EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ミュージックライフ 1974年 9月号

2013-08-31 13:22:49 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年 9月号


画像① 表紙


画像② 見開きモノクロ写真の頁


画像③ ワーナーの広告
8月25日に発売だったのですね


前回取りあげたミュージックライフ誌は、
ちょうど、この9月号の前の号だと、自宅から持ち出して来てから気がついた次第。

この9月号はメンバーへのインタビュー等は、特にないのですが、
後に「衝撃のロックトリオ伝」に用いられる事になる写真が載っています。

この見開き頁の写真はすべて使用されていますね。

そして、ワーナーの広告。

なんで、この写真を使用するのかというキースの写真。
他に写真のストックとかはなかったのでしょうか?

広告の右下部のペンダントを見ると、熱心なファンは、3枚組にたじろぐことなく、
購入せずにはいられなくなります。

6月のグレッグのコンサートの時に、このペンダントを下げていた女性もいましたね。
大切に保存していらしたのでしょう。

それから、トピックスのコーナーに、カールの発言が載っています。

イギリスから税金の問題絡みで、アメリカに移住するという話。
キースがソロアルバムを既に完成させて、グレッグもソロアルバムに着手する。
ソロアルバムがリリースされると言っても、4年間で培ったバンドの結束は固いので、解散に結びつくものではない等々。

こんなカールの発言を読むと、EL&Pの人気や活動というのは、

「あっという間にやってきて、あっという間に過ぎ去って行く」

みたいな感じだったのかなと思いますね。

以上。

本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
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2013年8月31日 yaplog!

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ミュージックライフ 1974年 8月号

2013-08-07 15:50:38 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年 8月号


画像① 表紙
ミュージックライフのキースオンリーの表紙は、
ひょっとしたらこの号だけかも知れません



画像② キースのバイク写真

この雑誌が出ていた74年に、リアルタイムでEL&Pファンをやっていなかった人は、
古書店等でEL&P関連雑誌を探す場合、
表紙がEL&Pのメンバーだと表紙買いすれば良いわけです。
それ故、多くのEL&Pファンが所持している雑誌の一つではないでしょうか。

本号のEL&P関連記事としては、
まず、表紙に象徴されるように、
キースが1974年の3月に、
ミュージックライフ誌の人気投票のキーボードプレイヤーの部門で、第1位を獲得した事から全てが始まっていきます。

この時の表彰盾を受賞したミュージシャンにお届けする事を第一の目的とし、
あわよくば、本人からインタビューをさせてもらうと言う運頼みの、
渡英を本誌のスタッフが決行しているわけです。
ジミー・ペイジ等もその中に含まれていました。

そこで、最初に訪れたのが、
マンティコアのオフィス。

グレッグもベーシスト部門で受賞をしているので、
グレッグに届ける盾も持参していたのですが、
オフィスサイドの話では、
キースは国内にいるが、グレッグとカールはバカンスで連絡が取れないとの事。

ピート・シンフィールドとの接触には成功したようで、
モノクロ写真にサインが入ったものが半ページで掲載されており、
ピートは日本でのPFMの売れ行きをたいそう気にしていたとの事。

オフィスサイドが言うには、
インタビューは許可できないが、写真はOKで、
キースは盾を頂戴しにオフィスにやってくる事になったわけです。

当時、KAWASAKIのバイクがお気に入りで、
それに乗って登場したわけですが、
当時のご夫人も、車を運転して、バイクに同行したようです。

キースへのお土産に本誌スタッフは、「こけし」を持参。
キースは来日時も「こけし」を持ち帰ったらしく、「こけし」がお気に入りとの事。
表紙の写真は、片方の腕が途中で切れて、写っていませんが、どうやら「こけし」を持っているようです。

オフィスを訪れたキースと夫人は、終始笑顔を浮かべていたとの事。

レポートの最後に、ライヴ3枚組のリリースがタイトル入りで告知されています。

今日ではほとんど考えられない事と推定されますが、
英国へ本人にアポなしで渡英し、お目当てのアーティストの写真を撮ってくるところが、
スゴイといえばスゴイ!
マンティコアのオフィスからキースと会う許可をもらうまで、何日か足を運んでいる様子が綴られています。

ジョン・アンダーソンの豪邸にもお邪魔して、本人からインタビューをもらっていますね。

このレポートは、今から39年前の話になるわけですが、
キースの周囲の状況は今日では全く違ったものになりました。

時を同じくして表彰盾を手にしたジミー・ペイジは、
映画「ゲット・ラウド」に出演、
既に2年ほど前にDVD化もされています。

キースの評伝映画は、その監督が寄付を募っていた話もありましたね。
今、どうなっているのでしょう。

現時点での事はさておき、
マンティコアオフィスを訪問して取材に成功した、
本誌スタッフの仕事は、EL&Pファンにとって、貴重な記録であります。

以上。

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ミュージックライフ 1974年4月号

2013-07-11 13:23:27 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年4月号


画像① 表紙


画像② カラー2頁
グレッグの写真は最初からこんな感じ
スキャンに失敗したわけではありません


この前の号で、
1973年度のミュージックライフの人気投票の結果が出ていました。

EL&Pはバンドとしても、メンバー個人としても、
上位にはランクされているのですが、
決してEL&Pファンを満足させる結果とは言えませんでした。

この結果は、1974年度の人気投票に向けて、
EL&Pファンにさらなる決意を促す事になったように思います。

恐怖の頭脳改革リリースから数ヶ月。

比類のないアルバムの拝聴とともに、

「決して今を逃すわけにはいかない。」

というEL&Pファンの本能的な読みが生まれたのではないかと、
捉える事ができます。

次年度の人気投票において、
バンドとしてのEL&Pに栄光をもたらすべく、
その想いをさらに熱くした事でしょう。

この本能的な読みが本当に当たってしまったのは、
その後の人気の推移を見れば、言うまでもない事です。

この年に、レディーズ&ジェントルメンがリリースされて、
EL&Pファンの熱は最高潮に達するのだと思います。
そんな時代の年度がわりの最初の号ですね。

以上。

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ミュージックライフ 1974年12月号

2013-06-21 13:47:59 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年12月号


画像① 表紙
説明不要ですが、
「クイーンⅡ」の勢いは止まらない


表紙をめくると
お三方が登場



画像②


画像③


画像④

1人につき、
1頁はなかなか贅沢かも知れません。

その贅沢さの根拠として、
人気投票の中間発表があるのですが、
バンドとしてのEL&Pは、
最終発表に向かって、
勢いが止まらない感じですね。

キースとカールは、
キーボードプレイヤー、
ドラマー部門で、
ほぼ敵無しでトップ状態。

グレッグには、

ヴォーカルでは、
ロバート・プラント、

ベースでは、
アルバム「バンド・オン・ザ・ラン」で、
その勢いが売り上げ的にも増していた、
ポール・マッカートニーが、
グレッグのトップ獲得への行く手を阻んでいる状態。

今の日本の某アイドルグループの選挙にたとえれば、

当時であれば、
同じ号の雑誌を何冊も買って、それに付いているハガキを使用して、
投票する事になるのでしょうが、そこまでのめりこんでいたファンは、
いたのでしょうか。

ハガキには、
それぞれの部門で、
2名(2グループ)書けるようになっています。

これは、
考えようによっては面白い。

例えば、
Aさんは、
「レッド・ツェッペリンとEL&P」
Bさんは
「クィーンとEL&P」と書いたとします。

そうすると、
EL&Pが2票、
レッド・ツェッペリンが1票
クィーンが1票

となり、

結果としては、EL&Pが第1位になってしまいますね。

2名(2バンド)選択できるようにすると、
国内のミュージックシーンにおける全体的な人気の傾向性が、
結果として出てくるという事かも知れません。

以上。

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2013年6月21日 yaplog!

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ミュージックライフ 1973年4月号

2013-05-23 14:49:15 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1973年4月号


画像① 表紙


画像② グラビアはキースのみですが、カラーです
銀色のつなぎみたいな衣装です


本号の特徴としては、
この1枚のカラーページ。

あと、「新しいレーベルに熱中するEL&P」と題して、
大貫憲章さんの筆によるEL&Pに関する最新情報が綴られています。
内容を概略すると、

「昨年、11月以来、コンサートをしていないEL&Pであったが、
何をしていたかというと、
マンティコアレーベルなる独自のレーベルを立ち上げて、
他のミュージシャンの作品もリリースする運びになったようである。」

との話です。

ロキシー・ミュージックをプロデュースしたピート・シンフィールドの参加も決定していて、彼のソロアルバムがレーベルで最初のアルバムになるという情報もあります。
(文章ではロキシー・ミュージックをマネジメントしたという表現が為されています。)

どうやら、マンティコアレーベルの立ち上げの情報が、
日本の音楽誌に記録された最初のニュースみたいな感じですね。

マンティコアレーベルに関しては、
ミニ情報コーナーのところでも取り上げられていまして、
今後のEL&Pのアルバムは、
マンティコアレーベルからリリースされ、アイランドレーベルと共同の運営のかたちで、
英国とヨーロッパの各国で発売されるとの事。

あと、
英国の音楽紙「ディスク」の1973年のリーダーズ・ポールの結果というのが載っていますね。

それぞれの部門の第3位までが載っていまして、
キースが、「キーボードプレイヤー」と「ベストミュージシャン」の部門で第1位を獲得しています。
EL&Pはグループ部門では、ベスト3に選ばれてはいません。

その英国の雑誌(音楽紙と記されていたので、ペーパーのようなものなのでしょうかね?)の読者の傾向性はよくは解りませんが、
キーボードプレイヤーのみならず、ベストミュージシャンに選ばれているところに、
有無を言わせないキースの勢いが感じられますね。

このミュージックライフのカラーグラビアにキースだけが載ってしまうのも、
英国でのこの音楽紙の結果も背景としてあるのかも知れませんね。

以上。

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2013年5月23日 yaplog!

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ミュージックライフ 1974年 2月号

2013-04-10 17:46:52 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年 2月号


画像① 表紙


画像② 表紙をめくったところ

EL&Pに関する主要な箇所は、
画像②の通り、表紙をめくったところに、
3人がカラーページで登場するというところですね。

ミュージックライフ誌は、
毎年、数ヶ月に渡って人気投票を行っていたのですが、
3月号において、
その最終結果が発表されるわけです。

これは2月号なので、
中間発表が載っていますね。

EL&Pはバンドそのものの人気は、
まだトップをとっていないのですが、
ベーシスト、ドラマー、キーボードプレイヤーの3部門で、
それぞれが第1位の位置についていますね。

そんな誌上の背景もあって、
表紙をめくるとメンバーが颯爽と登場という感じかも知れません。

本誌の特徴としては、
EL&Pの文字がいたるところに散見されるという事ですね。

ストレイ・ドッグのモノクロ写真もありますが、
EL&Pと共にツアーをしているとかの説明が添えられています。

また、
PFMへのインタビューが、もったいぶった見出しで、
掲載されているのですが、
影響を受けたバンドの一つとしてEL&Pが登場します。
(これはちょっと微妙ですね。
なぜなら、影響を受けたバンドを述べる時に、
クリムゾンやイエス、ジェネシス等が先に挙げられて最後にEL&Pが出てくるのです。
レーベルでお世話になったので、取って付けた感じが否めないですね。)

ミュージックライフ誌は、
カラーグラビアが多い音楽誌ですが、
表紙に記載されている特集記事等は、
カラー頁とは限らないので、
表紙にEL&Pの文字がなくても、
メンバーが登場する事があるという事ですね。

以上。

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2013年4月10日 yaplog!

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ミュージックライフ 1974年 7月号

2012-12-17 13:03:48 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年 7月号


画像① 表紙

特に前回のブログの続きというわけではないのですが、
たまたまこの号を取り上げる事になりました。

これは一頁目をめくると、見開きのカラーページが登場します。


画像②

頭脳改革ツアーの写真ですね。

グレッグの顔がこの頃から、既に丸みを帯びてきているのだと、しかと認識できます。

本号の価値がEL&Pファンにとってどの辺りにあるのかを綴ってみたいと思います。

カリフォルニア・ジャムに出演した多くの著名バンドのカラー写真が掲載されています。

この後、
EL&Pを遙かに凌駕する知名度と売れ行きを見せるバンドもあります。


画像③


画像④

ちなみに、
EL&Pは冒頭の見開き2頁に写真があるだけで、カリフォルニア・ジャム時の写真はありません。

理由としては、
雑誌の冒頭の方で、EL&Pのカラー写真を取り上げる編集をしてしまったので、
何度も載せるわけにはいかないという事なのかも知れません。

それでも良いのです。

EL&Pがトリを務めたカリフォルニア・ジャムというイベントに、
ビッグネームが名を連ねていたという事実は変えられないのです。

ワイト島などは、
公式のオムニバス映像が先にリリースされていたわけですが、
このカリフォルニア・ジャムは、公式オムニバス映像ソフトが存在しません。

これには版権問題の他、様々な理由がある事でしょうが、

一番の理由は、
EL&Pがヘッドライナーを務めたイベントであるという事実を承伏しかねる人達がいるのであると思います。

きっと、認めがたい事実なのかも知れませんよ。

それは音楽関係者であり、
その他のバンドのファンのリスナーでもあるかも知れません。

きっと、
「EL&Pがトリを務めたイベントのオムニバス映像ソフトを作ってどうするの?
そんなものが売れるの?」
みたいな事になっているのかも。

この時点では人気の上でもEL&Pが最後に出てくる事は妥当だったかも知れませんが、
その後のアルバムのヒット具合を見ると、
もし、その後に同イベントが再度行われたとした場合、
悲しい話ではありますが、最後にイーグルスあたりが出てくるのが妥当でしょうね。

ただ、屋外のイベントはある意味、大曲芸大会とも言えるべきものであり、
見て楽しむ要素があればあるほど、聴衆は喜ぶ事は確かですよね。

この号には次のような記事もあります。


画像⑤

この扉部を含めて、5頁に渡ります。
しかも書き手はどちらかと言うとEL&Pがそんなに好きじゃないとの事。
そんな人でも依頼されたら執筆をせざるを得ない当時のEL&Pの勢いですね。

まさにEL&P絶好調!

以上。

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2012年12月17日 yaplog!

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ミュージックライフ 1974年10月号 ソロ活動で再燃焼したEL&Pの解散説

2012-08-28 17:41:05 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1974年10月号
ソロ活動で再燃焼したEL&Pの解散説



画像① 表紙
スージー・クアトロ



画像② この号は、レディーズ&ジェントルマンがリリースされて数ヶ月ぐらいであると思われます。
音楽店5店舗の売上げを合計したチャート。
3枚組で第1位。
今では信じられない



画像③ ワーナーの広告

古本店で求めたものです。

なかなかよいカラーグラビア1頁が載っているのですが、
割と良く知られている写真なので割愛。
何でもレース後の写真だとか。

表紙に「ソロ活動で再燃焼したEL&Pの解散説」とありますが、
中の記事の内容はそんな事は書いていないので、
まるで、センセーショナルなタイトルをつけて読者の気持ちを惹きつけ、
購買部数を伸ばそうとする週刊誌みたいな感じがしないでもない。

この時点での情報として、
3人がソロアルバムの制作に入っているというのは、
確かなものとして入っていたようですね。

カールに関してはそのソロアルバムにジョー・ウォルシュが参加している事まで明らかになっています。
ただ、グレッグ通しのキースのソロアルバムの情報は、「数曲は20年代のブギだろう」というややはずれた感じの内容もあります。
グレッグのソロアルバムに関しては、ピート・シンフィールドと共作している以外の情報は入っていないようです。

この記事には、
「グレッグの話によると、3者のソロアルバムはあくまで趣味の領域に属するもので、あくまでもEL&Pのつながりが最も重要であるとの事。」
ような内容が記されています。

後年になってからのキースのインタビューを読むと、
既にこの時期において、
キースの中でのEL&Pは一度終わっているような話になっていますよね。
EL&Pの解散説どころか、気持ちの上でのEL&Pの終焉がキースの中ではあったわけです。

いつぞやのブログにも書きましたが、
グレッグの中では、EL&Pというバンドは一度も解散はしていないわけです。
あくまでも「活動休止」。

この3者のソロ活動をソロアルバムではなく、ELP四部作に変換したのはグレッグのアイデアという事ですが、
グレッグのおかげで、「ELP四部作」をリリースし、
EL&Pは解散の噂を乗り切り、何とか持ちこたえる事ができたという事になりますね。

それにしても、
この時期(レディーズ&ジェントルマンからELP四部作のリリースまで)を過ごしたEL&Pファンというのは、
本当に心中穏やかならぬ日々を過ごされていたのではないかと思うわけです。

私は、このミュージックライフを手にして、ワーナーさんの広告を凝視するまでは、
レディーズ&ジェントルマンを購入した1万名様にELPペンダントが進呈されていたなんて事は全く知るわけもないわけでして。

当時の彼らの勢の凄まじさを、かいま見る事のできる雑誌の一つと言えます。

以上。

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2012年8月28日 yaplog!

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MUSIC LIFE 1978年 2月号 

2012-07-16 13:24:42 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
MUSIC LIFE 1978年2月号 


画像① 表紙
後年になって、三頭政治と呼ばれていた頃のブラックモア
しかし、その三頭のうち二頭は既に他界。
そのうちの一人のパウエルさんが、
まさかキース&グレッグ組んで一枚のアルバムを後々にリリースする事になろうとは、
この頃は誰一人予想はしていないでしょうね。


ちょうど作品第二番がリリースされた次の月に発売されたと思われるミュージック・ライフですね。

ニュー・アルバムとはいえ、
過去の作品の寄せ集めの感が否めないアルバムである事は、
EL&Pファン歴、一年未満の少年の私であっても、
何となく解っていたように思います。

そんなリリース状況とは全く関係ないのですが、
何故か載っているカール・パーマーのグラビアが1枚。


画像② 空手の師匠と食事中というプライベート写真を掲載
日本人のミュージシャンが御茶をついでいる写真は絵にならないと思うけど、
カールがやるとそれなりに趣があるものです。


数ヶ月に渡って繰り広げられるミュージシャンの人気投票のバトル。

バンド部門では、EL&Pはとうとうベスト10圏外にはじき出されてしまいました。
ELP四部作がどうのと言うよりも、
リスナーの好みが、解りやすくてシンプルなものに意向していた事も原因の一つだと思われます。
よくそのような事は批評等で、言われておりましたが、最近になって、自分もようやく、その事を理解しつつある感じですね。



この切り取り箇所は何だ。(右下)
キースの白黒写真を私が切り取った後であると思われます。
(しっかりとした記憶がない。)


キースとカールはキーボードプレイヤー部門とドラマー部門では、
太文字のベスト5内にはまだ踏みとどまっているわけです。

そんなカールに敬意を表しているのが、このグラビアなのかも知れませんね。

以上。

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2012年7月16日 yaplog!
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ミュージック・ライフ 1977年10月号 再活動に3人の心もはずむ

2012-06-27 20:01:17 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージック・ライフ 1977年 10月号
再活動に3人の心もはずむ



画像① 表紙 ロバート・プラント

カラーグラビア


画像② 扉P179 まったくはずんでいない写真だね


画像③ 見開きP180~P181

この時期は、EL&P四部作から作品第二番リリースの時期と言えますね。

このようなカラーグラビアが、本誌に掲載されていた事すら、
忘れていましたね。

写真はオーケストラツアー中のものなのか、
あるいは終わってからのものなのか、
解りかねますが、
(終えてなんて書いてあるけど終える前かもね。)

カール・パーマーの空手の写真が出てきたのは、
この号が初めてだと思います。

カールだけが生き生きしていますね。
なんといっても、
まだ20代後半だと思われますので。

夏のツアーが終わってみたら、
想定通りの赤字で、
事前にわかっていた事とはいえ、
いざ、数字を目の前にしてみたら、
さらなる疲労感が増してくるといったところであると思われます。

ミュージック・ライフ誌の前号では、
EL&Pは、モノクログラビアでしたが、
(紹介済みです。)
写真ネタを温存して次号に引っ張ってきた感じですね。
(先月号の衣装は扉写真の衣装同じ)

こうやって、
ファンになったばかりの中学3年生に、
2ヶ月続けて購入してもらう事に、
見事に成功しているわけですね。

以上。

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2012年6月27日 yaplog!
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ミュージックライフ 1978年 7月号 ライヴの刺激が恋しい?

2012-05-12 12:58:11 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1978年 7月号 
ライヴの刺激が恋しい?


プログレ界では、ジェネシスが3人になった年ですね。
私が、最初にリアルタイムで購入したジェネシスのアルバムは、
「そして3人が残った」。
ジェネシスはキーボード、ベース、ドラマーが残って、まるでEL&Pみたいでした。
(ドラマーがヴォーカルに完全に転身してしまう事になるわけですが。)
それでもメンバーと担当楽器との関連において、EL&Pに近い状態になってしまったので、試しに購入してみたという事もあります。(これは本当!)
しかし、そのサウンドは、プログレの範疇を超えたポップスファンの獲得に歩み始めた年でもあったわけですね。


画像① このミュージックライフの表紙には、
EL&Pの文字は見あたりません。


しかし、EL&Pファンにとっては、アチコチに注目すべき情報が含まれていました。


画像② カラーグラビア 1頁。
この写真、どこでいつ撮影したのでしょう。
ワークス期の写真にしては、アットホームですよね。
ワークスからのリアルタイム世代にとっては、
宝物のような出会いです。
ライヴの刺激が恋しいどころか、
借金回収ツアーでボロボロなはずであります。



画像③ モノクログラビア 3頁のラストの頁。
オンステージ準備中の写真で彩られています。
なかなか珍しいです。
夏からツアーにでるという記述がありますが、
1978年の夏に本当にツアーをしたのか疑問です。
9月からアルバムを制作するとありますが、
これが「ラブビーチ」になりました。
ステージ写真は表舞台ですが、
こんな写真も微笑ましいものです。



画像④ 保存版 あなたのロックライフを広げる完全ディスコグラフィー・コーナー。
第6回 キング・クリムゾン③ グレッグ・レイク
連載4回目からキング・クリムゾンが特集されていたようですね。
作品第二番までのEL&Pのアルバムが載っています。
シングルは未掲載。
EL&Pの保存版がいつでるのかと期待をするわけですが、
結局は出なかったと思います。
ザ・ナイスのディスコ・グラフィーをまとめてもらいたかったのですけどね。



画像⑤ ロック館のカラーCMのページ。
神田にあった田舎のロック少年にとっては、
あこがれのお店ですね。
当時は、ワークスのシンプルなデザインに理解を示すほど、
大人ではなかったので、
ロック・スペース・ミラーをゲットする事はありませんでした。


全く、EL&Pが掲載されない号に比べると、当時のファンにとっては、充実した内容になっていたと、思います。

あこがれのロック館について、次回、続きを書きます。
以上。

本ブログは、EL&Pにまつわる品物をあれこれ、思い出と共に語っております。
若いファンや、最近ファンになった方々に少しでも楽しんでいただけたらと思います。
クイック応援よろしくネ。

2012年5月12日 yaplog!
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ミュージックライフ 1972年 9月号 / 特報!EL&P日本追跡記録

2012-04-10 17:57:12 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
ミュージックライフ 1972年9月号
特報!EL&Pニッポン追跡記録



画像① 表紙 文字の印刷がややボケ気味


画像② 表紙をめくったところ、
目次の半ページと一緒に、EL&Pのグラビアが見えます



画像③ 内容の一つ。
表紙をめくるとエマーソン、レイク&パーマー初来日のカラーグラビアが目に飛び込んできますね。
扉写真を含めて全4頁あります。

アイドル的な人気も博していた当時とあっては、
どんな写真が使用されていても許される事かも知れませんが、
本当に日本に来た時の写真かどうかが、解りにくい事は確かですね。

主要な記事を紹介すると、

① 「EL&P、日本滞在の内側」というニュー・ミュージカル・エクスプレス社の記者のレポートが載っています。

② EL&Pの滞在日記もあります。
これは後に出版される「衝撃のロックトリオ伝 エマーソン、レイク&パーマー」のベースになった記事であると思われます。

③ グレッグ・レイクへのインタビューもあります。
父親がミュージシャンになる事に対して、賛成していなかった話、
EL&P結成までの経緯等の質問に対する応答があります。
今では、よく知られている内容です。
この時点において、グレッグはバンドの中で必要なのでベースを弾いているみたいな感じがありますね。

④ 特集1に現代の実力派ベースプレイヤー達、この号では、「第3期ベースプレイヤー特集」と称されて、数人のベースプレイヤーの中で、グレッグ・レイクも取り上げられていますね。

70年代の音楽誌はEL&Pの勢いを語ってくれる貴重な資料ですが、
その中でも、ミュージックライフの本号は、欠かす事のできないものと言えますね。

本ブログはEL&Pの素晴らしさを若い人たちに伝えていく事を目的の一つとしています。
クイック応援よろしくお願いします。

2012年4月10日 yaplog!
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MUSIC LIFE 1977年9月号 /                          エマーソン・レイク&パーマーに 4年ぶりの直撃インタビュー

2012-02-02 14:54:02 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
MUSIC LIFE 1977年9月号 /
エマーソン・レイク&パーマーに4年ぶりの直撃インタビュー


画像① 表紙 スターズ……なんて忘却の彼方


画像② モノクログラビア


画像③ インタビュー記事125ページの扉写真

昨年、12月14日のブログ、
ミュージック・ライフ1977年4月号に引き続き、
同じく1977年の記事になります。

本号は、モノクログラビアページが、3ページ。
そのうちの一部は、後のワーナーのポスターにそのまま使用されましたね。
加えて、インタビュー記事が、126ページか129ページに渡って掲載されています。

記事のタイトルは、

「クラシカル・ロックの大家、 EL&P健在なり」

その中には、ミュージック・ライフのアメリカ特派員による3人への直撃インタビュー。
コンサートレポート等が載っています。

このインタビューのページの写真で、
私は、生まれて初めて、キース・エマーソンがオルガンの下敷きになりながらプレイする様子を見る事ができました。

当時はファンになって数ヶ月もしていない、中学生でしたので、
そのインタビューの中に含まれている内容の意味するところを斜め読みしていた程度でしたね。

高校生なりに、理解した事としては、
カールが、
「キースのような天才的なキーボードプレイヤーと仕事をしていると、今さら他の人とやるという事はちょっとね。(考えられないね。)」
という部分が印象に残っていました。
それが、また彼らの結束の固さであると肯定的に理解していました。

この時点においての、インタビューを読む限りでは、
バンドの総意によって、オーケストラを従えたコンサートツアーをやっているように見えるわけです。
グレッグも、
「我々はビジネスマンではなく、ミュージシャンだから、(オーケストラとのツアーについて)採算よりも、EL&Pとオーケストラが一緒に演奏したらどんな音になるかきいて欲しかった。」
みたいな事を言っていますね。

年月を経てからのキースのインタビューでは、
「彼らは僕の事を恨んでいるだろうな。あのツアーをやってしまった事で、多額のお金を喪失し、バンド解散(休止)の引き金になったと思うし。」
みたいな事を呟いていました。

バンド解散(休止)の原因は一つだけではなく、
諸要因が重なっていった事に尽きるでしょう。

で、具体的にどのような金額をどう使っていたかの概略が、
この記事の中に記されていました。

「(このコンサートのためにEL&Pの個人のお金が200万ドルぐらい使われたそうだ。オーケストラのメンバーには、コンサートに出ない場合でも給料は支払われているらしい。コンサートに連れていかないのは交通費、ホテル代の節約のためだとか)」

この記述からすると、ツアーと言っても、場所によってはオーケストラを連れていかない時もあったということなのでしょうか?

ここに記された「個人のお金」と言うのは、
文字通り、バンドでストックしていたお金と言うよりは、メンバー個々人のものなのでしょうね。

これに作品第二番の不発が、追い打ちをかけたと見るべきでしょうね。

この1997年9月号を手に取り、
少年時代は読み過ごしていた記事の片鱗に、彼らの苦悩を読み取る事ができました。

それにしても、このミュージック・ライフ、
よく整理魔の父に捨てられずに済んだと思います。

それと、当時の自分自身が、カラー・グラビアに関しては、
切り取る癖があったのに、
白黒グラビアまで切り取る癖がなかったのが幸いし、
やや劣化はあるものの、頁落ちはせずに、残っていましたね。

全盛時のミュージック・ライフも数点所持しておりますので、
そのうち紹介する事もあると思いますが、
77年にまつわる記事と言うのは、
バンドにとって、岐路に立たされる局面を表現したものでもあります。

いろいろあっても、当時、アナログ盤を買い続けたファンは、
彼らのそんな時期を支える事に貢献していたという事が言えると思います。

2012年2月2日 yaplog!


MUSIC LIFE 1977年4月号 / EL&P、3年間の沈黙を破って新作を発表!!

2011-12-14 17:53:20 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
MUSIC LIFE 1977年4月号 特別企画
EL&P、3年間の沈黙を破って新作を発表!!


画像① 表紙


画像② モノクログラビア3頁 四部作の内ジャケットそのまま流用


画像③ タイトルからして肯定的でない評論家の記事


画像④ ワーナーの広告 意外にこれが一番よい。
この時期に、タルカス、トリロジー、ファーストはカセット商品がないのが解りますね


写真を見ていただくと解りますが、
「WORKS volume.1 / ELP四部作」がリリースされた時のミュージックライフです。

特別企画とありますが、

音楽評論家1名の四部作評が、148頁から151頁に掲載されている事。
モノクログラビアが3頁。

これだけですね。

このタイトルが問題。

言っている事は、あくまでも評論家の意見にすぎません。

EL&Pがさらなる進化を遂げたとは受け止めるには、
あまりにヘヴィな四部作であったという事ですね。

恐怖の頭脳改革もどきのアルバムを多くの人は期待していたとは思いますが、
熱心なファンは、そうでもなかったようです。

例えば、
「頭脳改革と同じ事をやっていたら、EL&Pらしくないじゃないか!」
という彼らの真摯な音楽への姿勢を肯定的にとらえていたファンの感想です。


ミュージックライフ誌のこの号においては、カラーグラビアもなく、
その後は、キースが卓球のラケットを持っている、1頁の4分の1程のカラー写真が何号かに掲載されただけ。

カラーグラビアとおさらばしましたね。

ちなみに音楽専科誌は、この年の夏頃の号で、巻頭カラーグラビアを企画していました。

ミュージックライフ誌では、
夏頃の号の中間の誌面あたりに、
写真入りでコンサートレポートが載っただけですね。

人気が一気に下降していく時の象徴として、貴重な雑誌といえますね。

それにしても、もっと良い雑誌は父に捨てられていて、この号がそのまま残っているのは、不思議です。

表紙のEL&P特別企画の下は、ボストン初インタビューの文字があります。

ノーシンセサイザーを謳い文句にしたバンドと、
斜陽EL&Pの対比になってしまった感じもありますね。

2011年12月14日 yaplog!



MUSIC LIFE INTERNATIONAL EDITION■臨時増刊号 4/25

2011-11-19 10:18:36 | MUSIC LIFE誌に載ったEL&P関連
MUSIC LIFE INTERNATIONAL EDITION■臨時増刊号4/25
シンコーミュージック



70年代の代表的洋楽音楽誌、ミュージックライフの臨時増刊号です。

確認を怠ったのですが、75年頃の増刊号であると思われます。

エマーソン、レイク&パーマーは、

ご覧の通り、まず、表紙を飾っています。

中身の方は、
カラーグラビア 6頁
モノクログラビア 6頁

と同雑誌掲載の他のミュージシャンに比して、
頁数が多いほうであると思います。

インターナショナルエディションの記載どおり、本誌には、英語による文章も散見されます。
海外で販売する目的があったかどうかまでは解りかねますが、
いろいろな意味において、
当時のミュージックライフの自信作であったのでしょう。

また、エマーソン、レイク&パーマーの人気は、
77年から急激に衰退したように感じておりますが、
人気の点において、もう少しだけ持ちこたえる事ができたら、
76年頃から同出版社で発刊されていた、ロックアーティスト別の写真集に、
名を連ねる事ができたかも知れません。

2011年11月19日 yaplog!