「会社はだれのものか」(平凡社、2005年6月)より以下、引用。
「経済学の父アダム・スミスによれば、資本主義社会とは「見えざる手」によって
支配された世界です。各個人が市場のなかで自己の利益のみを自由に追求
していくことによって、あたかも神の見えざる手によって導かれるかのように、
社会全体の利益が実現する。すなわち、各人の自己利益追求こそが、資本主義
の発展の原動力だというわけです。
ところが、すでに述べているように、その資本主義の中核をなすのは、法人としての
会社です。そして、その会社を実際にヒトとして動かしていくためには、経営者の存在
が絶対に不可欠です。そして、その経営者は、まさに会社と信任関係にあり、会社の目的
のために自己利益の追求を抑えて行動する義務を負っている。つまり、自己利益の追求を
原則としている資本主義が、その中核に倫理性を要求するという逆説がここにはあるのです。
経済学によって生活をしている人間として、経済学の父に楯突くのは気が引けますが、
資本主義と自由放任主義を同一視するのは誤りです。資本主義とは、いうなれば、その中核の
部分で、人間が倫理的であることを必要とした社会体制なのです。(P37)
「倫理性」と「資本主義」の関係性が、理解出来たような気がするのと、
「生身の人間の行動だけでなく、その行動の基本となる思考の重要性」に
気付かされた気がする・・・。
あと、「代表取締役」として、会社を背負うというのは、どういうことか、理論的に
分かった気がする・・・。