雨が降っているのに岡山へ。
飲みながら、『北風小僧の寒太郎』の歌詞
について話していると、『ヒュルー・・・』という部分は、
宮沢賢治さんを参照しているのではないか?との仮説を
立てた。今朝、ググッてみると、そんなブログを発見。
その仮説が真実かどうかよりも、日本語が示す概念というか、
なんというか、『多義性』を有しているところが、なんとも、
情緒があって、『日本人』を特徴づけているとさえ思える。
それで思い出したのが、英語を日本語にする苦労、具体的には
「Accountability」に「会計責任」をあてるのか、「説明責任」をあてるのか、という
恩師のお話を思い出した。「辞書に出テルよ」という若造には、そのお話の
「ありがたみ」がわかりませんでしたが、少しだけ、昨日、飲みながら、
その意味が分かった気がします。感謝しております・・・
『ヒュルー』の意味合いは、幼少期には、分からなかったけれども、
宮沢賢治さんの背景を知って、やっと、『東北地方』の世界観に思いを馳せることが
出来る四国出身の『わたくし』といったところだろうか?
高橋源一郎さんの『「悪」と戦う』を読んで、「詩」に代表されるような
「行間」の意味合いは、かなり心の琴線に触れるんだな、と
殺伐とした今、少し興味がわく・・・