ドナルドダック、ならぬ、ロナルド・ドーアさんの
「金融が乗っ取る世界経済」に出てくる
「証券文化」という言葉が印象に残る。
確かに、証券投資というか、株取引というか、金融取引というか、
個人株主レベルでもパソコンがあれば、というか、携帯やスマホがあれば、
通勤時間中も株が買えるようになったことを考えれば、
「証券文化」といっていいかもしれない。しかし、「株屋」というような言葉でも
明らかなように、「虚業」だった時代から考えると、なんとも「スタイリッシュ」な
文化となって、むしろ、やっていると流行に敏感とさえ思われるかもしれない。
一方で、アジアの通貨危機を引き起こしてしまうほど、「金融」は、破壊力を
持っており、おそらくITや金融の知識がないことによる「情報の非対称性」により
、ますます「ブラックボックス」化して、一部のヒトのみが、あえていうが「不労所得」
というか、「資産性所得」を獲得してしまう。
しかし、「金融」は虚業で、勤労の精神が大事です、といったところで、
もう「金融」が、何をやっているかさえ、大部分のひとがわからなければ、
いや、大部分のひとがわからないことよりも、政治家がわからなければ、
手の打ちようがないところまできている。
金融資本主義、、、、、という言葉づかいを聞いたり、自分も使ったりしているが、
世界中の一部のひとしかわかっていない、「フロンティア」であるが、
もう目に見えて認識できるような世界ですら、ないのではないか?
スンゴイ時代だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・