薫のよもやま話

森山かおる
市原市議会議員
重度障がいの息子を育てながら、日々感じる事を想いのままに

帰省中の大阪で思う「人のつながり」

2016年12月28日 | 障がい

連日知人が訪ねて来てくれます。

息子がお世話になった支援学級のナース、ママ友、20年前から車の整備をお願いしていた整備士さんなど、ここで暮らしていたんだなーと懐かしさと共に、今でもつながっていることが嬉しい。

昨日は中学校でお世話になった担任の先生が、8年ぶりの家庭訪問!

息子は「誰や?」と神妙な表情でしたが、声を聞くとふふっと笑い思い出したようです。

通常学級の先生ですが、支援学級の息子をお客さんにならない学級運営をしてくれ、やんちゃな生徒も支援学級の生徒も含めた全員が互いを認め合う、とーっても思い出深いクラスでした。

今は教頭先生になられて、11月にはPTA講演会の依頼を受け、講師としてお招きいただきました。

講演内容は重度の障がいを持つ息子の子育てを通して感じた生きていることの素晴らしさや命の重みです。

息子は胎児期に重度の先天性水頭症と診断され、歩くことも言葉を話すこともできないと覚悟した出産でした。

出産後はすぐに手術。その説明の時に「生きる力があると仮定しての話です」と言われていただけに、歩けなくても喋れなくてもいい、ただ生きていてくれさえすればと願う子育てでした。

寝ている間に死んでしまうかもしれないと、毎夜温かい体に触れおやすみのキスをすることが習慣になりました。

今では体も大きくなり、それほどの緊迫感はなくなりましたが、「今日も生きていてくれて有難う」と、22才の息子にキスしてしまいます。

生きていることが当たり前だと思えるのは、実はとっても幸せなことなのです。

今生きている自分を誇りに思って欲しい。そして自分の周りにいる友達の命も自分の命と同じように大切にして欲しい。

ざっくりと、こんなことを講演会でお話ししました。

私は「差別はいけない」と教えても机上の勉強にしかならないと思っています。

他人を認めるには、まず自分を認めること。その根底は自分の命を大切に思うことから始まるのでは、と思うのです。

昨日は先生と講演会後の様子に始まり、人権教育、若い先生の指導、就学指導など白熱しました。

離れているから語れることもあり、こうしてつながっていられることに改めて感謝しています。

 

遅ればせながら、大阪に向かう道中から撮った富士山。