそうです。生活用水のほかに防火用水としても利用されたと言われているそうです
久慶門(きゅうけいもん)になります 以前の記事でも書いたのですが、女性が利用する通用門として利用されていたとのことです
首里城の写真は全てブログにUPしたのですが、他の名所も沢山まだまだ写真あるので、定期的にUPして行きたいと思います
では、次回更新まで
続きの首里城の写真になります 続きも首里城の有料エリアの写真になります
御差床(うさすか)と言います 王の部屋になります
輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)と言います 球陽(琉球)には
めでたい印が集まっているという意味だそうです
中山世土(ちゅうざんせいど)と言います 琉球は中山が代々治める土地であるという意味だそうです
王の部屋なのですが、綺麗な王の椅子になります ここに座っているとお尻とか痛くなったのでしょうね 今は、リクライニングチェア、マッサージチェア等あるのでそちらがよっぽど王の椅子らしいですね・・・・邪道な考えですね
永祚瀛�誇(えいそえいぜん)』と言います 海の向こうの琉球を永く幸いに治めよという意味だそうです
王冠ですね 重たそうです 普段はかぶってはなく、出かける時等にかぶっていたそうです
印もあったのですね 当時は銀行とかないので、お金おろしでの使用ではなさそうです 大事な書物等に押印していたのでしょうね
1階の御差床(うさすか)になります 2階の御差床がプライベートな部屋だったのに対し、1階の御差床は行事等も見る王の部屋になるそうです
龍の掛軸も理由がありそうでうね
首里城正殿の遺構になります ガラス張りで乗っても大丈夫でした 首里城は消失と再建を4回繰り返しているそうです現在の首里城正殿は本来の遺構を保護するため、約70cmほどかさ上げして建築されているそうです
正面の建物が首里城の出口になります
首里城はもう少し写真があるので、時期をみてUPします
では、次回更新まで
首里城の有料エリア(建物内)の写真になります 土足厳禁のために建物入口で靴入れの袋を渡されます 汚れやホコリ防止なので仕方ないですね
首里森御嶽(すいむいうたき)といい、神が造られた聖地であるとされているそうです
奉神門(ほうしんもん)といわれる首里城正殿になり、神をうやまう門という意味だそうです
奉神門前の天水甕(てんすいがめ)といわれ、今は砂利を入れているが当時は、消防用の水を貯めていたのではと言われているそうです。奉神門前には4基以上の甕があったのではとも言われているそうです
自販機で大人1人『820円』です 世界遺産を維持していくためには高くはないのでしょうね
いよいよ、建物内に入ります
御涼傘(うりゃんさん)と言われています 国王が行列をする時に、これを揺らしながら行進したり、目的地に到着すれば山鉾のよう にその場を飾るものだそうです
内炉之間(うちろのま)と言われる茶室だそうです
書院、鎖之間(さすのま)、庭園の説明になります 客人を振舞った場所なのでしょうね
次回につづく
では、次回更新まで