ストレンジデイズNo.5
マンティコア・レーベル研究

画像 表紙
ラダーリリース時の、
クリスとジョンへのインタビューもあるよ
マンティコアはEL&Pのレーベルであると、
恐怖の頭脳改革を購入した時に帯に記されていたわけですが、
ELP四部作を購入した時は、
マンティコアの絵柄がラベルから消えていました。
すなわち、
私がEL&Pに出会った時は、
既にマンティコア・レーベルは消えた後だったという事ですね。
77年、
カールだったか、グレッグであったかは忘れましたが、
FMラジオのインタビューの中で、
「マンティコア・レーベルはヒット作が無かったので、店をたたむしかなかったのだ。
企業としてはヒット作が続いていかない限り存続はできない。」
というような発言をしていました。
但し、それ以後、マンティコア・レーベルからの作品が全てストップしたというわけではないらしく、
それ以後に発売されたPFMのアルバムは、マンティコアのラベルになっていましたね。
その辺りの諸事情なんて、
私には解るわけもないわけですが。
本書には、
このマンティコア・レーベル成立以前の背景から始まって、
77年頃に雲散霧消するまでの簡単な経緯、
当時所属していたアーティストの紹介、
そのアーティストがマンティコアからリリースしたアルバムの解説、
リリースされたシングルのデータ等、
出来る限り詳細に記してありますね。
冒頭のカラー・ページには主な作品群のジャケットがカラーで載っています。
見開きものは内ジャケットも収めていますね。
また、この雑誌が出た1999年の8月に、
PFMを始めとするマンティコア・レーベルの初めての紙ジャケットが、
何点かビクターエンタテイメントからリリースされたようです。
表紙の裏にカラー広告が掲載されていますね。
90年代以降のインタビューにおいては、
マンティコア・レーベルに主に関与していたのは、
グレッグ・レイクである事が述べられていたように思います。
この雑誌の研究を読むとさらに具体的な詳しい事が少し解りますね。
レーベルとしての存続はできませんでしたが、
これもまた、EL&Pの勢いを象徴していた痕跡と言えます。
とはいえ、
EL&Pが70年代を乗り切れなかったのは、
このマンティコアというビジネスに足を突っ込んだ事も原因の一つかも知れません。
マンティコアビジネスではなく、
EL&Pのバンドとしての音楽作りに集中する事ができれば、
本来ソロアルバムになるべき作品を合体させたアルバムではなく、
新たなる展開も待っていたかも知れませんね。
以上。
本ブログはエマーソン、レイク&パーマーにまつわる品物、
あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになれば幸いです。
ランキングに登録しています。
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2013年4月4日 yaplog!

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恐怖の頭脳改革を購入した時に帯に記されていたわけですが、
ELP四部作を購入した時は、
マンティコアの絵柄がラベルから消えていました。
すなわち、
私がEL&Pに出会った時は、
既にマンティコア・レーベルは消えた後だったという事ですね。
77年、
カールだったか、グレッグであったかは忘れましたが、
FMラジオのインタビューの中で、
「マンティコア・レーベルはヒット作が無かったので、店をたたむしかなかったのだ。
企業としてはヒット作が続いていかない限り存続はできない。」
というような発言をしていました。
但し、それ以後、マンティコア・レーベルからの作品が全てストップしたというわけではないらしく、
それ以後に発売されたPFMのアルバムは、マンティコアのラベルになっていましたね。
その辺りの諸事情なんて、
私には解るわけもないわけですが。
本書には、
このマンティコア・レーベル成立以前の背景から始まって、
77年頃に雲散霧消するまでの簡単な経緯、
当時所属していたアーティストの紹介、
そのアーティストがマンティコアからリリースしたアルバムの解説、
リリースされたシングルのデータ等、
出来る限り詳細に記してありますね。
冒頭のカラー・ページには主な作品群のジャケットがカラーで載っています。
見開きものは内ジャケットも収めていますね。
また、この雑誌が出た1999年の8月に、
PFMを始めとするマンティコア・レーベルの初めての紙ジャケットが、
何点かビクターエンタテイメントからリリースされたようです。
表紙の裏にカラー広告が掲載されていますね。
90年代以降のインタビューにおいては、
マンティコア・レーベルに主に関与していたのは、
グレッグ・レイクである事が述べられていたように思います。
この雑誌の研究を読むとさらに具体的な詳しい事が少し解りますね。
レーベルとしての存続はできませんでしたが、
これもまた、EL&Pの勢いを象徴していた痕跡と言えます。
とはいえ、
EL&Pが70年代を乗り切れなかったのは、
このマンティコアというビジネスに足を突っ込んだ事も原因の一つかも知れません。
マンティコアビジネスではなく、
EL&Pのバンドとしての音楽作りに集中する事ができれば、
本来ソロアルバムになるべき作品を合体させたアルバムではなく、
新たなる展開も待っていたかも知れませんね。
以上。
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あるいは関連づけた品物のあれこれを、私自身の思い出、感想、私的な意見、観察日記などによって綴っております。
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